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第4回 デジタル時代はマンガ編集者を変えるか?

旧来のマンガ編集者の役割

長年、日本のマンガ業界、とくに雑誌では、マンガ家と編集者、あるいはマンガ家と原作者、編集者がタッグを組んでひとつの作品を生み出してきた。マンガ家と編集者は企画について話し合い、編集者は必要な資料を集めたり取材の手配をしてマンガ家をサポートする。

「新連載でボクシングの6回戦ボーイを主人公にしたい」というマンガ家・ちばてつやの希望をきいた「週刊少年マガジン」の担当編集者・宮原照夫が、原作者の梶原一騎を紹介し、そこから名作『あしたのジョー』が生まれたというエピソードはあまりにも有名だ。

編集者とマンガ家がアイディアを出し合い、マンガ家や原作者がそのアイディアをシノプシスにまとめあげて、ネーム原稿(セリフと大まかなコマ割りが入った状態)が上がれば、マンガ家の仕事場や近所のファミレスなどでさらにブレスト。マンガ家は、編集者のダメ出しをもとに修正を加えて、OKが出ればいよいよ本格的な下描きに入る。

原稿がアップしても、編集者の指示でさらに描きなおすこともある。いまは、FAXやメールでネームのやりとりすることも多くなっているが、直接編集者の顔を見ないと納得しないマンガ家も多い。編集者は、マンガ家がスランプのときには励まし、体調には常に気を配り、生活そのものをサポートすることもある。

だから、マンガ家と編集者の間には強固な信頼関係が生まれる。600万部時代の「週刊少年ジャンプ」で名物編集長だった堀江信彦が、集英社を離れて2006年に設立したマンガコンテンツの制作・配給を行う会社・コアミックスは、パートナー企業の新潮社の他に、編集者時代の堀江と深い繋がりがあった『北斗の拳』の原哲夫、『シティ・ハンター』の北条司が資本金を出資して役員になっている。これほど大掛かりでなくとも、編集者が移籍したのでマンガ家も雑誌を移った、とか、頼りにしていた編集者が辞めてしまったので描けなくなったというような話は少なくない。

新人の場合、編集者の役割はさらに大きい。新人を担当する編集者は、マンガ家が地方在住なら足繁く足を運び、ストーリーの立て方や構図のつけかた、引きのポイントに至るまで細かく指導する。鳥山明が『Dr.スランプ』でブレイクする以前、「週刊少年ジャンプ」で担当編集者だった鳥嶋和彦が通算500枚にも及ぶ原稿にボツを宣告し、それによって鳥山がマンガ家としての腕を磨いたという話は有名だ。

上京した新人のためにアパートを探したり、忙しくなればアシスタントを手配したり、ご馳走を食べさせたり……まさに二人三脚である。

もちろん、こうした日本独特のやり方に対しては、マンガ家や読者からの批判もあった。

マンガ家が描きたいものが編集者によって変えられて、まったく別の作品になってしまう。マンガ家と編集者が合わないと、マンガ家がやる気をなくしてしまう。編集者が口を挟みすぎる……。コミケなどの同人誌即売会で売れているアマチュアの中には、出版社がデビューをオファーしても断る人が多い、という話も聞く。理由は「編集者から束縛されたくないから」だ。

とはいえ、日本のマンガが、マンガ家、原作者、編集者というそれぞれ異質な存在が起こす化学反応によって発達してきたことは間違いのない事実だ。多くの編集者がそのことを誇りに思って、マンガ家とともに優れた作品、ヒットする作品を生み出そうと日々研鑽を積んできたのである。日本のマンガがここまで発展してきたのは、この三者の幸せな関係があったから、と言ってもいいかもしれない。

しかし、電子コミックの登場はマンガ家と編集者の関係にも影響を与えようとしている。

マンガ家自身がコンテンツを発信

ひとつは、電子コミックの登場によって、マンガ家が出版社に頼ることなく作品を不特定多数の読者に向けて発表するルートができた、ということだ。

それまで、マンガ家は出版社に原稿を渡し、出版社が雑誌や本の形にして取次に配本を依頼し、読者は本屋でそれを買うというルートが不可欠だった。出版社や取次を通さなければ、マンガ家の描いた作品が読者に届かないという仕組みになっていたわけだ。もちろん、マンガ家が自費出版してコミケや通販で売ることはできる。しかし、不特定多数の読者に広く売ることは困難で、収益を上げることはさらに難しい。プロのマンガ家として生活していくためには、出版社との関係を絶つことは現実的ではなかったのだ。

