紙版が100万部を突破、12のストアでほぼ同時発売された電子書籍版も空前の売り上げを記録した『スティーブ・ジョブズⅠ・Ⅱ』(講談社)。同書は内容のすばらしさもさることながら、「紙でも、電子でも」買える環境を新刊刊行と同時に広範に提供した初の書籍としても、後世に語り継がれるものになりそうだ。
だがそのことは同時に、従来の電子書籍の世界からは見えなかった課題も、あぶりだすことになった。紙と電子の書籍を横断検索できる「ブック・アサヒ・コム」の運営に携わる経験から、また発売日に複数の電子書籍ストアで同書を購入した個人的体験から、現段階でわかっていることを報告したい。
中心的なテーマは電子書籍の「探しにくさ」である。
電子書籍版『スティーブ・ジョブズ』の例から考える
発売前後の経緯を簡単に振り返ってみよう。各種報道によると、講談社は同書を当初2011年11月に発売する予定だったが、10月5日のジョブズ氏死去を受けた米国側の要請を受け、上巻のみを、全世界同時発売日である10月24日に合わせて刊行することになった(紙版の価格はⅠ、Ⅱとも各1,995円、電子書籍版はKinoppy[iOS]版から購入する場合のみ2,000円で他は1,995円。アプリ版は1,900円。「アプリ版」も電子書籍だが、本稿では別の物として扱う)
通常新刊書籍は発売日の数日前に取次に搬入され、そこから書店に配られるが、緊急発売だったためか、実際に店頭に並んだのは、翌25日か、26日になった書店も少なくなかったようだ(この件についての書店関係者によるつぶやきのまとめはこちらで見ることができる)。
電子書籍ストアの中でも、紀伊國屋書店の「BookWeb Plus」での売り上げはめざましく、同社は27日、10月24日・25日の電子書籍の売り上げが1,584冊と、紀伊國屋全店の紙版の売り上げ(3,377冊)の5割近くに上ったとしてリリースを発表した。
かくいう筆者も、一刻も早く手に入れたい気持ちから、紙版ではなく、24日のリリースと同時に、BookWeb Plusと米Amazon.com Kindle Storeで電子書籍を購入した。
Appleの審査の遅れで延期されていたアプリ版も11月1日、5日に分けて発売され、電子書籍版の売れ行きも現在では若干落ち着いてきたものと思われる。また講談社側からは、ストア別の売り上げシェアが公式に発表されたわけではない。
しかし、仮にBookWeb Plusの当初の勢いがそのまま続き、全体のシェアも上位だとすると、その健闘の理由は何だろうか。それを本稿の第一の素材として考えてみたい。さまざまな可能性が考えられるが、私はそこに現在の電子書籍の抱える課題の一つが露呈しているような気がしているからだ。
紀伊國屋BookWeb Plusが選ばれた理由
なぜBookWeb Plusが選ばれたのか。考えられる可能性として、以下を挙げることができるだろう。
(1)BookWeb Plusのアプリやサービスが優れていた
(2)本好きにもともとBookWeb会員が多い
(3)検索結果で上位に表示される(SEOに優れている)
(4)紀伊國屋書店のブランドイメージ
どれもそれぞれに納得のいく理由だが、発売日に急いで電子版を購入した個人的経験からすると、一番大きかったのは、(4)の要因ではないかと思われる。その前提として、電子書籍は非常に「探しにくい」という現状がある。
紙の本のことを考えてみよう。「いますぐ目的とする(紙の)本を買いたい」というとき、人はどういう行動をとるだろうか? おそらく多くの読者は、アマゾンや楽天のようなウェブ書店で検索するか、紀伊國屋書店や丸善のような大手書店に問い合わせるか、直接店にでかけるだろう。
なぜそういう行動を選択するかというと、それが「求める本に最短距離で、間違いなく到達できるいちばん合理的な方法だから」ということに尽きる。大手ウェブ書店やリアル書店であれば、たいていの本は確実に手に入る(新刊の場合)という予測が立つから、まず最初にそれらにアクセスするのは自然だし、合理的でもある。
