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印刷屋が三省堂書店オンデマンドを試してみた

電子書籍元年と何かと騒がしかった2010年、その締めくくりは電子書籍ではなくオンデマンドブックサービスだった。

三省堂書店が米国On Demand Books社の提供するオンデマンド印刷製本機であるエスプレッソ・ブック・マシン(EBM)を店舗に導入するというニュースが入ったのは8月の上旬。 EBMを最初に導入する同業者はどこになるか、興味をもって見守っていた僕は驚きとともにそのニュースを読んだ。

EBMは三省堂書店神保町本店に設置されている。

Espresso Book Machine

僕がエスプレッソ・ブック・マシン(EBM)という、洒落た名前のオンデマンド印刷・製本機の存在をWEBのニュースで読んだのは確か2008年のこと。割合にコンパクトな機械で、公共の施設等に設置可能だという。オーストラリアの書店が同年これを導入しているが、僕は(間抜けなことに)日本では出版系の印刷屋がこれを導入するものと思い込んでいた。

EBMの初号機は2007年、ニューヨーク公共図書館に最初の機械が設置されている(同年、Time誌の “The Best Invention of the Year 2007” を受賞した)。実際には前年の2006年からベータ版の投入が始まり、ベータ第2版はエジプトはアレクサンドリアの図書館に設置された。

アレクサンドリアといえばもちろん、かのアレクサンドリア図書館があった場所だ。本の最新鋭のソリューションと、伝説の図書館が数千年の時を経て同じ土地に置かれていることがなんとも興味深い。

EBMはコピー機に製本装置を合体させた機械で、構造は割合にシンプルだ。まずコピー機から本のページが出力される。両面印刷されたページがまとまると、カラープリンタ(製本機の上に載っている)から出力された表紙に糊で固定され、断裁機で天地小口を落とされて本の形になる。この間およそ10分。まだ暖かな本が読者の元に届けられる仕組み。

ちなみに本のデータはOn Demand Books社のサーバに蓄えられ、版元が望めばそのネットワークに繋がる世界中のEBMから出力できる。出力側はアナログな本だが、ソリューションとしてはいま流行のクラウドなサービスになっているところが面白い。

オンデマンド印刷

ふだん僕は印刷会社で営業をしている。主な取引相手は文字物をメインとする出版社。クライアントも僕たち業者も、おそらく一般の読者が想像する以上に印刷物の刷り上がり品質に関しては厳しい意識をもって向かっている。もちろん、可読性に関わる材料の選択についても吟味を重ねて製品は作られる。

例えば、数年前まで僕の会社では刷り上がりが濃くなりすぎないように抑えていた。長時間に及ぶ読書の際に目が疲れないようにという配慮からだ。最近は高齢者の読者が増えたことで、逆に濃い刷り上がりを求める声が増えて基準濃度よりもインキを盛るようにしている。

そうした職務上の目から見て、僕はこれまで品質に満足のいくオンデマンド印刷機に出会ったことはなかった。

オンデマンド印刷機は、オフィスにあるコピー機に製本機能が付いたものと考えてもらえればいい。印刷の方法は、トナーを電気的に紙に付着させ、熱などでキャリアの樹脂を溶解させ定着させるシステムだ。

このため、コピー機の刷り上がりには独特な「テリ」がある。紙面とのコントラストが強く出てくっきりするが、細部の再現性にはまだ難点があり、かすれや欠けが出やすい(紙の種類にもかなり左右される)。「テリ」については賛否両論あるが、紙と画線部が乖離しているという印象をどうしても受ける。

(もちろん、と言いたいのだが)品質についてはオフセット印刷が圧倒的に優れている。しっとりと紙になじむ刷り上がり、文字や図版の細部のキレは、みなさんが日頃接している書籍をひらいて会社でとったコピーと比較してみていただければ分かる。

この印字上の違いが、多くの出版社がオンデマンドサービスに踏み込めない要因の一つ。おそらくどの版元も、オンデマンドサービスを採用して眠っているコンテンツを動かしたいと考えているはずだ。それでも、出版社として担保すべき品質の(そして販売上の)問題がある。「うちの本づくりの基準からいうと、この仕上がりでは難しいね」という言葉をこれまでに何度となく耳にしてきた。オンデマンド印刷機のメーカーから僕たちの業界に対して売り込みも続いているのだが、成功した例はこれまでにあまり耳にしていない。

早速出力してみた

EBMは、コンパクトなサイズでよりコンシューマーに近いところに設置できること、本に絞って展開しているサービス、そのあたりにビジネスチャンスもあるかもしれない。おそらく、同業者が導入して出版社に攻勢をかけるだろうと思っていたらば、なんと最初に手を上げたのは(EBM本来のターゲットである)書店だった。

