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出版営業が『まっ直ぐに本を売る』を読む

4年前の秋の夕暮れ。1時間に1本のローカル線の駅から歩いて20分。バスも廃線となった北関東の幹線道路脇を私はテクテクと歩いていた。世間では涼しくなってきたとほざいているが、注文書を入れた重いかばんとともにいるので、汗だくである。

「せんせー、せんせー、せんせー、せんせー」

ロードサイドを中心に展開するとあるチェーン書店の自動ドアを開けるなり、就業時間を終え、すでに私服に着替えていた彼女が呼びかける。何度も呼ぶのは癖なのか何なのかよくわからない。

「せんせー、『割戻し』って歩戻しのこと?」

書店員なのだが、簿記の学習中のため、アポは「退勤後!」というご指定である。要するに、営業で訪問しているはずなのだが、やっていることは勉強の指導である。こっちは汗を引かせたいので一服したいところなのだが、お構いなしに話を続ける。

「ウチらだと『歩』じゃん。『割』の方が大きいよね」

「あー、似ているけど違うかな。『割戻し』は、『たくさん買ってくれたら、ちょっとおまけするよ』ということ。『リベート』っていうと悪い感じがするかもしれないけどね。『歩戻し』は、手数料みたいなものかな。簿記には出てこないよ」

「ふーん。まあ後で聞くからいいや。じゃー、棚見ておいてねー。片付けたら、戻ってくるから」

「はいよ」

「あ、ちゃんと答えられなかったら、おごりだからね」

いつもおごりだと思うのだが。というか、おごった上で授業をするというのはどうなんだ。まあ、帰りは駅まで乗せてもらおう。

「歩戻し」か。不思議な制度だな。とくに何かしてもらった気がしないけれども。

いまの出版流通が抱える問題点

石橋毅史『まっ直ぐに本を売る』(苦楽堂)で描かれているのは、2001年に創業した出版社、トランスビューが考案した画期的なノウハウ、いわゆる「トランスビュー」方式の詳細である。トランスビューの流通手法は、「直取引」と「注文出荷制」と称される。その目的は「書店にまっとうな利益を得てほしいから」(同書、p55)である。

本稿がもし目に触れるとすれば、その大半は「出版業界人」であろうが、それ以外の方がいるかもしれないので、簡単にこの意味を説明してみよう。

まず、「直取引」のほうから行こう。本を作るメーカーが約4,000社、小売が(コンビニを除いて)約12,000店の中で、その間を取り持つ、卸(取次、と呼ばれる)は大手2社が寡占状態で、年間出版物流通量の85%近くを占めている。「直取引」とはこの「卸」を介さずに、メーカーが小売に商品を送品することである。当然、売上を配分するプレイヤーが一つ減るので、メーカーと小売の取分は多くなる。ただし、卸が行っている「手間」のコストをどのように負担するか、が課題となる。

一般に「卸、八分口銭」と言われるように、経済産業省が出している「メーカー/卸/小売」の売上配分は出版業界の場合、「70/8/22」となっている。だが実際には、「歩戻し」と称される「委託手数料」が発生し、「65/13/22」が多くの場合である。歩戻しがない出版社もあるが、それは「卸」の株主であるから、株主優待みたいなものである。

情報と金融の「プロトコル」化

ここでの問題は、小売、すなわち書店の「22」という低すぎるマージンである。この売上配分のエコシステムは、少なくとも戦後から続くものであるが、このベースにあるのは「パパママショップ」すなわち、家賃と人件費がほぼ考慮になかった、昨今言われている「町の本屋」のような書店を前提していたことが予想される。だが、出版規模の拡大に伴い、現実には店舗も大型化し、チェーン展開がされるようになった。

出版物売上が右肩上がりで、なおかつ、「委託返品制」という、キャッシュ・フローを無視したエコシステムが回っているうちはそれでもよかったが、1990年代半ば以後、売上高が減少し、回転速度が遅くなると、このシステムは崩壊に向かう。したがって売上配分を変更しなければならないのだが、それは当然、「誰か」が「割を食う」ことになる。

そのターゲットにされたのが「卸」、つまり取次である。取次の売上高はきわめて高いので、他2者からみれば「うらやましい」ということと、大きいがゆえに小回りが利かないので、フラストレーションを発生させる。ついでに「取次は物言わぬことが美徳」(星野渉「だれが本屋を殺しているのか 3」Mybook No.111、2001年8月)がゆえに、腹を割った交渉がなかなかできないのである。

