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Kindleは「本らしさ」を殺すのか?

先日phaさんの「電子書籍とブログって何が違うの?」という文章を読み、最初そのタイトルに違和感を覚え、そりゃ全然違うだろうと内心突っ込んだのですが、よくよく考えるとそうとも言えない。思えばこのタイトルと同じ問題意識を何度も文章にしている人を自分も知ってるじゃないかと思い当たりました。それは『クラウド化する世界』などの著書で知られるニコラス・G・カー(Nicholas G. Carr)です。

phaさんが問題としているのは主にコンテンツの流通と課金ですが、カーはそれだけでなく本を本たらしめるものは何か、それは電子書籍によってどう変わるのかということにフォーカスしており、こちらのほうがより普遍的な問題でしょう。本文ではカーの文章を紹介しながら「本」と「インターネット」の間の一線について考えてみたいと思います。

本の「アプリ」化

まずiPad発売と同時期に書かれた「The post-book book」において、iPadが電子読書端末としてトップになるかはともかく、iPadが促進する本の読み方はやがて支配的になるだろうとカーは書きます。

iPadが促進する本の読み方とは、つまりは本のマルチメディア化による「本のアプリ化」です。紙の本がインターネットに接続する電子機器に移行すれば、本はウェブサイトと同じようになるとカーは断じます。

これだけ見るとボブ・スタインが「appの未来」に書いたことと似ているのですが、インターネットが生み出す情報の氾濫、並びに効率性と即時性を重視する風潮は、本などを熟読して深い思索を行う人間の能力を退化させるという論旨の、ピューリッツァー賞の最終候補にも選ばれた『ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること』の著者であるカーが、本のアプリ化、インターネット化に手放しに明るい未来を見ていないのは間違いありません。

事実この文章は、スティーブ・ジョブズがiPad発表前にAmazonのKindleについて聞かれたとき、「製品の良し悪しは問題ではない。人々はもはや読書をしないんだよ」と答えたことを踏まえながら、「スティーブ・ジョブズは嘘つきじゃない。文章の転送システムとして、iPadはもはや読書をしない読者にとって完璧にぴったりだ」と彼らしい嫌味をかまして終わります。

電子書籍の真の美意識

さて、カーは先ごろの新型Kindleの発表を受け、これに触発された文章を続けて書いています。まず「Beyond words: the Kindle Fire and the book’s future」は、未来は常に過去の衣をまとって登場するという話から始まります。

例えば、印刷機から生み出された最初の本であるグーテンベルグ聖書は、写字生の筆跡に似るよう注意深くデザインされた書体が採用されたし、初期のテレビ番組は映像つきのラジオ放送だったし、パーソナルコンピュータの設計者は、情報の組織化に「デスク」のメタファーを使ったわけですが、注意しなければならないのは、新しいメディアの初期の形態を見て、それを完成形と見なす間違いを犯してはならないということです。いずれは過去の衣が脱ぎ捨てられ、新しいテクノロジーの真の性質、美意識が明らかになるときが来ます。

それが「電子書籍」にも当てはまるとカーは説きます。2007年の終わりに最初のKindleは明らかに、紙の本のルック&フィールにできるだけ近づけるようデザインされていました。

言い換えるなら、初期の電子書籍はユーザインタフェースのデザインコンセプトとして、紙の本のメタファーを採用していたわけです。しかし、メタファーは飽くまでメタファーで、それは飽くまでマーケティング戦術であり、従来からの読書家に心地よく電子書籍を使ってもらう手段だったのです。

ジェフ・ベゾスはビジネスマンであって、伝統的な本を守るつもりなど決してないとカーは断じます。むしろ彼は従来の本を破壊したいのであって、Kindle Fireにおけるマルチメディア、マルチタッチ、マルチタスク、アプリの導入はその一環なのだと。

Kindle Fire、そしてそれに先行するiPadとNook Colorにより、我々は電子書籍の真の美意識を目の当たりにしているのだとカーは書きます。そしてそれは、印刷されたページよりもウェブにずっと近い。Kindle FireやX-Ray技術(後述)を備えたKindle Touchに比べると、79ドルに値下げされた無印Kindleは、ロッキングチェアのような埃っぽい遺物にすら見え始めたとまでカーは書きます。

つまりKindle Fireが重要なのは、それがiPadを打ち負かすかといったレベルの話ではなく、よりインターネット化した電子書籍の完成形を示したことなのです。歴史家は2011年9月28日を、本が本らしさを失った日として振り返るかもね、とカーは予言してこの文章は終わります。

