「被災者の文学」と仮に名づけた出版プロジェクトを動かしている。
言葉の通り、東日本大震災に被災した当事者が書く文学である。それが狭義の文学として認められるのかどうかはわからないが、少なくともぼくはそれを「文学」として提示したい。
2017年4月23日まで、支援を募集している。理念に共感していただけたら、サポート、あるいは、参加していただけたらと思う。2017年中には、現地への「作品」を捜し求める旅に出て、2018年に、冊子を刊行することを予定している。冊子だけに限定せず、作り上げていくプロセス自体や、集まった作品を、WEBで公開したり、コミュニティのようなものを作ることも計画している。冊子を一つの物質的な成果の一部とするプロジェクトだと考えていただけたら良いのかもしれない。
なぜこのようなプロジェクトを動かそうと思ったのか。シノドスさんとキャンプファイアさんに力を貸していただいて、不慣れなクラウドファンディングまで行って支援をお願いしようと思ったのか。
端的に言えば、その理由は、現在の言説空間の不自由さにある。
当事者の「リアル」を語る言葉が、あまりにも少ないし、流通していないのだ。それは、時に善意、時に自主規制、時に露骨な検閲にも由来する。当人たち自身が心に蓋をしてしまったり、「これを語ってはいけない」「これを語ってもどうせ通じない」と思い込んでしまっているものである場合もある。しかし、それを解除しなくてはいけない、というのが、現在のぼくの思いである。
震災後の「空気」に抗う
こう思うようになったのには、経緯がある。
『東日本大震災後文学論』(南雲堂)という編著を2017年3月に刊行したが、この著作を世に問うまで、それなりの量の震災後文学を読んだ。
「同時代としての震災後」と「〈生〉よりも悪い運命」という二つの論考で、震災後の文学についてはまとめた。そこで論じた震災後文学は、①ディストピアSFの構造の利用、②和風1984(言論統制、思想統制)、③分裂した世界、という特徴を持っていた。
震災後の「空気」が、善意による自主規制や、検閲などにより、全体主義化し、「戦前」に近い状態になっていることを問題視するこれらの作品に共感し、重要視し、論じたその末に、ぼくはこのプロジェクトが必要であると考えるようになった。
ありのままの、事実や真実を語る声が、流通できなくなっている言説空間や、言論環境がある。そこに、少しでも風穴を空ける必要がある。風通しよく言葉を流通できる場を作らなければ、言葉は自由に発しうるようにならない。
萎縮してしまったり、発することを諦めてしまったり、自分で自分を規制してしまうことにより、なかったことにされてしまう言葉がある。それら言葉が現している、経験・思考・感情がある。
それに出遭う必要がある。
なぜか?
それがなければ、ぼくたちは、東日本大震災と、それに続く様々な出来事を正確に理解することができないからだ。正確に理解することができなければ、未来への構想も、間違ったものになりかねない。当事者を置いてけぼりにした空疎なものになりかねない。
だから、意識的に、自己への規制を解除し、「自由」を回復する必要がある。「文学」という枠組みは、その「自由」を確保するためのものである。
人間の真実であるならば、正しいか正しくないか、倫理的に良いか悪いかはとりあえず括弧に括り、それそのものとして受け止める(努力を行う)。おそらくは、それが文学の態度だ。
この前提があることによって、初めて言葉になるはずのものもあるはずだ。
埋められてしまう「声なき声」を聴け
そもそも、なぜ「人間の真実」に拘るのか。
もちろん、これは反時代的なことだ。しかし、反時代に徹することで獲得できる批評性というものもあるはずである。「文学は人間の真実を描くものである」と、20歳の自分に言ったら、多分鼻で笑っただろう。
しかし、今は違う。そのような陳腐な定義が、有効性を持ちうる状況に変わってしまった以上、「人間の真実」の置かれた意味合いも変わるのだ。
現在は、リアルが無視される状況、現実や事実が隠される状況である。言論統制、検閲だけではない。空気や善意、あるいは、異物を排除したいという心理・無意識・感性であったり、政治的な正しさであったりする。
「人間の真実」を描くという標語は、この時代の状況から距離を取るために設定される。
どんな理由であれ、覆い隠され、埋められてしまう「声なき声」が叫び出したいのなら、叫ぶべきであろう。世の中に出なければならない言葉、公共化されなければならない言葉は、そうされなければならない。
複雑な感情があったはずなのだ。
矛盾・葛藤する思考があったはずなのだ。
