今年の2月、約2000冊の蔵書を木造アパートの一室(4畳半)に移したところ、本や本棚で床が埋まってしまった。万が一、床が抜けてしまったら、一階に住む大家が大けがをするかもしれない。そうなれば当然引っ越さねばならない。賠償をどうするのかという問題も出てくる。目隠しされて剣が峰に立たされてしまったような、いきなりの危機的状況に僕はうろたえた。引っ越しを終えた日の夜は床が抜けないか気が気でなく、あまり眠れなかった。結局、二つの突っ張り本棚と約200冊を妻子と住んでいる自宅に移動させ、さらには438冊を緊急避難させた。
4月になり、このシリーズを書き始めたとき、前者の後始末の顛末については隠さずに書いた。しかし、後者の後始末の顛末については、次の通り、核心に触れないようにぼかして書くにとどめた。
本438冊も4畳半からは緊急避難させていた。段ボール9箱、一箱あたり約15キロで、のべ約135キロ。本をどうしたのかは徐々にネタばらしするとして、ここではまだ詳細を書かない。
これまで詳細を書かなかったのには理由がある。物書きとしての今後の仕事の展開に支障を来すんじゃないかという懸念が脳裏に渦巻いていたからだ。
本の自炊を代わりにやってもらうことはやはり違法なのか
第一回の記事を掲載したところ、twitterやfacebookを通じて数百のコメントが寄せられた。中には「自炊(電子化)すれば良い」と書いている人もいた。その通りである。かといってその作業を一人で行うのはこりごりだ。うんざりするような経験を僕はすでにしているのだから。
2010年、自炊がちょっとしたブームになった。かくいう僕も自炊に取り組んだうちの一人だ。Scansnapと裁断機を買いそろえ、さっそく200冊ほどの蔵書をスキャンした。急ぎの仕事がない時期にまとめてやったのだが、すべての処理が終了するまでに約1週間もの時間を費やした。
小田実の『何でも見てやろう』のように、裁断に失敗し、読めなくなってしまった本がいくつかあった。それほどひどくなくても均一にスキャンできず読むに堪えないデータがたくさん出来上がったりもした。肉体的な負担も気になった。裁断したときに紙の微粒子が発生するのか次第に目や鼻が痛くなったし、裁断機のレバーを押し込むという動きを繰り返すからか二頭筋や肩が猛烈に凝ったりもした。それになにより自炊という行為が人を殺めることに似ていると直感し、作業を繰り返していて嫌悪感が募った。
もたもたしていると床が抜けてしまうかもしれない。かといって自炊はもうやりたくない。手間をかけて集めた書籍だから廃品回収にも出したくない。だとすれば、自炊代行業者に依頼するという方法はどうだろうか。
問題はこの手の業者が出版社から悪者扱いされているということだ。たとえば、昨年9月5日には出版社7社と作家・漫画家122人は自炊代行業者に質問状を送っている。本の持ち主が自炊すれば著作物の私的使用であるが、行為を代行すると著作権法違反になる可能性が生まれる。顧客が送ってきた本を裁断・スキャンしたデータを勝手に電子書籍として販売・無料頒布されるのはごめんだ、というわけだ。
自炊代行業者に対する業界の危機感は、出版物に密かな変化をもたらした。2010年以後、書籍の奥付に次のような但し書きが目立つようになっている。
「本書を代行業者等の第三者に依頼してスキャンやデジタル化することはたとえ個人や家庭内の利用でも著作権法違反です」
「私的利用以外のいかなる電子的複製行為も一切認められておりません」
「代行業者等の第三者による電子データ化及び電子書籍化はいかなる場合も認められておりません」
やれやれ。上記の文章が奥付に記されている書籍の版元はいずれも僕が取引をしている会社である。自炊代行業者にスキャンを依頼することが回り回って出版社の耳に入り、心証を損ねる可能性はある。最悪の場合、得意先を失うかもしれない。
ではどうすればよいのか。床が抜ける可能性を残したまま部屋に置いておくか、大量の書籍を廃品回収に出すか、出版社に嫌われるのを覚悟して自炊代行業者へ依頼するのか――。