「本の名残り」

続いて「The remains of the book」でカーは、紙の本が持つ本質的な特徴の一つは端、境界(edge)があることだという話から始めます。この境界は、各々の本にそれが単体で完結した作品であるという全体性を与えます。それは本が孤立して存在しているという意味ではありません。人間社会がそうであるように、本も他の本と豊かなつながりを形成していますが、同時に本は自己完結した体験を与えるものでもあります。この自己完結の感覚こそが、優れた本が読者に深い満足感を与え、書き手に最高の文学的達成を促したものだとカーは書きます。本は、その境界によって完結しなければならないのだ、と。

そして、その境界の概念は、リンクがあらゆる境界を消滅させるウェブとは対照的です。実際、ウェブの力、実用性はあらゆる形の束縛を破壊し、それをより大きなものの一部に変えることにあります。

だから「電子書籍」という言葉は語義矛盾なのだとカーは説きます。ネットワーク接続されたコンピュータの画面上に本の言葉を移すということは、技術的にも美意識的にも矛盾する二つの力の間の衝突を扱うことなのです。

続いてカーは、Kindle Touchに導入されたX-Ray技術の話に移ります。

カーは、ベゾスによるこのKindle Touchのプレゼン動画をロールシャッハテストに例えます。ウェブ側の人間はX-Rayを輝かしい進歩ととらえるが、本側の人間にとってこの技術は破滅なのだと。

「軋轢を減らせば、物事は簡単になる」とベゾスは言うが、ここでの軋轢とは紙の本の自己完結性だとカーは指摘します。X-Ray技術は、この軋轢を減らすために本のテキストを応答性の高いハイパーテキストに置き換えるものです。これは従来の辞書検索機能に加え、WikipediaやShelfariといったウェブリソースの情報に飛べるようになり、キャラクターや単語の登場頻度を一望できるようになります。

このX-Ray技術の便利さは、参考書やマニュアルといった実用書であれば明らかです。しかし、ベゾスはX-Ray技術のプレゼンに料理本などは使いませんでした。彼が使ったのは、カズオ・イシグロの『日の名残り』です(カーの文章のタイトルが、この小説の原題にかけてあるのはお分かりでしょう)。

ベゾスの説明によれば、AmazonからKindle Touchに転送される『日の名残り』は、Amazonが「重要なフレーズをすべて予め算出」してそれをリンクにしているとのことです。実際、Amazonは「全書籍中の重要なフレーズを集める」のためのクラウド技術に留まらず、言語処理技術、機械学習技術に投資しています。そのビジョンは「全書籍中の重要なフレーズを集めることにある」とベゾスは説明しています。しかし……小説の中の重要なフレーズって、Amazonが決めるべきものなのでしょうか?

カーはこれについて嫌味を交えながら、「アルゴリズム的精神が文学精神を完全に無視し始めている」と断じます。そして、これには商業的側面があるとも指摘します。「重要なフレーズ」をクリックしたら、それは単にWikipediaなんかの記事に留まらず、Amazonレコメンドやクリックしたフレーズの文脈に沿った広告も表示されるようになるだろうよ、と。本の「境界」を取り払うということは、商品購入プロセスの「軋轢」を取っ払うのにも役立つわけです。

これまでは電子書籍と一言でいっても、マルチメディア、ハイパーテキスト対応による「本のウェブ化」について、実用書と文学作品の間には当然のように断絶がありました。つまり、後者については確かにデジタルにはなるけれども、紙の本が持っていた本質を失うことはなく、「境界」による自己完結性が保たれると暗黙的に見なされていました。

ベゾスの『日の名残り』を使ったデモは、文学作品はウェブ化を免れるというその幻想を崩したわけです。本の種類によって別の電子リーダーを買うことはしないし、読書媒体はこれまで常にそうであったように、読書という行為そのものに影響を与えます。

カーは、本から「境界」が失われることの危惧を表明するジョン・アップダイクの「The End of Authorship」における「ルネサンス期以降の書籍革命は、人間にその個性を尊重し深めることを教えたが、華々しい無数の断片にまみれて終わる恐れがある」という文章を引き合いに出し、Amazonのアルゴリズムがアップダイクの言葉を重要なフレーズと算出するかどうかは分からないが、彼の言葉は確かに予見的だったと文章を締めてます。

本は誰のものか?