それが電子コミックの登場で大きく変わった。

2009年夏、『ブラックジャックによろしく』などの作者・佐藤秀峰は「脱・雑誌」を宣言して、今後の新作は自分が立ち上げたポータルサイト「佐藤秀峰 on Web(現在は マンガ・オン・ウェブ)」で電子コミックとして発表した後、雑誌に連載し、単行本にまとめると公表した。

同年の秋に、私はイーブック イニシアティブ ジャパンのメルマガ『マンガ最前線』のために佐藤へのインタビューを行った。このとき佐藤が口にしたのは、出版社が軒並み赤字を出している状況への危機感だった。赤字が続けば、いつかマンガ雑誌という紙媒体はなくなる。媒体がなくなる前に、自分の発表場所を確保することが「脱・雑誌」を決めた一番の理由だったというのだ。

佐藤は、専門家に依頼して2年がかりでシステムを構築し、決済システムやサーバーも外部に委託した、と説明してくれた。このときはまだ、電子コミックは携帯コミックの時代だったが、佐藤が選択した閲覧用デバイスはパソコン。あえてパソコンを選んだのは、コマごとに切り出す携帯コミックはマンガではない、という判断からだ。オリジナルのビュワーはモニター上で見開き単位で読める上に「めくり」を思わせるギミックもちゃんと備わっていた。

電子化によって出版社や編集者のサポートがなくなる不安がないのか、と質問すると、佐藤は、自分の場合は出版社主導ではなく作品を描いてきたので、執筆上の大きな変化はない、と答えた。

この日の取材では、初日の売り上げは10万円で、1ヶ月では70万円程度ということだったが、当時はまだパソコンで電子コミックを読む人の数は少なかったから、この数字は当時としてはかなりの健闘だったといえる。

ただし、この成功は、佐藤のようにネームバリューがあり、システム構築をする資力があるマンガ家だからできたことであって、アマチュアや新人がこれを真似ても同じような結果にはならなかっただろう。

取材を終えて私が抱いた感想は、「単行本が20冊以上出ている中堅以上のマンガ家にとっては、電子コミックを利用した「脱・雑誌」は可能かもしれないが、できるマンガ家の数は限られている。新人の育成ということを考えると出版社や編集者の存在価値は変わらない」ということだった。

やがて、この考えは一部変えざるを得なくなる。スマートフォンやタブレット端末の登場によって、ページ単位や見開き単位で読むことができる電子コミックの普及が加速したからだ。

なかでも、ネット書店最大手のアマゾンが、電子書籍の自費出版をサポートするサービス「キンドル・ダイレクト・パブリッシング(KDP)」のサービスを2013年にスタートさせたことは大きなエポックとなった。

同年、マンガ家の鈴木みそは、自らの旧作『限界集落(ギリギリ)温泉』(全4巻)をKDPを使った個人出版のキンドル版として発売。1ヶ月で2万部以上を売り、ロイヤリティ収入として283万円を稼ぎ出した。この数字は、定価600円の単行本コミックスを4万7000部出したときの印税とほぼ同じだ。のちには1年間で1000万円を稼いだと公表されて話題になった。

まとまった未刊原稿や絶版状態(品切れ重版未定を含む)の単行本がいくつもあるマンガ家にとっては朗報と言えるだろう。2014年、鈴木は自分自身の体験をもとに、デジタル時代のマンガ家や編集者の生き方を啓蒙するマンガ、『ナナのリテラシー』(全3巻)を発表して話題になった。

ただし、すでに一定以上の評価を受け、鈴木のようにセルフ・プロデュースができる中堅クラスにはまたとないチャンス到来かもしれないが、描くことは好きだが、セルフプロデュースは苦手というマンガ家やデビュー間もない新人、これからマンガ家を目指そうというアマチュアにとっては、KDPもまだまだ敷居が高いサービスだと考えられる。自費出版レベルならいいだろうが、これで食べていくことは難しい、と言わざるを得ない。

投稿者と読者を直接つなぐCGM

一方で、手軽に作品を発表して、「電子コミックのプロ」になれると注目されているのが、「コンシューマ・ジェネレイテッド・メディア(CGM)」と呼ばれるものだ。ニコニコ動画やpixivなど、利用者が自分の手でスマートフォンや携帯タブレット向けのコンテンツをつくって手軽に発信できるというサービスで、一般にはウェブの「投稿サイト」として知られている。

