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第3回 本で埋め尽くされた書斎をどうするか

本をテーマにしたエッセイや随筆、本棚を紹介する本を漁ってみると、僕が知らないだけで、実は「床抜け」はそんなに珍しいことではなく、起こりうるということを思い知った。それどころか床が抜けなくても、本が大量にあるというだけで十分大変だということも、嫌というほどに理解した。

本との格闘

その中から故・草森紳一のケースを紹介してみたい。著書の『随筆 本が崩れる』(文春新書)には次のようなことが書いてあった。

ドドッと、本の崩れる音がする。首をすくめると、またドドッと崩れる音。一ヶ所が崩れると、あちこち連鎖反応してぶつかり合い、積んである本が四散する。と、またドドッ。耳を塞ぎたくなる。あいつら、俺をあざ笑っているな、と思う。こいつは、また元へ戻すのに骨だぞ、と顔をしかめ、首をふる。

これは草森さんが風呂に入ろうとして本の山が崩れ、浴室に閉じ込められたときの様子である。彼の住む2DKの空間の中でまったく本が置かれていない場所は浴室のみ。寝室はもちろん、風呂場に隣接した脱衣所ですら天井近くまで本が山積みになっていた。

草森紳一『随筆 本が崩れる』

草森さんが自宅に所有する本の数は約3万冊にのぼった。加えて帯広の生家に建てられた書庫に収められた分を含むとその倍、つまり約6万冊も所有していた。

2DKにそれだけの本を詰め込むと生活に支障を来す。手前と奧に二段ずつおいても入りきらなくなり、本棚の前に「床積み」した。すると床が本で埋まってしまうため、家の中ではカニ歩きでしか移動できなくなってしまった。気をつけて歩いていても事故は多発した。袖がぶつかっただけでも本が崩れ、ときには本の山が下部からドドッと地響きを立てて、根こそぎ倒壊することすらあったという。

2005年に『随筆 本が崩れる』を出版してから3年後の2008年、草森さんは逝去している。そのときの様子はちょっと尋常ではない。

「部屋には所せましと本が積み重ねられており、遺体はその合間に横たわっていた。あまりの本の多さに、安否を確認しに訪れた編集者でさえ、初日は姿を見つけることができなかった、という」(読売新聞 – 2008年7月30日)

まさに本好きとしてはあっぱれな死に方である。だが、そんな彼ですら、床が抜けたという話は一行も書いていない。

「本で床は抜けるのか」に記したとおり、1平米あたりの積載荷重は、木造住宅等一般住居の場合180㎏、オフィスは300㎏、図書館は600㎏である。一冊400g、草森宅の広さを50平米とすると1平米240㎏。オフィス並の床強度で本を均等に置いていればなんとか大丈夫という計算になる。

床抜けしなかったのは単に運が良かったからにすぎないんじゃないか。じつのところ結構ぎりぎりだったのかもしれない。

増殖する蔵書と書庫――井上ひさしの場合

結婚当時住んでいた牛込のアパートは、6畳の部屋にちょっとした板敷きがついてるぐらいでしたかね。毎日毎日、本を買ってくるもんですから、半畳の台所にたどりつくのに本を踏みつけて行くような状態でした。とにかく全部本なのよ。

そのアパートには数ヶ月しかいなくて、つぎに辻堂の鵠沼の大きな家に、20畳ぐらいのお部屋二間を借りたわけ。そこでは一方が寝ているときに、もう一人が勉強したりしてました。もう一つは突き出た部分が台所になっている部屋でした。その部屋も全部本だらけになってしまった。

あまりにもたくさん本を置きすぎて部屋が軋んだせいかしら。「雨漏りする」と注意されて、結局そこから赤坂に越しました。次が四ッ谷、それから市川に越して……って何度も越してるんですけど、本が減ることはないわけね。で、最後に直木賞を取った後に大きな家を建てたんです。建坪120坪ぐらいでしたかね。

