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いま「翻訳出版の危機」はどこにあるか?

9月24日、「翻訳出版の危機」というただならぬ見出しに、慌てて読んでみたコラム。未来社社長の西谷能英氏が「出版文化再生」と題したブログで書いたもので、「未来」2016年秋号に「出版文化再生26」として掲載予定だという。

折しもこの時期、再出発を狙ったという「東京国際ブックフェア」が開催されていた。だが今年は完全に「一般消費者向け」のイベント化しており、翻訳権売買に関わる者としては完全に締め出されたような思いもあった。なので、このブログ記事もブックフェアのあり方を問う内容かと思ったら…。そこにはこんなことが書いてあったので、かなり驚いたのだった。

ここ最近のことだが、人文系専門書の翻訳出版において、原書にはない訳者解説、訳者あとがきなどの収録にたいして原出版社側ないし原著作権者側から(あらかじめ版権契約の段階で)厳しい制約が課されるようになってきたことであり、そうした文書を付加する場合には事前にその内容、分量、そうした文書を付加する理由書を原出版社に提示し、著作権者の許諾を得なければならず、しかも通常はよほどのことがなければ、承諾を得られないだろうというのである。かれらからすれば、日本語で書かれたその種の文書はそもそも判読が困難であり、場合によっては原書の内容を損なうものになりかねない、というのがその理由のようである。(西谷能英「出版再生」ブログ、「「翻訳出版の危機」より)

以前から日本国内での紙書籍・雑誌の売り上げ低迷にいちいち文化論を振りかざし、「本が死ぬ」だの「出版の危機」だのと煽る「文化人」の方々の論調には辟易しているのだが、西谷氏のブログ記事からも、かなり一方的で短絡的な議論であるような印象を受けた。もちろん私個人の視点はどうしても欧米の出版社の立場に寄り添ったものになりがちなのは重々承知で、もう少し掘り下げてこの問題を考えてみたい。

未来社社長の西谷能英氏が、「翻訳出版の危機」と題して公開したブログ記事。PR誌「未来」2016年秋号にも掲載の予定という。

国際市場における日本の存在感の低下

欧米諸国の出版社にとって、とくに人文系翻訳書の分野において、長らく日本の出版社は優良なクライアントであり続けてきた。明治維新後、あらゆる知識を国外から取り入れようと、貪欲に翻訳出版に尽力してきた出版関係の先駆者に対し、感謝と賛辞を惜しむ気は毛頭ない。加えて、日本の高い識字率、勤勉さ、律儀さといった美質を欧米の出版社が評価してこなかったとは思えない。

日本では翻訳者が単なる言語のプロに留まらず、その本の専門分野の権威ある学者である場合も多く、訳者によるあとがきや解説が、翻訳書の売れ行きを左右する重要な要素となっていることは否めない。だが残念なことに、この20年間に渡る経済的低迷によって、優良クライアントとしての日本の座は揺らいでいる。人文書の分野に限らず、翻訳書の刊行点数が減り、初版部数が減り、翻訳者の印税率が減り、このビジネスに関わる誰もが辛い状況に立たされていることは想像に難くない。

その間、日本に代わって台頭してきたアジアの翻訳権輸入国の代表といえば、もちろん中国と韓国だ。どちらも政府が全面的に出版事業をバックアップして、有益と思える翻訳書の版権を買い漁り、あらゆる分野で次々と本を刊行している。私が5〜10年前に「ブックスカウト」(海外の著書の中から日本市場でも売れそうなものを早い時期に探し出す仕事)をしていた頃でさえ、両国の翻訳出版への貪欲さには驚かされたものだ。

中国では本の平均単価が日本の10分の1だし、韓国は人口が日本の半分しかないにも関わらず、この二つの国が欧米の出版社からの翻訳書に提示してくるアドバンス(印税の前払い金、どれだけその本の権利を欲しているか、コミットしているかを示す)額は、日本のそれを上回ることも多かった。日本の出版社から刊行される本に対しても、最近はめぼしいタイトルについては必ずと言っていいほど、韓国、台湾、中国から翻訳出版のオファーがある。日本の人文系出版社も、少なからずその恩恵を受けているはずだ。

欧米出版社が強硬な態度をとる理由

ただしこの両国の一部の出版社は、自国の威信高揚のために都合の悪い部分を捻じ曲げるという、歴史修正主義ともいうべきマイナスの側面をも抱えている。日本のように長い時間をかけて翻訳文化を築いてきた歴史を持たず、自由な出版が許されるようになってからの歳月が浅いため、その綻びがこうしたところに表れていると言えるかもしれない。

具体例を挙げよう。いちばん広く知られた一般書の案件でいえば、2003年にサイモン&シュスターから刊行されたヒラリー・クリントンの自伝、「Living History」(日本語版は『リビング・ヒストリー』早川書房、2004)が中国でもベストセラーとなったことがあった。日本を始めとするアジア各国に外遊し、対中関係をはじめアジアを重視する「Pivot to Asia」と呼ばれたオバマ政権の姿勢をハッキリさせた、国務長官としての彼女の初仕事を覚えている人も多いだろう。その頃の心情なども赤裸々に綴られ、外交の舞台裏やアメリカの外交政策の内情も知ることのできる秀逸なノンフィクションだった。

