サイトアイコン マガジン航[kɔː]

第3回 わらしべ文庫から垣間みえる街の生活の柄

大阪駅からJR環状線内回りで3駅目にあたる西九条駅と、阪神なんば線千鳥橋駅の両駅の間に、「此花朝日橋」というバス停がある。住所で言うと大阪市此花区梅香一丁目。ごく普通のありふれたバス停だが、ちょっとその後ろを振り返ると不思議な風景と出会うことができる。街中にひっそりと、しかしほどよい主張をもって佇むこの本棚。そしてその前を素通りする人たちもいれば立ち止まる人たちもチラホラ。これが本回で紹介する「わらしべ文庫」だ。

簡単に説明すると、読まなくなった本や誰かに譲りたい本を、そこにある本と交換できる仕組みをもった本棚のこと。この街に住む中島彩さんが考案し、2012年2月から始めたプロジェクト。その内容はさることながら、一体どういった背景でこのような本棚が街頭に置かれることになったのか。棚の変遷を直接紹介してもらいながら、ことの経緯をお伺いした。

本のわらしべ交換ワールドへ

まずは、わらしべ文庫の雰囲気を写真で味わいつつ、貼り出されている「ご利用案内」の文言に添って、中身に迫っていこう。

読まなくなった本や、誰かに譲りたい本を持ってきてください。棚にある本となら、どれでも交換することができます。” (「ご利用案内」一段落目より)

なるほど。ここにある書籍は、この本棚の存在を知った人が持ち寄った譲りたい本と、彼ら彼女らが読みたいがために抜いていった本がダイナミックに行き交ったその一時的な結果なわけだ。しかし、この仕組みを回していこうと思ったら、まずいちばん最初の棚の状況はどのように設定されたのだろうか。

まず最初は自分の持っている本を30~40冊置いてみるところから始めました。そうすると、一週間経つと50冊、一ヶ月で100冊とどんどん増えていったんですね。

と中島さん。

そうか、増えていくのか。じゃあ持ち帰るよりも置いていく人の方が圧倒的に多いってことなのか。


置いていく本の数だけ自由に選んで持っていってください。交換する際は添え付けのノートに置いていく本と持っていく本の書名の記入をお願いします。” (「ご利用案内」二段落目より)

それだと増えるってことはないはずだが、一体どういった風に棚は動いているのだろうか。

最初は1冊持って来たら1冊抜いて帰ってもらうという、1冊1冊の交換を原則にしていたんですけど、あまり皆さん約束を守らなくて(苦笑)。予想以上にどんどん本が増えてきたので、このままじゃパンクすると思って数冊交換のルールに変えたり、たまに棚を整理して私が何冊か抜いたり、いろいろと微調整をしています。

でも、半年くらい経って200冊くらいになると、自然と動きが落ち着いてきたんです。きっとこの棚に対する周囲の認識も定着し、固定客が生まれてきからだと思うんですが。

“もし手元に譲りたい本がなくて、けれどどうしても読みたい本があるときは、その本を持っていってもらって、後日に譲れる本をお持ちくださっても結構です。その旨をノートにお書きください。”(ご利用案内三段落目より)

(ノートは)毎日、2人くらい書き込んでくれてますね。1人につき2〜3冊分は書き込んでいるから、けっこう回転しているんだと思います。ご丁寧に、“いい本ですからぜひご活用を。もっとありますからもしご希望でしたら”と連絡先まで書いてくださっているものあったり。

そもそもどんな種類の書籍があるんだろう。

ジャンルは本当に様々なんです。文庫小説、漫画、絵本や童話、ビジネス書、ファッション雑誌、カタログ、料理などの実用書、自己啓発本から学習参考書から宗教書から電化製品の説明書などなど…。この棚を使う人がある程度探しやすかったり、置いて帰りやすくするためジャンル分けはしていますね。

この「世界名作劇場」(写真上)はひとかたまりにしているんですけど、プロジェクトを始めた初期からずっとあるんですよ。きっと持ち主の方は読みはしないんだけど愛着があって捨てるに捨てられなかったんじゃないかなぁ。また、まるで捨て子のように紙袋に綺麗な文庫本を大量に入れて置いて帰ったり。

ずっと初期から残り続けている本もあって。たとえばこのにしきのあきら『最後のプロポーズ』(写真上)は鉄板ですね。あと、この『息子はマのつく自由業!?』(写真下)は行ってはまた戻ってくる、交換回数の多い人気作です。

最近発売された本とか状態のいい本はすぐに回転しますね。ちゃんとみんなこまめにチェックしてくれてるんだなぁと嬉しくなります。あと、漫画もとにかく回転が早い。『帯をギュッとね!』は全巻揃っていて全部持って行かれたんですけど、なぜか一巻だけ戻って来たり、しかもいつのまにかカバーだけなくなっていたり。雑誌『Newton』の特集「宇宙のできかた」なんて、もうすごいメモの書き込み具合なんですよ。

出てくるわ出てくるわ、あれこれやのエピソード。1冊1冊に込められたこの1年数ヶ月のわらしべ的交換記録からは、それを見守り続ける中島さんだけが認識できる世界が広がっていて、話を聞いているだけで実に面白い。

ところで、中島さん。なんでこんな不思議なことを始められたのですか?