文学、あるいは、もっと一般に芸術は、矛盾や葛藤をそのまま提示していい。生きている人間が、矛盾や葛藤を抱えているというのは、当たり前のことだからだ。
それは、一般論的な理解を超える過剰である。過剰ではあるが、しかし、人は生きなければならない。生きなければならない以上、どんな間違った選択や矛盾であれ、抱え込まざるを得ない。そのような生を強いられる環境に生きることとはどういうことなのか、ぼくは正確なことを知りたい。単純な理解や想像からは零れ落ちるそれらに触れたいのだ。
そうしなければ、東日本大震災についても、その後の状況についても、理解はできないままで居続けるのだろう、という危機感がある。
文学とは、ある個人の内面や思考・感情を通じて、「世界をどう見ているのか」を知るための、数少ないツールである。思考・感情の流れを知るためには最適のメディアであるのかもしれない。
東日本大震災と、その後の世界を、ある個人が、どのように生きたのか。そこには、ぼくの知り得ない細部、ぼくの触れ得ない事実、想像もつかないような感情、及びも付かないような思考があるはずである。言葉としてそれを発してもらえれば、ぼくはそれを読み、読解行為を通じて、その内面や感情、世界の観方そのものをほんの少しなりとも理解することができる。
なぜそれを欲するのか? おそらく、人間は、ある物事に対して、自分ひとりだけの視点からの理解では満足できないからだ。無数の個々人の身体を通じて眺められる出来事を、言葉を通じて共有することによって、初めて事態が何であったのかをうすぼんやりとであれ、理解できるようになる性質を持っている生き物なのだ。
東日本大震災とその後の原発災害や、情報環境の問題などは、経験の仕方がよくわからない。未知な現象の部分があるからであるし、あまりにも巨大で複雑な出来事であるからである。
咀嚼できない「事実性」の次元を欠いた現在の文学
巨大で複雑で、容易に理解を拒むような「現実」の断片を、ぼくは伝え聞いて知っている。震災直後、妹はいわき市で働いていた。福島県の立ち入り禁止区域近くにルーツがある友人から話を聞く機会も得た。津波が襲った地域での争いや諍いも聞いた。ドキュメンタリーを観ていて、津波で多くの人命や生活を奪われた漁師が、それでもすごくうれしそうに海に飛び込む瞬間を見た。
咀嚼できない「事実性」の次元にあるこれらが、言説空間に、少なくとも、「文学」としての言葉に載ってこないのは、なにがしかの問題が生じているのではないか。
言葉が現実を表象するという機能になにがしかの異変が起こっているか、もしくは、旧来からある問題が露呈しているとしか思えない。
言葉が現実を描けないのか。現実が言葉にならないのか。
どちらにしても、ぼくはこの「乖離」を眺め続けることに耐えられなくなってきている。このままでは言葉は空疎に上っ面を撫でていくだけのものになってしまう、少なくともぼくにとってはそのようなものにしか見えなくなってしまう。
このプロジェクトは、些か抽象的に言えば、「言葉」と「現実」の関係を再構築する試み、としての側面をも持つ。それは「言葉」と「現実」がますます対応しなくなり、そのことが実際の「政治的な」問題を引き起こしている現在においては、抽象的な見かけをしているとしても、具体的かつ直接的な有効性・有用性を持ちうるものであるとぼくは信じる。
「言葉」と「現実」と「人間」の関係性を新しく再編成しなおし、「言葉」が、ある固有で特異な個人の生の現場を、他者に繋ぐ通路として存在していることの意味を再確認する。
このような基本的な部分を丁寧に問うことは、人間と人間、他者と他者の集合である共同体や社会の在り方の未来を問うことにもなりうる。
一見無力で、遠回りに見える、か細い声のような営みであるからこそできる、人類への寄与というものを、文学の名において、期待してもいいはずである。
企投=プロジェクトとは、未知の、まだ存在していない未来に向かって自らを投げ出すことでもある。ぼくは、このような漠然とした予感と、期待によって、このプロジェクトが齎す未来に賭けて、身を投げ出してみることにしたい。そのことによって、真に重要な何かがこの世に生み出されることを、信じて、楽しみにしている。
執筆者紹介
- 1983年、札幌生まれ。批評家。二松学舎大学、和光大学非常勤講師。早稲田大学第一文学部卒業。東京工業大学社会理工学研究科価値システム専攻修了。博士(学術)。著書に『虚構内存在』『シン・ゴジラ論』(作品社)『新世紀ゾンビ論』(筑摩書房)、編著に『東日本大震災後文学論』(南雲堂)、『地域アート 美学/制度/日本』(堀之内出版)『3・11の未来 日本・SF・創造力』(作品社)など。