他の業種でも、「中抜き」は進行している。が、その背景にあるのは「IT化」である。出版業界の「中抜き」が遅々として進まないのは「IT化」がまるでできていないところにある。メーカーも小売もITを導入するには規模が小さすぎるということにくわえ、そもそも「IT」とは「紙」に対立するものだ、という感情的な反発もあったのだろう。いずれにしても情報と金融をプロトコル化、すなわち手順の標準化と共有化をしない限り、「中抜き」は成立しえない。

「トランスビュー方式」は、その「IT化が進まない出版業界」における「中抜き」の方法を示している。だがそれは、物流、金融、情報の三つの流れの規模が「小さい」からこそできるともいえる。「直取引」は、メーカーの物流費(配送料とアセンブリ費)および回収コストを上昇させるので、規模が大きくなると破綻に近づく。それでもなお、「直取引」によって「70/0/30(68/0/32)」となるのであれば、それは書店経営の安定化に帰する話である。

それでもなお、一般的な「メーカー/小売」の売上配分からすれば、出版界の標準的な流通マージンは低すぎる。一般メーカー/小売の売上配分は、販売価格の値引きを前提としているため、製造原価は「(平均)販売価格の20%」が基本とされ、卸を介さないのであれば、「60/0/40」が標準値となる。では、出版業界ではこれが「70/8/22」ないし「65/13/22」となってしまうのはなぜか? ここで出版業界独特(となってしまった)の「再販制度」、つまりは「値引きができない」が絡んでくる。トランスビューが製造原価を「25%」(p96)にするというのはそれを意識しているのだろう。

書店の責任を高めることで、書店を自由にする

もう一つの柱である「注文出荷制」とは、「書店の要望どおりの冊数を送る」「書店への販売促進はしない」の二つから構成される。これもまた、業界外の人からは不可思議に思えることであろうが、出版物の出荷は一般には「配本」と呼ばれる「見計らい」で送品が行われる。これは多品種少量生産という出版物の特性から考えれば、ある意味で合理的な手法である。

問題は「見計らい」と「実際」との乖離である。すなわち、「品出し/返品コスト」の問題である。メーカーからすれば少量なのだが、小売からすれば十分に多品種である。この「多品種」を、上記の「低利」、すなわち少人数で捌くために、一人あたりの負荷がかかる。注文出荷制は、これを回避するために、「書店に発注責任をもってもらう」という意図がある。それはトランスビューが返品運賃を書店側が負担するよう、明示的に求めていることにも現れている。

この発注責任は非常に微妙な問題で、「代替不可能性」が高い商品では成立しうるが、配本システムでの取引がメインである書店の場合には、それによる代替可能性がある商品では、その成立が難しい。というのは、代替可能性がある商品においては、「どの商品であってもいい」と小売側が考えやすいから――実際には、代替可能な書籍などないのだが――であり、少なくとも後回しになるからである。

トランスビュー方式でなく、取次を経由させる配本システムにおいても、委託手数料である「歩戻し」ではなく、「返品手数料」の形をとれば、部分的には「注文出荷制」に近づく。この方式であれば、「納品売上高」をどうしても取りたい出版社は「送品可能」だが、「返品手数料」をとられることで、大量返品をくらえば、その分の利益が圧迫されるので、委託販売制の最大のガンである「押し込み」が事実上不可能になる――当然、いくつかの出版社は退場することになるだろうが。

トランスビュー方式の「開放」

本書は、トランスビュー方式を、その課題も含めて丁寧に記述することで、「最小規模の出版社を始める人が『書店との直取引の方法』を獲得するための、いわば教科書」(p5)として十分に成立している。その一方で、トランスビュー方式が「公共知」となることでの、トランスビュー・工藤さんのメリットはなんだろうか、と考えてみる。それは、「取引代行」社としてのトランスビューの特権性を捨てることにあるのだろう。

現状、出版社・トランスビューは、創業メンバーで編集専任であった中嶋廣さんが退職し、工藤さん自身が編集と営業をともに行われている。これは、「出版社」としてはある意味で存続の危機にあるとも解することができ、だからこそ、「トランスビュー方式」を「より広く公開」することで、トランスビュー自身が「トランスビューでなくなる」ことを考えているのではないか。私はこのように憶測する。

