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いまそこにある未来(3)

「ありもの」の輝き

そっくり同じ手法を使って、日本でも『The Complete OZU』とか『書を捨てよ、町へ出よう』という電子的な出版が行われた。

『The Complete OZU』とは映画監督小津安二郎のすべてということなのだが、出版元が東芝EMIという会社で、ビートルズのレコード発売元であったことから、『The Complete Beatles』をもじってこんな英語の題名になってしまった。
私たちはドナルド・リチーが書いた『小津安二郎の美学』(フィルムアート社)という本に注目していた。映画のシーンの引用が詳細に書かれたこの本は、いうならばことごとく映画を見た人の記憶を頼りに成り立つとしかいいようのないものだ。映画を見たこともない人にとって、引用の接点はない。引用された記述に対して逐一映画の該当箇所をリンクしてやったらなにが生まれるのか、これが主題となった。

なに一つアイデアとして新鮮さもなく、あまりにも当たり前すぎておかしくもないこのようなやり方を平然と行ったのは、ばかばかしかろうとなんだろうと誰もそんなことやれなかったという事実があったからだ。もしやれているなら、ドナルド・リチーご本人がまずやったはずなのだ。

リチーには本しかなかった。やがて時代がリチーの仕事をより明らかに知らしめる本以外の術を生み出したとき、本とそれ以外の術は反目するのではなく、互いに引き合う関係になった。ひとつの「ありもの」は再び輝きをとりもどすことになった。
「ありもの」は、すでに先行して存在する誇るべき仕事の意である。この仕事が少なくとも私たちに大きな機会を作ってくれたのだ。かっこいいだのきれいだのという同意などものともせず、愚直であろうと一人の意思で堂々とやれるという痛快さが私の全身をビリビリと走っていくようだった。

「The Complete OZU」の版面
映画『浮草』のラストシークエンス
「小津」とエキスパンドブック

『書を捨てよ、町へ出よう』は寺山修司の代表的作品の題名だが、CD-ROM版は彼の作品のいいとこ取りをしたようなものだった。寺山修司が自作の詩を読む「肉声」が聞こえる本などまずないだろうし、「サザエさんの性生活は‥‥‥」などと挑発的に話しかける講演が聞けるだけでも彼を理解する十分な手がかりになるはずだ。

残念なことに寺山修司はすでに故人だったが、九条映子、J.A.シーザーなど多くの関係者が深くかかわった。一人でやることが編集者やライターを集め、小規模の協力関係を築く方向に動き始めていた。そうでなければCD-ROMに収録される多数の資料は集めることはできなかった。「ありもの」に出会うことは一人の力を強化し、協力関係を増幅させるはじまりでもあった。

新しいことは随所に判断を必要とされるのだが、なんだか分からないというのも事実だった。『A Hard Day‘s Night』をCD-ROM化するときも、映画のプロデューサだったウォルター・シェンソンは許可を与えるべきかどうか判断がつかなかった。ボイジャーの執拗な説得と未来を語る口吻に押されて、自分では分からず仕舞のうちにLDの権利期限いっぱいという条件でなんでもやれといったのだ。
こうした局面に際して、言下に切り捨て受け入れない精神の持ち主もいる。これがほとんどだ……が、どういうわけかなんとなく、こっちへこいと木戸を開けそっと通してくれるような人が必ずいることを経験した。理解をしてくれたというのではない。がんじがらめの社会の中にあってなお、憐憫の情をもって相通じる苦労を共有できた人たちなのだ。

電子的な出版は無一文の中からスタートし、高い理想を掲げ、一人一人を相手として動いてきた。一人を強調したのは、なによりも自分自身に対して叱咤激励したからだ。そして同じような一人一人のいることを、常に意識していたかった。

しゃれた写真を利用した章扉
寺山的アジテーション
「林少年論」
マルのピアノにのせて

援軍たりえぬ技術革新

私たちが関わった作品を例にあげてきたが、いまあらためてこのCD-ROM作品をみてみると、徹底した「本」の体裁であることに妙な驚きを感じる。そこには初めて手にしたデジタル映像の成果を、禁欲的なまでに「本」という過去あるメディアの中に格納しようという意図が紛々とする。「本」というタガをはめることによって失うものを得るものに転化できる嗅覚が働いているような思い切りだった。このような共通したデザインを、確立した手法としていこうと考えるのは自然なことだった。

このあたりから私たちのシナリオは山場に差しかかる。そしてシナリオは狂いはじめる。方法は確立しないどころか、バラバラになり、細かく分断されたアイデアに技術が後押しし、各社各様、独自の方法として自己主張がなされていく。