ところがこの本の中国語版には、大きな問題があった。1989年の天安門事件に関する記述や、獄中で20年近くも強制労働をさせられた後、アメリカ市民権を獲得し、今年4月に亡くなった中国出身の公民権活動家、ハリー・ウー(呉弘達)に言及した約10箇所が、削除されたり、変えられたりしていたことがのちに明るみに出たのである。

中国語版を刊行した訳林出版社は、「より多くの読者を獲得するために、ごく一部を、表面的に変更した」、「(海賊版の氾濫を防ぐため)急いで刊行したので、事前に変更を伝えられなかった」と釈明した。さすがにこれには、当のクリントン国務長官も驚きを隠せず、「落胆した」とコメントを出した。版元サイモン&シュスターは中国側の出版社である訳林出版社に、これが「契約違反」であることを伝え、削除された部分をウェブで読めるよう、英語と中国語でアップロードする事態に発展した(現在は非公開)。

韓国でも昨年、ノーベル経済学賞受賞者のアンガス・ディートン米プリンストン大学教授の著書「The Great Escape」(日本語訳は『大脱出:健康、お金、格差の起原』)の韓国語版に、勝手に原文が変えられたり、削除されている箇所があるとして、翻訳書の版元であるハンギョンPB社が、原著の出版社から販売中止と再出版を要求される事件があった。この本の韓国語版では、著者の序文部分も勝手に短くされており、翻訳監修を担当した自由経済院の院長が書いたものに差し替えられていたという。

こうした背景があるために、欧米の出版社にしてみれば、送られてきた翻訳書の見本を見たら、原著より大幅に本文が短かかったり、何やらオリジナルにないものが足されていたりするうえに、その内容がまったく理解できない状態というのは、きわめて大きな不安材料なのである。

アジア圏の言語への翻訳書のクオリティ・チェックに関しては、これまで欧米の出版社はお手上げ状態だった。チェックをしたくてもできなかったので、やむなく放置してきた部分もあるだろう。しかし、翻訳権を海外の出版社に売る場合、著者が出版社に対しauthor’s best interest(著者にとっての最善を尽くす)義務を課す一文が必ず出版契約書に含まれている。出版社としても、契約外の勝手な削除や加筆を放置することは許されない。

「日本の特殊性」という議論は通用しない

西谷氏の言うような、「近代日本文化形成の特殊性」を振りかざした「日本だけは特別」という議論は通じないどころか、日本の出版物だけを特例扱いすれば、それは他のアジア諸国に対する差別とみなされかねない。もし、日本の出版社がこれまでと同じように、訳者による解説やあとがきを加えたかたちで翻訳書を作りたいのであれば、「こういう内容の文章を付け加えたいのだ」と、原著の版元に堂々と主張すればいいだけの話である。彼らが求めているのは「説明責任」なのであって、日本の出版慣習を変えろと一方的に要求しているわけではない。

もし、そうした「説明」ができないとしたら、それは外国語から日本語への一方的な翻訳だけに力を注ぎ、日本の出版のあり方や、それを出版文化と呼ぶだけの根拠を示してこなかった、日本の出版社の落ち度だろう。結局のところ、いままでは「お目こぼし」で許されていたことが、出版におけるグローバル化の進展によって、もはや許されなくなっただけのことなのだ。欧米の出版社がこれまで以上にアジア圏への翻訳に関心を持ち、その内容を理解しようとするからこその措置なのである。

西谷氏は、

また出版の条件として、刊行間際にならないと提出しづらい本文訳文や装幀プランの提出、付加文書の内容説明ないしその訳文提出も課され、それらの点検をするために二週間から一か月ぐらいの待機時間を必要とするとなると、出版社も刊行予定が立てにくくなってしまい、そこまでするのなら面倒な翻訳書出版を断念してしまう方向に傾いてしまいかねない。(同前)

とも書いているが、その程度のことで断念してしまうのだとしたら、なんとも情けない。それよりも、もし、本当に訳者あとがきや解説が翻訳版に付けられない事態が起こっているのなら、副読本や、電子書籍を利用してそれらを補足するのはどうだろうか? 人文書の読者の中には、本文は原書で読み、解説だけを別途に入手したい者もいるだろう。こうすれば、訳者による解説を先に読んで、本文は原語のまま読むか、翻訳版を待つかを判断することもできる。

訳者解説のようなものは思い切って電子化し、オンデマンドで印刷もできる環境を整えれば、原書の版元も納得するにちがいない。それさえもできないほど旧態依然としたままでは、翻訳出版が停滞するのも当たり前である。人文系出版社の奮起を期待したい。

執筆者紹介

大原ケイ
文芸エージェント。講談社アメリカやランダムハウス講談社を経て独立し、ニューヨークでLingual Literary Agencyとして日本の著者・著作を海外に広めるべく活動。アメリカ出版界の裏事情や電子書籍の動向を個人ブログ「本とマンハッタン Books and the City」などで継続的にレポートしている。著書 『ルポ 電子書籍大国アメリカ』(アスキー新書)、共著『世界の夢の本屋さん』(エクスナレッジ)、『コルクを抜く』(ボイジャー、電子書籍のみ)、『日本の作家よ、世界に羽ばたけ!』(ボイジャー、小冊子と電子書籍)、共訳書にクレイグ・モド『ぼくらの時代の本』(ボイジャー)がある。
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