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求められる「マンガ」、排除される「マンガ」

去る2015年1月25日に国際政策大学院大学でおこなわれた文化庁主催のシンポジウム『震災復興・地域振興・公共サービスから考える 集積された「マンガ知」の使い方』にディレクター補佐として参加させていただいた。

ここではこのイベントを通して考えたことを少し書かせてもらいたいと思う。

相次ぐマンガ・アーカイブ施設の開設

このシンポジウムは2014年に学習院大学と文化庁の共催でおこなわれた連続シンポジウム「マンガのアルケオロジー 視覚的な物語文化の系譜」、「マンガのアルケオロジー2 マンガ研究とアーカイブ」)からの流れで企画されたもので、企画の根底にはこの連続シンポジウムの2回目で主題とされていた「マンガのアーカイブ」をめぐる議論を引き継ぐ意図がある。

大衆文化であるマンガの収集・保存に関しては、劇画ブームといわれた1970年代末に貸本業を営んでいた内記稔夫氏が自身のコレクションをもとにした「現代マンガ図書館」を開館して以降、断続的に問題にされ、80年代、90年代と「マンガブーム」が話題になるたびに、散発的ではあるが識者や評論家などのあいだでは議論されてきた経緯を持っている。

21世紀に入ると2001年に日本マンガ学会が設立され、マンガの学問的研究という点からもアーカイブの必要性が同学会や周辺の研究者から改めて提起されることになった。

中でもその影響が大きかったのは、2000年に日本初のマンガ学部を設置した京都精華大学が06年に京都市との共同事業として京都国際マンガミュージアムを開設したことだろう。これ以降、国内では大学でのマンガ学部の設置や明治大学米沢嘉博記念図書館北九州市漫画ミュージアムなど大学や自治体のマンガ関連施設の開設が相次ぎ現在に至っている。

以上のような経緯を踏まえて、2013年におこなわれたシンポジウムでは、主として「マンガ研究とアーカイブ」の関係に焦点を絞って議論がなされていた。[1]

そうした一連の事情を受けて企画された今回のシンポジウムは、90年代からマンガの書誌のデータベース化に尽力されてきた研究者であり、マンガ学会理事をつとめている秋田孝宏氏(写真)をディレクターに迎え、秋田氏から提出された「マンガ研究の側からではなく、実際のアーカイブ施設、マンガ関連施設に携わるひとたちの生の声を聞く」というコンセプトを具体化するかたちでイベント内容を構築していったものだ。筆者はおもにその企画内容の具体化の部分に携わり、併せて当日配布された資料を作成している。[2]

このシンポジウム自体の詳細については明治大学准教授の宮本大人氏によるレポートが文化庁の公式サイト「メディア芸術カレントコンテンツ」に掲載される予定でもあり(追記:3月24日に公開された)、そちらのほうを参照していただきたいのだが、企画者のひとりとして、企画立案や調査の過程で筆者が強く実感したことは、じつは先に述べたようなマンガ研究における課題のひとつとして議論されることの多い「マンガ・アーカイブの必要性」ではなく、すでに蓄積されてしまっている「文化資源としてのマンガ」の巨大さとそのニーズの意外なほどの多様性だった。

すでにマンガ図書館、マンガ家の記念館、マンガミュージアムなどのマンガ関連施設は全国各地に数十館[3]が存在し、学校図書館や公共図書館でのマンガの収蔵、マンガ喫茶やレンタルブックなどでのマンガの利用まで考えれば、国内に存在する膨大な量のプロダクト、プロパティー(包括的な意味での知財)としての「マンガ」は日本社会においてはすでに文化資源として公認され、その積極的な活用が求められているものといってよい。

[1] こちらのイベントの詳しい内容については「メディア芸術カレントコンテンツ」にマンガ研究者の野田謙介によるレポート「マンガ・アーカイブの現在」が掲載されているためそちらを参照されたい。

[2] この当日配布資料はシンポジウムの報告書に収録される予定である。

[3] 個々の施設の性格がかなり異なるため、「マンガ関連施設」の定義によって増減はあるが、少なく見積もっても40館程度は施設名を挙げられる。

「まちおこし」をはじめとする文化振興施策とマンガ

今回のシンポジウムでは「すでに蓄積されてしまったマンガ」とそのあり方を「マンガ知」というキー概念で象徴し、各現場でその活用を担う当事者である地域活性化事業の当事者に話をうかがうかたちをとった。

・マンガを活用してまちおこしをおこなっている石ノ森萬画館指定管理者・株式会社街づくりまんぼう業務課長である大森盛太郎氏(写真中央)
・同人誌即売会 ガタケット代表でありつつ地方自治体の事業である新潟市マンガ・アニメ情報館、新潟市マンガの家統括館長をつとめている坂田文彦氏(右から二人目)
・現職の公共図書館司書でありヤングアダルトサービス研究会など図書館における若者向けサービス、ポップカルチャーとのかかわりを模索する活動をおこなってきた吉田倫子氏(いちばん右)

そのために今回登壇をお願いしたのが以上の三氏である。[4] 当日は登壇者各位にはそれぞれたいへん参考になるおもしろいプレゼンテーションをしていただいた。改めて、ここでお礼を申し述べておきたい。

