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トルタルのつくりかた

トルタルは2012年4月1日に創刊した雑誌スタイルの電書(電子書籍)プロジェクトです。これまで、のべ70名超のメンバーによって6タイトルの電書を無料リリースしてきました。この雑誌が何なのか。2013年3月時点でのぼくらのことを、ちょっとだけ説明してみます。

もともと電子雑誌です

トルタル編集人であるぼくの本業はライターです。18年くらい紙メディア(書籍、雑誌、ムック、パンフなど)に文章を書いてきました。電書に関わるようになったのは2010年初頭からです。仕事ではなく、好奇心から、友だち数人と英語の電書を一冊でっち上げ、アメリカのアマゾンから出版したのです。「パブリッシュ」というボタンひとつで世界100カ国以上に配れることに衝撃を受けました。

これまで数十冊以上書籍制作に関わってきたのとは、別種のおもしろさでした。もっとカジュアルで身軽な感じ。つい最近クレイグ・モドさんが『「超小型」出版』という電書を出しましたが、あの本の伝える空気感に近い気がします。感じたのは、ウェブと本が交錯し、作る側にとっての「本」の定義ががらっと変わってしまう可能性です。業界内で仕事をしている者としては怖い部分もあるけれど、それより好奇心がずっと勝っていました。これからはじまる電書は、ただ紙の本を電子化するだけじゃなさそうだ。てか、そんなことで終わらせたらもったいないぞと思ったのです。

それから個人的に電書をつくるようになりました。ひとりでやれば、自分の責任で好きなように扱うことができます。何をやろうが、どこに出そうが、売り上げがどうなろうが自由自在。ぼくにとっての書くことは、仕事だけでなく、「自分の判断で扱える素材を持つ」ことにもなりました。

でも、すべてをやるのは無理でした。最初に気づいたのは表紙です。写真、イラスト、ぼくには致命的なくらいセンスがない。一度自作してみたのだけど、まったく気に入らなかった。2010年暮れにブックアプリを出した際には、友だちに表紙を作ってもらいました。やっぱり、誰かの手は借りないといけないのだなあと思ったのでした。

次に気になったのは、文章の長さです。長い文をデジタルで読むには目の疲れにくい電子ペーパー端末が向いています。ところが日本でこれを持っている人は多くありません。当時は今以上に普及していませんでした。ほとんどの読者はスマホかタブレットで読んでいる。当時も今も、メインは小さな液晶画面。これに向かう時間はおおむね断続的です。電車内だったり、コーヒーブレイク、ベッド、トイレなんかで「ふと」「なんとなく」見る。その連続しない時間に合わせた読み物を用意したかった。電書リーダーが劇的に進化するか、電子ペーパー端末が一般的になるまでは、そっちのほうが楽しんでもらえそうだと思ったのです。

液晶向けの文体や構成を考えてみるようになりました。そしてその一方で、短文を集めた本をつくりたいなという気持ちが湧いてきました。イラストも入れたらなお良しだ。

それはたぶん雑誌です。

考えはしたものの、2011年になっても実行には移せませんでした。面倒だったからです。人数が多くなれば、連絡や調整、意見の集約とかが必要になります。きっちりやればフットワークは悪くなる。仕事と変わらなくなってしまう。せっかくの「自分で好きなように扱える素材」の自由度が小さくなるのは困っちゃいます。電書に身軽さを求めていたぼくにとって、それは本末転倒でしかありません。

出版というより音楽レーベルのイメージです

そんなある日フェイスブックで「電書ってバンドみたいだよね」という書き込みを見かけました。書いたのはイラストレーターのマキセヒロシさん。「お、お」と思いました。「当方ボーカル、他パートすべて募集」こんな感じでプロジェクトごとに集まるというイメージが浮かんで、みょうにしっくり来たのです。持ち寄った素材を集めて何かをつくり、それを共有するのもいいかもしれない。連載記事の集合体形式の雑誌なら実現できるんじゃないか。通常の雑誌をつくるイメージより、文化祭直前のバンド結成のほうが電書には相応しい気が来ました。アマチュアバンドのように、本気になりたいとき、ちょっと距離をおきたいとき、そのどちらにも対応できるような場としての電書編集部です。

