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せんだい発の文化批評誌『S-meme』

東日本大震災から3年が過ぎ、TVを中心としたメディアでも震災のことが取り上げられる機会は少なくなってきました。また、東京、福島、そして東北の沿岸部とそれ以外の地域では、震災をめぐるニュースへの関心にそれぞれ温度差があるような気がしています。

しかし、文学という切り口で震災を見てみると、2013年からだんだんと震災をテーマとした作品が書店に並ぶようになってきました。今年の3月1日には、せんだいメディアテークで「在仙編集者による震災トークライブ」という催しも行われています。このイベントの模様と、私自身も受講生として参加した、せんだいスクール・オブ・デザインの文化批評誌『S-meme(エスミーム)』での「震災後文学」特集の取り組みについてご紹介します。

「震災後文学」をめぐる特集号

「せんだいスクール・オブ・デザイン」『S-meme』と「震災後文学」とは?

せんだいスクール・オブ・デザイン(SSD)とは、東北大学大学院工学研究科都市・建築学専攻と仙台市が連携し、文部科学省が運用する「社会システム改革と研究開発の一体的推進」のプログラム「地域再生人材創出拠点の形成」の一環として開講されたものです。受講生は地域の社会人と建築デザインの大学院生で、半期ごとにメディア軸、社会軸、環境軸、コミュニケーション軸という四つのスタジオのなかから一つを選び、実践的なプロジェクトを進めながらデザイン教育を行う、という趣旨のもので、2014年の春学期まで開講されます。(詳しくはこちら http://sendaischoolofdesign.jp/

そのなかで、メディア軸は東北大学大学院都市・建築学専攻教授の五十嵐太郎がスタジオマスターとなり、「ウェブの時代に紙メディアに何が可能か?」を問いながら、アバンギャルドな装丁を特徴とした『S-meme』という仙台の文化批評誌を刊行することを目的としています。これまでに6号を数え、震災後は文化被災からはじまり、ショッピング、現代美術、そして演劇/ライブを特集してきました。

『S-meme』7号「仙台:文学と映画の想像力」〜特集:震災後文学

7号となる今回は非常勤講師として、仙台を拠点に出版活動を行う「荒蝦夷」代表の土方正志氏と、編集者・文芸評論家で、この「マガジン航」の編集人でもある仲俣暁生氏をお呼びし、「仙台:文学と映画の想像力」と称して、仙台の文学と映画について特集を行いました。その文学面で大きなテーマとなったのが、「震災後文学」です。

「震災後文学」とは、3.11以後に書かれた、特に東日本大震災の影響を受けたと読める現代小説のことを指します。災害の記憶や倫理性の問題がまだ色濃く残るなかで、被災地にほど近い、仙台という場所から震災後の文学について考えてみるのがこの企画の趣旨です。まずはじめに受講生各自が15の「震災後文学」を取り上げ、書評を執筆しました(「」は各書評の題名)。

・「聞き過ごしてきた警告音」
黒川創『いつか、この世界で起こっていたこと』、新潮社

・「誰かのためでなく自分のための」
古川日出男『馬たちよ、それでも光は無垢で』、新潮社

・「リアルタイムに挿入された震災の傷跡」
佐伯一麦『還れぬ家』、新潮社

・「状況に割かれた物語は現実を夢見るか」
川上弘美『神様2011』、講談社

・「不謹慎を隠れ蓑に戦後の問題を愛と共に叫ぶ」
高橋源一郎『恋する原発』、講談社

・「救われる人々と報われない犬」
三浦明博『五郎丸の生涯』、講談社

・「いま踊っているダンスを踊り続けていく」
伊坂幸太郎『仙台ぐらし』、荒蝦夷

・「想像力を向こう側まではたらかせてみる」
いとうせいこう『想像ラジオ』、河出書房新社

・「震災が表れない震災後文学」
いとうせいこう『存在しない小説』、講談社

・「小さい存在の両義性、大きい存在の普遍性」
瀬名秀明『月と太陽』、講談社

・「日常に起こった小さな変化」
橋本治『初夏の色』、新潮社

・「光る山から私たちに投げかけてくるもの」
玄侑宗久『光の山』、新潮社

・「誰がために光は降る」
熊谷達也『光降る丘』、KADOKAWA

・「繰り返せ、貞山堀の歴史」
佐伯一麦『旅随筆集 麦の冒険』、荒蝦夷

・「分かり得ない気持ち」
絲山秋子『忘れられたワルツ』、新潮社

そして、これらの作品のなかからSSDのメディア軸受講生が審査員となって、震災後文学賞を決めました。文学者でも小説家でもない、たまたま仙台に集まった受講生が、それぞれの震災体験について語るとともに議論を行い、賞を決めること自体に価値があるのでは、と考え行った企画です。