自炊代行業者をとりまく環境について調べてみると、現在は過渡期であることがわかってきた。2011年12月20日、自炊代行を行う2社のスキャン差し止めを求めて作家や漫画家7人が提訴した。その後、被告となった業者は業務を廃止したり、原告の請求を全面的に認めたりして、5月22日、原告側が訴えを取り下げるという「実質的な勝訴」となった。だからといって自炊代行がすべて違反だと言い切ることはできない。白か黒、どちらかといえばかなり黒に近いグレーというのが現状であろう。
今後、出版社に著作隣接権が認められると、著者ではなく会社が自炊業者を訴えることができるようになる。そうなれば、自炊代行業者は法的な逃げ道はなくなり、アウトになる可能性が高い。黒となればこうした業者は廃業するか、大手の印刷会社・出版社などに吸収されてしまうしか、生き残る方法はないんじゃないか。
自炊代行業をしているのはどんな人たちか
いつまで続けられるのかわからない自炊代行という仕事を選び、始めようと思い立った人たちというのは、どういった動機で起業したのか。現在はどんな環境で仕事をしているのか。近い将来、法的に黒となった場合も営業を続けるつもりなのか。自炊代行業者の仕事場を訪ね、話を聞いたり、仕事ぶりを一目見てみたりしたいと思った。僕自身、代行業者を利用するという踏み絵をあえて踏んでみたらどうなるのか、ということについても、体験取材で実績を重ねてきた物書きの業なのか、気になりはじめ、しまいには確かめたくて仕方がなくなった。
業者によって対応にポリシーややり方に違いがあるはずだ。その差異を知りたかったので、あえて二つの業者に作業を分散させた。依頼した業者のひとつは質問状の送付を歓迎するメッセージを回答とともにサイトに公開し、話題になった業者である。
業者Aには「自炊激安パック」というプランで5箱分注文した。これは、縦横高さの合計が80センチをこえない段ボールならば、本を詰め放題、しかも送料込みで7500円というプランである。5箱依頼したので代金は3万7500円となった。納品されるデータはPDFのみで、OCR処理はない。ファイル名は日付が自動的にあてられるだけである。
業者Bには「のんびりコース」といって最大で2か月かかるが、サイズ関係なく1冊100円という格安プランで注文した。四つの段ボールにほぼ50冊ずつ詰め込んで、郵便局で送料4400円を払って発送した。代金と送料を合計すると2万4400円となった。A社に比べると納期は遅いし、送料も別だ。しかし、OCRやファイル名の変換もやってくれるというからありがたい。そんなに急いでいないから条件としては申し分なかった。
業者Aの発送の準備をする。床を埋め尽くした本を無造作に拾い、片っ端に詰め込むと、詰め放題とはいえ思うように入らない。50冊はおろか40冊だって入らない。単行本はすべて外し、文庫・新書のみを選び、向きと大きさを揃えて寸分なく詰め込んだとしても一箱あたりだいたい47冊となり、50冊にすら至らなかった。軽量化のためにカバーやオビはすでに外していたのにである。これでは1冊あたり150円ほどもかかる計算である。思いのほか高いが、すでに申し込んでいたので、キャンセルはしなかった。仕上がりは確か25日後と記されていた。
一箱あたり15キロとすれば5箱で75キロ、一度に持って運べる限界を超えている。歩いて5分のコンビニまで、台車に載せた段ボールが落ちないよう慎重に押して運んだら10分かかった。
業者Bは本の大きさが関係ないので、適当に段ボール箱を選んでは詰めこんだ。一箱50冊前後の箱を4箱、やはり台車を使って、店まで運んだ。
自宅へ移動させた分もあわせ600冊あまりの本をアパートから運び出し、床を埋め尽くしていた本がなくなることで、部屋はようやく使えるようになった。床抜けの危機から脱し、すっきり片付いた部屋で一息ついていると、自炊代行業者へ大量の本を発送したことへの後ろめたさがふとこみ上げてきた。「ドナドナ」の旋律が耳鳴りのようにかすかに響いた。