2011年は電書のことを話しまくった一年でもありました。震災があったからかもしれません。いろいろな人に会いました。本とは無縁なジャンルの方々が電書に強い興味を抱いていることにも気づきました。パソコンでツイッターの画面を開くと、あっちとこっちで同じようなことを考えている人がいる。彼が絵を、彼女が文を、あの人がデザインをして、この子が歌えば、そういえば彼は動画をつくっていたなあ。見通しなんてないのに、むらむらして来ました。

気づいたときには「電子雑誌をつくりたい」とフェイスブックに投稿していました。2012年1月15日の夕方です。そうしたら「やりたい」という人が現れました。勢いで「無料で配布したい」「ギャラを払うメドはないので当面は無償」「メリットは各自で見つけて下さい」「それでもやりたいという方は一緒にやりませんか」とか、矢継ぎ早にコメントしました。ようするに「当方ライター。それ以外のパート全員募集」ということに過ぎません。「デビュー未定。ジャンル未定。経験不問」といっているのと同じです。それでも、投稿の2日後には絵・写真・動画・音楽・文・編集・デザイン・プログラムのできるメンバーがそろっちゃいました。ここに至って、はじめて、引っ込みがつかなくなったことに気づいた。これがトルタル編集部の誕生です。

たまたまその直後「再起動(リブート)せよと雑誌はいう」という本を出されたばかりだった仲俣暁生さんとお酒を飲みました。セックス・ピストルズの初ライブ伝説の話になったのです。彼らはマルコム・マクラレンが経営していたブティックにたむろしていた若造に過ぎません。当然、演奏はボロボロで客もごくわずか。でも、そのときの観客はみな帰宅後バンドを組んだといわれているそうです。おそらく相当誇張された都市伝説だろうけど、これまた「あ、あ」とビールジョッキ片手に思っちゃったのです。それを目指そうと決めました。セックス・ピストルズの拙い初ライブを観た客はきっとこう思ったに違いない。

「楽しそうじゃん。でも、なるほどね。それだったら俺のほうがきっともっと上手くできる」

そう思われるような場をつくること。これをトルタルの編集・運営方針にしました。

ウェブでつくっています

勢いと思いつきで始まったトルタルですが、3ヶ月後の4月1日に創刊号をリリースし、その後も順調に刊行を続けることができています。「100のうち47くらいは試行錯誤」という状況ではありますが、電書作りのほぼすべてをウェブ上でやってしまう独特の制作システムが出来上がりつつあります。

基本となる「編集部」はフェイスブックのグループ機能(非公開)を利用しています。メンバーの所在地はバラバラなので、こことツイッターでやりとりの大半を済ませます。ところが原稿や画像、提案、意見、連絡事項を投稿し始めたら、すぐにワケが分からなくなってしまいました。そこで、他のウェブサービスを併用するようになりました。

文字原稿と進行状況はグーグルドライブで共有します。クラウドストレージですが、かつてグーグルドキュメントという名前だったサービスを統合しているのがポイント。WordやExcel文書をウェブ上に置き、共同編集はできます。ここに原稿をアップし、編集担当者が修正して欲しいところに赤やコメント注記を入れ、原稿を仕上げます。ついでに各連載記事の進行状況一覧もExcel形式で作成し、編集部内でシェアするようになりました。

画像や動画、音楽のデータはSkyDriveというマイクロソフトのクラウドストレージに各自アップしてもらいます。グーグルドライブより少し容量が大きいのと、中身を一覧しやすいのが利点です。連載ごとにフォルダをつくり、完成した原稿もここに放り込めば、最終的に素材倉庫になります。

素材が揃ったら、一冊のデータにまとめる作業が始まります。トルタルの素材は最初からデジタルデータなので、紙媒体の本を電子化するときのような「変換」は必要ありません。プログラマやエンジニア、コーダーといったメンバーが連載ごとに素材にマークアップ(見出しや文章の構造、画像などの配置)をし、Githubというサービスにアップします。これはソフトウェアエンジニアのSNSのようなもので、トルタルのメンバーでもある小嶋智さんが電書フォーマットの1つであるEPUB生成プログラムGepubを公開しています。簡単にいえば、このGepubにマークアップ済原稿を上げれば、電書になって出てくるというわけです。

トルタルではここで試作版をつくり、編集部内で手分けして手持ちのデバイスで表示チェック→バグ指摘→修正→試作版生成→チェックという行程を繰り返します。Gepubは過去の編集履歴・差分がすべて記録されるところも便利です。「どこを直したんだっけ?」というのもすぐ探せるし「この修正やっぱ止めた」といった作業も一発でできる。もちろん同時に複数人が校正・校閲をおこなうこともできます。