議論の結果、玄侑宗久『光の山』に震災後文学賞を送ることに決定しました。最終的な議論の俎上に挙がった5作品の選評と、その議論の経緯も共に『S-meme』に載せています。

「この作品が持つのは、強力な内側からの視点だ。震災を世界の認識を変えるものとして捉える文学作品が佳作として賞を受ける一方で、もう既に変わってしまった世界に生きる者の肉声が『光の山』だ。東日本大震災はひとつの事象で切り取れるような規模ではなかった意味で、読書体験としてとしての『光の山』は、震災のもたらす様々な面を投げかけてくる。

しかし、表題作「光の山」は、軽い語り口で、放射能が日常化してしまった現実を浄化するお伽話である。他と全く違う文体で、そこまでの話をこの前段として意識してしまうほどの重い印象を残すこの短い物語は、他の人には決して書くことのできない種類のものだ。ブラックジョークのような、ある意味では神憑り的な最後の短編。ここに無常に生きる僧侶としての彼の人生観と、いかに生き抜いていくべきなのかを示唆するところに、この作品が読まれていく意味があるとして、震災文学賞をこの作品に与えた。」(震災後文学賞・選評より)

また、それ以外にも連載中に震災を経験した小説を日記風に追った「連載被災」、「荒蝦夷」代表の土方正志氏によるレクチャー「仙台の文学者とともに」、仙台とオーストラリアのブリスベンという二つの都市を、仙台在住の作家・伊坂幸太郎原作による映画『ゴールデンスランバー』を介して重ね合わせたワークショップ成果「映画の想像力」など、文学と映画をテーマにした様々なコンテンツを収録しています。

表紙は二種類。オモテとウラに本文があり、蛇腹式に折りたためる。

『S-meme』7号は、送料をご負担いただければどなたにも無料で配布しております(冊子の映像はこちら)。応募はこちらのブログ、2月28日のエントリーから。3月31日締め切りです。
http://sendaischoolofdesign.jp/archives/tag/2013autumn_pbl1

在仙編集者による震災トークライブ

『S-meme』7号で特集した「震災後文学」に関連して、「在仙編集者による震災トークライブ」の模様をお伝えします。これは、2月28日から3月2日まで行われた、せんだいメディアテーク/仙台市民図書館による「としょかん・メディアテークフェスティバル―対話の可能性―」の企画のひとつとして、せんだいメディアテーク1階オープンスクエアにて行われました。

在仙編集者とは、上述した荒蝦夷の土方氏と、東北大学出版会の小林直之氏、仙台で『kappo仙台闊歩』などの情報誌を発行するプレスアートの川元茂氏による「仙台オヤジ編集者三人衆」のことです。「東日本大震災を、いま読む」として、彼らの震災体験と震災直後の関連本出版の経緯、そして震災から3年を迎える「仙台」で読みたい震災関連本30冊についての静かな、しかし熱い思いのこもったトークライブとなりました。

今回で15回目を数えるトークライブは、東日本大震災が起こって以降2000~3000冊にのぼる震災関連本の巨大な本の山の整理を、被災地の編集者がやらないと、ということではじめられたそうです。また、なにを読んだらよいかわからないので、震災関連本を選書してくれないか、という声を仙台市内の書店から受け、50冊を選書したことをきっかけに、「仙台の読者」や「東京の読者」それぞれに向けた選書と、トークライブを続けておられます。3人は慣れた調子でしたが、熱のこもった彼らのプレゼンテーションには実際に読んでみたい、と思わせる力があり、私も現に数冊購入してしまいました。

会場となったせんだいメディアテーク。

右手から順に、土方正志氏、川元茂氏、小林直之氏。

震災関連本30冊

トークライブではここに書ききれないほどのたくさんのトピックがありました。何冊かの本に絞って、その選評の内容をお伝えします(以下はその書目リスト。選評からの引用は、お三方の発言をまとめたものです)。

【文学】
1 熊谷達也『調律師』(文藝春秋)
2 佐伯一麦『還れぬ家』(新潮社)
3 玄侑宗久『光の山』(新潮社)
4 和合亮一『廃炉詩篇』(思潮社)
5 いとうせいこう『想像ラジオ』(河出書房新社)
6 池澤夏樹『双頭の船』(新潮社)
7 大江健三郎『晩年様式集 イン・レイト・スタイル』(講談社)
8 津村節子『三陸の海』(講談社)
9 西村寿行『蒼茫の大地、滅ぶ』(荒蝦夷)
10 ミカエル・フェリエ『フクシマ・ノート 忘れない、災禍の物語』(新評論)
11 エイミー・ウォルドマン『サブミッション』(岩波書店)
12 ジェス・ウォルター『ザ・ゼロ』(岩波書店)

