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ブログを本にしてもらおう大作戦

今月、単行本『これからのエリック・ホッファーのために――在野研究者の生と心得』を東京書籍から刊行した。

大学に属さない16人の野良研究者(三浦つとむ、谷川健一、相沢忠洋、野村隈畔、原田大六、高群逸枝、吉野裕子、大槻憲二、森銑三、平岩米吉、赤松啓介、小阪修平、三沢勝衛、小室直樹、南方熊楠、橋本梧郎)の人生から、今後の学究生活のヒントをもらおうとする本書は、もともとオピニオン・サイト「En-Soph(エンソフ)」で2013年10月から連載していた「在野研究のススメ」を加筆修正して、再構成したものだ。

「En-Soph」とは、一言でいえば、一種の集合ブログである。

ウェブの文章が紙の本になってヒットするという風景はもはや決して新しいものではない……にも拘らず、そのノウハウといったものは案外共有されていないのではないか。

果たして、ウェブ上で連載していた文章を紙の本にしてもらう、というそんな夢みたいな話を実現させるには何をどうしたらいいのだろうか? 一般性がどの程度あるのかはいささか心許ないが、今回の出版の流れを復習することで私なりに考えてみた。

名付けて「ブログを本にしてもらおう大作戦」である。

編集者からメールがくる

連載からちょうど1年ほど経った2014年10月22日、一通のメールが届く。Z社の編集者、Sさんからの書籍化相談メールである。

かいつまんでいうと、「在野研究のススメ」で登場する個性的な研究者と自由な学問の在り方に魅せられたので書籍化したい、とのことだった。

Sさんは30代の若手編集者で、もともと人文書系の出版社に勤めていたが、その少し前に再就職し、新たに出版事業に取り組もうとしていた会社から、編集権を一任されたとのことだった。

実際に会ってみたところ、「ススメ」が魅力的にうつったのは、内容もさることながら、すでにある程度の量が蓄積されており、中絶の心配なくそのまま書籍化できそうだ、という点も大きかったらしい。その時点で、すでに「vol.14 : 赤松啓介」の更新が終わっていた。ちなみに、一回のエントリの長さは400字詰め原稿用紙で10枚から20枚くらいだろうか。

「ススメ」は有島武郎を中心とする近代日本文学研究という、私の本来の専門領域からは外れる書き物だった。けれども、大学の人文社会系学部の危機に対して、役立たないものにこそ価値がある!というような紋切り型擁護論に不満を感じていた私は、「ススメ」がオルタナティブな応答になりうると考えてその依頼を快諾した。

Sさんが提示した出版条件は、一冊1800円程度で初版2000部、印税は7%、増刷時に10%へ、というもの。著者ノーリスクという魅力に惹かれて、私はさっそく改稿の作業を始めた。

栗田ショック、襲来!

書籍の元となる連載もvol.20に突入し、書籍用の再構成もだいたい終わり、さあ出版だ!と意気込んだのも束の間、そうは問屋がおろさない。世の中そんなに甘いものではないのだ。

2015年6月、日本4位の出版取次業者、栗田出版販売が倒産(民事再生法の適用申請)してしまう。このアオリを受けて、出版事業に自信を喪失したZ社は、その計画を先送りすることを社内に通達する。つまり、原稿はできているけれども出版できないという宙吊り状態に陥ってしまったのだ。

この事態に、Sさんは怒り心頭(激おこ)。待っていてもいつ出版されるか分からないので、限定フリー編集者として他の出版社に売り込みを始めたのだ。律儀な人である。

ちなみに、Sさんがいうには、売り込みでいちばん苦労したのは、前著や類書の売れ行きを気にしすぎるオジサンたちをどう説得するか、ということだったらしい。……なんといいますか、ご苦労様です。

ウェブ公開の文章は売れないとか、「在野」がウサンクサイとかいう理由もあって、数々の会社に断られるなか、二つの出版社が候補に上がってきた。第一にJ社、第二に東京書籍である。

ただし、J社の条件として、その時の(現在の状態と大差ない)完成稿をより通俗化することが要求された。現在でもアカデミックな文体からはかけ離れており、これ以上俗っぽくすることは私の倫理観からはNGを出さざるをえなかった。そういうわけで、大きな変更を要求されない現在の東京書籍さんにお願いした。

そのような経過をへて、『これホフ』の原稿は、いまの編集者、Yさんのもとに行き着いたのだった。ちなみに、ここでの出版条件は、一冊1500円で初版4000部、印税は7%、増刷時に10%へ、というもの。当初の予定より初版部数が倍になった。

災い転じて福となす?