チェックと校正は意外に面倒です。様々なスマホやタブレットでつかわれている電書閲覧ソフトの仕様はバラバラなので、「あっちのデバイスではきちんと表示されるのにこっちはダメ」「あっちのバグが修正されたら、今度はこっちがダメになった」ということが頻繁に起こるのです。そこでチェック結果の報告や意見交換をするために、サイボウズLIVEというクラウド型コラボレーションツールも併用するようになりました。

こうした作業を進める一方で、福岡にいる映像作家・石川亮介さんが宣伝用のプロモーション動画をつくります。素材はSkyDriveにアップされているものが使われます。曲は関東に住む音楽家・佐々木宏人さんが制作。この二人のおかげで、毎号オリジナルのYouTube動画ができるのでした。

この制作行程のポイントは3つです。

1つめは、すべてがウェブ上で進行できること。住むエリアは時差以外ほとんど関係ありません。
2つめは、すべて無料のサービスでやれていること。
3つめは、制作の大部分が全員にシェアされていること。その気になれば、メンバーはどの工程にもタッチできます。意外な方向から新しいアイデアが出てくることもよくあります。

この制作スタイルを「CROWDパブリッシング」と名付けてみました。CLOUDサービスをつかった製作者集団(CROWD)による出版という意味。日本語だったら、好きなように動く各自が全体として1つのものをつくる「散開出版」でしょうか。

SNSを中心に無料配布しています

電子雑誌トルタルは無料配布を基本にしています。

おもな理由は3つあって、1つめはできるだけ大勢の人に電書を体験してもらうためです。「電子書籍元年」という掛け声もありますが、まだ圧倒的多数にとって電書は馴染みのないものだと感じています。「読んでやろうかな」と思えるようなものを増やしたいなと思ったのです。2つめの理由は、ぼくら作り手の存在を知ってもらうというプロモーションです。この2つの目的を実現するためには、中途半端な低価格より、登録・課金一切なしの一発ダウンロードがいいと考えました。

3つめの理由は電書の現状にまつわるものです。いま、日本で電書の売上から利益を出すのはカンタンではありません。それなりのダウンロード数が期待できそうなアマゾンのKindle、アップルのiBookストアは、トルタル創刊当時、まだ日本ではスタートしていませんでした。それ以外にも電書ストアはたくさんあります。でも、いずれも既存の出版社経由でないと出せなかったり、動画が収録できなかったり、読めるデバイス・アプリが限られてしまったり、といった制約がついてしまう。そのうえ売上はあまり期待できない。いっそ無料にしてしまえば、こうした制約から自由でいられるのです。

というわけで、トルタルでは既存のストアをつかわない「野良」配信を続けています。基本はURL。トルタルでは完成した電書ファイルをDropboxにアップします。これもクラウドストレージの一種ですが、ほとんどのデバイスからのダウンロードに対応してくれるのが特徴です。このサービスをつかって誰でも共有できるダウンロードリンクを生成。このURLは長いので、次にbitlyという短縮サービスで、短く、覚えやすいものに変換します。こうして出来上がったURLをメンバー全員で共有し、あちこちにコピペ配布するのです。

ちなみに最新のトルタル4号はhttp://bit.ly/torutaru_4です。パソコンのブラウザにこの文字列を入力すればいきなり落ちてきます。(スマホやタブレットの場合は、EPUBの読めるアプリをあらかじめインストールしてください)

このURLは誰がどこに貼っても構いません。メンバー各自のサイトやブログはもちろん、色々なところに貼られています。ちなみに、ぼくは名刺入れにQRコードを貼ってます。

URL配布で活躍するのは、ツイッターやフェイスブックなどのSNSです。ツイートにURLを貼るのです。一応公式サイトはありますが、そこにリンク誘導する必要はないというのが方針です。

ここ数年、ぼくが面白そうな本や曲を知るきっかけの8割以上はSNSでした。信用している誰かが「おもしろいものがあるよ」とつぶやいているの読んで、手に取る。ニュースやブログ記事もツイッターやフェイスブック経由で知る。SNSで流通するデータはとても小さく、すぐに流れ去るのだけど、だからこそ、すごく軽快に伝わるのだと思います。