すり替えられた論理
仕上がりは遅れに遅れた。先に知らせをくれた業者Aですら、返事が届いたのは6月になってからであった。しかもそのメールは納品の知らせではなく、これから作業をやるという予告を伝えるものでしかなかった。
電話をかけ取材の依頼をした。僕が送った本が本当に届いているのかを確認したかったし、電子データとなっていく様子やスキャン済みの紙の束が悪用されずに処理される様子を見ておきたかった。業者はどんな人たちなのか、どんな考えでこの仕事を始めたのか、話を聞いておきたかったのだ。
他の業者よりも取材を積極的に受けている業者だけに僕の依頼はすんなり受け入れられた。取材日は6月下旬と決まった。まだ2週間以上先だ。このままだと、作業場へ伺う前に作業がすべて終わってしまうかもしれない。そこで僕は業者Aに「僕の分の作業はひとまず中断して下さい」と意向を伝えておいた。
取材の日、担当編集者と待ち合わせ、指定された待ち合わせ場所へ向かった。都心から電車で小一時間。住宅街にある何の変哲もないマンションの一角に業者の作業場はあった。靴を脱ぎ、玄関をあがるとプラスチック製のカゴが人の背の高さほど積み重ねられているのがまず目についた。
業者AのインタビューにはOさんとNさんという二人の中心メンバーが応じてくれた。Oさんは業者Aの代表、NさんはAの母体であるIT会社Gの代表である。自炊代行を始めたいきさつを質問するとNさんが口を開いた。
Aの母体であるG社はいわばWeb屋です。いまでこそ社員は8人ほど在籍していますが、十数年前に立ち上げたときは私一人だけでした。(IT技術を生かして)人の役に立ちたいと常々思っていまして、自炊代行という仕事もその一環として始めました。昨年の6月のことです。
驚いたことに初めてまだ1年あまりしかたっていないという。自炊代行業者が爆発的に業者が増えたのは2010年のことだ。その中でもこの業者は後発組なのだ。これほど遅かったのはNさんがこの業務の開始に慎重だったからなのだろう。
私自身、新しい物好きの本好きなんです。2010年の5月にはタブレットを使って読書をするようなことを始めていましたし、引っ越しのときに泣く泣く2000冊を捨てたこともあります。Oも蔵書は数千冊あるそうです。本が好きだからと言ってすぐに自炊代行を始めたわけではありません。なぜなら、自炊代行は法律的にグレーゾーンだと承知していたからです。だから正直なところ、あまり乗り気ではありませんでした。
昨年3月に発生した東日本大震災が転機となった。
震災の後、女性社員の一人にこんなことを言われたんです。「本が津波で流されても、電子化されていたら大丈夫だったのにね」と。それとは別に、つきあいのある出版社から「自炊代行をぜひやってください」とオファーがありました。そのように周囲からのオファーや提言が相次いだことで背中を押され、始めることにしました。ただし、一つだけ決めたことがあります。黒つまり、違法になったら即止めよう、ということです。
その後、準備を着々と進めていった。
納品用のダウンロードサーバーにホームページ、請け負って作ったら 100万円はかかるシステムを構築しました。そのほかに、パソコンとスキャナ、裁断機を用意しました。
準備したのはそれだけではない。
立ち上げたとき、サイトに「書籍変換宣言」という文章を掲載しました。これは「紙の本を電子データとして変換する」という私たちのポリシーをまとめたものです。他の自炊代行業者はお客さんが求めれば、裁断済みの本を返却していたんです。それだと原本は残るわけですからいわば複製にあたります。うちは立ち上げのときから考え方が違っていました。スキャンという行為を複製ではなく、「紙のデータから電子データへ変換する」ことだと捉えたんです。だから最初から原本の廃棄を謳っていたんです。
自炊代行業のアキレス腱は著作権法違反の疑いにかけられる可能性が高い、ということだ。業者Aはその点を事前に理論武装することで回避しようとしたのである。Nさんは続ける。
