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第1回 図書館におけるデザインとは何か?

皆さんは「デザイン」という言葉を聞いたときに、何を思い浮かべるだろうか。

スマートフォンに代表されるようなデジタルガジェット、家電、文房具などのプロダクト・デザイン。ロゴ、広告、CI・VIなどのグラフィックデザイン。洋服、アクセサリーなどのファッションデザイン。建築、インテリア、ランドスケープなどの環境デザイン。ウェブ、アプリ、インフォグラフィックス(情報、データ、知識を感覚的に表現したもの)などの情報デザイン。コンピューターゲーム、ソーシャルゲームなどのゲームデザイン。

ほかにも、サービスデザインや地域デザイン、ソーシャルデザイン、データデザインといった近年、耳にするようになった新しいデザイン分野もあり、(数年後には消えていく分野、消えていく名称もあると思われるが)デザインが対象とする領域は際限なく広がっていくようにみえる。

これらのデザイン分野は、モノであれ、コトであれ、産業化によって定義づけされてきた、デザインする対象の違いによる区分であり、人々がデザインという言葉を思う浮かべるときには、この中のどれかを指すことが多いと思われる。

一方で「デザイン思考」という言葉に代表されるような、デザインプロセスに意味を見い出し、さまざまな場面での課題解決にデザインを活かしていこうという実践も広まり、「デザイン思考」という言葉からデザインに触れる機会も増えてきている。さらには、未来を思索しつづけることが大事であり、デザインがはたすべき役割としては課題解決だけではなく、課題提起していくことも重要であるといったデザインの姿勢から定義づけている「スペキュラティヴ・デザイン」という言葉も耳にするようになった。

「スペキュラティヴ・デザイン」の中心的実践者で、『スペキュラティヴ・デザイン 問題解決から、問題提起へ。―未来を思索するためにデザインができること』(BNN、2015年)の著者であるアンソニー・ダンとフィオナ・レイビーは、「A:ふつう理解されているところのデザイン/B:私たちが実践しているタイプのデザイン」というリストをマニフェストとして公表している(下図)。

「A:ふつう理解されているところのデザイン/B:私たちが実践しているタイプのデザイン」『スペキュラティヴ・デザイン 問題解決から、問題提起へ。—未来を思索するためにデザインができること』(BNN、2015年)より。

一見、挑発的にも見え、それゆえにわかりやすいマニフェストになっているのだが、ダン&レイビーは著書の中で「このリストは、ふつう理解されているところのデザインと、私たちが実践しているタイプのデザインを併記したものだ。といっても、BでAを置き換えよう、などという意図はいっさいなく、ただデザインに新しい次元、つまり比較の対象となり、議論を促す要素をつけ加えたかっただけなのだ」と書いている。

このようにデザインという言葉の広がりだけをみても実に多面的なのだが、さらに、デザインは時代ごとに異なるコンテクストの中で意味や目的を大きく変えながら、新しい解釈を生み出してきたという側面もある。これまでの解釈から新しい解釈に徐々にでも入れ替わるのであればまだわかりやすいのだが、デザインにおいては、古い解釈と新しい解釈が複雑に絡み合いながら混在し続ける。この解釈の混在が意味のあいまいさを生み、デザインという言葉の定義づけの困難さにつながっている。

山口情報芸術センター内にあるクリエイティブスペース「BIT THINGS」 おもに子どもを対象としたメディアアートの入口となるコミュニティスペース兼カフェは、著者が空間デザインを手がけた初めての公共施設である。子どもたちが動かすキューブの位置によって、インタラクティブにウェブが変化すると、ウェブ画面が床面に投影されているので、同時に実空間も変化する。子どもたちは身体を使ってメディアを体験し、変化する環境の中から発想して遊びをつくっていった。(写真:山口情報芸術センター)

デザインのあいまいさについて

これまで、デザインを実践する中で多くのデザインに関する本を読んできた。デザイナーによるもの、哲学者によるもの、批評家や研究者によるもの、ジャーナリストによるものなどいろいろあるが、デザイン論を含む本の多くは「デザインとは何か」についてページを割いている。