これに対してブログやサイトはいつもそこにある代わりに、軽快さがない。そこまで来てもらわなければ誰にも読んでもらえない。「無人島で開店しているお店」のような状態になっていたブログが、1つの「いいね!」がきっかけでアクセス急増なんて例も増えています。だから、もしトルタルの公式ダウンロードサイトがあっても「ここにダウンロードサイトがあるよ」というURL誘導のツイート投稿はおそらく欠かせないでしょう。すると読者は「ツイートをみる」→「URLをクリックする」→「サイトが開く」→「サイトのURLをクリックする」という二度手間になると思うのです。というわけで1回のクリックで直接ダウンロードできるURLを配布しています。

これはすごくめんどくさいやり方です。SNSの投稿はあっという間に流れてしまうので、多くの読者を獲得するには何度も何度も投稿しなければいけません。露骨でしつこい宣伝は周囲からウザがられてしまうリスクもあります。それでも、このやり方にこだわってみたいと思っています。

2010年に電書をリリースしたとき、見知らぬ読者さんから届いた感想ツイートに「朝トイレで紹介ツイートを見かけ、その場でクリックして購入。通勤電車で読んだ」と書かれていました。ぼくにとって、これは初めてリアルに感じた「電書のある生活」像でした。スマホ1台で完結してしまう読書。さらに著者に感想をツイートすることもできる。新しい本、読書がもしそういうものだとしたら、SNSは重要な役割を占めるんじゃないかと感じたのです。

ただ、ひとりでこれをやるのは難しいです。宣伝っぽいツイートだらけにはしたくないし、紹介文や添付画像を工夫しようにも限界がある。だけど複数のメンバーが集まる雑誌だったらこの負担を分担し、軽減することができます。各自が自分のペースで紹介すればいいし、他のメンバーの投稿をリツイートしたり、シェアをすることもできる。文面もそれぞれ違うし、フォロワーもマチマチなので自分のことを知らない人=新しい読者に自分の制作物を届けることも可能です。

このCROWD型のSNS告知を続けた結果、トルタルは創刊から1年足らずで総計1万ダウンロードを越えることができました。実際にやってみて気づいたのは、多くの作り手が画像や写真、音楽、動画などの素材を共有することの強みです。告知方法の幅が飛躍的に広がるし、誰かが描いたアニメーションが動画になったり、音楽PVに登場したりといったコラボレーションも自在。CROWDパブリッシングにはこんな効果もあるのです。

フォーマットはEPUBです

トルタルはEPUBというフォーマットでつくられています。これはオープンな話し合いのもとで定められた全世界共通の電書フォーマットです。ほとんどのデバイスに無料の制作ツール、閲覧ソフトがたくさん用意されているので、多くの人に届けられる可能性があります。将来的には世界標準になるだろうと予測されている形式でもあります。その反面、普及はまだこれからです。大手の電書ストアでもコピー防止、従来の印刷用データ再利用といった課題に応えるため、それぞれ独自のファイル形式を用意するケースが多かったようです。そのためEPUBを読めるアプリやソフトをインストールしていない読者が多く、「分からないからいいや」と敬遠されてしまうことも結構あるようです。

でも、この状況は近いうちに変わるんじゃないかなと楽観しています。

電書は今後、あちこちのストアから発売されることになるでしょう。制作側からみると、1冊の本に対してストアごとに複数の電書データを用意するのは大変です。読者にとっても、特定のデバイスやアプリ、ソフトでしか読めない電書より、そういったことを意識せずシームレスに読めるほうが喜ばれるでしょう。そのときEPUBというオープンフォーマットは浮かび上がってくるはずです。

ちなみにいまこの原稿を書いている3月6日朝、アップルのiBookストアが日本でもオープンしました。このストアと一緒になっているアプリiBooksはEPUBを読むことができます。EPUB普及の大きな一歩になるのではないかと期待しています。

EPUBを選んだもう1つの理由は、紙の本とは決定的に違う大きな特徴を持っているからです。

それはリフローという考え方です。印刷された本では1ページにどんな情報をどんな風に配置するかを、作り手側が決めていました。これはPDFをつかった電書でも踏襲されています。ところがリフロー型のEPUB電書は画面サイズの異なるさまざまなデバイスで、さまざまな表示機能を持つアプリを用い、さらにフォントの種類・大きさも各個人が好きなように設定して読むことができます。簡単にいえば「電書のページをどんな大きさ、表示にするかを決めるのは読者」なのです。デバイスによっては縦・横も自在ですし、ページめくりにするかスクロール表示にするかまで自由に選べてしまいます。