ただ、私自身は各登壇者と言葉を交わす前、資料作成のための予備調査の段階からそうした日本における文化としてのマンガの浸透ぶりについて考えさせられていた。

というのは、調査をはじめた直後に多くのマンガ関連施設やイベントの運営者、主催者が地方自治体であり、観光客や産業の誘致、地域ブランドの確立などを目的として「マンガ」がむしろ公的に求められ、活用されていることを実感せざるを得なかったからだ。

このような現象が起きていることの原因はいくつかあるが、行政上のテーマとして「地方分権」が掲げられ、2000年の地方自治法改正以降、都市部への人口集中が続く中で地域活性化のための具体的な地域経営が個々の自治体の裁量によるものになったこと、2001年に制定された文化芸術振興基本法においてマンガやアニメが国や地方自治体が振興すべき「文化」のひとつとして定義されたこと、この二点の影響はかなり大きい。

前者は確立された地域ブランドや観光資源を持たない自治体が、すでに大衆的な認知を持つマンガを「まちおこし」のために利用しようとする動きにつながり、後者は各自治体が文化振興条例を制定する際に条例が対象とする振興すべき「文化」にマンガやアニメを含める根拠となり、結果的にマンガ関連事業を「文化振興」の一環として公認する役割を担っている。

逆にいえば2000年代以降の「マンガ研究」の高まりもこうした政治的、社会的な環境の変化が背景にあってのことだとも考えられるわけであり、実際に先に述べた京都国際マンガミュージアムは京都精華大学とともに自治体としての京都市の事業でもある。

私見では、マンガ研究や批評の現場においてはこうした事情はあまり認識されていないように思う。特に東京などの都市部で出版や研究にかかわっている場合、こうした地方の状況や空気は実感しづらく、またマンガやアニメに関する各地域での取り組みには当然温度差があり、熱心なところもあれば、それほどでもないところもある。

[4] 三氏にはそれぞれ「マンガを活かしたまちづくりと震災復興においての役割」(大森)、「地域に根ざしたマンガ文化の有効活用」(坂田)、「公共図書館におけるマンガの現状」(吉田)というタイトルで興味深い発表をしていただいた。特に大森氏による震災時の石ノ森萬画館と被災者の関係をめぐるエピソードは衝撃的なものだった。

マンガ・アニメはすでに「文化」として浸透している

だが、今回調査を通して実感せざるを得なかったのはそうした温度差を超えて、マンガやアニメが「文化」として日本社会に浸透してしまっているということだ。

たとえば山梨県は少なくとも現状では目立ったマンガ関連施設もなく、積極的に関連事業を展開している自治体ではないが、2013年におこなわれた「第28回国民文化祭 やまなし2013」[5]公式記録を見ると、マンガやアニメをテーマにした企画自体はないものの、マスコットキャラクターや着ぐるみ、戦国武将関連のイベントでのアニメやゲームへの言及など、細かな部分で「特に熱心ではない自治体」の文化事業でも結果的にマンガ・アニメ的な要素が紛れ込んでしまっていることがわかる。

「文化」的なものをプレゼンテーションしようとした際に特に意識せずとも「マンガ」的なものが紛れ込んでしまうほど現在の日本社会では「マンガ」は「文化」なのである。

だが、いっぽうで「マンガ」は依然として排除されるべき「俗悪なもの」である側面もある。それは学校図書館や公共図書館における「マンガ」の扱いに顕著なもので、収集方針を見ると多くの学校図書館。公共図書館では「マンガ」を収集対象から外している。「教育」を目的とするこれらの図書館においては「マンガ」は「教育」に悪影響を与えるものという認識がいまだに支配的なのだ。

各自治体における青少年健全育成条例の制定やそれに伴う「有害図書」指定の実例などを見ても「マンガ」がまったく偏見を持たれていないとはいえないだろうが、それはむしろ「教育」というものとの関係で考えるべき問題だろう。

長いあいだ公認されない大衆文化、カウンターカルチャーとして「マンガ」を語ってきた歴史的経緯を持つマンガ言説においては、時に研究的なインフラの不備や「教育」的な見地からの規制と「マンガ」の社会的な認知の低さが混同されているのではないかと思われることがあるが、ここまで述べてきたように47都道府県の各自治体における「マンガ」への対応を見る限り、日本という社会における「マンガ」の認知はむしろひどく高い。

私たちはそのような実情をきちんと自覚したうえで「マンガ」と社会との関係を考えていくべきだろう。

そのために知るべきことはじつは「マンガ」の外側にこそ膨大にある……今回のシンポジウムはそう強く実感させられた経験だった。

[5] 「国民文化祭」とは1986年から各都道府県が持ち回りでおこなっている文化振興イベント。国民文化祭開催要項にはその趣旨として「文化祭は国民一般の各種の文化活動を全国的な規模で発表する場を提供すること等により、文化活動への参加の意欲を喚起し、新しい芸能、文化の創造を促し、併せて地方文化の発展に寄与するとともに、国民生活のより一層の充実に資することを目的とするものである。」とある。

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執筆者紹介

小田切 博
フリーライター。著書『誰もが表現できる時代のクリエイターたち』、『戦争はいかに「マンガ」を変えるか:アメリカンコミックスの変貌』(いずれもNTT出版)、『キャラクターとは何か』(ちくま新書)、共編著『アメリカンコミックス最前線』(トランスアート)。明治大学米沢嘉博記念図書館スタッフ。
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