しかも「選ぶ」とは言っても、紙の新刊書の場合、それほど選択肢があるわけではない。ふつうは「単行本版と文庫版」くらいか。結局、ぜひとも確認しなければならない情報は「在庫があるか、ないか」くらいであろう。
つまり紙の書籍に関して、消費者の購入に至るまでの行動は、ほとんど下記に尽きる、ということである(リアル書店には目的とする本以外の本を眺めて選ぶ、などといった書店ならではの楽しみももちろんあるが、ここではそうした視点はとりあえず措く)。
・本の存在を知る→調べる、(書店を訪問する)→確認→購入
電子書籍の「探しにくさ」の原因
しかし、現状の電子書籍はこれが非常にやりにくい。まず、商品のどのIDで買うのか、どのOS、どのビューワーや端末で読めるのか、という基本的なところでも、確認しなければならないことが山ほどあり、それらの情報は、各サイトの当該書籍のページを見ないと確認できない。
加えて、紙の書籍と違って電子書籍では、「どこの店でも買える」という事例は稀だ。『スティーブ・ジョブズ』のような本は例外的で、電子書籍の場合、さまざまな事情で新刊の発売日がプラットフォームによってずれたり、あるいはそもそも特定のストアや端末向けでは販売されなかったり、販売がされていてもある日中止されたり、ということが日常的に生じている。
電子書籍が「当該サイトで販売され(てい)るかどうか」は、紙の本の「(店頭)在庫があるかどうか」とは似ているようでちょっと違う。紙の本は在庫がなくても注文すればいい。また注文した本が実は「読めなかった」などという事態はありえない。
しかし電子書籍の場合、規格や仕様がバラバラなため、「ストアへ行ってみたが、自分の環境用の本は売っていなかった」「探し当てたが(買ってみたが)実は自分の環境では読めなかった」ということがおおいにありうる。もちろん「おためし版」をダウンロードしてチェックすればいいのだが、それ自体、紙の本なら不要なプロセスであり、面倒だ。
通常なら探し物で大活躍する検索エンジンだが、電子書籍に関してはあまり役に立たない。私も実際に、発売当日に検索してみたが、満足のいく検索結果はえられなかった。「スティーブ・ジョブズ 電子書籍」で検索すると、講談社の紙の書籍サイトがトップに表示されたが、電子書籍は別サイトになっており、結局そこから各ストアへ移動しなければ仕様は確認できなかったのだ。また各ストアでも、類似タイトルの本が多数表示されてしまい、「いま現在話題となっているあの伝記」であるかどうかは、何度も確認しないと確信が持てなかった。
まとめると、電子書籍ユーザーが本の存在を知ってから購入するまでのプロセスは、下図のようになっている。カオスであり、とても「本探しを楽しむ」どころではないのが現状だ。
電子書籍について多少知識のある私でも、発売日、どのストアで買えばいいのか、にわかには判断がつかず、何度も検索を繰り返しては悩んだ。
読者は「電子書籍だから」買いたいのではない
社会心理学の教えるところでは、情報不足の中、緊急の決断を迫られたとき、人間は特有の行動パターンを示す。中でも「権威にすがる」のは非常によく見られる行動である。そこで紀伊國屋書店の登場だ。
「紀伊國屋」は本を日常的に手にする日本人なら、誰でも知っているブランドだ。そこへ行けば、一般に流通している紙の本なら、たいていのものが手に入る、という安心感がある。電子書籍でも、同じように「紀伊國屋ならなんとかしてくれるのではないか」という期待で、BookWeb Plusが選ばれたのではないか。
BookWeb Plusの場合、iOS/Android/Sony Readerにマルチデバイス対応していることも、プラスに働いたと思われる。前述した「ストアで本を見つけたが、自分の環境では読めなかった」というケースが、それだけ少なかったと考えられるからだ。
