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第8回 本とのつきあい方をあらためて考えてみる

この連載が始まってから1年がたった。ということは、引っ越した仕事場のアパートが本の束で埋まってから1年がたった、ということでもある。ここらへんで一度、自らの現状について記し、次回以降、新しい章へとつなげてみたい。つまり今回の話はブリッジのようなものである。

あのときは本当に焦った。これ以上対応が遅れたら大変なことになるかもしれないという思いから、438冊を自炊代行業者のもとへ送ったり、妻子とともに普段住んでいる自宅に本やいくつかの本棚を送ったりと、大急ぎで手を打った。その結果、冷戦期のキューバ危機を乗り越えたケネディ大統領よろしく、間一髪でカタストロフィを回避したわけだが、下手をすると、二階の床が抜け、一階の人に大けがをさせていたかもしれない。

瓢箪から駒というべきか。失敗は成功の母と言うべきか。危機を体験したことで僕は「本と居住空間」という取材テーマを発見し、取材を開始した。

「床抜け」騒動から一年で本はどれだけ増えたか

どのぐらいの冊数で床は抜けるのか。床が抜けた作家はいるのか。床が抜けなくても本だらけの空間で人は住めるのか。たくさん本を所有していた人が亡くなったらその後どうなるのか。はたまた、緊急避難のために電子化した本はどうなったか。個人で所有した冊数で極端に多いケース(マンガ)はどのぐらいなのか。数珠つなぎに興味がわいていき、この連載も続くことになった。

キューバ危機後も核戦争の危機が続いたように、増え続ける本とどう折り合いをつけるのかという問題は、我が家でいまもくすぶり続けている。

不要不急の438冊ほどを「自炊」(電子化)したり、本棚を分散したりして、置けるスペースはやや増えたが、問題の根本的な解決からはほど遠い。それどころかすぐにでも再燃しそうな雲行きだ。自炊で減らしたのが438冊なのに対して、ここ1年間で増えたのは約200冊である。同じペースで増えていくと、あと1年あまりで「床抜け」危機のときと同じ冊数に達することになる。

問題の現場となったアパートの4畳半の部屋には、その後、突っ張り本棚を二つ置いた。隙間なく本を並べると、1平米あたりの積載荷重を超えてしまいかねないので、胸の高さぐらいまでの横長の本棚を部屋の両隅に置き、奥の壁には机を設置している。机に座っていて手の届く範囲に本があるように置いてみたのだ。

一気にたくさんの本を収納できる背の高い突っ張り本棚や、図書館本棚を自宅に移動したこともあって、引っ越し前の仕事部屋にくらべ、置いてある本の数は半分ぐらいになっただろうか。まだ書類の入った段ボールが、本棚の前に5個ぐらい床置きしてあり、見えている畳は半分ぐらいしかない。空きスペースがなく、本棚をこれ以上置くことは難しい。電子化しスペースを増やせばその限りではないが、現状のままだと、すでににっちもさっちもいかない状態になっている。

「床抜け」騒動から一年後のアパートの仕事場。

本が自宅を侵食しはじめる

これ以上、アパートに本が入らない分、自宅に置いてある本が大幅に増えた。新宿にほど近い下町の木造一軒家。その一階の2DKという物件に、妻と幼児と3人で暮らしている。自宅の広さはだいたい50平米弱で、9畳のダイニング、6.5畳のフローリング寝室、6畳の和室という間取りである(下図を参照)。

自宅の間取りと本棚の位置を手描きで書いてみた。

9畳のダイニングには幅170センチというかなりワイドな突っ張り本棚が「床抜け危機」以前から設置してあり、冊数は特に変動がない。ここには夫婦共用の本(大野更紗『困ってるひと』や育児図鑑など)や妻の本(各種外国語の教本など)が置かれている。全体が三つの棚で構成されているのだが、このうち両サイドの棚にCDやDVD、各国で買ってきたカセット、いまだ変換していないビデオテープに野町和嘉などの大型写真集があり、真ん中の棚にはちょっとした小物や文房具などを雑多に置いてある。

6.5畳の寝室にはもともと本棚はなかったが、「床抜け危機」をきっかけにアパートから大小二つの本棚を移動させ、設置した(幅90センチの図書館本棚と、幅60センチの小さな突っ張り本棚)。「床抜け危機」のしわ寄せをこの部屋に全部おっかぶせているような状態なのである。

仕事場から自宅の寝室に移動した、大きな方の図書館本棚。

二つの本棚の内訳はこうだ。幅の狭い突っ張り本棚のほうは、昨年の春時点ではほとんど埋まっておらず、下の段に幼い娘がふざけて座ったりしていた。だが、昨年の石原慎太郎元東京都知事による尖閣購入騒動以降、関連書籍や雑誌がみるみる増えて棚を埋め尽くしてしまった。といっても学者が書いた直球の本はほとんどなく、そこから派生して右翼・やくざ論(猪野健治や宮崎学)、フィクサー関連(児玉誉士夫、菅原通済)などである。そのほかには、長文の書き方の研究のためにと思って買った山崎豊子や松本清張などの小説が積まれている。

