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Gamificationがもたらす読書の変化

旧聞に属しますが Wired.jp の「電子書籍が紙に負ける5つのポイント」という記事が話題となり、これを受けて本誌にも原哲哉氏の「電子書籍はまだ紙の本に勝てない」という記事がすでに書かれています。

とくに日本の現状を見る限り、紙の書籍と電子書籍をプラットフォームとして比較すると紙のほうが優位なのは明らかで、規格の整備やハードウェアの向上と価格低下といった改善がおのずと期待できるところはそれとして、電子書籍がそのまま紙に追いつこうとする方向性はあまり意味がないと考えます。これは大原ケイ氏の「「ガジェット」ではなく「サービス」を」にもつながる話でしょうが、むしろ紙の制約から離れた機能や体験の充実にこそ注力すべきで、ことさらに紙と電子の比較を続けるのは有益ではないでしょう。

そうした観点で「電子書籍が紙に負ける5つのポイント」を読み直した場合、「インテリア・デザインにならない」といった電子書籍が(少なくとも現状のフォーマットの)電子書籍である限りどうしようもないものは仕方ないとして、「読了へのプレッシャーがない」や「思考を助ける「余白への書き込み」ができない」といった不満は、クラウドを前提とする電子書籍ならではの手法で解決できるはずで、それに向けた方法論の一つとして Gamification が有効だと筆者は考えます。

「Gamification」とは何か

この Gamification という言葉をまだご存知ない方のために解説しておくと、直訳すれば「ゲーム化」とでもなるでしょうが、(本文執筆時点での)英語版 Wikipedia における「ゲームプレイの要素をゲーム以外のアプリケーション、とくにコンシューマ向けのウェブサイトやモバイルサイトで利用することで、利用者にそのアプリケーションを受け入れさせることを目的とする」、もっと平易な表現では「なぜ「Turntable.fm」はユーザーを夢中にさせるのか」にある「プロダクトにゲーム的な要素を加えることによって、ユーザーがもっと使いたくなるようなものにすること」という定義が分かりやすいでしょう。

この言葉、とくに今年に入って目にする機会が多くなっておりバズワード化しつつあります。それだけこの「ゲーム化」というコンセプトが分かりやすく強力だということでしょう。For the Win という Gamification をテーマとする真面目なシンポジウムが開かれる一方で、この言葉をマーケティングのデタラメと断じるゲーム研究者も出てきて議論になっていますが、こういう声が出て盛り上がってこそのバズワードです(笑)。

さて、この Gamification という手法を電子書籍に適用すれば、「読了へのプレッシャーがない」に対しては Nike + iPod 的な本を読了進度の順位を可視化して競争意識を駆り立てるアプローチ、「思考を助ける「余白への書き込み」ができない」に対しては、これはすでに Kindle などで実現していますがソーシャルリーディングによるその書籍のポイントの共有がすぐに浮かびます。上でもリンクした「なぜ「Turntable.fm」はユーザーを夢中にさせるのか」と突き合わせるなら、前者は「プレイヤーの進行状況をデザインする」、後者は「ソーシャル性のある行動を促す」に該当するでしょうか(余談ですが、最近は「ソーシャル」という言葉が濫用されますが、それほとんど「社会的つながり」に関係ないじゃないかというサービスも多く、むしろ「ゲーム化」としてとらえるほうが適切と思うこともあります)。

「読書にゲーム的要素を持ち込む」と聞いて拒否反応を起こす人も多いでしょう。読書はもっと個人的/孤独/厳粛なものだ、と。ワタシ自身そうした気持ちは理解できるのですが、逆に言うとそうした紙を読む制約から離れたユーザ体験を提供し、読書のあり方を変えるようなサービス、一歩進んで一部の読書家から顰蹙を買いながら若年層を惹きつけるサービスが出てこない限り、いつまで経っても紙媒体と電子書籍の優劣を漫然と比較する記事がいつまでも書き続けられるのかもしれません。

ニューヨーク公共図書館で行われた「探検ゲーム」

ここでワタシが連想するのは、著名なゲームデザイナー、ゲーム研究者のジェーン・マゴニガル(Jane McGonigal)らが企画した Find the Future at NYPL: The Game です。