BookWeb Plusの本のページは、PC版でもアプリ版でも、紙本と電子本が結びつけられた形で作られており(右図)、最後の段階で「やはり紙の本にしよう」という選択ができることも、安心感につながっている(同種のサービスはhonto/bk1も実現している)。
電子書籍の業界にしばらく身を置いていると、ふと忘れがちになるが、読者はコンテンツを買いたいのであって、「電子書籍」を買いたいのではない。面白い、興味のわく、役に立つコンテンツを読みたい、という気持ちが先にあって、どのような形態で「読む」か、という選択は、本来二次的なものであるはずだし、紙の書籍しかない時代には、ほとんどする必要がなかった選択だ。「電子書籍だから買いたい」というニーズは、電子書籍関係者だけの限られたものだろう。
だとすると、電子書籍だけを扱うストアが多数あり、しかもそれらを横断して検索する手段がない、というあり方は、読者の自然なニーズに反している、ということになる。いずれにしろ、「探しにくい、見つけにくい」日本の電子書籍の現状が、BookWeb Plusが選ばれた理由の一つではないか、というのがとりあえずの私の仮説である。
アメリカではどうなっているか
電子書籍の普及が爆発的に進む米国はどうか。Amazon.comで本を検索すると、下図のように、ハードカバー版、ハードカバー(大活字版)、オーディオブック版などが一つのページに並べられている。Barnes & Nobleや各出版社のサイトも、基本的には同じ見せ方になっている(クリックで拡大)。
フォーマットや仕様も、日本ほど複雑ではない。DRMこそ事業者別ではあるが、現在広く通用しているコンテンツフォーマットは、事実上、KindleのAZWか、その他の事業者が使っているEPUBのどちらかしかない。いずれの事業者も、PC/専用端末/スマートフォン/ブラウザなど、複数の環境・デバイスで読めることを保証している(コンテンツファイルではなく、コンテンツの使用権を買うモデル)。そのため、「買ったが読めなかった(買おうとしたら読めなかった)」という事態は生じにくい。
これなら、読者は自分のニーズと相談しながら、紙でも電子でも、好きな形態で、安心して本を選んで買うことができる。
ここまでは電子書籍界隈ではよく知られているところだと思うが、米国では、図書館でも電子書籍の情報を検索できる。下図は米国議会図書館で『スティーブ・ジョブズ』を検索した結果である(クリックで拡大)。
ハードカバー、ペーパーバック、電子書籍版のそれぞれのISBNが表示されており(日本ではまだ一般化していないが、米国、英国など英米圏では以前から電子書籍にISBNを付与している)、さらに書影まで見ることができる。
米国では少なくとも日本ほど、「電子書籍が探しにくい」という事態は生じていないのだ。
なぜ日米でこれほど違うのか
こうなってしまった理由はいくつか考えられる。単純に、米国と比べて、プラットフォームやストアが多い、ということも一つの要因ではあるだろう。さらに、米国と比べて電子書籍の普及し始めた時期が早かったために、多数の規格、仕様が現に存在し、相当の規模で流通している、という事情もある。
たとえば、いわゆるガラケー(フィーチャーフォン)向けのコンテンツは、同じXMDFや.dotbookというフォーマットでも、各キャリアごとに別の仕様のファイルが制作され、消費者に提供されている。紙の本とは巻の分け方が同じタイトルもあれば別のものもある。同じタイトルでも、Windows PC向けのファイルもあれば、特定のPDA向けに作られたものがあったりもする。
