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本のジャム・セッションは電子書籍でも続く

「アメリカン・ブックジャム」。僕が編集長となり1996年から2006年の間に合計11号まで出した雑誌だ。体裁は洋書を読むひとのためのガイドブックだったが、この雑誌で僕がやろうとしたことは、アメリカ文化、それも主にニューヨークのダウンタウン文化を誌面で展開することだった。

アメリカの有名雑誌編集長の「自分の個性の延長として雑誌を出す」「自分と読者の間に雑誌を置く」という考えかたに刺激を受けて出した雑誌だった。

「アメリカン・ブック・ジャム」の全バックナンバー。

「プロセス・チーズ」にならないこと

「アメリカン・ブックジャム」では、ニューヨーカー誌のリテラリー・エディター、デボラ・トリースマン、クノッフ社のゲイリー・フィスケットジョン、スクリブナー社のチャールズ・スクリブナー、ファーラ・ストラウス・アンド・ジロー社のジョナサン・ガラッシ、ニューヨーク・タイムズ・ブックレビュー誌のチャールズ・マグラス、グローブ/アトランティック社のモーガン・エントレキン、リテラリー・エージェントだったアイラ・シルバーバーグなどアメリカの出版界を動かす力がある編集者たちにインタビューをして、彼らの編集方針を聞き出した。

そのなかでも心に残ったのは当時ファーラ・ストラウス編集長ジョナサン・ガラッシの「時間が経つごとに、作品にはなるべくこちらから手を加えないようになった」という言葉だった。一方、ニューヨーカー誌のデボラ・トリースマンは「掲載かどうかぎりぎりの作品は多い。しかし、ひとたび掲載となればニューヨーカーは作家への助言を惜しまない」と言っている。その言葉通りに、僕がデボラにインタビューしたときは、彼女の机の上には作家アリス・ムンロの原稿があり、その原稿にはデボラの書き込みがあった。

編集の仕方はその雑誌、その編集者によって違うだろうが、僕が「アメリカン・ブックジャム」を編集していく際に最も気を使ったのは編集者の手を通るなかでその原稿が「プロセス・チーズ」のような原稿にならないことだった。

これはあるライターにインタビューした時に教えられた編集方針だった。そのライターはアメリカの雑誌社に勤めていたが、彼女は自分が書いた文章が何人かの編集者の手を通るうちに味気のないプロセス製品のようなものになっていったと言った。手間ひまをかけると、それだけよいものができあがると考えがちだが、そうとは限らない。また、その原稿に自分の時間と能力を割いた編集者は、出来上がった原稿がもとの原稿よりもよいものになったと思いたいだろうが、そうならない場合も結構ある。

ニューヨークのダウンタウン文化を背負っている書き手を探し、彼らの「声」を最も重視する。それが僕の編集方針だった。書き手の時にはおかしな言い方や、変な英語の言い回し(英語の原稿も多かった)も、それを直すのではなく、どうやって同じような変な日本語にするかに力を注いだ。結果として雑誌はある世界を作り出すことに成功したと思っている。

電子書籍の出版社へ

その後、「アメリカン・ブックジャム」はしばらくの間、休みとしていたが、今回ブックジャム・ブックスという出版社を作り、日本のボイジャー社の協力を得て電子書籍を出していくことになった。

「アメリカン・ブックジャム」を休んでいたのは、ニューヨークと日本の距離の問題があった。記事書き/記事集めや編集を自宅のあるニューヨークでやっていたが、印刷・製本・配本は日本だったため、雑誌の最終段階はどうしても数ヶ月間日本に帰って印刷所などとのやりとりが必要だった。

しかし、子供が生まれ、子供が学校に行き出すと、一気に時間もお金も無くなってしまった。そして、情熱も子供の方に向けられ、雑誌作りはすでに何年間もやってきていたことだけに、どうしてもこの雑誌を出していくのだという創刊時の熱い想いも薄れていった。