本が縮める、地域住民との距離感

中島さんは京都の美術系大学院の学生だった時期に、京都市西京区にて仲間たちとアートスペースを構え、展覧会の企画などを手がけていた。

京都でスペースをやっていたときに、物々交換のイベントをすることになったんです。私の中ではその時最初に思いついたのは“本”を交換することでした。スペースの中でやってみたり、シャッターを開けて通りに面してやってみたりしました。人通りが決して多いところではなかったので、それほど大きな反応はなかったんですけど何か可能性は感じました。

その後、大阪に活動拠点を移し、現在は大阪市此花区を中心にいくつかのアート関連の企画に関わっている。その過程で、このわらしべ文庫を設置しているスペースである「此花メヂア」と出会う。

本を整理する中島彩さん。

このあたりは数年前から、高齢化して空いてしまったビルや倉庫、空き家などを地元の土地会社が、まちづくりの一環としてアーティストや建築家などに安く提供し、様々なアートスペースが生まれているんです。その周辺に出入りしている過程で、元メリヤス工場を改装した集合アトリエである此花メヂアに出会いました。

ここは、いろんなプロジェクトの展覧会場や受付会場になったりと頻繁に活用されているんですね。でも、いまひとつ地域には開かれていないからなんとか近所の人たちとの交流の仕掛けがあれば…、という声がアトリエメンバーからあがったことを耳にして、“だったら、ここで本の交換棚を置いたらいいんじゃないか”って、京都のときから暖めていたアイデアが浮かんだんです。

そして、実際にアトリエメンバーに提案し、実現へと漕ぎ着ける。京都のときの実践と違って、バス停のすぐ近く、人通りも多い道沿いで絶好のロケーションだった。最初は周囲から、「放火やゴミ問題などに繋がるのでは?」という不安の声もあがったが、まずはやってみようということになり、以後とくにトラブルもなく開始から1年以上の時が経過した。

より“実用的”な街の本棚になるということ

彼女はこの取り組みを継続するうちに、あることに気づいた。

最初は此花メヂアが外に開くきっかけになったり、地域住民とのコミュニケーションの手段として活用されればと思ってました。でも私自身はまず本そのものが大好きなんです。そして1年やってわかったことは、この棚を利用する人たちは本当に本が好きなんだということ。

どの本がどの本と交換されるか、自分以外の人がどんな本を好きで確かな関心を寄せているのか、そういうことに触れる度にすごく感動します。そして、みんな本が好きすぎて不要になっても捨てられない。だから誰かに託すことができればという気持ちも含めてここに置いていくのかなぁと思っていますね。

彼女は、添え付けのノートの感想をこまめに読んでは、いろんな本好きの存在を知るようになる。そして、最初はこまめにそのノートにツッコミを入れたり、また、たまたま本の整理に行ったときに出会った利用者の方に「こんにちは」と声をかけ、親交を図ろうとしてきたそうだ。

でも、別にノートにツッコミ返しがあるわけでも、こっちが掲示しているメールアドレスに連絡がくるわけでもない。直接声をかけてみても、返事もなく淡々と本を読み続けてたりするんですよ。“そうか、本に興味があっても、これをやっている私自身に対しては別に興味ないんだなぁ”って(苦笑)。

そう、本当に「街の棚」として”実用的”に使っている人の方が多いということに気が付いたのだ。そして、このある意味ドライな事実の方が、彼女にとってはよりこの取り組みに対する可能性を感じる契機となった。

では、最後にもう数冊、具体的な本の紹介をしてもらおうではないか。

「一体誰が持って帰るんだ…」ってくらいボロボロで、ぎっしり書き込みのある『チャート式 中学3年の数学』。

初期より“不動”の定位置を維持している、進和不動産ハウジング研究所編『女、家を産む』。

二巻がない状態でなぜか頻繁に出たり入ったりしている、ますむらひろし『コスモス楽園記』。

カバーをなくしたので持ち主が自分で書いたと思われる政次満幸『成功する男の条件』。

わらしべ文庫がきっかけになって、人と人とが繋がった!みたいな話ではないんですが、でもやっぱり以前の此花メヂアよりは、地域の人たちの受け止め方が変わったようなんですね。“ああ、あの本棚があるところやんね”とご近所さんに言われるとき、そこにはある種の親近感が込められていると思います。

中島さんは、この活動がいつまでどのような形で続くのかはわからないと言いながらも、本から立ち上がる様々な人間模様を描いていく取り組みをきっとこれからも試し続けるんだろう。ぜひ、大阪に寄られた際は、こっそりこの本棚に立ち寄ってみてはいかがだろうか。きっとこの街ならではの生活の柄が、その本の並びから滲み出ていることだろう。

(次回につづく)

執筆者紹介

アサダワタル
日常編集家/作家、ミュージシャン、プロジェクトディレクター、大学講師。著書に『住み開き 家から始めるコミュニティ』(筑摩書房)、『コミュニティ難民のススメ 表現と仕事のハザマに』(木楽舎)など。サウンドメディアプロジェクト「SjQ(++)」メンバーとしてHEADZからのリリースや、アルスエレクトロニカ2013デジタルミュージック部門準グランプリ受賞。2015年11月末に新著『表現のたね』(モ*クシュラ)と10年ぶりのソロCD『歌景、記譜、大和川レコード』(路地と暮らし社)をリリース予定。京都精華大学非常勤講師。http://kotoami.org
モバイルバージョンを終了