ニューヨーク公共図書館で行われたイベント、「Find the Future」のサイト。

これは今年の5月20日の深夜にニューヨーク公共図書館(NYPL)に500人の参加者が集い、図書館内部を探索してそこにある様々なアイテムを探索しながら、それを記録する本を書いていくというコラボレーションゲーム企画です。真夜中の図書館で探検ゲームとはすごく楽しそうだな……とこの話を知って勝手にワクワクしてしまいましたが、考えてみれば真夜中に人を集めて何か事故が起こったら、あるいは図書館(しかも世界的にも屈指の規模を誇る図書館!)の本に破損など被害が出たら、など問題もいくらでも思いつくわけで、相当にチャレンジングな企画に違いありません。

しかし、サイトの説明を読むと「人々が夢をかなえ、自身の未来を発見する場所として図書館を見てほしい」という図書館側の熱意が伝わってきます。このニューヨーク公共図書館側の試みは最近の図書館を巡る議論にも深い示唆を与えていますし、YouTube の NYPL 公式チャンネルにアップロードされた当日の模様のダイジェスト映像を見ても Gamification というアプローチの有効性を感じます。


ついでながら Gamification というコンセプトに興味を持った読者の方にお勧めな書籍を紹介しておきます。ゲームの有効性を強調する書籍がすでに海外でいくつも出ていますが、職場におけるゲームメカニズムの応用を主題とする『ゲームストーミング——会議、チーム、プロジェクトを成功へと導く87のゲーム』の邦訳がちょうど出たところです。またオライリー本家から『Gamification by Design』が出たばかりで、こちらはサービス実装者にとって定番になりそうです。

より一般向けの書籍となると、小関悠氏の「拡大するゲームの未来と役割」を読むと『ルールズ・オブ・プレイ(上)』がゲームの本質を理解するのに読み応えがありそうですが、648ページの大著をもってしてまだ半分(!)で気軽にお勧めするのがためらわれます。上で名前を挙げたジェーン・マゴニガルも初の著書『Reality is broken!』を今年はじめに刊行しており、彼女が圧倒的な楽観性をもってゲームの有効性を語り倒すTED 講演「ゲームで築くより良い世界」を見る限り、10月には出るらしい邦訳も期待できそうです。

何十年後から現在を振り返ったら…

少し前に本誌に公開された「本屋の未来と電子書籍の微妙な関係」を読んでいて、ブレット・イーストン・エリスの名前を目にしたとき、高校生の時分に読んだ彼の処女作『レス・ザン・ゼロ』(中江昌彦訳)の「訳者あとがき」にあった文章をふと思い出しました。

その数年前から、アメリカでは小説家の若がえり現象が急速に見られ、大手出版社から二十代、三十代前半の若手小説家の短編小説集や中編小説が相次いで刊行されはじめていた。そして、彼らの若さゆえ、小説が非常にファッショナブルなものとしてとらえられるような風潮が出てきており、その中で、いわば極めつけとして登場したのがこの「レス・ザン・ゼロ」であった。

この文章を覚えていたのは、「小説が非常にファッショナブルなものとしてとらえられるような風潮」というのがワタシ的にインパクトがあったからです。小説がファッショナブルだって!? しかし思えば、(ワタシ自身は詳しくないですが)日本でも同じく80年代ニューアカのブームで浅田彰が一種のポップスターだったり、雑誌『マリ・クレール』が「読書の快楽」を特集して完売したり、一部で読書はファッショナブルだったのかもしれません。

「本屋の未来と電子書籍の微妙な関係」にもブレット・イーストン・エリスら80年代に登場した新世代の作家たちも若い世代の読書離れを止める大きな流れにはならなかった、という話があり、読書がファッショナブルな風潮も長くは続かなかったわけですが、これから何十年か先に開かれるシンポジウムで、「2010年代は電子書籍により読書がゲーム的になった」と振り返られるときがもしかすると来るのかもしれません、と無責任で当てにならない予測とともに本文を終わろうと思います。

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