サブカルチャー・ジャーナリストの飯田一史は『マンガの現在地! 生態系から考える「新しい」マンガの形』(島田一志・編著/フィルムアート社)に寄稿した「CGM――ネット時代のプラットフォーム」で、CGMと旧メディアの違いを次のように説明している。

①(紙の雑誌で育った)編集者がいない
②投稿作品に対して反応がすぐ来る即時性とリテンションの重要性(少量多頻度更新が好まれる)
③書き手および読者が自分でタグを付けられる/タグや設定の自己増殖的な現象が起こる
④各種プラットフォームごとにユーザーが年齢性別趣味嗜好別に棲み分けている

つまりは、過去のマンガの常識にとらわれた編集者という存在がいなくなることで、描き手が自由に作品を発表し、読者と直接、かつインタラクティブに付き合いながら作品を描き進めていくことができるということだ。

スマートフォンやタブレット端末向けに無料配信されている電子コミックのコンテンツの多くは、CGMに投稿された作品から成り立っている。その意味では、CGMが電子コミックの主流をつくりはじめている、とも言える。

例えば、2013年10月に日本でサービスが始まった、韓国のIT企業・NHNエンターテインメントの子会社・NHN comicoが運営する無料マンガ配信サイト「comico(コミコ)」の場合、①配信される作品は誰でも投稿可能な「チャレンジ作品」、②「チャレンジ作品」の中から人気のある作品を運営側が審査して選ぶ「ベストチャレンジ作品」、③「ベストチャレンジ作品」で評価が高い作者や、運営側がスカウトやキャンペーンで勧誘した「公式作品」というランク別で公開される仕組みになっている。

投稿者はアクセス数によってランクアップし、公式作品になれば原稿料が支払われ、単行本化やテレビアニメ化などのメディア展開もされることになる。2014年には公式作品から宵待草の『ReLIFE』をはじめ、紙の単行本化されてヒットする作品が生まれ、一気に注目を集めた。

また、2007年9月にイラストの投稿サイトとしてベータ版がスタートした「pixiv(ピクシブ)」は、投稿者のイラストを中心に投稿者、読者それぞれがコメントやタグをつけることで交流をしていく、ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)機能を持った投稿サイトとして利用者を拡大してきた。マンガに正式対応したのは2009年9月。その後、電子書籍のプラットフォームとしての機能を持たせ、紙の出版社のコンテンツもアプリとして配信するほか、サイト内に電子コミック誌も展開。ふじたの『ヲタクに恋は難しい』などのヒット作を生むようにもなった。

後発の会社も含めIT系ベンチャーが運営する電子コミック配信サイトでは、マンガ編集の経験がある編集担当者は置かずに、アクセス数や読者のクリック数などを参考にして、作者コメントと読者コメントによって作品作りを進めていくところがほとんどである。「電子コミックに編集者は不要」と言い切るところもある。前出・飯田の言うCGMの特性からすれば、当然の帰結なのかもしれない。

編集者が語る「未来の編集者」

電子コミックの時代になると、マンガ家と編集者が共に作品を作っていくという日本スタイルは滅びてしまうのだろうか? 編集者という仕事そのものがなくなってしまうのだろうか? 現役の編集者の声を聞いてみることにした。

「描き手を導くという点では編集者の必要性はなくならないと思います。いたほうがいい存在というか」と語るのは、先に紹介した『マンガの現在地! 生態系から考える「新しい」マンガの形』の編著者でもある島田一志だ。

島田はフリー編集者として小学館の「週刊ヤングサンデー」編集部に在籍。その後、河出書房新社の「文藝別冊」などの編集に関わり、 長くコミック関連書籍を作ってきたベテランだ。島田はこう続ける。

若い人にマンガを紹介したときに、よく聞かれるのが「キンドルで読めますか?」ということです。以前なら、文庫に入ってますか、だったと思うんです。その意味では確実に時代は変わってきてます。スマホやキンドルで読むのが主流だとすると、これまでの見開きで読むという概念はやがて通用しなくなります。そうなると、我々のような紙のマンガの古い方法論でやってきた編集者がいらなくなるのもわかります。