これに対して米国では、フィーチャーフォン上の電子書籍サービスというものが事実上なかった。PC/PDA向けにはMicrosoftやAdobeによる端緒的な試みはあったものの、電子書籍の歴史はAmazonのKindleから始まった。Amazonがたまたま、紙の本一冊=電子書籍一冊というポリシーで電子書籍を刊行したので、紙の本と同様の検索性が実現できた、と考えられる。その後Kindle Singlesという、ある意味日本のガラケーのコミック分割売りに近いようなマイクロコンテンツ販売を始めたが、今のところ既存の書籍をバラバラにして売る、というよりはSingles用のコンテンツを新たに作って売る、というのがメインのようで、日本のような混乱は生じていない。
日本の場合、ガラケーの電子書籍で先んじていたがゆえに膨大な既存ファイル(20万点以上)が蓄積され、そのことが逆に検索性を削いでいる。一種の「イノベーションのジレンマ」状態に陥っているというわけだ。
電子書籍を探しやすくする試み
このような状態を改善しようという試みが、これまでなかったわけではない。シンプルなアプローチとしては、「検索対象を電子書籍ストアに限定することで、検索性を上げよう」というものがある。電子書籍比較検索コム、電子書籍横断検索、電子書籍同時検索などだ(最後のものは拙作)。
これらはいずれもGoogleのカスタム検索(検索対象等を指定できる)の仕組みを使っており、データを自サービス内に持っているわけではないから、的確な検索結果が得られるかどうかは、対象サイトの作りに依存する部分が大きい。実際、検索しても、多数のリンクが表示されるだけなので、仕様等を確認するには結局リンク先を確認するしかない。
ガラケー・PCが中心であるが、データを自社内に保持し、はるかに精度の高い検索結果を提供しているのが「hon.jp」だ。
ただし、hon.jpにも制約がある。検索結果は上記の検索エンジンカスタム型と同様、任意の順序で羅列されるだけで、「どのプラットフォーム・環境向けか」は一つ一つの検索結果をクリックしてみないとわからない。また電子書籍専用端末やスマートフォン・タブレットなどいわゆる「新プラットフォーム」向け電子書籍ストアは検索対象となっていない。
これらのサービスは「電子書籍だけ」のものであったが、「紙と電子」の両方を探して選びたい、というニーズに応えるサービスが、2011年後半に相次いで登場した。図書印刷の「読むナビ」、メディアファクトリーの「ダ・ヴィンチ電子ナビ」、そして朝日新聞社の「ブック・アサヒ・コム」である。
いずれのサービスも、「紙」「電子」またはその両方を指定して本を検索することができる。Googleのような一般的な検索エンジンと違って、検索結果には書籍しか出ないから、意味のない検索結果に悩まされることがない。対応するストアが一覧に表示するため、「どのストアの本か」ということも、一目でわかるようになっている。
ただし、これでも問題がないわけではない。各ストア向けのファイルがすべて別々の商品として表示される結果、巻数の多いコミックなどは、各巻×プラットフォーム・ストア数(対応端末数)だけ結果が表示されるため、またもや「選べない」という事態になってしまうのだ。
この問題に対処するため、「ブック・アサヒ・コム」では各ファイル(商品)ではなく、複数の商品をたばねた作品に対してIDをふる(作品ID)、という仕組みで、検索性を上げている。『スティーブ・ジョブズ』を検索すると、「この商品を全てご覧になりたい方はこちら」というリンクが表示され、クリックすると、同じ作品の巻数違い、プラットフォーム違いの本が一つの「シリーズ」として表示されるのである。
「商品ID」VS.「コンテンツID」
本に対するIDとして、一般に普及しているコードとしてはISBNがある。ISBNは紙の書籍に合わせて作られたコード(商品ID)だから、一つ一つの物理的「商品」についてつけられる。たとえば、『スティーブ・ジョブズ』の文庫版が将来刊行されたとしたら、単行本版とは別のISBNがふられることになる。「愛蔵版」が発売になれば、それはまた別のISBNになる。