そして最後の「Whose book is it, anyway?」において、Kindleについて二つ文章を書いたものの、それでもまだ自分は何か見落としているのではないかという感覚に悩まされていたとカーは書きます。

ある朝それが何かにカーは気付きます。「カズオ・イシグロはこれを一体どう考えているんだ?」もう少し一般的に書くなら、「とにかくそれは誰の本なんだ?」ということです。

本は誰のものか? 誰が本の中身をコントロールするのかという疑問は、グーテンベルグが印刷機を発明してから大きな問題となりました。長い年月をかけ、法律、契約、商慣行、そして社会規範が整い、それが基本的に本の著者の手におさまる形で問題は収束していきました。それに紙の本の場合、そうそう簡単に改変することもできません。

しかし、前述のX-Ray技術はそのあたりの問いを再浮上させるものだとカーは見ています。例えば、ハイパーリンクの高速化のため、Amazonは電子書籍の中でリンクされるWikipediaやShelfariの該当記事を同梱するそうですが、Amazonという小売業者が本の文中で何がリンクされるか(どれが重要なフレーズか)、どんな補助テキストを同梱するかを決めるわけです。

ある意味、X-Ray技術は初期の電子書籍端末から入っていた、辞書検索機能の拡張と言えます。しかし、著者の原文の拡張という意味でも、読書体験に組み込む追加物という意味でもX-Rayはかなり踏み込んでいます。それを拡張ととらえず、侵害だとみなす人も出るでしょう。カーは倫理的にも、おそらく法的にもこれはグレーゾーンと言ってよいだろうと書きます。これは特に文学作品に言えることで、おそらくは多くの小説家がX-Ray技術にナーバスになるに違いないとカーは予測し、付随する実際的な論点を並べています。

* X-Rayシステムや追加テキストは著作権や契約を侵害しないか?
* Amazonは本をX-Rayする前に著者の許可を取る必要があるべきか?(オプトインであるべきか?)
* もしオプトインでないなら、著者(や出版社)はオプトアウトできるべきか?
* 著者は本に含める補助情報を厳しく吟味(さらには追加も)できるべきか?
* いずれ商品レコメンドや広告がX-Rayによる補助テキストに含まれる場合、それから得られる収入は著者と共有すべきか?

iPadやNookといった他の電子書籍端末にも同種のテキスト拡張機能がいずれ入ることが予想されます。「それは誰の本だ?」という問いは、21世紀の今になって突然未解決の問題に逆戻りしたのだとカーは締めくくります。

Kindleを買うのが怖くなった

今回この文章を書こうと思ったのは、先月新型Kindle発表が発表され、当然のように大きな話題となり、ニュースサイトに多数記事が載りましたが、製品スペックや新機能の概要を伝えるだけでなく、その破壊的な意義を捉えたものが少ないという不満があったからです。

また製品として進歩し、洗練を深めるKindleを賞賛する記事も読み飽きたので、別角度からの文章を読みたいという天邪鬼な気持ちもありました。

実際、筆者は先月の発表を聞いたとき、Kindle Touchを買うと決めていたのですが、カーの文章を読んで訳もなくそれが怖くなったくらいで、少しカーの煽りに乗せられすぎかもしれません。だいたい小説にしても、原注や訳注が多く入った本はいくらでもあり、X-Ray技術はそれらを便利にするものと見なすこともできるわけで。

従来の電子書籍は紙の本の別名に過ぎず、旧来の本は「できないこと」で規定されていたが、本とインターネットの間の一線は消滅する、という主張はそれほど珍しいものではありません。例えば、パブリックドメインのオーディオブックのオンラインデジタルライブラリであるLibriVoxの創業者であるヒューゴ・マクガイア(Hugh McGuire)は、一年前の時点で「The line between book and Internet will disappear」というそのものズバリな文章を書いており、これを読んだ当時はその主張を肯定的にとらえていました(出版社はGoogleやTwitterみたいにAPIプロバイダになるべき、という主張は今もユニークですね)。

しかし、カーが指摘するマイナス面も無視できない説得力があり、毎度ながらこの人の冷や水をぶっかける力の高さには敬服します。それにテクノロジーの進歩は自分の願望などと無関係に進むという冷徹な視点もさすがです。

AmazonがX-Rayのようなかなり踏み込んだ技術を投入しながら、そのオンラインビジネスのプラットフォームの位置までKindleを進化させるのを見ていると、未だ電子書籍市場が立ち上がらず、読書家は自発的に「自炊」を行わなければならず、しかもそれにまで作家や出版社から難癖をつけられる日本の状況というのは、やはりどうしてもしょぼく感じずにはいられません。

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