作戦要綱三ヶ条

ここで、作戦要綱を三ヶ条をまとめてみよう。

第一条、とりあえず量をこなせ。

Sさんが私の文章に興味をもったのは、企画の斬新さもさることながら、すでにある程度のテキスト量がウェブ上で確認できるという点だった。

新しく著者に執筆を依頼した場合、原稿が本当に完成するかどうかは分からない。途中で投げ出す可能性もある。それに比べて、ある程度の量が既に公開されていれば、書籍化の計画も安心して立ち上げることができる。

質ももちろん大事だが、量があって初めて訴えてくるものもある。

ちなみに、私は昨年の11月に群像新人評論賞優秀作に選ばれているが、書籍化の話はそれ以前から進んでおり、受賞歴と書籍化はあまり関係ないように思う。

第二条、アクセシビリティを保持せよ。

今日、編集者とは検索する生き物である。本を読む以上に検索しているのではないか、と思うほどに彼らは検索している。そうでなかったら、そもそも私の文章に白羽の矢が立つことはなかっただろう。だからこそ、私が一貫して出版の条件として掲げていたものとして――それ故に、いくつかの会社からは出版を断られたようだが――、初出であるウェブ・ページを削除しない(閲覧可能な状態にし続ける)ということがある。

本になったらすべて終了、というわけではない。私の仕事は、本を出したあとも続いていく。蓄積された歴史を抹消してしまうことは、私のディスアドバンテージにしかならない。

無料で公開されているテクストに(仮に加筆したとしても)誰もカネなど払わないのではないか? という疑問はもっともだ。ただ、横書きのものが縦書きになるだけで読み心地はだいぶ異なる。紙には紙の、電子には電子の良さがある。パッケージングの差異は読書体験の差異に直結する。クレイグ・モド『ぼくらの時代の本』(ボイジャー、2014年)は、やはりウェブ公開の文章をそのまま書籍に収録することで、その思想の実践を試みていた。

無料で公開され続けるページの検索可能性は、有料の本への広告として、長期的な売り上げ(ロングテール)に貢献することが期待できる。アクセシビリティは大きな財産として保持すべきだ。

第三条、通俗化せよ。

私は「ススメ」以上の分量の近代文学研究論文を、パブーで公開している。けれども、こちらの方の書籍化の声はとんとかからない。有島武郎論や近代偶然文学論など、まとめたい仕事はいくつもあるが、それに協力してくれる編集者や出版社は存在しない。

当然そこには、研究論文は一般読者には読みにくく、すると当然売り上げが見込めないのだから編集者は興味を示さない、という商業の論理が伏在している。

私個人は『これホフ』の文章よりも、もう少し入り組んでいて抽象度が高くて読むのに時間がかかるもの、つまりは研究論文のような文体やリズムの方を好むのだが、そういったものは残念ながら「商業出版」としての書籍化には向かないようだ。

研究者としていささか無念を感じないでもないが、しかし、それが資本主義下の現実なのだから文句を言っても仕方ない。書籍化したいのならば、『これホフ』で私が試みたように、多くの人々に身近なテーマ(例、学校の外だって学問したっていいじゃん!)とポップで俗っぽい文体(例、「DV&モラハラ男だったのだ!」、p.97)を心がけることをオススメする。

どうかたくさん売れますように

『これホフ』は売れることを意識して書いた本だ。だから、はっきりいって、できるだけたくさん売れて欲しいと思う。

ただし、私個人は本来は、本をたくさん売りたい人ではない。専門とする近代文学研究でいえば、おそらく図書館に入るぶんもふくめて1000部もあれば想定される読者に十分届く。そして、それ以上の部数がことさら必要だとも思わない。一年に一冊売れることを予定して自費出版した人間からすれば、その程度のスケールで不満はない。

しかしながら、最近の読書界をかえりみたとき、「人々はもう少しマトモな本を読んでもいいのではないか」、とお節介ながら思うこともある。

元少年なんとかさんとか、小保方なんとかさんとか(あと、要するに韓国と中国が嫌いだという結論の本とか)。瞬間的にベストセラーを記録するものの、一年もすれば確実に忘れ去られてしまうだろう数々の話題本を目の当たりにしたとき、「そんなものよりもコレにお金を出して下さい」と言えないもどかしさを、つねづね感じていた。

『これホフ』は、そんな私が提示してみた商品だ。

私は私の本が世に溢れるどうでもいい商品よりもずっと面白い商品だと思う。いや、より厳密に言いたい。大学の人文知に魅せられて、人と会うことを忘れて図書館に籠りきりになる院生や研究者の書くものが、マスメディアで話題を牛耳る有名人や炎上しか特技のないポッと出のライターの本なんかよりも、面白くないはずがないじゃないか。

『これホフ』は読みようによっては――その意図はないものの――アカデミズム批判の本にも見える。しかし、その場合であれ、人文知批判では決してない。大学の内であれ外であれ、研究者のもつ謎の情熱と日々の研鑽は、この世界をもっと面白いものに変えるポテンシャルをもっている。そして、それは大学の危機や一時の流行になど負けるはずがないほど強いものだ。

「面白いもの」の擁護者を増やすこと。それこそが、『これホフ』出版の目的であり、めぐりめぐって果たされるかもしれない、新しい人文社会系学部の擁護論や人文知の再興の基本的戦略である。

ああ、長かったけれど、これでやっと言える。「コレにお金を出して下さい」!

執筆者紹介

荒木優太
1987年、東京都生まれ。在野研究者。専門は有島武郎。En-Sophパブーなど、ネットを中心に日本近代文学の関連の文章を発表している。著書『小林多喜二と埴谷雄高』(ブイツーソリューション、2013)、『これからのエリック・ホッファーのために――在野研究者の生と心得』(東京書籍)、『貧しい出版者――政治と文学と紙の屑』(フィルムアート社)。Twitterアカウントは@arishima_takeo
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