日本の出版界ではこれまで、単行本を出版してから数年後に文庫化し、その後、その文庫版を底本として電子書籍を刊行する、というサイクルが基本であった。このサイクルを前提とする限り、単行本が「親」(パレント・ワーク)であり、そのISBNを元(データベースの用語でいう「キー」)として電子書籍を管理すればいい(下図)。実際、外部にはデータを提供していないものの、各出版社は社内ではこのような仕組みで電子書籍を管理しているものと考えられる。
しかし、これですべて解決、というわけにはいかない、いくつかの事情がある。
(1)「分冊」
第一に、「分冊」の問題がある。
これは前述したように、電子書籍先進国である日本特有の悩みだ。既存の電子書籍コンテンツ、特にガラケー向けのコミックは、紙の本とは違うボリュームで分冊されていることが多い。たとえば、松本光司『彼岸島』(講談社)は、紙の単行本は33巻まで刊行されているが、ガラケー向けコミックは343ファイルに分冊されて売られている。
これらのファイルは、通して読めば紙の本の全巻と同様の内容ではあるが、一冊一冊の内容を紙の書籍と同一視することはできない。紙書籍の第一巻と電子書籍の第一巻では内容が異なるのだ。
App StoreやAndroid Marketでアプリ版が配信されている場合は、さらに問題が複雑化する。福本伸行『賭博黙示録カイジ』は、紙の本の版元である講談社発行のものとフクモトプロ発行の電子書籍の両方が流通しており、さらにアプリ版もある。一つのアプリ内には2〜3話分が収録されており、紙の本にはない特典が入っていることもある。
これらを無理矢理、紙の本の第一巻のISBNで結びつけ、それを元に管理するというのが問題含みであることは明らかだろう。検索結果に紙の本の第一巻と電子本の第一巻を並べて表示すれば、利用者は同じ内容が収録されていると期待して間違って買ってしまう。
このような例では、紙の単行本を「パレント・ワーク」としてそこに文庫版や電子本をぶらさげる、という管理法は不適切、ということになる。
(2)「電子オリジナル書籍」
第二の問題は、「電子オリジナル書籍」だ。「ボーンデジタル」「セルフパブリッシング」の電子書籍は、紙の本の「親」を持たない。持たない、ということが将来的にわたって保証されるなら、電子書籍で最初に刊行されたものを「親」にしてしまうという手もあるが、ケータイ小説のように、初めは電子書籍として、次に紙の書籍として刊行される本も増えているのでそれはできないだろう。つまり管理のための「キー」がつくれないということで、これも頭の痛い問題だ。
2011年11月、講談社は京極夏彦の新作『ルー=ガルー2』を単行本、ノベルス、文庫、電子書籍で同時発売した。おそらくは単行本が「親」なのであろうが、もし「ノベルス」を「親」として制作したのなら、「ノベルス」を「親」としてDBに登録すべきなのかどうか。紙・電子同時刊行書籍については今後さまざまなパターンが考えられる。それらをすべてカバーするポリシーが立てられるのか。あるいは立てられるべきなのか。
(3)「修正」「アップデート」
第三の問題は、「修正」「アップデート」だ。電子書籍は刊行後に修正やアップデートができる、ということが、利点でもあるが欠点にもなる。
ベストセラーとなったマイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』(早川書房)を例に挙げよう。2010年5月に刊行された単行本を元に、電子書籍版が刊行されたのは同年8月のこと。この段階では、「親」は単行本版であり、「子」は電子書籍版として何の問題もなかった。内容的にも「親」=「子」であったと考えられるからだ。
しかし、2011年11月に文庫版が発売され、それと同時に電子書籍版がアップデートされた。価格を文庫版に合わせて下げ(1,600円→700円)、内容も、著者サンデルの次作『それをお金で買いますか』の序章が追加されている。