版元との関係をどうクリアするか? 秋に行われた説明会ではGoogle Booksの300万点からの書籍を中心にサービスを始めるとのことで、国内の版元には出品をお願いしているもののまだ和書はないということだった。

導入時期は秋口の予定だったが、これも少々遅れ、後に12月15日がサービスの開始日としてアナウンスされた。しばらくの沈黙ののち、BlogやTwitterでの告知(この辺)が上がり始めて期待感を盛り上げられたが、世間的にはどの程度の認知があったのだろうか、少し気になる。

12月15日当日、残念ながら朝から会議があって一番乗りは逃してしまった。逸る気持ちのままに会議を過ごし、午後になってすぐに店舗へと駆けつける。EBMの周辺にはどこから見ても業界人(出版及び印刷)といった風体の人でいっぱいで、業界の関心を伺うことができた。その人だかりの中央で静かに EBMが稼動している。初めて見るEBMは思っていたよりもずっと手作り感に溢れる作りだ。

Espresso Book Machineの内部。

初日ということもあるのだろう、EBMの周りには常時4〜5名の店員がついて対応をしている。説明を求める客も絶えず、現場は賑やかだった。ただ、若者の姿は僕がいた間はゼロ。40代から50代くらいのサラリーマンがほとんどだ。土地柄もあるだろうが、あまりに極端な関心層の年齢比率。

しばらく写真を撮りながら機械の観察をする。印字は速い。次々に用紙が吐き出されてくる。機械の後端上部にインクジェットプリンタが設置されていて、ここで表紙が刷られ、そのまま機械の中に流れこんでいった。機械中央上部に本文がまとまると、その下で表紙と糊付けされて、さらに中央下部で三方裁ちが行われる。糊付け〜断裁はゆっくりと進んでいく。もう少し機械を整理して、外観を整えると楽しそうだ。子供にも何が起こっているのか分かりやすくなるだろう。

機械後端。上部にエプソンのインクジェットプリンタがある。

駆けつけてみたものの、何を頼むかを決めていなかったので、カウンターでどのような本をお願いできるかを尋ねてみた。本のリストは当日発表ということで、全く前知識を持っていない。すると簡単に綴じられたリストを渡された。

リストによれば約40数冊、講談社から「講談社オンデマンドブックス」として和書の提供が行われている。約2000冊になるシリーズらしいが、いまはまだデータが揃わないのだという。リストは日々更新するというので、三省堂書店のHPなどで確認してみるとよいと思う。洋書の検索も可能だ。

その他はリスト外だが、Google Booksの本、約300万冊(!)を出力可能だという。「書名をおっしゃっていただければ」とその場で言われたが、さすがに何があるかも分からず、洋書は断念。講談社が提供する本から『ジャズ喫茶「ベイシー」の選択 ぼくとジムランの酒とバラの日々』を選んでお願いした。値段は1冊1360円。

和書は店舗のPCにデータがあるとのことで、空いてさえいれば約10分で出力は完了するらしい。僕がお願いしたときは洋書の注文が数冊入っていて、出力には40〜50分ほどかかるとのこと。洋書は海外のサーバから注文ごとにデータをダウンロードしてくるようで、その分時間もかかるようだ。

客先をまわってくることにして、1時間ほどしてから店に戻ると出力が完成していた。残念ながら既に冷めてしまっていて、三省堂書店のいう「あたたかな本」を体験することができなかったが、まだ乾ききらない糊と表紙のインクジェットプリンタの匂いで出来たての感動は味わえる。これまでこの匂いは関係業者だけのものだったんだけど、それも市井に解放されたのだなぁ。

せっかくなので、三省堂さんは本当にエスプレッソを提供するカフェを用意するといいと思うのだが、どうだろう。落ち着いた喫茶店で、コーヒーを飲みながら本を選んで注文すると、ほんの僅かの時間で本が運ばれてくる。ではもう一杯、そんな時間も楽しそうに思う。

そんなことを考えながら、出来上がった本をもって社に戻った。さて、出来はどうだったかというと、これが意外に良くて参ってしまったのだ。

三省堂オンデマンド(講談社オンデマンドブックス)、出来本。

刷り立てなので、表紙が乾燥しきっていないので注意してくださいね、と三省堂の方に伝えられていた通り、インクジェットプリンタ故に少し表紙がベトベトする。およそ半日〜1日で落ち着くというが、慌てると爪などで傷をつけてしまうかもしれない。