紙の本が廃棄されるわけですから、紙の本を読みたければ新たに買い求めるしかないわけです。そうすれば、紙の本を買うために読者はさらにお金を使う必要が出てくる。そうすれば経済的にまわるじゃないですか。いわば、印刷の逆を私たちはやっているということになりますね。著作権法を犯すのではなく紙の本を製作・販売する出版社や書店と共存するよい処方箋だと思うのです。個人が裁断した本がネットオークションなどで売り買いされることこそが恐ろしい。これは本の売れ行きを邪魔します。
なるほど、そこまで考えているのか。僕はNさんの理論に正直なところ感心せざるを得なかった。しかし、すぐにはたと気がついた。G社のこれまでの業務内容からすると、こうした理論武装をするのは当然なのかもしれないと。
これまでG社はIT技術により、人の役に立つシステムを提供してきた。システム構築には論理的なミス、すなわちバグがあってはならない。Nさんが「紙を電子データに変換し、原本を廃棄する」ということを立ち上げ当時から謳ったのはバグをなくすという、システム構築の基本をおさえただけのことにすぎないのかもしれない。
このようにシステムの構築だけではなく、理論武装もぬかりなくやった上で、業務を開始したのである。昨年6月のことであった。
開始すると、依頼は殺到した。
バタバタと依頼が来て回らなくなったので、スタッフを増員しました。いちばん多いときで10人いたでしょうか。主なお客さんは本が好きな人、 本をたくさん消費する人、蔵書が増えすぎて困っている人、海外で生活する人などです。職業はまちまちですね。強いて言えば医療関係者が多いでしょうか。ジャンルは小説がメインです。依頼のメールの中には「知ってたら2000冊捨てずに済んだのに」というものもあり、潜在的な需要は以前からあった、ということがわかりました。
かといって儲かってウハウハという状態かというと、そうではないらしい。
自炊代行だけでは利益が全然出ません。どちらかと言えば会社の利益をつぎ込んでいます。ギリギリのかつかつです。それでも私たちはやってよかったと思っているです。というのもWeb屋というのはエンドユーザーと接する機会がないんです。自炊代行をすることで初めてエンドユーザーと接することができた。その喜びが大きかった。持ち出しが続いても続けている動機、それはお客さんの声が大きいですね。
6月に始めた自炊業務は当初、好調であったが、2011年9月6日の有名作家たちの記者会見を機に暗転する。冒頭に紹介した質問状が送られてきたのである。
記者会見の後の夜中に社員全員で会議をしました。「悪いことをやっていないので続けましょう」という意見が出て、続行することにしたんです。会議が終わった後の午前4時にWebに手を入れました。「質問歓迎」と大きくサイトのトップに載せました。加えて、「業務を停止しろ、と言われれば従います」という内容のメッセージを掲載しました。
話し合いの場を持とうと彼らは思ったのだ。
だが、彼らの思いとは裏腹に風当たりはきつくなっていく。
「出版社vs自炊代行業者」の争いという構図が、「出版社vs私たちの会社」という構図にすり替えられて語られるようになったからです。3ヶ月前から掲載していた宣言文が、出版社や作家さんたちに対しての、宣戦布告だと受けとられたんですね。ツイートが集中し、Aのサーバーが止まりました。
記者会見後の反応は好意的なものが多かったが、励まされる以上に騒動はNさんたちを疲弊させた。取材が相次ぎ、通常業務以外にこなさなくてはならないことが爆発的に増えたからだ。
そのころテレビのワイドショーで取り上げられました。すると女性社員が会議で身の危険を訴え始めました。これ以上、会社内の業務としてこなすことができないと判断し、自炊代行の依頼をすべて断りました。すでに受けてしまった分がありましたから、10月半ばまでは休まずにスキャンし続けました。
人の役に立つという意義は感じつつも、儲けが出ないことに加え、風当たりが強くなってきたことが自炊代行業務の中止を決断させたのだろう。