そうして、ほとんどの時間を家の中で過ごす数年間が過ぎ、これはこれで焦りも後悔もない年月だった。しかし、妻の宮家あゆみが「このまま隠居するつもりなの」という言葉とともに、日本に帰り活動再開のきっかけを作ってみてはというアドバイスをくれた。それが、2010年のことで、彼女の言葉をきっかけに僕は日本へ帰りどんなことが始められるだろうかと知り合いたちに意見をもらった。編集の仕事を長くやってきた僕たちができることはやはりニューヨークに編集部を置き、日本で販売をする出版形態なのは分かっていた。アメリカではちょうど電子書籍が本格化してきていて、日本でも電子書籍での出版が可能かどうかを探る日本滞在だった。

その後、僕と宮家あゆみは日本とニューヨークで「ブックジャム・ブックス」という合同会社を立ち上げ、日本のボイジャー社の協力を得て、電子書籍の出版社として再び活動を開始することができた。

ブックジャム・ブックスの第一弾。

「アメリカン・ブックジャム」の時はちょうど電子メールが普及し始めた頃で、その技術を使い雑誌を出すことができた。今回はそれよりさらに進んだ技術で、ニューヨークから日本に向けて本や雑誌を出版していくことができる。僕たちの出版はこの5月に「ザ・ベスト・オブ・アメリカン・ブックジャム」シリーズの第1弾として「アメリカン・ブックジャム」に掲載したアメリカの編集者たちのインタビューに2本の新たなインタビューを加えた「アメリカン・エディターズ」の電子書籍出版から始まる。

電子書籍については、作家カート・ヴォネガットなどを出版しているセブンストーリーズ・プレスの発行人/編集長ダン・サイモンと出版界で長い経歴を持ちサイモン&シュースターのシニア・エディターだったコリン・ロビンソンにインタビューをした。

コリン・ロビンソンは最近ブック・オン・デマンドと電子書籍だけの出版をおこなうORBooksを立ち上げている。ダンもコリンも今後は電子書籍対紙の本の争いではなく、読み方の選択肢が増えるという考え方だった。アメリカでは今アマゾンが電子書籍を本当に安く売り始めているので、価格や小売業界への懸念はあったが、電子書籍という新たなメディアに対する反発はなかった(このインタビューは「アメリカン・エディターズ」に収められている)。

電子書籍はすでに「生活リズム」に合っている

僕も出版に関わる人間の立場として電子書籍に反発はない。今購読している雑誌や新聞(例えばタイム誌やニューヨーク・タイムズ紙など)は、紙のものが家に送られてきて、電子版がコンピュータやiPadで読める。家のカウチに寝転びながら紙の新聞を読み、続きをカフェに行ってコンピュータで読んだりしている。そういう生活リズムが定着すると、紙と電子版の境があまり感じられなくなる。本ももし、紙の本を買えば電子書籍にアクセスできるとなれば、人々は自然に自分の生活リズムに合わせて使い分けるはずだ。意識としての電子対紙の境は少なくなる。

僕が今回電子書籍を出版することを決めたのは、印刷や製本をする必要がなく、在庫を置く倉庫もいらないと、ニューヨークから日本に向けて出版していくのにぴったりのメディアだったからだ。そして、もし非常に売れる本がだせれば、それはもちろん紙でも展開していこうと考えている。ORBooksのビジネス・モデルでは売れた電子書籍の版権を出版社に売り、そこが紙の書籍を売る既存の流通に乗せている。

僕にとっては電子書籍出版は始まったばかりであり、現在のところ電子書籍自体がどう言う風に普及していくか分からない部分もあり、新たなチャレンジだと感じている。

『アメリカン・エディターズ〜アメリカの編集者たちが語る出版界の話』
(BinBでの試し読みはこちらから)

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執筆者紹介

秦 隆司
ブックジャム・ブックス主幹。東京生まれ。記者・編集者を経てニューヨークで独立。アメリカ文学専門誌「アメリカン・ブックジャム」を創刊。ニューヨーク在住。最近の著者に、電子書籍とオンデマンド印刷で本を出版するORブックスの創設者ジョン・オークスを追った『ベスセラーはもういらない』(ボイジャー刊)がある。
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