でも、作品作りという面で考えると、ベテランのマンガ家はともかく、若いマンガ家の場合は編集を含めた多くの人間が関わっていかないと、本当に面白いものはできないと思うんです。自分の作品には誰も関わって欲しくないというマンガ家もいるかもしれないけど、それはもったいないな。ぼくらの仕事はバレーボールのトスを上げるようなものなんです。誰かがいいトスを上げないと、アタッカーはスパイクできない。自分自身が電子コミックを読んでいて、これは、という新作が出ていないのはいいトスが上がってないことに原因があるのかもしれない。

では、これからの時代に必要な編集者の心得とはなんだろうか? 島田は言う。

少なくとも僕は、新しいものが出てきたときに、「それ違うよ」と否定するような頑迷な編集者(オヤジ)にはなりたくないですね。面白そうなら、止めないスタンスです。新しいもの芽を摘むことだけはやってはいけない。

私のまわりで言えば、ここ1年くらいで、IT系の運営会社から「マンガがわかる編集者はいないか」という問い合わせを受けることが増えている。おそらく、現状では電子コミックも最終的には紙に落とし込まないと収益化できない、という理由が主なのだろうが、細かく話を聞くと、島田の言う「トスを上げる」人間がいないといい作品(アクセスが多い作品)をつくることが難しい、ということに気づいたのではないか、とも思われるのだ。

「電脳マヴォ」のトップ画面。

もうひとり、話を聞いたのは無料オンライン・コミック・マガジン「電脳マヴォ」編集部の小形克宏だ。「電脳マヴォ」は2012年1月に、編集家の竹熊健太郎が発行人兼編集長として創刊。埋もれている才能の発掘とプロデュースに編集のプロが関わっていくスタイルを貫いてきたユニークな存在でもある。2016年に全4話で掲載された加藤片の『よい祖母と孫の話』は2000万PVを記録し、同年9月に小学館クリエイティブから単行本化され話題になった。小形は言う。

電子コミックでは編集者の役割は紙以上かもしれません。たとえば、IT企業の担当者とマンガ家では文化が違う。ビジネスと芸術ですから、本来まったく相容れないものです。その間に立ってお互いのメッセージを伝え、スムーズに仕事ができるようにするのも編集者の大切な役目になります。マンガ家の立場を守りながらビジネスマンとやり取りするわけですから、結構ハードな仕事ですよ。

また、現状では、紙の単行本にしないとリクープできないわけですから、紙で読むことを前提にした作品づくりという、これまでどおりの編集者の仕事もあります。海外に配信する場合には、コマ割りを変更したり、ネームの位置を変えることもあります。その場合も、われわれ編集者がマンガ家をサポートします。もちろん、才能を発掘して、作品をよりよいものに育てる役目もあります。『良い祖母と孫の話』も加藤さんがネットで発表したオリジナルは16ページの短編でした。

単行本版『良い祖母と孫の話』のカバー。

小形が説明する電子コミックの編集者の姿は、編集者であると同時に出版エージェントの仕事にも極めて近いものだ。先に紹介した鈴木みその『ナナのリテラシー』の中でも、これからの時代の編集者は出版社を離れてマンガ・エージェントとしてマンガ家を支えてはどうか、というアイディアが提示されている。「電脳マヴォ」はそれを先取りしているわけだ。実は、「電脳マヴォ」のエージェント業務には重要な新機軸が隠されているのだが、それに関しては章を改めて詳しく書くことにしたい。

いずれにしても、小形たちのような存在が増えれば、鈴木のような自己プロデュース能力を持ったマンガ家でなくても、電子コミックで利益を上げることができるようになるのではないか。これはこれからの時代のマンガ家には心強い存在だ。

結論を言えば、マンガ編集者の未来は、編集者自身が時代の流れに合わせて自らをいかに変えていくか、という一点にかかっている。出版社という組織に帰属して安穏と暮らすことは難しくなるかもしれない。だが、新時代のマンガを生み出すという気概を持ったマンガ編集者にとって、未来は明るいのではないだろうか。

執筆者紹介

中野晴行
マンガ研究者。和歌山大学経済学部卒業後、銀行勤務を経て編集プロダクションを設立。1993年に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』(筑摩書房)で単行本デビュー。『マンガ産業論』(同)で日本出版学会賞奨励賞、日本児童文学学会奨励賞を受賞。『謎のマンガ家・酒井七馬伝』(同)で日本漫画家協会特別賞を受賞。2014年、日本漫画家協会参与に着任。
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