その後、業務は再開されたのだが、G社とは切り離すかたちで再出発した。ここで登場するのがOさんである。病気のため退社していた彼は、社会復帰のリハビリのつもりで、個人業務として自炊代行を受け継いだのである。ピーク時には10人いたスタッフはすべていなくなり、現在、正式なスタッフはOさん一人である。僕が依頼したのはOさんだけになってからのことらしい。
出版社との対話を求め続けています。しかし、やめろと言われればやめると思いますよ。法律が整備されれば撤退します。
二人は口を揃えた。その口ぶりには「間違ったことはやっていない」という静かな自信が込められていた。しかし一方、社会を変革させてでも、自分たちの主張を貫き通すんだという、気持ちの強さまでは感じられなかった。
自炊という行為は屠畜に似ている
インタビューの行われている最中も、同じ部屋で、スキャンの作業は着々とすすめられていた。ON両氏の背後には、紙の束をScansnapに差し込んでいる女性スタッフの姿があった。ほとんど引き出しのないフラットな机の上にはディスプレイとキーボード、Scansnapが2組ずつ置かれていた。背表紙の外された紙の束は1冊分しかなく、残りは机の下のカゴの中に置かれている。女性の作業担当者が淡々と機械のスロットに、紙の束というたんなる部位になった本の一部を差していく。1冊あたり1分もかからない。スキャンが終わると、落丁していないかを抜き打ちでチェックしていく。作業の手順に迷いはなく、頼もしかった。
女性スタッフが作業をしている脇で両氏が説明する。
お客さんから本を受け取ると、裁断し、その後、ここに持って来ます。スキャンですが、1冊し終わるのに5分から10分というところでしょうか。抜けたページがないか10冊に1冊ぐらいの割合で確認していきますから。スキャンのみなら1〜2分で出来てしまいます。
紙を電子データに変換しているのだから著作権法には違反していない、というロジックを完結させるためにどのような手段をとっているのだろうか。
スキャンし終わった紙の束はお客さんに返さず、産業廃棄物業者にまとめて持っていってもらいます。1か月に1回ぐらいのペースですから、今日は廃棄の作業はありません。
スキャンすると捨てる。同じ本だからといって以前スキャンしたデータを流用することはない。もしそれをやってしまうと著作権法に違反していると突っ込まれる隙を与えてしまう。だから、同じ本でも依頼されるたびにスキャンすることになる。
『ONE PIECE』や『のだめカンタービレ』はもう見たくありません。同じ本を何回スキャンしたことか……。
実のところ、スキャンしたPDFデータの再利用は現実的なのだろうか。
漫画にしても小説にしてもそれぞれ本の状態、たとえば紙の質は個々に違っていたりするわけです。それに、文芸作品は書き込みが多い。たまに持ち主の手紙が入っていたり、サインが書かれていたりすることもあります。再利用は現実的じゃないですよ。バレますよ。
日々、自炊作業を続ける中で、気がついたことなどはあるのだろうか。
本の作りって結構いいかげんなんです。印刷がまっすくではなく斜めになっていたり、ノリがべっとりと塗られているために開いても真ん中が読めないといったことは多々あります。こちらに来られる前に、西牟田さんから斜めになっているページの再スキャンを頼まれましたが、ああいったことは日常茶飯事です。
自分の蔵書が電子化される様子を見届けるために、作業を一時的に停めてくれるようお願いしたのだが、一箱については6月初旬に納品されてしまった。確認したところ、「数ページおきに赤い縦線がページを縦断するような形で入って」いる本と「全体的に傾きが顕著」な本が1冊ずつあったので、訂正をお願いした。その2冊はすぐに修正され納品されたのだが、Oさんらは、印刷屋のミスをしりぬぐいさせられる形で、日々、紙と格闘しているのだ。A社は紙の本を電子データに変換しているのだから、出版社や印刷会社と作業の流れは逆である。IT業者である彼らが日々、紙と格闘しているという現象は涙ぐましいが滑稽でもある。