グラフィックデザイナーの原研哉は『デザインのデザイン』(岩波書店、2003年)の中で「デザインとは、ものづくりやコミュニケーションを通して自分たちの生きる世界をいきいきと認識することであり、優れた認識や発見は、生きて生活を営む人間としての喜びや誇りをもたらしてくれるはずだ」と書いている。

ペンシルバニア大学教授(サイバネティクス、言語、文化研究領域)のクラウス ・クリッペンドルフは、『意味論的転回 デザインの新しい基礎理論』(エスアイビーアクセス、2009年)の中で、「デザインとは物の意味を与えることである」と書いている。

そして、『インターナショナル・ニューヨーク・タイムズ』紙のアリス・ローソンは、『HELLO WORLD ─「デザイン」が私たちに必要な理由』(フィルムアート社、2013年)の中で、デザインにどのような定義を与えてもわかりやすくはならないことを指摘しつつ「デザインは、これまでつねにそうであり、これからもそうであるように、私たちが自分のニーズや希望に合う生活を組み立てる上で役立てることのできる変化の担い手であり、私たちの生活に良くも悪くも巨大な影響を与えるものだ」と書いている。

そのほかにもグラフィックデザイナーのポール・ランドの「デザインとは関係である。形と中身の関係だ」という講義での言葉はよく知られている(『ポール・ランド、デザインの授業』(BNN、2008年)。

いずれの定義も納得できる言説ではあるのだが、デザインという言葉の定義としてはどれも充分とは言えない。正しいのだが言い尽くせてはいないというか、あいまいさが残るのだ。しかし、私はこのあいまいさ、定義づけの困難さ、そして多様な解釈・考えの共存性こそが「デザイン」の本質を示していると思っている。さらに言うと、このあいまいさがデザインの大切な武器であるとも考えている。

デザインに関するさまざまな言説の中で、アートディレクターで「絵を描く」人でもある佐藤直樹のデザイン観は、デザインのあいまいさを内包しつつも、また違う景色を見ているように感じられて強く私の興味を惹いた。佐藤は『無くならないアートとデザインの間』(晶文社、2017年)の中で「わたしにとってデザインとは、制作する立場であれ使う立場であれ、何かの波に乗るような、しかも見事なサーファーのようにではなく、泳いでみたり浮き輪を使ってみたり、常に移り変わる行為として、あまり大事にしすぎないほうがいい感じのものなのです。大事にしないというのはおろそかにすることではなく、大事にしすぎないことを大事にするような」と記している。

pingpong map for CITY2.0 著者がディレクター/デザイナーとして参加した東京大学知の構造化センターによる「pingpong」プロジェクト(2009年4月〜)は、ウェブ工学、言語情報技術、認知言語学などを応用し、マッシブデータフロー(大量なデータの流れ)から人間の行為のパターンを抽出し、利用者参加型のデザインプロセスによって、実空間と情報空間をひとつの環境としてデザインしていこうというもの。空間の中で動き、コミュニケーションする人を「賢いセンサー」としてとらえ、それによってウェブに集められる大量のデータを地図上に可視化することで浮かび上がる無意識のパターンについて考察した。 (写真:李明喜)

なぜいま「図書館のデザイン」なのか?

ポール・ランドは「デザインとは関係である」と言ったが、同じ講義の中で学生たちに向かってこう続けている。「すべては関係なんだよ。これとこれ、これとこれ、これとこれ、すべてが関係していて、それがいつも問題だ。何かを置いたとたんに、君は関係を作り出している。よいものであれ、悪いものであれね。たいていの場合はひどいものを。要点がわかっただろう?」。

関係は相互作用を生み出し、相互作用の総体として私たちの世界がある。人も人工物(デザインされたもの)も、環境も、それぞれが複雑さをもち、それら複雑なもの同士の相互作用によってできているこの世界はどうしようもないくらいに複雑だ。複雑なものは、還元主義的に分解しても、単純化や簡素化によってもとらえることはできない。複雑なものは複雑なままとらえなければ、まったく別のものになってしまう。複雑な世界を複雑なまま受け入れるということが、デザインプロセスにおける基本姿勢の第一歩である。私はデザインのあいまいさ、多様な考えの共存性が、複雑な世界に向き合い関わり合うための大きな武器になると考えている。