これは前回(「続・本で床は抜けるのか」)にもご登場いただいた故・井上ひさしの先妻、西舘好子さんの話である。彼女のいう「最後の家」とは、離婚するまで二人が住んでいた市川市北国分の家のことである。すごいのは建坪だけではない。部屋の数は19、トイレが6つ。つけっぱなしの冷暖房により、月々の電気代は軽く60万円を超えた。編集者やファンなど来客が次から次へと押し寄せて、中には1年間住み込んだ編集者もいたという。

前回に記した「建て増し」は、この家に施されたものである。書庫だけでなく、母屋には麻雀室や映写室も作った。しかしこの広い家も数年後には、家族の部屋の枕元まで本で埋もれた。

亭主の仕事部屋と、書庫。そして家族の生活する場所。初めはそれぞれきちっと決まっているわけですが、こういう調子で本を買っていきますから、本は書庫からも仕事部屋からも溢れ、廊下へ這い出し、家人たちの枕許まで窺い、インベーダーみたいに家中を占拠していく。別にもう一棟、書庫を建て増ししても追いつかない。(『表裏井上ひさし協奏曲』より)

こんなことになるのも、夥しい量の本を買い続け、しかも買った本は一切捨てないからだ。

建て増しした書庫は、最初のころは余裕があると思っていたんです。ところがそのうちに、神田の古本屋さんがトラックに本を積んでくるのよ。「こういう系統の本を探そうと思うんですよ」と電話すると、「いらっしゃらなくて結構です。こちらからうかがいます」って、山ほど積んでくる。それこそ店ごと持って来たんじゃないか、という量です。いちいち選んでる時間がないので、「じゃあ全部置いてってください」ということで、本代が何百万円にもなったんです。

セレブの外タレが店ごと服を買ったりする話を聞いたことがあるが、井上ひさしは古本でそれをやっていたのである。なんだかぶっ飛んでいる。

しかしすべてがダイナミックかと思えば、他のことではどちらかというとせせこましく、本のことになると規格外のことをする人だったようだ。

井上さんはすごく狭いところが好きなんです。押し入れの半畳とか、そういうところで書くんです。6つあるトイレの一つは井上さん専用でしたが、その便器の回り全部が書棚でした。すき間さえあれば本箱を作ろうっていうことなんでしょう。大工さんには毎日のように来てもらってました。

あの家にはきれいな階段や長い廊下があって、飾り窓から外が見えたんですが、「窓なんか要らない。本置くようにしろ」っていうので、そこも棚にして、本をおけるようにした。唯一、台所と食堂だけがは本がおけない空間なんですが、そこは居心地が悪いみたいなのね。本がないので(笑)。

献本の量はどうだったのだろうか。ちなみに前回ご登場いただいた松原隆一郎さんは、いちばん多いときで積み重ねると高さ1メートルになるほどの献本が毎月あったという。井上ひさしのところにもそれぐらい、あるいはそれ以上の本が届いていてもおかしくはない。

送られてきた本はとっておかなかったと思いますよ。うちはお客が多いので、読みたい人にあげていました。とにかく、蔵書のうち8割は古本でした。

好子さんは、献本の具体的な数は憶えていないようであった。本が増えるスピードが早かったし、来客もひっきりなしなのである。

ところで、井上ひさしは実際にどのくらいの本を持っていたのか。

好子さんとの離婚話が表沙汰になる1980年代中盤、ひさしは郷里の山形県川西町に本を寄贈している。トラックを何度も往復させて運搬した際、数えてみると約13万冊にのぼったという。さらに亡くなる少し前の『ふかいことをおもしろく〜創作の原点』(2011)に掲載されているインタビューでは、約20万冊まで増えたと語っている。

他人の荷物は嫌だ

井上ひさしは夥しい書籍のコレクションについて、「配偶者は嫌だったろうな」(『本の運命』)と述懐している。好子さんが本当に嫌がったどうかはともかく、この言葉をはじめて目にしたとき、僕はアパートに蔵書を移す直前までに本を置いていた一軒家での出来事を思い出した。

2006年夏、僕は映画監督である友人のMらと東京の中野区で三階建ての4DKを借り、シェアハウスでの暮らしをはじめた。メンバーは4人、男女2人ずつだった。二階のダイニングと風呂・トイレが共有スペースで、一人ずつ個室を持つ。家賃は一人当たり41,000-43,000円、光熱費も頭割りするというルールを作った。