このアップデート版(iOS向けは「バージョン1.2」という表記があることから、「バージョン1.1」もあったのだと推察される)は、通常版と同一の「本」としてとらえるべきなのか(紙の書籍の「版」と同じように、「第1版第2刷」や「第2版」として?)。あるいは、アップデート版の「底本」は「文庫版」なのだから、「文庫版」のISBNが「親」で、アップデート版が「子」という関係になるのか? 「親」と「子」の間にどの程度の類似性があれば、二つの結びつきを認めるのか? この問題の周辺には、未解決の課題が山積している。
ただしこの第三の問題については、別の見方もできる。作家の髙村薫は著作を出版するたびに大幅に書き直すことで有名だ。「連載」→「単行本」→「文庫」と再刊行されるたびに、内容は程度の差はあれ、変わっている。つまり「アップデート版問題」というのは紙の書籍の時代にもあったことが、電子の時代に顕在化したに過ぎない、ともいえる。
ただし、物理的な実体(本)がある紙の本と違って、電子書籍は「版」の違いを確認することが容易ではない。今後デジタルコンテンツが増えるに従って、その難易度はさらに上がっていくことが予想できる。
(4)「版元替え(並行販売)」
この問題に関連する懸念点として、「版元替え(並行販売)」問題もある。
1997年に、児童文学作家の灰谷健次郎が雑誌「フォーカス」が神戸連続児童殺傷事件の容疑者少年の顔写真を掲載したことに抗議して、新潮社から刊行していた自作の版権をひきあげ(絶版)、角川書店から再刊行したことがある。ISBNは出版社単位で書籍を管理する仕組みで、コードの中に出版者記号が入っている。もし灰谷氏の著作が新潮社から電子書籍で多数刊行されており、「版権引き上げ」事件がいま起きたとしたら、どうなっていただろうか。
「親」である紙本のISBNとあわせて、電子書籍のコードも新しい出版社のものにつけかえるだけですめば、話は簡単(作業は大変)だが、それですむかどうか。旧出版社から刊行された電子書籍は、紙の本と同時に販売中止(絶版)にできるが、デジタルコンテンツ販売には「再ダウンロード」がつきものだ。
通信条件や端末・環境の不具合等によって発生する「購入したが利用できない」状態を避けるために、各ストアは一定期間(一週間から一、二年程度とまちまち)、利用者がダウンロードし直せる権利を認めている。この期間中、旧出版社から刊行された電子書籍と新出版社から刊行された電子書籍は、実質上平行して利用者に提供されることになり、「コードの書き換え」だけで事態に対処できるかどうかは不明である。
ましてや新出版社によって、「分冊」や「再編集」等がなされた場合は、どうすべきなのか。
現在も増えつつある「電子書籍専業出版社(現時点では出版社登録していないため、ISBNを発行できないようだ)」や、今後増えるかもしれない「出版社の倒産・合併・営業譲渡」等に関してどう対処すべきか(全ての電子書籍が新出版社に移行する場合はまだいいが、一部が移行する場合等はどうなるか)、あるいは『カイジ』の例のように、出版社と著者自身が刊行した電子書籍が平行して販売されるケースなども、未解決の課題として残っている。
紙の本の一商品に付与するIDであるISBNが、電子書籍の本格的な流通を支える書誌IDとしてふさわしいかどうか。このことが問われているわけだ。これは単に電子コンテンツ流通だけの問題にとどまらない。
プラットフォーマーだけで電子書籍の普及は不可能
あらゆる産業がそうであるが、出版という産業は著者、出版社と書店だけで成立するわけではなく、その周辺のたくさんのプレイヤーの働きによって成り立っている。電子出版の時代に入って「プラットフォーマー」という言葉がさかんに使われるようになった。コンテンツの配信の技術的・経済的基盤の運営者を指しているようだ。しかし、その意味の狭い範囲の「プラットフォーマー」だけで電子書籍の本格的普及が実現するのだろうか?