テクノロジーこそ電子的な出版を保証し、私たちの夢を実現させる援軍だと思ってきた。しかしながら10年たってみると、技術革新は単純に援軍とはいえず、むしろめまぐるしく変化する技術の進歩が普及を妨げる大きな矛盾として感じられるようになった。

出版とは、変化に富む内容を、変化のないシステムに流通させるものだ。多種多様という内容を、一様に本という一つのビークルに納めるという極めて単純なシステムに基づくものであり、冊子体(Codex)という構造が生まれた昔から本の基本システムはまるで変わっていない。つまり変わる内容と変わらないシステムが組み合わさって出版は成り立たってきたということができる。

電子的な出版のビークルは、見た目はどうあれコンピュータであり、コンピュータはこの10年、変化ばかり繰り返した。私たちは、ビークルの形態には敏感だったが、変化に富む見栄えを押し出すことに夢中になり、基底にあって内容の表示を司るものがどうなっていくのかは関心を示さなかった。結果、蓄積されるどころか残るであろうすべてを失った。
虚心に私たちの作ったものをみたいと思い、苦労の末にそれを手にしてくれても、さらに苦労を重ねなければみることもできない。出版物というなら最低だ。

10年必死にやってきて、今ここで残らないとはショッキングなことだ。けれど、そもそも残すべき代物であったのかどうか。辛辣にこう問うてみる必要もあるだろう。
今振り返ればすべてが大いなる試作品だった。技術革新に翻弄され、舞い上がったり落ち込んだりと出版物として確固とした土壌ももたず揺れ動いた可能性の見本だった。ここにあるのは残るべきコンテンツなのではなく、課題なのだ。なにを残すべきかも分からずに、欣喜雀躍、夢のあとの光景をいまみているのだ。それでも夢を抱いた私たちが手に入れたものは、一人でやれることへの確信という立派な報酬だった。

出版には新しい世界があるはずだ

そもそも電子的な出版の萌芽は、一人というかたくな拘りを糧に、乗り越えるべき大きなメディアの欠点を意識するところからはじまった。一人でやれることの術が身についたとあっては勇気も出てくる。ただ、一人というかたくなな拘りは、意固地な狭隘となる。

『本とコンピュータ』というとき、常にそこには調和させるモメントよりも対立する構図があった。コンピュータの側にあった電子的出版は常に本と対立するものとして置かれていた。電子本をバカにする二つの方法がある、と津野海太郎がいみじくもいった。本が到達した豊かな高見に立って電子本の貧弱さを指さすことと、出版界が陥った「今ここにある危機」を脱するワン・オブ・ゼムに電子本を限定してしまうことだと。この仕打ちは痛いほど経験した。どちらも広がりとしての出版から電子的なものを排除するものだった。そのなかで一人を鍛えることがどんなにか人を意固地にさせていったかは想像していただけるだろう。

こう考えると、求めるべきは新しい出版というおおきな括りで考えるべき概念ではないかとおもう。電子的な出版はこの新しい出版という大きなうねりの一部分をになうものではなかったか。

新しい出版を考える上で、私たちはすでに多くの示唆ある実例を見はじめている。アメリカ議会図書館のアメリカンメモリーがもたらした電子的資料の全的保存、そのための策略と具体化のための壮大な構想もそうだろうし、『ブルックリン・ブリッジ』という教育映画をひっさげて現れてきたケン・バーンズにも注目すべきだろう。米国公共放送機構(PBS)での彼の一連の活動は目を背けることのできないメディアに起こった一大事だ。テレビでありながらテレビに集約すること無しに、点在する個々へ届ける着実なメッセージへとつながっていった事実。ここではテレビもまた電子的な出版の一つを担う有効な仕組みとなっている。これらはすべてが新しい出版という考えにあたるものだろう。

いくつかのヒントは私たちボイジャーがやったCD-ROM作品の中にも見いだせるはずだ。これらすべてに共通するものは、作品を作ることがまた別種のなにかを着実に生むということに向きあう人間の意志なのだ。それは人々のメンタリティーの中に育まれるだけではなく、具体的な利用を可能にし、人々に利用を催させる新たな「ありもの」の創出なのではないだろうか。

一人でやることもまたそこに確固と位置づけられる素養だった。

『機械時代における人間性の擁護』
本の中に“めり込む”人物像
「LE LIVRE DE LULU(ルルの本)」
プロデューサーのアリーン・スタイン

(了)

(その2へ)

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