Mとは立ち上げから一緒に暮らし始め、よき話し相手になった。Mは尊敬できる存在であった。ノンフィクションや小説、戦記にサブカル……と彼の旺盛な読書欲はすごいものがあった。僕がそれまでちゃんと読んだことがなかった村上龍の作品群に触れたのも、Mが一揃えほどコレクションとして持っていたからである。

Mはプラモデル作りの腕前がプロ級で、実際プラモ作り代行を副業にしていた。日々の時事ネタや芸能、国際問題、軍事問題などを二階のダイニングでしょっちゅう意見交換した。Mの存在は刺激的であった。僕にとってMはいわば親友でありライバルでもあった。彼が活躍していると、僕も頑張らねばと思った。

だが、Mにはどうしようもない欠点があった。片付けの能力が見事なほどに欠如しているのである。最初は一部屋におさまっていたが、次第に本やプラモがあふれ出した。主にブックオフで買ってくる、ちょっと前のベストセラー小説や新書、兵器のプラモなどが共有スペースである玄関や二階のダイニングを浸食した。シェアメイトが退去し空いている部屋に、すかさずMの荷物が侵入したこともあった。

Mの荷物の増え方があまりにすごいので三階へ移ってもらったが、さらに増殖した。三階にあった僕の書斎とMの部屋は向い合わせで、間の幅1メートルほどの踊り場に共通の本棚を設置するも、すべての棚がすぐに彼の本で埋め尽くされた。加えてその床の半分はMの文庫本や私物で埋まった。

僕は2007年に結婚し、シェアハウスの中で借りていた部屋を書斎専用とし、夜は妻の住む近くのコーポに帰るようになった。その後Mは自室で寝ず、深夜にダイニングを占領するようになった。朝になるとダイニングのフローリングに倒れ込んでいたり、同じフロアの浴室の手前の脱衣室の扉を閉め、日中、閉じこもったり、はたまた、書斎の部屋のドアを開けると、中でMが横になっていることすらあった。

こうした彼の姿に出くわすたびにイラッとしたが、爆発することは少なかった。狭くて寝られない、という事情がうすうすと分かっていたからだ。

Mという人間は僕にとって大切な人間だ。彼としか共有できない話題は多いし、シェアハウス時代は彼との会話がなにより楽しかった。だが、空間の問題と人柄は話が別だ、ということに、アパートに荷物を移してから、気がついた。本来なら空いているはずの空間が、他人に浸食されていく日々をもう二度と味わいたくない。他人の荷物で使える場所が使えないということに耐え続ける日々というのは、慣れはするが、知らず知らずに心理的な疲労が蓄積していくのだ。

故・井上ひさしの述懐を読み、まるで彼がMのかわりに弁解しているように錯覚し、僕は「そうだよそうだよ」と膝を打ったのだった。

蔵書と病気――内澤旬子さんのケース

本がたまりすぎると生活スペースを圧迫し、精神衛生上よろしくない。床が抜けたりしたら、住居を追い出された挙げ句に貯金をすべてはたいて弁済させられかねない。そうならないために、床をコンパネで補強するという応急策を前回紹介した。だが、いちばん良いのは本をなくしてしまうことである。

『センセイの書斎〜イラストルポ「本」のある仕事場』(河出文庫)

ノンフィクション作家の内澤旬子さんは、かつては本のすき間にかろうじて暮らしているような状態だったという。しかし今では、蔵書をどんどん売り払っている。なぜそこまで心変わりしたのだろうか。

内澤旬子さんといえば妹尾河童ばりの緻密なイラストを描く、文章も書けるフットワークの軽いライター、というイメージを持っていた。この連載を始めるにあたって、知り合いの編集者に「床抜け」の話題をふったところ、彼女のことが話題に出た。「一度事務所にしているマンションに伺ったことがありますが、足の踏み場がないほどびっしりと部屋が本で埋まっていました。旦那さんの本と彼女の本、どちらもかなり多いそうです」