今回購入した「講談社オンデマンドブックス」は統一のデザインを与えられていて、これがすっきりとしたなかなか良いデザイン。早速にページを繰るとたしかにコピー機の出力なのだが、想像外に落ち着いた刷り上がりになっていて驚いた。もっとこってりとした刷り上がりと思っていたのだが、いや、参ったな。

印刷の質が意外に良い。

おそらく用紙と書体の相性がいいのだと思うのだが、かつてのオンデマンド機のいかにもコピーでございといった嫌らしさがかなり薄いのだ。画像は解像度が足りずにそこそこの仕上がりだが、これはデータを改めればもっと鮮明に出るのかもしれない。しかしとにかく文字だ。この仕上がりだと「読めてしまう」。これまでオンデマンドだからと敬遠されてきた理由の一つが、かなり解消されてしまうことになる。

刷り上がりの品質。「読める」。

製本の質は正直なところまぁまぁだ。おそらく長持ちはしまい。通常の並製本はアジロまたはムセンという方法で綴じてあるが、紙の末端を傷つけることで糊の付着する面積を増して強度を得ている。しかしEBMではノドは紙を揃えたそのままなので、糊の入り込む余地がない。思い切り開けばページ単位で剥がれることもあると思う。

だが、普通に読む場合そこまでするケースは稀だし、このサービス自体が質よりも実を取るサービスだろうから、そこまでの問題になるとは思えない。きちんと製本された本が安易にかつ安価に提供されることの意義のほうがよほど大きい。

サービスの意義

意外に出来が良くて参ってしまったEBMだが、今後の展開はどうなるだろう。とりあえず動き出したところだが、講談社が本の提供をはじめたことで、おそらく、他社も様子を見つつ参入してくるに違いない。

EBMはネットワークで稼働するサービスだ。三省堂書店は導入の説明会でもアナウンスしていたが、いずれは国内の各店舗に設置をしたいという。となれば、日本のあちこちの三省堂で同じサービスを受け、東京と同じ本を手に入れられるようになる。

わざわざ東京と同じと書いたのは、本の配本には地方格差があるからだ。国内の書店数はおよそ1万5千軒、現在流通する新刊のほとんどは、初刷印刷部数が数千部。書店に対して本は圧倒的に足りていないのだ。

当然、売れる実績のある書店により多くの本が配本される。このため、地方の書店には十分に本が届きづらい現状がある。大店舗でもその傾向があるのだから、中小書店はもっと厳しい。

三省堂書店がEBMにかける期待も、顧客に対して安定して本を供給したいという書店として当然の期待が大きいようだ。せっかく書店に来てくださった顧客に対して、求められる本を提供できないことは、どんなにか悔しかっただろうか、想像に難くない。

僕が今回出力してもらった本も、版元や書店ではすでに入手ができない。講談社はオンデマンドのサービスを自社でも行っているが、三省堂オンデマンドのように出力機が書店にあれば顧客の利便性は格段に上がる。

また、今後電子出版が盛んになれば、本の出力先として、電子版/オンデマンド版/従来の印刷版と、さらに選択肢が増えることになる。特殊な物件について、電子版とオンデマンドのみで提供するという選択肢も出てくるだろう。

あとは採算の問題だが、EBMは意外に高くない。正確な価格を知らないので明記は避けるが、(印刷会社にあるような)オンデマンド印刷機に比べれば圧倒的に安い。耐用年数が気になるところだが、ある程度の規模をもつ組織であれば、導入はそれほど難しくないと想像できる。

最後に、印刷屋にとってのEBM

さて、今後僕たち印刷業者、製本業者はどう対応していけばいいだろう。

僕たち印刷屋にとってEBMは非常に困った話でもあるのだ。たしかに質の問題があってこれまでは仕事にならなかった。しかし顧客から見れば、上手いソリューションを提示してくれなかったという側面もまたある。

今後、版元から組版データの提供を求められる機会も増えるだろうし、版元でのデータ制作の内作化もますます進んでくるかもしれない。中抜きになるのは、他ならない僕たちだ。先に書いたように、EBMの意義は、書店に出力機があることにある。我々が同じ機械を導入しても、流通の便を考え、既に導入した書店があることを考えると、明らかに僕たちの分が悪い。

書店から見ればリスクを負うのは自分たちだが、版元にしてみればノーリスクでコンテンツを提供できる。その版元に、僕たちはどんなメリットを提示できるだろうか? これまでの制作フローがどんどん壊れてきている。業界も、大きく変わっていくのだろうと、感慨もひとしおな三省堂書店のEBM導入なのであった。

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