さて、僕が緊急避難させた本はどうなったのだろうか。二人に訊ねると、隣の部屋に連れていかれた。牛乳運搬用のしっかりしたものに似た上部が開いている黄色い横長のケースがざっと積み上げられているのが見える。このケースは先ほど机の下に置かれていたものと同じものだ。その中から僕の箱の分が入ったケースを見つけ出し、床に置いて見せてくれた。ケースの中には文庫本や新書が積まれている。しつこく愛読した本、積ん読の末に業者Aにドナドナした未読の本、いつ買ったのかすら憶えていないが梱包したときに見かけたことだけは間違いない本。 本の扱い・入手時期・コンディションはまちまちだが、どれもカバーがないという点では共通していた。残念なのは、どれもすでに背表紙は切り取られていたということだ。これでは裁断の様子を観察することができない。
裁断された本を見ても特にショックは感じなかった。濃淡はあれど、個々の本に思い出がこもっているはずだ。なのに何の感情もわいてこない。一昨年、自分で裁断し、スキャンしたとき、1冊1冊とても残酷なことをしているようで、気が滅入ったのとは対照的だ。
こういうことではないだろうか。自炊という行為は屠畜に似ている。電気ショックを浴びせたり、額を打ち抜いたりして、家畜を絶命させる、その瞬間からの一部始終を見るのと、肩やもも肉などの各部位に切断された後に牛や豚を見るのでは、一般の人が受ける衝撃はまるで違う。生命体から物体へと変わる瞬間が衝撃的なのだ。自炊も同じ。背表紙を切り落とされ、装幀を破壊される瞬間がなにより辛い。その段階はすでに終えているのだ。だからこそ平気なのだろうと。
その後、データは順次指定のサーバーにアップされていき、7月上旬までにすべての電子データの納品が完了した。原稿を書き始めようか、それとも次回にまわすか、逡巡していたそのころ、業者AのOさんから電話がかかってきた。
取材に来ていただいた後、社内で会議をしたところ、女性社員から「テレビのときのように怖い思いをしたくない。会社名や個人名は出さないで欲しい」と訴えられたんです。申し訳ありませんが、会社名や私たちの名前はすべて伏せてくれませんか。
OさんとNさんの二人の実名及び会社名を記事に発表することで取材中、話がついていた。また、出版社サイドとの間でトークイベントを取り持ってもらえないか、と帰り際に提案してきたりもした。「法律が整備されればやめる」と明言しながらも、彼らは自分たちの意見を採り上げてもらいたがっていたし、出版社サイドと話し合いたがっていた。そうしたこれまでの積極的な態度と比較すると、電話での態度表明はまさかと思うほどの180度の変化であった。
さらに7月末、業者Aは新規の受付を停止した。一方、業者Bからは作業完了のお知らせがくる様子は一向にない。作業の遅れをお詫びするメールが来ただけだ。自炊代行業という業種は、月下美人の花のように、一晩で散ってしまう、時代のあだ花となっていくのだろうか。
(このシリーズ次回につづく)
※この連載が本の雑誌社より単行本になりました。
詳しくはこちらをご覧ください。
執筆者紹介
- ノンフィクション作家。日本の旧領土や国境の島々を取材した一連の作品で知られる。「マガジン航」の連載をまとめた『本で床は抜けるのか』(本の雑誌社)をはじめ、著書に『僕の見た「大日本帝国」』(カドカワ)、『誰も国境を知らない』(朝日文庫)、『ニッポンの穴紀行〜近代史を彩る光と影』『ニッポンの国境』(光文社新書)、『〈日本國〉から来た日本人』などがある。
最近投稿された記事
- 2022.08.15本で床は抜けるのか井上ひさしの蔵書はその後、どうなったのか ── 遅筆堂文庫山形館訪問記
- 2018.08.27本で床は抜けるのかジャーナリスト・惠谷治さんの死と蔵書大頒布会
- 2018.03.19本で床は抜けるのかその後の「本で床は抜けるのか」
- 2015.08.25コラム地球の裏側にある日本語書店