ところが、「マガジン航」の編集者によれば、いまは本を断捨離しまくっているという。折しもまもなく「内澤旬子のイラストと蒐集本展」という展示会が開催されようとしていた。自らのコレクションを展示し、即売するという。

スタジオイワトで開催された「内澤旬子のイラストと蒐集本展」のポスター。

彼女のようなケースは寡聞にして聞いたことがなかった、なぜ内澤さんは断捨離することにしたのだろうか。会って、理由を確かめたくなり、6月6日に展示会場に顔を出した。夥しいイラストの中には初期の作品であるエロ小説雑誌の挿絵や、癌闘病記『身体のいいなり』の表紙となったイラストや、出世作である『世界屠畜紀行』の一連のイラスト群、そして自ら手製本したハードカバーもあった。単著にはすべて目を通していたが、イラストに関しては初期からごく最近のものまでだいたいすべてそろっているようであった。

即売されている彼女の蒐集本は、装丁や文字フォントの参考になりそうな江戸時代の豆本から、PCの大型ディスプレイ2画面分はゆうにある巨大な中国の本、牛の血を固めた樹脂が表紙となっているヨーロッパの聖書……と、印刷や装丁に関する博物館の展示をまるで見ているようだ。ここに出すからにはすべて売り切るつもりなのだろうか。果たして売れるのだろうか。

午後9時すぎ。会場でのトークショーを終えた内澤さんに話しかけた。僕が行くということは当サイトの編集者を介してあらかじめ連絡してあった。

「初めまして。ライターの西牟田です。拙著を持ってきたんですが、よかったら受け取ってもらえませんか」と挨拶し、『僕の見た「大日本帝国」』の文庫版を差し出した。すると、彼女はまったく予想外のことを言った。

「読んだら売りますけど構いませんか?」

なんて明け透けな人なんだろう。この人であれば本当に断捨離をしていそうだ。手応えは十分である。

後日あらためてインタビューの機会をいただく約束をし、その日は展覧会をあとにした。そして約束当日である6月12日に僕は再び会場を訪れた。

展示会会場にて。売れ残ったものは、つきあいのある古本屋にすべてひきとってもらうそうだ。「私のところには戻さないと考えています」と語る内澤さん。

本が嫌になった

『センセイの書斎〜イラストルポ「本」のある仕事場』という本の元になった記事の取材で、彼女は作家や教授、古本屋、ジャーナリストなど31人の書斎を訪れている。内澤さんには当時の心境からまずはうかがってみた。

そのときに、じつは自分の書斎に嫌気が差している人が結構沢山いたんです。でもそのときは、なぜ嫌なのか、いまいちよく分かっていなかった。たとえば、曾根博義さんは生活空間には全く本を置いてない。「生活空間に本を入れたくない。本を見たくない」みたいなことを言うわけですよ。

そのころ私の家は、15畳ぐらいの部屋に本棚をいっぱい置いて、布団を置くスペース以外はぜんぶ本棚という状態だったんです。ベッドではなく布団なのは、そこしか食事できる場所がなかったからです。本棚の奥行きは44センチで、手前から奧まで二重、三重に入れていた。そういう置き方って、本当は絶対やっちゃいけないんです。奧に入れたものが何だか分からなくなっちゃうので。

本との付き合い方が劇的に変わったのは、2005年に判明した病気(癌)のせいだという。

年齢も関係あるのかも知れないけど、あの病気がきっかけで、本当に嫌になっちゃった。2007年12月ぐらいまで、ホルモン治療が続いたんです。薬が身体にドンドン蓄積し、のぼせなどの副作用がひどくなっていきました。そのせいか、狭い空間やごちゃごちゃしたものが嫌になっちゃった。

その後『飼い喰い〜三匹の豚とわたし』の取材で豚を飼うために、千葉で敷地150坪の平家を、半年間借りました。そこだったら本も十分に置けたと思うんですが、あんまり住み心地がよくなかったので、結局戻ってくることにした。2009年の秋に都内に戻るとき、その間のモノを跡形もなく捨てたんです。豚小屋も壊して戻ってきた。それが気持ちよかったので、「捨て癖」がついたみたいです。