図書館本棚のほうは、国境関係(国際法や外交史、ルポや歴史などの書籍、新聞の切り抜き、登記簿などの資料)、戦後の引き揚げ関係(朝鮮や満州などからの引き揚げ体験記、戦前の地図、同窓会会報、聞き取り調査のときに使ったノートなど)、この「床抜け」連載関係(井上ひさし・立花隆・草森紳一らの著作や本棚拝見ルポ、マンガ論などの書籍)の棚と分けてある。皮肉なことに、床が抜けそうだと危機意識を持ち、本と居住空間をテーマにして文章を書くために、さらに本が増えてしまったことになる。

本が増えるさまざまな要因

そのほかの理由でも、本が増えている。昨年の秋にイギリスに引っ越した仕事関係者から「岩波講座 世界歴史」全31巻(1969-71年刊行)、段ボール一箱分を譲り受けたのだ。届いた途端、僕は頭を抱えた。どこに置けばいいのか。全巻を棚に並べるには、かわりに何かを出さなければならない。

全集を置いたがためにあぶれた本をどこに置くか——。なんどか頭の中でシミュレーションを繰り返したが結論が出ず、段ボール箱に入れたままになっている。せっかく譲っていただいたのに活用できず申し訳ないが、いったいどうしたらいいのだろうか。

ほかにも本が増える要因がある。ここ7年の間、引き揚げの体験談を聞かせてもらっている年配者のひとりと、先日再会した。そのとき話題に上ったのが蔵書の行く末だった。彼が集めているのは昭和史関連ばかりという、純度の高い3000冊。僕にとっては垂涎のコレクションである。

同じような悩みを抱えている取材対象者は多い。彼らの蔵書を散逸させない方法はあるのだろうか。家族が無理解なので、僕に託したいという方がほかにも出てくるかもしれない。引き取り手が見つからず、古紙回収者にタダ同然で持っていかれるぐらいなら、置き場所をなんとか捻出して引き取りたいと、僕も思うようになった。

だが現実には、たちまち置き場所に困るだろう。妻は僕の仕事に理解があるので、本が増えても、きちんと棚に収まってさえいれば、何も言ってこない。しかしものごとには限度がある。今後、爆発的に本が増えていき、子ども部屋にあふれ出したら、大変なことになるはずだ。三行半を突きつけられても不思議ではない。

自宅には仕事用の本以外にも、生活用品や子どもの絵本やおもちゃがたくさん置いてあり、どの部屋も、絶えず整理していなければ床が見えなくなるほど物が多いのが実態だ。それでも幸いなのは、仕事場のアパートと違って自宅は一階だということだ。床が抜けても下の人がけがをすることはないのだから。

増え続ける書籍と家族の今後

今後、本とどうつきあっていけばいいのだろうか。紙の本は今後も買い続けるだろうし、それによって床抜けの問題に再び直面することだってあるかもしれない。打開策をいまのうちにちゃんと考えておかなければならないのだが、実際のところ、解決の道筋を示すような、有効な策は思いついていない。

本を所蔵する場所をほかに借りたり買ったりするためには財力が必要だが、手元に潤沢な資金はない。田舎に引っ越すというのも手かもしれないが、生活拠点にしている中野という土地が気に入っているので、なるべくなら引っ越したくない。

万が一ベストセラーを連発し、まとまった資金が手に入ったとしたらどうだろう。首都圏での大地震が近未来に起こりうると喧伝されている現状では、東京に書庫を建てるのは、かなりリスクが伴う。そう思うと、お金ができても建てるという選択はしないかもしれない。

それでは、緊急避難的に実家に本を送るのはどうだろうか。故・草森紳一は北海道中部の実家に書庫を建てそこに3万冊を所蔵していた。また、知り合いの図書館員は関西の実家にどんどこ送っているという。だがそれだと読みたいときに実家から送ってもらうか、わざわざ見に行かなければならない。手元にないことで、本の存在自体を忘れてしまうことだって考えられるが、そんなのは嫌だ。

こうした問題を解決するうえで、蔵書を一気に電子化するのは、たしかに有効ではある。しかし、数千冊を「自炊」するのは日常業務を放棄し専念しなければムリだろう。かといって自炊代行業者を利用すると数十万円もの費用がかかるし、法的にもグレーゾーンなので、あまり気が進まない。

蔵書をどのように管理していくのか――そのことを考えるとき、自らの、そして家族の将来像を考えずにはいられない。自分が自由にできる空間に限りがあるからだ。問題は書籍の増加だけではない。子供の成長のスピードを考えると、今住んでいる2DKでは早晩手狭になるのは目に見えている。さらに家族が増えればなおさらだ。

ドラえもんの「四次元ポケット」が欲しいと真剣に思う今日この頃である。

(このシリーズ次回につづく)

※この連載が本の雑誌社より単行本になりました。
詳しくはこちらをご覧ください。

執筆者紹介

西牟田靖
ノンフィクション作家。日本の旧領土や国境の島々を取材した一連の作品で知られる。「マガジン航」の連載をまとめた『本で床は抜けるのか』(本の雑誌社)をはじめ、著書に『僕の見た「大日本帝国」』(カドカワ)、『誰も国境を知らない』(朝日文庫)、『ニッポンの穴紀行〜近代史を彩る光と影』『ニッポンの国境』(光文社新書)、『〈日本國〉から来た日本人』などがある。
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