慶應大学出版会から、ビーター・シリンズバーグという見慣れない著者による『グーテンベルクからグーグルへ―文学テキストのデジタル化と編集文献学』
これは一般的な書物について論じた本ではなく、電子メディア時代の「学術編集版」、つまりアカデミックな研究のための文献となりうる版(エディション)について論じた本であり、その基礎となる学問体系として日本には馴染みのない「編集文献学」という分野があることが紹介される(ここでの編集は日本でいう「校訂」などに近いニュアンス)。
また、この学問分野においてシリンズバーグは独自の「書記行為理論」という考えを打ち出しており、このふたつの新しい概念を前提に議論が進むため、一般的な意味での「インターネット時代に本はどうなる?」という関心に応えてくれるわけではない。また、以前に邦訳も出たスヴェン・バーカーツの『グーテンベルクへの挽歌』のような、保守主義者による後ろ向きな本ではない。むしろその逆である。
シリンズバーグは、少なくとも「学術編集版」においては、近い将来に紙の本から電子テキストへの移行が必至と考えており、それゆえに、「電子テキスト時代の学術編集版はいかにあるべきか」をつきつめて考えていく。サッカレーの専門家として、過去のさまざまなエディションにみられる混乱を知り尽くしているシリンズバーグは、プロジェクト・グーテンベルクのようなテキスト・アーカイブではダメで、異なる全てのバージョンを網羅した「ナリッジサイト」であるべきだと主張している。
日本の青空文庫も含め、「読書」のためのテキスト・アーカイブはいくらでもあるが、文学研究に本格的に役立つそれは、日本にはまだそれほどたくさんはないだろう。書誌学や文献学には、これまでほとんど関心がなかったが、直木賞をとった『鷺と雪』に至るベッキーさん三部作があまりに素晴らしく、十数年ぶりに北村薫の作品をまとめて再読しており、芥川龍之介の短編をめぐる書誌学ミステリー『六の宮の姫君』を読み返して感激したばかりだったので、私もなんとかシリンズバーグの議論に頭がついていけた。
この本で紹介されているものの一つに、ダンテ・ガブリエル・ロセッティのアーカイブがある(ちなみにブラウザはIE以外を使うことが推奨されている。IEだと表示ができないコンテンツがある。Firefox、SafariはOK)。
最近では「漱石財団」の創設と解散をめぐる話題があったが、本来なら財団の前に、きちんとした「漱石アーカイブ」があってしかるべきだろう。青空文庫から個別の作家ごとの詳細な文献サイトを、たとえば「芥川龍之介アーカイブ」「坂口安吾アーカイブ」のように独立させていって、そこに国文学や近代文学研究者の論文がリンクされているような構図ができると、一般の読者も関心を寄せるのではないか。「電子テキスト」をめぐる議論のレベルがいつまでも向上しないのは、現実にネット上にある日本語文献の量が、あまりにも足りないことにも起因していると思う。
もうひとつ、この本の読みどころは、訳者の一人である明星聖子氏の「苦悩」である。下記のサイトに、明星氏による短いエッセイが寄せられており、その「苦悩」の一端が語られている(『グーテンベルクからグーグルへ』のあとがきで書かれている内容はもっと壮絶なので、そこだけでも必読である。)
彼女は本書を「悲しい予言の書」と表現しているが、シリンズバーグによる本文にはそうした悲痛なトーンは皆無であり、著者と訳者の間にあるこの大きなギャップこそが、本書の本当の主題である。
yomoyomoさんのブログで、この本のサポートページもできていることを知る。この本に対する日本側の「返答」が、理論としても実践としても待たれるところじゃないだろうか。
執筆者紹介
- フリー編集者、文筆家。「シティロード」「ワイアード日本版(1994年創刊の第一期)」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、2009年にボイジャーと「本と出版の未来」を取材し報告するウェブ雑誌「マガジン航」を創刊。2015年より編集発行人となる。著書『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、共編著『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)、『編集進化論』(フィルムアート社)ほか。
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