現在の蔵書は以前に比べ、3分の1ぐらいになっているという。

もう一冊同じテーマで書かなくちゃいけないので、養豚の資料はまだ処分していないんですが、ほんと早く資料捨てたい、って感じです。どうしても後で必要になる屠畜と動物愛護関係と、製本・印刷関係の文献資料はまだとってあります。残ってるのは本棚4竿分。それに実家に預けてある分をあわせて、全部で7竿でおさまるかどうか、といったところです。これでも以前に比べたら全然減りました。

いまの家は6畳が3部屋と長い廊下。この廊下に本棚を並べられると思って借りましたが、寝る部屋には一切本を置かないので、気分的にめちゃめちゃ楽です。私は服がたためない女なので、寝る部屋は服でぐちゃぐちゃなんですよ(笑)。だけど本は読みかけのが1、2冊あるだけ。寝る部屋には本棚もないし、床に積んだりは絶対しない。パソコンもプリンタもない。 。

配偶者との関係が破綻し、離婚することにもなった。彼女の変貌を配偶者はどう思ったのだろうか。

私が激変していくことについて行けなかったと思います。それはそれで気の毒ではあったけど、私の方では生理的に本があるのが嫌になっちゃった。

ではいったい彼女は誰の本を嫌がっているのだろうか。

配偶者の本も床に積んだりとかいろいろあったけど、やっぱり自分の本が嫌だった。自分が所有してるってことが嫌になっちゃったんです。配偶者の持っていた本も空間的に目障りではありましたけどそれは最初からそうでしたから。配偶者の持ち物がどうこうというより、自分の身体の変化で余命が無限でないこと、実は結構短い時間しかないかもしれないことを知ったのが大きい。

仮にあと4、5年しか生きないんだったら、いつか読めたらとか、書けたら書きたいなんて資料をもっているのがバカバカしくなってしまった。もっと身体に気持ちよくいた方がいいし、気持ちよく生きたい、と思ったんです。死ぬまで読めないかもしれない本に押しつぶされるようにして、せせこましい空間にいる意味がない。

とはいえ配偶者の蔵書の問題だけだったら離婚はしないです。離婚の直接原因は信頼関係の崩壊ですから。ただそれもやっぱり病気になったことが大きいですね。困難にあったときに表出してしまうことというのはどうしようもない。まあ、自分としてはいろいろさっぱりできて良かったです。最近とまどってるのは身体が元気になってしまって、余命が当初想定していたよりも結構長そうだということくらいでしょうか。

病気によって余命いくばくもないと医者に宣告されたりしたら、どういった行動をとればいいのだろうか。生前の過ごし方、残った家族へのケア、パソコン上のデータの処分……といったことを僕はそれまで一度もシミュレーションしたことがなかった。だからこそ彼女の話はじつに身につまされた。

草森紳一や井上ひさしは死ぬまで本をため続け、対照的に内澤さんは徹底的な処分を続けている。同じ本読みでも態度は正反対である。どちらかというと僕は前者に属している。しかし、内澤さん的な面も持ち合わせている。というのも2月末、アパートに本を移したときからすると、現在、部屋はずいぶんとすっきりしているのだ。

ではどのような方法を取って、一時的にしろ蔵書問題を解決するに至ったのか。次回は、その方法と動機について、種明かししてみたい。

(このシリーズ次回に続く)

※この連載が本の雑誌社より単行本になりました。
詳しくはこちらをご覧ください。

執筆者紹介

西牟田靖
ノンフィクション作家。日本の旧領土や国境の島々を取材した一連の作品で知られる。「マガジン航」の連載をまとめた『本で床は抜けるのか』(本の雑誌社)をはじめ、著書に『僕の見た「大日本帝国」』(カドカワ)、『誰も国境を知らない』(朝日文庫)、『ニッポンの穴紀行〜近代史を彩る光と影』『ニッポンの国境』(光文社新書)、『〈日本國〉から来た日本人』などがある。
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