【漫画】
13 いがらしみきお『I【アイ】第3集』(小学館)

【ドキュメンタリー】
14 杉山隆男『兵士は起つ 自衛隊史上最大の作戦』(新潮社)
15 朝日新聞特別報道部『プロメテウスの罠5 福島原発事故、渾身の調査報道』(学研パプリッシング)
16 寺島英弥『東日本大震災 希望の種をまく人々』(明石書店)
17 IBC岩手放送『未来へ伝える私の3・11 語り継ぐ震災 声の記録①②』(竹書房)
18 福島民報社編集局『福島と原発 誘致から大震災への五十年』(早稲田大学出版部)
19 丹羽美之・藤田真文編『メディアが震えた テレビ・ラジオと東日本大震災』(東京大学出版会)

【地震・震災論】
20 福嶋亮大『復興文化論 日本的創造の系譜』(青土社)
21 山下祐介『東北発の震災論 周辺から広域システムを考える』(ちくま新書)
22 赤坂憲雄『北のはやり歌』(筑摩選書)
23 濱田武士『漁業と震災』(みすず書房)
24 平山洋介・斎藤浩『住まいを再生する 東北復興の政策・制度論』(岩波書店)
25 金森博雄『巨大地震の科学と防災』(朝日選書)
26 須藤文音(文)・下河原幸恵(絵)『地震のはなしを聞きに行く 父はなぜ死んだのか』(偕成社)

【原発・放射能】
27 本間龍『原発広告』(亜紀書房)
28 ハッピー『福島第一原発収束作業日記 3・11からの700日』(河出書房新社)
29 一ノ瀬正樹『放射能問題に立ち向かう哲学』(筑摩選書)
30 鈴木康弘『原発と活断層「想定外」は許されない』(岩波科学ライブラリー)

【選評より】

・2 佐伯一麦『還れぬ家』
父の介護が小説の中心であるが、連載中に東日本大震災を経験したため、物語が終盤に差し掛かるころに傷跡、断層が見られる。「連載小説を書いていながら書ききれず、それは作家としての敗北」と作者は語ったそうだ。しかし、書き続けた作品がある段階で崩壊し違う作品となってしまうこと、それ自体が被災三県の読者は共感できるのではないか。関連して〈8 津村節子『三陸の海』〉は、『三陸海岸大津波』を書いた夫、吉村昭とともに親しんだ野田村がどのように変わったかを綴ったエッセイであるが、本としての構成、構造も乱れ、作品としては判断は難しい。しかしそうであっても書かざるをえなかった作者自身の心のゆらぎが、その衝撃が文章に表出している。そういった点を被災三県では読むことが可能ではないだろうか。

・5 いとうせいこう『想像ラジオ』
死者の声を想像する、文学だからこそ生まれた作品。これは、彼が震災直後にtwitter上で文字のラジオをしていたこと、そして沿岸部に木に引っかかってしまった遺体、それらのエピソードをつなげて生まれた。2013年の11月、作者の希望で東北学院大学でのトークイベントが開かれたが、作品が生まれた経緯もあり、読める人と読めない人がいることを作者自身も非常にセンシティブになっていることを知った。しかし、関連して、釜石高校の高校教師、照井翠による句集『龍宮』のなかにも、「あえるなら たましいにでも なりたしを」(ライブ中の口述のため不詳)という句がある。それ以外にも、震災以前から「みちのく怪談コンテスト」をおこなう荒蝦夷では、被災地の不思議な話が震災以後、多数寄せられている。やはり会いたい、という気持ちには普遍的なものがあり、そこに答えている文学作品として『想像ラジオ』があるのではないだろうか。生き残ったものとして汲み取れない一線を超えて、亡くなった方たちの思いを聴くことのできる文学作品。

・22 赤坂憲雄『北のはやり歌』
東北を舞台にした歌謡曲を読み解きながら、東北とはどのような場所として歌にうたわれているのかを考える。例えば、吉幾三の『おら東京さ行くだ』は非常に痛快。「東京に出る」と言い、「住む」とは言わない吉幾三は東京をカネを稼ぐ場所としてのみ見ており、決して村を捨てていない”あざとさ”がある。そういった精神は東北にありがち。東北へのエールのようにも取れる。関連して〈佐々木幹郎『瓦礫の下から唄が聴こえる』〉。津波の第一波が止み、家にしがみつき助かった女性が高台をめざしていくが、その途中で瓦礫に下敷きになった人々から「助けてくれ!」という声が。しかし自分の命がどうなるかの状況で助けることはできない。しかし、その途中で、歌が聴こえたという。おじいさんが歌っており、そのときはまだ命があったのか、「八戸小唄」を歌っていた。その瓦礫の下から聴こえた歌が忘れられない、という。歌から震災を読んでみる、というのもおもしろいのではないだろうか。