さて、出版営業という切り口から考えてみたとき、工藤さんの考案した手法の特徴的なところは、「なにを仕入れるか、なにを売るかを決めるのは、書店の仕事である」(p62)と考える点である。これはこれで正しい。実際、私が所属している出版社でも、この方式でやっている試験種の商品がある。

そこで生じたのは、

・「なぜ配本がないのですか」という苦情の電話の嵐
・「店舗の品格を保ちたいので、売れないですけど置いておきたい」という「オブジェ要求」
・店頭における「旧版(年度が古い本)」のヤマ

であった。

一つ目はアタマの切り替えの問題なのでたいしたことではないのだが、二つ目はちょっと目が点になった。私の記憶では、出荷要求に対して減数(または出荷拒否)をしたのはこのときだけだろう。あとは在庫がある限りでは出庫しているし、直送(直接に書店に送品し、伝票だけ取次に回すことで、タイムラグをなくす方法)も柔軟に対応している。

だが、第三の点が問題である。これは私の勤める出版社が得意とするのが、「資格試験対策書籍」という特殊なジャンルであるがゆえに生じることでもあるのだが、「一定の売上を構成するので、仕入れる必要があるのはわかっているのだが、なにを仕入れていいのかよくわからない」ことに起因する。

私の所属先が上場企業であるので、「売上高」は常に上げなければならない。となると、正味――ちなみに新規出版社の基準である――を下げるというのは、株主への説明責任が伴い、困難である。そこで考えた営業手法が、「現場の労働負担を減らす一助となる」というものである。

レジの手伝いは無理にしても、発注と旧版の抜き取りおよび返品、問い合わせ対応のための資料提供等々に注力していった結果、もちろん、書籍そのものの魅力が高まったこともあるのだが、昨対比10%以上の売上増(実売ベース)を達成している。これはこれで臨時的な一つの方法なのだろうと思っている(ただし、最近は「書店人教育」の方に重点を置いているが)。

Amazonに対する研究が不足している

書店「数」が減少していることは動かすことのできない事実である。だが、Amazonを加えれば、「書籍の購入金額」は必ずしも減少一方とは言い切れない。この業界に問題があるとすれば、Amazonを研究していないことではないか、という思いでいる。

典型的には、流通情報フォーマットの標準化がなされていない点、たとえば、ISBNをハイフン付にするのか/しないのか(同じ取次内でも書類によって異なるし、もちろん、書店ごとにバラバラである)、仕入受渡票と呼ばれる、新刊委託の際に出版社が取次に提出する「頭紙」のフォーマットがバラバラ、などなど挙げればキリがない(もう一つは物流ハブの立地の問題があるがそれは置いておく)。

新規アイテムだけで年間約7万点の流通量が増え、既刊とあわせて膨大な量になるにもかかわらず、フォーマットの標準化がほとんどなされていないことは、その投資機会であった1990年代後半が、まだ既存のやり方でなんとかなってしまったことに起因するのだろう。

弊社も含めて、流通情報におけるアナログ性から脱却できていないことに、経済学でいうところの「サンクコスト(埋没費用)」を見出さざるを得ない。端的に言えば、私の残業時間が恐ろしいことになっているし、取次仕入の皆様にミスを指摘していただくという手間が発生する(これが「歩戻し」なのかもしれないが)のだ。

トランスビュー方式に限らず、「直取引」が増えていくことはトレンドとして続く。「直取引」の課題は、伝票と回収であり、前者はシステム化によって解決できる――回収は簡単ではないが。システム化に伴う手数料は適宜徴収すればよく、それに対応できないプレイヤーからは高額をとればよいだけのことだ。

出版社にしても、書店にしても、それ総体としては存在したとしても、その中身は、細胞のように、盛衰があってしかるべきである。昨今、既存出版社、既存書店を「守ること」に汲々としているのではないかな、というのが、本書読了後の第一感であった。

* * *

無事に簿記2級に合格した彼女は、本部へスーパーバイザーとして異動していった。計数がわかることで、複数店舗を相手に、個々の状態を把握し、アドバイスをしていると聞く。

執筆者紹介

湯浅 創
1974年東京都生まれ。出版社勤務。商圏調査により、個々の書店の棚作りを提案する、足で稼ぐデータマニア。文化通信B.B.Bにて「書店再生への道」連載中。
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