さて、このようなデザインの観点から現状の図書館を見たときに、ふたつの課題が浮かび上がる。

ひとつ目は、インターネット以降(という言葉を使うのはいまさらのような気はするが……)の知識のあり方についての問題である。図書館においては、メルヴィル・デューイ以来の図書館分類システムが知識を体系づけており、本というモノを介して知識に触れることを前提とした場合に、このシステムは圧倒的に優位だといえる。NDC(Nippon Decimal Classification 日本の図書館で使われている図書分類法)やデューイ十進分類法(アメリカの図書館学者メルヴィル・デューイが1873年創案した図書館分類法)のような列挙型分類法は階層性をもったツリー構造をしており、それにより知識の物理的レイアウトが可能となっている。意匠的にはどんなに新しくなっていても、ほとんどの図書館がまだこの物理的レイアウトをベースにつくられていっているといってよい。

しかしインターネットが普及してからは、知識は複雑なネットワークにあり(ツリー構造のような)かたちをもつものではないことがわかりつつある。知識が簡単に本というかたちを捨てることはないが、紙のもつ物質性によって固定化されてきた知識が解き放たれ自由になることで、知識の新しいレイアウトが必要となる。私たちは、本の上に固定化された知識と、複雑なネットワーク上で自由に動く知識とが融合した知識環境のデザインに取り組んでいかなければならない。

ふたつ目は図書館に期待されることと、図書館の役割についての問題である。地域創生やまちづくりの文脈で、いくつかのパターンの先行事例が誕生したこともあり、地域における図書館がますます注目されるようになっており、その中で利用者の期待と、運営として持続的にできることとのギャップが生じてきている。このような課題がもつれあった複雑な状況に対しても、デザインプロセスとして取り組むことが有効であると考える。公民連携の可能性が広がる中で、新しい公共性のデザインを創造していくという覚悟が求められる。

このふたつの課題に限らず、「図書館におけるデザイン」について、現実と起こりうる未来の両面から考えていくためには、すべてのデザインに必ず含まれる要素である「コミュニケーション・デザイン」や、私が専門とする「空間デザイン」への考察が必須になってくるが、この連載では、図書館のデザインを考えるうえでもっとも身近に触れられるだろう「プロダクト・デザイン」と、これからの公共の姿を考えるための足がかりとなるはずの「地域デザイン」について取り上げる。

デザインが図書館により深く入っていくことによって、粒度の細かい議論が生まれることを願っている。

(次回「プロダクト・デザイン」の章につづく)


編集部追記:
この連載は、2017年10月5日に刊行した、アカデミック・リソース・ガイド株式会社が発行する図書館雑誌「ライブラリー・リソース・ガイド(LRG)」第20号の同名の特集に所収された「プロダクト・デザイン」「コミュニケーション・デザイン」「スペース(空間)・デザイン(建築・インテリア・場)」「地域デザイン」の論考より、「プロダクト・デザイン」「地域デザイン」を抜粋し、一部に加筆修正したものです。

なお、誌面の特集では、グラフィックデザイナーの佐藤直樹氏(紫波町図書館を含むオガールプロジェクトのデザイン担当) 原田祐馬氏(福智町立図書館・歴史資料館「ふくちのち」のデザイン担当) 古谷誠章氏(小布施町立図書館「まちとしょテラソ」の建築設計担当) 柳澤潤氏(塩尻市市民交流センター「えんぱーく」の建築設計担当)をそれぞれお呼びし、著者自らが聞き手となって、各論考における考察や問題提起を深める座談会を収録しています。

ライブラリー・リソース・ガイド(LRG)購入先
https://www.fujisan.co.jp/product/1281695255/

執筆者紹介

李 明喜
デザイナー/ディレクター。1966年生まれ。アカデミック・リソース・ガイドデザイナー。明治学院大学文学部芸術学科非常勤講師「デジタルアート論」。1998年、デザインチーム・mattを立ち上げ、商業施設、公共施設、イベントなどの企画・設計・デザイン業務を行う。主なプロジェクトとして、「カフェOFFICE」「BIT THINGS」「d-labo」「文化庁メディア芸術祭」など。2014年より、アカデミック・リソース・ガイド株式会社のデザイナーとして新しい文化施設づくりや地域のデザインにあたる。
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