ぼくのような出版関係の人間は、こんな本をつくったことはありません。どちらかといえばウェブデザインに近いでしょう。ところが、ページめくりをしたり、縦組みで文章を組むのは従来のウェブにはなかった発想です。電書の作り手も、閲覧リーダの開発者も、まだ「正しいやり方」のない状態で模索をしている状態なのです。この暗中模索に、トルタルを通じて参加してみたいという気持ちがありました。単なる紙→電子への「変換」だけではない、電書特有の考え方を習得する機会にもなるはずです。それは、これから始まるかもしれない「新しい本」をつくるため必要な知識だとも思っています。

電書は「読む」より「つくる」ものかもしれません

というような感じで1年間やってきたのが、トルタルです。

あれこれ書きましたが、このやり方が正しいのか自信はありません。たぶん間違ってるところもたくさんあるでしょう。状況の変化が速いので、それに応じてこだわりなく、どんどん変えていくべきだとも思います。その点だけは平気です。融通さ、いい加減さだけは維持しているつもりです。

いまは文学フリマなどで頒布するために「紙のトルタル」を準備しているところです。印刷業のメンバーに協力してもらい100%電子コンテンツとして作られた電子雑誌を「紙に変換」してもらいます。電子→紙は、これからの分野です。この制作で浮かび上がった問題や課題はぜひ活かしたい。

また、無料配布のトルタルとは別に、有料の電子コンテンツも作ろうと思っています。Kindle、iBookストアという魅力的な二大電書ストアがついにスタートしたからです。Kindleは個人での出版も可能な仕組みが整っているので、すぐにでもやります。これまでの連載のどれかを改稿・加筆した単行本を出版するのもいいかなと考えています。無料のトルタルは単行本の素材制作・プロモーションを兼ねる雑誌になるかもしれません。文章や画像だけでなく、音楽、動画をまとめたアルバムやイベントの構想も考えています。誰かの著書やパンフ、PV、広告といったコンテンツ制作をまるっと請け負うことも可能です。こうした活動が「仕事」として作り手に発注できるレベルにまでいけたらすごいけど、どうでしょうね。どうなんだろう。できたらいいな、という感じです。

でもいちばんの目標は、まだこれからです。

「楽しそうじゃん。でも、なるほどね。それだったら俺のほうがきっともっと上手くできる」

こんなふうに思ってもらえるようにすること。ぼくは電書を通じて、たくさんの作り手が生まれたり、「本」に関わってくれることを期待しています。トルタルはその一例です。

電書が何を生み出し、何を壊すのかははまだよく分かりません。活版印刷ですら本当に浸透するまでには数百年かかったといいます。電書の答えが出るのはずっと遠い未来のことでしょう。たぶんぼくは生きていません。予測も興味はありません。ただ、いま直感的に感じていることがあります。

印刷・製本・流通技術の進歩によって、本は読者に解放されました。誰でも手に入るようになったのです。電書は、本を書き手に解放するような気がしています。気のせいかもしれませんが、すごくはっきりそう思うのだから仕方がないのです。

電書に関わるようになって3年間、ぼくはずっと「本って何だろう」ということを考えて続けている気がします。その定義は電書によって解体され、たぶんこれからさまざまに再構築されるのでしょう。

トルタルの今後について、誰かと話したとき、こう言われました。
「アウトプットは、もはや本に限らないのかもしれませんね」
そのときは頷いたのですが、その後、気が変わりました。

それは「新しい本」かもしれません。

確信なんぞはありません。強弁だろうと思います。でも、トルタル編集部から何が出てきたとしても「これも本だ」とひとまず言い張ってみようかなという気分になっています。そのくらいでないと、新たな可能性は見つけられないんじゃないかと思うのです。

ともかく「元年はいつなのか」「出版の未来はどうなるのか」とかため息混じりに議論するより、電書は読むほうがはるかに面白いです。そして、作るともっと楽しいと思います。

トルタルなんてきっと大したもんじゃありません。
ぼくは、それより、あなたが作る新しい本を読んでみたいです。

■関連サイト
電子雑誌トルタル(Facebookページ)
カナカナ書房

執筆者紹介

古田 靖
(ライター)
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