読書に関する各種調査結果で、「本とどのようにして出会うか(本をどのようにして知るか)」という質問に対して、寄せられる答えの上位に必ず入るのが「新聞や雑誌の書評」「友人の推薦」である。言い換えれば玄人と素人とを問わず、レビューが決定的な役割を果たしているコンテンツが本ということになる。
同じようにデジタル化の波に襲われ、変化を余儀なくされている音楽や写真、映画等と比べても、書籍における「レビュー」の重要性は際立っている(その理由は経済学的に説明することができるが、ここではその詳細には立ち入らない)。
ここで指摘したいのは、電子出版の時代に、著者―出版社(編集者)―読者―書店(プラットフォーム)が中心的な役割を果たすことは間違いないとしても、その周辺のプレイヤー(新聞・雑誌・書籍の記事・広告、プロ・アマチュアのレビュワー)が、きちんとしたレコメンデーション情報(レビューはその一つ)を提供しないと、電子出版はきちんとした「産業」にならない、ということである。「プラットフォームの構築」をもっぱら強調する考え方への対抗概念として、私はこうした周辺プレイヤーも含めた出版のあり方を「(電子)出版のエコシステム」と呼んでいる。
その大前提となるのが、書籍のIDであり、書誌である。「何の本について論じているのか」はレビューの基本中の基本の情報であるが、いまの電子書籍は検索やコンテンツの同定が困難であるため、それが容易にはできない。
「ブック・アサヒ・コム」は、1924年(大正13年)以来という長い歴史的蓄積を持つ朝日新聞読書面の書評を始め、朝日新聞社グループの蓄積してきた大量の書評・書評類記事を電子書籍にも生かす、という使命のために立ち上げられたサイトである。そのバックエンドには、1988年(昭和63年)以降の書評記事を収録(現時点で公開しているのはその一部)した新規開発のデータベースがある。
書評を取り出しただけでは書評の価値はない。それが「何の本について論じているのか」という情報を付加しなければならない。そのため、書評一つ一つに対象となる本のISBNを付した。
しかし、本稿でこれまで論じたとおり、ISBNにはさまざまな問題がある。まず、現時点では電子書籍に付与されていない。
本来なら「坊っちゃん」について論じた書評は、「坊っちゃん」という作品(コンテンツ)について語っているのであって、××書店の「坊っちゃん」という物理的な商品について論じたものでは、基本ない(ここが家電等、他の製品のレビューと違うところである。もちろん造本について言及する場合もあるが。中身が最重要であることには変わりない)。だからISBNだけでは、絶版書籍と結びついたりする一方、電子書籍や作品を収録した全集などとは結びつかず、せっか くの書評が生かせない、ということが起きる。
そこで苦肉の策として、紙と電子を結びつける「作品ID」をたて、作品に対して書評がリンクする仕組みをつくったのは前述のとおりである。
本来であれば、紙、電子を問わず「作品(コンテンツ)」にふられたコード(コンテンツID)があれば、ISBNでなく、それに対してリンクできたはずである。
逆にいえば、いつかはなくなってしまうISBNをキーにしている限り、そこに結びついた書評をはじめとした過去のレコメンド情報は、常に根無し草になってしまう可能性があり、電子出版の時代に活用できないリスクにさらされてしまう。
批評や批判が育たない世界に未来はない。ゼロ年代にあれだけ隆盛を極めたケータイ小説が、ジャンルとして確立しなかったのは、ガラケーという閉じた世界に あり、コンテンツを容易に検索し、名指し、批評することができなかったからではないか。このままの状態で、電子書籍がケータイ小説並みに増え続ければ、電子書籍もケータイ小説と同じ隘路にはまるかもしれない。
ネットにおける書誌情報の共通規格
実は国際的には、こうした問題を解消するための試みがすでに始まっている。
書籍の書誌情報をネット上でやりとりする国際的な共通規格として、「ONIX for Books」がある。「ONIX(ONline Information eXchange)」はロンドンに本拠を置くEDItEUR(European Book Sector Electronic Data Interchange Group)が策定する出版物の電子取引に必要なメタデータの規格だが、「ONIX for Books」は米国と英国の業界団体の手によって標準化が進められている書籍の電子商取引のためのONIXの「ファミリー」規格の一つで、2011年末時点の最新バージョンは「リリース3.0」となっている。
