サイトアイコン マガジン航[kɔː]

電子書籍時代の文学賞:星新一賞顛末記

昨年、星新一賞という短編SFを対象とした文学賞が創設された。私は「KIT (Kid Is Toy)」という作品を応募し、入選したが、作品は公開されることなく、結局は自分でKindle Direct Publishingを使って出版をすることにした。

これはなかなか嬉し悲しい体験だった。嬉しいというのはもちろん、私の大好きな作家の一人である星新一の名を冠した賞を受賞したということ。グランプリ、準グランプリ、優秀賞といったより上位の賞もあったが、それでもこれまで長く小説を書いてきてはじめて獲得した賞だったので、喜びはひとしおだった。

入選はしたけれど

執筆中から、作品の出来栄えには満足していた。学生時代は同人誌などに精を出した私も、就職して結婚して子供が生まれ、なかなか昔のように小説を書く時間もない……というありがちな経緯を辿っていた。そこで与えられた「上限一万字の短編SF」という星新一賞の手頃なお題は、小説を書く楽しみを再発見する良い機会であった。題材は自然と子育てになり、子供のかわりにロボットを育てる超少子化社会というディストピアものが出来上がった。

一方、入選に喜びつつ、その作品がどこにも公開されないというのは、ストレスフルな状況だった。作品を応募したのは締切直前の十月末。三月に入選が伝えられて授賞式に参加したものの、その時点で明らかになっていたのは、グランプリ、準グランプリ、優秀賞といったより上位の受賞作が、主催の日本経済新聞社から無料の電子書籍として出版されるということだけであった。

いただいた賞状とホシヅルのキーホルダーを手に、その時点ではまだ呑気にも、作品は電子書籍に収録されるのか、そのうち日経本紙に掲載されたりするのか、まとまって紙の本になるのか、などと思っていた。しかし三月末に上位の受賞作だけを収録した電子書籍が出版され、あれこれあって入選作は結局は表に出ることなく手元に戻ってきた。6月27日のことであった。

いつだって出版はできる

「KIT (Kid Is Toy)」はロボットを育てる社会を様々な視点で各四百字以内で描き、その超短編を束ねるという構成であった。応募した段階では二十五人による視点で描かれており、全体で400×25の一万字という計算である。これは短編とはいえ一万字の作品を一続きに書く気力がなかったこと、星新一賞であるからにはできる限り切り詰めた超短編にしたいと思う反面、一万字という与えられた制約は目一杯使ってみたいと考えたことが理由である。

しかし応募後、あるいは受賞後も、ロボットを育てるというテーマに取り憑かれていた私は、ずっと作品を書き足していた。超短編の数は36まで増え、全体では一万五千字に近付いていた。作品が出版されることなく、自分の思い通りに使えるようになったことを確認すると、私は応募した一万字の「オリジナル版」をTumblrにCreative Commons By 2.0として公開し、増補した「完全版」をKindle Direct Publishingから100円で販売することにした。

以前にもKindle Direct Publishingで小説を出版したことがあったので、作業は簡単であった。表紙画像を作って、自作の変換スクリプトでテキストファイルからmobiファイルを作るだけ。「オリジナル版」をTumblrにアップロードしたせいで、「完全版」がネットにある作品のコピーと見なされるトラブルはあったが、それでも6月30日には発売にこぎつけた。原稿が手元に戻ってきて、4日目であった。

プラットフォーム、タイムリーさ、キュレーション

以上の貴重な経験から、私は三つの教訓を得た。一つめは文学賞はプラットフォームとして整備される必要があること。作家側の立場から言えば、作品をどこかに応募するときは、どこに掲載される可能性があるのかをちゃんと認識しておくこと。私は無邪気にもなにか受賞すれば、人の目につくようなところに、例えば日経本紙やウェブサイトに、掲載されると思いこんでいたが、実際はそうではなかった。同人誌活動に頼るしかなかった時代と異なり、今では誰でも作品をオンラインに掲載し、販売までできる時代である。作品を埋もれさせるために、わざわざどこかへ応募する必要はない。

