サイトアイコン マガジン航[kɔː]

いまそこにある未来(2)

『CDコンパニオン』は一人でやれるという私たちの切望にかないはじめて期待できるパフォーマンスを生み出した。アラン・ケイをして「初めて論評するに足るマルチメディア作品」といわしめたものだった。

一人でやれることの一つは、すでに培ったものを新たな土俵で増幅するという意味あいをもっていた。「ありもの」を利用するといってしまえばなんとなく蔑んだもののいいように聞こえるが、これはまるで逆で、すでに誰かが培った「ありもの」への愛着、深い敬意からしか生まれようのないものだった。必要なのはこの知と事実に注目することであり、これを自分たちのものへ引き戻すことなのではないかということだった。電子的な手段こそ「ありもの」に新たな文脈をつける方法だと私たちはおもった。そしてこれを誰もが「パブリッシュ」できるメディアとすることによって、一人でやれることの意味が問えるはずだと位置づけた。

語りうる文脈とは知識であり、知識がどこにあるかといえば、多くの場合、まともに生きる人の内部に潜んでいるだろうということだ。『第九』の例では、UCLAの音楽学部教授だったロバート・ウィンターが知識の源だった。電子的な出版を考える上でなにか別の知識がこれに勝り君臨するようなことはなかった。だからこそウィンター教授の『CDコンパニオン』をみた別の知識の持ち主が、この電子的な出版の方法を、なんとかできる自分の方法として興味を感じることができたのだ。

同じ方法を通してシューベルトの歌曲『ます』の『CDコンパニオン』がつくられた。さらに大胆にも西洋音楽の始まりからひもとく音楽史について5巻シリーズの電子出版企画も計画された。(*アラン・リッチの『ぼくならこう聞く』)

これらを一人でやったのは、ロサンゼルスで定評あるクラシック・ラジオ番組を担当していた、当時68歳の評論家だった。

一切を捨て去ってもいい

もう一つの例をあげておきたい。
CD-ROM版『A Hard Day’s Night』だ。ビートルズ映画でおなじみのリチャード・レスター監督の映画(邦題:『ビートルズがやってくるヤア!ヤア!ヤア!』)を電子的な出版物として考えてみようとしたものだった。

私たちの会社ボイジャーは、1984年に米国西海岸で生まれた。80年代の第一次ニューメディアブームの中でレーザーディスク(LD)による出版事業をはじめた。もともとパートナーがJanus Filmという映画の権利ビジネスを行っていた関係からだった。

さまざまなクラシックな映画をLDとして発売した。RKOでのオーソン・ウェールズの映画『市民ケーン』『偉大なるアンバーソン家の人々』、フレッド・アステアの『スウィング・タイム』などとともにビートルズ映画もあったわけだ。

米国からみた海外映画のLD化権もかなり持っていた。ベルイマンの映画、トリュフォーの映画、そして日本映画についても黒澤明の『素晴らしき日曜日』から『七人の侍』『隠し砦の三悪人』、小津安二郎、市川昆、鈴木清順もあった。
こうした秀作をコレクション用として出版、販売したわけだけれど、LDというメディアにおいては、高品質や本来の画像比率を保つノートリミング版として提供することがやれることのほとんどで、これを『CDコンパニオン』のように、新たな文脈へ導く手段はまだ十分到達できてはいなかった。

『シューベルト歌曲・ます』
“バッハ以前(Bach and Before)
アラン・リッチと電子出版の取組み

LD、CDときて、CD-ROMになり、一般にも手が届く最初のデジタル化された映像=QuickTimeが表示できるようになった。そのとき、私たちが取り組んだものがビートルズの映画『A Hard Day’s Night』だった。モノクロだったが90分の映画一本をまるまるQuickTimeムービーにしたというのも初めてのことだったろう。
初期のデジタルムービーの画像はサイズが208×156という小窓のようなフレームだった。これが映画か、と識者は唖然とした。その割には台詞や音響は明瞭だった。これは映画の鑑賞というよりは、明らかになにか別種のコンテンツへと発展するものではないかという予感がした。

サンタモニカ・ボイジャー社屋
オープンハウス案内状
記念の煉瓦片

直感として私たちは「本」がもつ一人の編集の力を電子的な出版物の上に投影しようと必死になっていたことを思い出す。「本」をまねたのではなく、私たちは一人の人間の手のなかに映画を取り戻してみたいと願望していたのだ。もしそれが自分の手のひらにコントロールされる可能性があるならば、他のいかなる要素も捨て去っていいのだという思いがあった。大事なことは自分がこの映画についてなにかいえるという幻想をもつことであり、天下の映画を虫けらのごとくダウンサイジングしてまでも自分が出版できるのだということを力強く世の中に突き出したかったのだ。

(その3へ)
(その1へ)

モバイルバージョンを終了