日本では日本出版インフラセンター(JPO)傘下の近刊情報センターが、紙の書籍の近刊(これから出る本)情報を、ONIXリリース2.1形式で出版社より受信し、書店に配信している。近刊情報センターは後述する「新ICT利活用サービス創出支援事業」関連でも書誌のあり方についてガイドラインを発表している。
リリース2.1と3.0は一部非互換になっており、3.0は電子書籍への対応を2.1と比べてさらに進めた、というのが売りになっている。
中でも、すでに述べた「分冊」「シリーズ」「おまけ」等の情報を詳細に指定できるようになっていること、「ISTC(International Standard Text Code)」という「コンテンツID」を付与することができるようになっていることが、注目すべきポイントだ。
「ISTC」はISOが2009年に定めた国際規格(ISO 21047:2009)で、紙・電子などの媒体を問わず、同一の「作品」を識別するために用いられるコードの体系だ。米中英を初めとする世界十カ国に登録機関があり、そこに作品を登録し、16桁の作品に対する番号をもらう。ISTCのサイトの説明がわかりやすいので内容を紹介してみよう。
長い間、異なる商品(書籍)の識別にはISBNが使われてきた。ISTCを使えば、同じコンテンツを含む商品をグルーピングしたり、場合によっては、同じ由来を持つ異なる作品をグルーピングしたりできる。つまり、次のようなことを実現できるという利点がある。
・書籍や出版物の発見しやすさ(Discoverability)を改善する
・一つの「版」がわかっていれば、目指す作品を含むすべての作品をたどれる
・逆に、ある本とある別の作品とのタイトルが似ていたりまったく同じだったりする場合でも、検索結果を目指す作品に絞り込むことができる。
なお、図書館業界にはISTCとは別に「作品」を管理する手法として国際図書館連盟が定めた「IFLA/FRBR」がある。詳しい情報はこちら(※PDF注意)にある。
まとめ――読者の視点から
電子書籍の本格的な普及のためには、様々な課題があることは広く認識されている。2010年3月〜6月にわたって総務省・文部科学省・経済産業省の副大臣・大臣政務官の共同で開催された電子出版についての懇談会(通称「三省懇」)の報告書(6月発表)においても、IDや書誌の重要性が強調されており、報告書を受けて実施された「新ICT利活用サービス創出支援事業」においても、本のIDや書誌のあり方について、ガイドライン(書誌については、こちらを、IDについてはこちらを参照。後者には「コンテンツID」の文言が見えるが、本稿やISTCにおける「コンテンツID」とは方向性や定義が異なるようだ)が提言されている。
ただこれらの提言やガイドラインを見る限り、電子書籍の書誌やIDのあり方については、まだ検討の端緒についたばかりで、米国のように電子書籍へのID付与が一般的に行われ、業界共通の書誌データが利用される、という段階に至るまでには、まだまだ時間がかかりそうだ。
先に指摘したように、読者は「本=作品」を読みたいのであって、「電子書籍(のファイル)」を買いたいのではない。またこの先ボーンデジタル作品や紙・電子同時発売作品(パレント・ワークがはっきりしない)が増えることを考えると、なんらかの「コンテンツID」的仕組みが不在の状態では、電子書籍が増えれば増えるほど、「探せない、見つからない」という状態は悪化することにならないだろうか。
なるべく早くこの点で手をうたないと、電子書籍のユーザービリティーは今後どんどん下がっていくのではないか。そのことがさらに、電子書籍の普及を遅らせることにならないか――。
「電子と紙」で広く同時発売した『スティーブ・ジョブズ』は、検索性の重要さ、そしてそれを支える書誌とIDの重要性を改めて浮かび上がらせる形となったといえるだろう。
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執筆者紹介
- 1968年生まれ。1993年、朝日新聞社入社。「週刊朝日」「論座」「朝日新書」編集部、書籍編集部などで記者・編集者として活動。この間、日本の出版社では初のウェブサイトの立ち上げや CD-ROMの製作などを経験する。2009年からデジタル部門へ。2010年7月~2012年6月、電子書籍配信事業会社・ブックリスタ取締役。現在は、ストリーミング型電子書籍「WEB新書」と、マイクロコンテンツ「朝日新聞デジタルSELECT」の編成・企画に携わる一方、日本電子出版協会(JEPA)、電子出版制作・流通協議会 (AEBS)などで講演活動を行う。
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