・26 須藤文音(文)・下河原幸恵(絵)『地震のはなしを聞きに行く』
児童向け。しかし一家に一冊は薦める書籍。漫画と絵と文章で構成。気仙沼で父を亡くされた作者が、その父がなぜ死んだのか、ということを地震、津波防災など、様々な専門家に実際に聞きに行く。東北大学の地震学者、松田先生をはじめとして専門家が、とてもわかりやすく地震のメカニズム、防災を語っている。東京大学の地震学者、纐纈先生が震災直後、「科学を信じて、防災について話をし、ハザードマップをつくり安全な場所を知らせてきたにも関わらず、科学が背景にある避難所が流されてしまった例もあった。科学を信じてくれたそうした方々の命を救うことが出来なかった」と言って泣かれていたことを思い出した。真摯な学者の声を聞き集めて改めて本をつくった、ということでとても価値がある。この本は荒蝦夷が編集を行った書籍で、作者とともに東日本大震災の海底地割れの映像を見ていた際の、「これで私の父は亡くなってしまったのですね」という言葉から。科学的なデータと、父が亡くなったという現実をつなげて見せなければ伝わらない、ということ。科学的なデータは、人の命を救うためにある。

・29 一ノ瀬正樹『放射能問題に立ち向かう哲学』
「放射能問題の不寝番が、哲学の世界からやっと出てきた、勇気を持って書いたものだ」と鷲田清一が書評を書いている。賛否両論がある論考。言葉だけ取り出せば非常にドライだが、「放射能問題とは程度の問題」だという。恐れるべきこととは、そして恐れなくても良いこととは一体何なのか。印象に残る理由は、この論考が非常に苦労して書かれたことがわかること。放射能に対してどうしたらいいのかわからない、という仙台の私たちの気持ちと、作者の気持ちが非常に近いところにあるのではないか、と思われる。読後感は、とても満足感がある。賛否両論に負けず、読んで欲しい。

トークの最初と最後で強調されていたのは、この選書はあくまで「仙台の読者」に向けたものだということでした。福島であれば、もっと原発、放射能関連の書籍が求められるだろうし、東京ではより被災地の現状を伝えるものを多く選書するだろう。イベント日の2週間後には水戸でもトークがあり、茨城という、被災三県からは見えづらいもう一つの被災地ではどういった書籍が求められているのか、これらを比較するとより刺激的になるのでは、という可能性についても話されました。

3年目の3月11日を迎えるに当たり、メディアでは“風化”という言葉も使われ始めていることに触れ、さいごに結びとして震災本を読み続けていくことの重要性を語り、トークライブは終了しました。

「読み続けることが重要ではないだろうか。5年、10年と、震災本が売れていけば書店もおいてくれて、良い本もたくさん出してくれる。その流れを止めないことが、震災の記憶を絶やさないことに繋がるのではないだろうか。震災本を読むだけでいい。震災本を読むことを自分にしか出来ない復興のひとつとして考えてみてはいかがだろうか。」

『S-meme』7号の刊行記念イベントを東京で開催

『S-meme』7号「 仙台文学・映画の想像力」の刊行記念として、東京・下北沢の本屋「B&B」にて、『S-meme』7号の紹介と、この号で取り組んだ「震災後文学」のテーマについて議論するトークイベントをこのたび実施することになりました。

このイベントでは「震災後文学」の対象として取り上げられた『いつか、この世界で起こっていたこと』の著者である黒川創氏をお招きし、メディア軸担当教員の五十嵐太郎、2013年度秋学期非常勤講師の仲俣暁生、せんだいスクール・オブ・デザイン受講生とともに「震災後文学」について議論を深めます。お近くにお寄りの方はぜひお越しください。

開催概要
日時:3月30日(日)15:00-17:00
会場:本屋B&B(東京都世田谷区北沢2-12-4 第2マツヤビル2F)
入場料:1500円+1ドリンクオーダー
http://bookandbeer.com/blog/event/20140330_a_ssd/
出演:黒川創(作家)、
五十嵐太郎(東北大学大学院工学研究科教授、建築史/建築批評家)
、仲俣暁生(編集者・文芸評論家)、
せんだいスクール・オブ・デザイン受講生

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執筆者紹介

佐々木 暢
(せんだいスクール・オブ・デザイン受講生)
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