もっとも、この問題は星新一賞自体が認識しているようで、現在作品を募集している第二回の要項では、入選という賞がなくなり、また受賞作は第一回同様に電子書籍として日経ストアで無料配布されることが明記されている。日経ストアがお世辞にも使いやすいプラットフォームではないことを鑑みると、このことを当初から知っていれば私は応募しなかっただろう。

二つめの教訓は、タイムリーさ。作品は鮮度が命であるとは、文学に限らずよく言われることである。星新一賞が発表され、私の入選も発表されると、大勢の友人知人や、そうでない人までが話題にしてくれた。シェア、いいね、リツイート。あの瞬間に作品がオンラインで誰でも読めるようになっていれば、と私は思う。受賞作の名前が発表され、作品全文は後日公開というのは、多くの文学賞、特に新人賞でよく見られる形式ではあるが、電子書籍として配布するのであれば、それでは遅すぎる。賞が話題になった瞬間には、作品にアクセスできるようにすべきであり、そのアクセス手段は限りなく簡単なものでなければならない。

もしかすると、今後の文学賞は受賞発表だけで良いのかもしれない。編集や出版は著者任せで、ただ発表まで出版しないことだけがルール。いや、それよりも求められているのは、山のよう出版されている電子書籍に後から光を当てるような文学賞だろうか。

三つめの教訓は、文学賞とは山のような作品から一部だけを選ぶという行為であり、流行りの言葉でいえばキュレーションなのだということ。であれば、キュレーターの意図というのがなによりも重要になってくる。

電子書籍時代の文学賞

星新一賞では、授賞式後の懇親会で審査委員長の新井素子氏が受賞者一人一人に声をかけては作品の講評をしていて、そのことが素晴らしく印象的だった。星新一賞にはジュニア部門もあって、何人かの小中学生が親を連れて新井氏の講評を聞いていたのだが、あれは一生ものの経験だったのではないかと思う。私も講評していただき、内容は「趣味の悪さがとても良いが、様々な人の視点を描いているのに文体にバラエティがない」というものであった。もちろん私にとっても一生ものの経験である。

しかしそれらの講評は、わずかに公式サイトに掲載されているだけで、新井氏の評を横で聞くだけで面白そうに思えたジュニア部門の作品は、グランプリを除いてやはりどこにも公開されていない(あるいは、どこかで中学生が電子出版をしているのかもしれないが)。応募作品は、一次・二次選考の期間、複数の評者から独創性など幾つかの観点で点数付けされていたとのことなので、それならいっそ全ての応募作品が、その点数と講評と共にまとめられていたら面白かったのではないか。

今後どれだけ電子書籍の人気が拡大していくのかは色々な意見があるだろう。しかしKindle Direct Publishingなどのおかげで、作家個人にとって出版のハードルは限りなく低くなった。当然、既存の文学賞も新規の文学賞も、そうした変化に適応していくことになるだろう。応募作をキュレーションして、タイムリーに公開できるプラットフォームとなる文学賞は、今後生まれてくるのだろうか。

もしかすると、アマゾンがKindle Direct Publishing作品からキンドル賞を発表する日が来るのかもしれない。たとえば、受賞作はKindle端末にプリインストールとなれば、応募するほうにはとても魅力的ではないだろうか? 受賞作が読めるのはKindleだけ。そのとき、既存の文学賞はどう対抗するのだろうか。

キッドイズトイ(完全版)
http://www.amazon.co.jp/dp/B00L7ZAC7S/

キッドイズトイ(オリジナル版)
http://youkoseki.tumblr.com/post/90342403360/kit

■関連記事
わが「キンドル作家」デビュー実践記
Kindle Direct Publishing体験記
アプリになったおかあさん

モバイルバージョンを終了