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「超小型」出版をめぐるセッション

1月10日にアップルストア銀座で「『超小型』出版と電子書籍/電子出版の未来」というイベントが開かれました。スピーカーのクレイグ・モド氏は出版シンクタンク PRE/POST の創業者であり、Flipboard のiPhone アプリ版の開発にも関わったデザイナー。過去4年間に関わった電子出版と電子書籍に関する幅広い作品においての経験をベースに多面的な考え方を紹介するセッションでした。

プロダクトとしての日本の書籍や本屋さんが大好き!と話していました。

電子出版の未来、というタイトルにあるトピックは簡単に語りつくすことのできない大きな話題ではありますが、このイベントは包括的なものではなく、今までクレイグ自身がやってきた「超小型」出版(Subcompact Publishing)の試みや、彼がウォッチしている、これから破壊的技術(disruptive technology)となりうる動きを通して自身の考えを述べるという内容でした。

フィジカル・デジタルの間

まずスタートしたのは、「電子書籍・電子出版にこだわっているわけではなくて紙の書籍も大好き」という話から。コンテンツがデジタルとフィジカルの間をいったりきたりできるような「フリップフロップ」的スイッチがある状態が一番理想的である、というように、彼の視点は両方のフォーマットの魅力を理解した上でのものであることを強調していました。

フィジカル(通常、紙の書籍)な作品の利点としては、クリエイターならではの実感的意見も出ました。いわく、デジタルな作品を作るのは終わりがない作業に感じられてしまうとのこと。書籍という物体を出版し実体化することで作品に枠をつけられる事実は、コンテンツ自体の構成や質にも影響があるといえるでしょう。

印象的だったのは、「『本』は最高に精密で確実な装置。誰にでも使い方が分かる。」という発言。最もシンプルで誰もが読み方を知っているのはやはり本という長い間親しまれてきたかたちです。コンテンツを大事にするからこそ、そんなあたりまえとも思えることを改めて重要に感じられるのでしょう。

現在の電子書籍デバイスやスマホアプリとしてパッケージされた読み物、そしてウェブサイトは、その多くが驚くほど「読む」ことを第一に考えたデザインにはなっていないのが現実です(ややこしいスマホアプリ UI の事例)。彼の提唱する「超小型」出版のシンプルさが本という装置=デバイスの次のバージョンをさらに極めたものを目指しているのは、そんな背景があってのことのようです。

Flipboard for iPhone の最初のコミットメッセージ。

次に、フィジカルな本として、Flipboard の iPhone 版アプリに関わった時に作ったハードカバー本についての話がありました。デザインカンプ・git のコミットメッセージ(プログラムのソースコードを保存・共有するシステムで、更新内容を説明したコメント)・手描きスケッチ・ローンチパーティの写真を使って、たった二冊だけ(!)印刷したというこの本。単なるデータだったものをまとめて書籍という枠を与えることで、プロジェクトに関わった濃い経験、感情や思い出をキャプチャして物語をかたちづくることができたと話していました。

「超小型」出版とは?

続けて、デバイスやマーケットプレイスの選択肢、出版側の手間、読み手の学習曲線といった複数の面で電子出版を取り巻く状況が複雑化していっている傾向についての危惧が語られました。このイベントのタイトル画像にもなっている N360(Nコロ)という車を例に取り、バイクメーカーのホンダが今までの先入観を捨てて、いちから製品づくりに取り組むことで、軽自動車カテゴリ全体の性能向上に貢献したモデルを紹介しました。既存の出版システムの焼き直しではなく、シンプルかつ本質的なアプローチが必要というのが「超小型」出版の考え方だそうです。

クレイグは、アメリカにいる間は Nコロの流れを汲む Civic に乗り倒した、とのこと。

少ない記事数で小さなファイルサイズ、流動的な発行スケジュール、などといった彼の考える理想的な条件を満たす「超小型」出版の例として触れていたのは Marco Arment 氏の The Magazine。iOS 向け限定であるこのアプリは、Newsstand のシステムを使って毎月5件前後の記事をユーザーに配信しています。デジタルの良さを活かし複雑さを排除した UI/UX と質の高いコンテンツが人気を呼び、現在すでに黒字運営中とのこと。

同様にコンパクトでデジタルらしいプレゼンテーションとして、クレイグは現職の PRE/POST で現代詩の作品にもたずさわっています。ここで、tapestry というサービスを使った菅原敏さんによる詩(”tap essay”)をご本人が朗読されるというパフォーマンスがありました。改行・余白・タップのリズム・フォントの大小による言葉の強弱など、書籍とは違う方法で詩を表現することができるツールを菅原さん自身も気に入っているとのこと。詩集や個々の詩をシンプルに公開できて読むことができる仕組みに、新たな可能性を感じたと話されていました。

引き続き、ライトウェイトなパブリッシングの例として、既存のソーシャル系サービス(SNS)上で展開している例が挙げられました。Tokyo Otaku Modeは独自サイトやパブリッシングプラットフォームを持つことなく、Facebook ページで数百万という大量のファンを獲得しています。そのファンベースが確立してから公式サイトを構築する、という今までのブランドとはまったく正反対な SNS の使い方も、ある意味「超小型」パブリッシングの流れといえるのかもしれません。

出版とパブリッシングの未来

日本語だと「出版」と「パブリッシング」という言葉のニュアンスはイコールではないかと思います。例えばブログという「パブリッシング」ツールは現在かなり誰にでも開かれたものになっています。とりあえず何らかの形で文章を始めとするコンテンツを世に公開することについてはハードルがかなり下がっていますし、Tokyo Otaku Mode のようにブログやサイトさえ持たずに Facebook でパブリッシングを始めることだってできます。Twitter でフォロワーを爆発的に増やして、何万人、何百万人にメッセージを伝えることも。

一方、日本語で言う「出版」のツール(作品をまとめて枠をつけて売るための道具やプロセス)はまだ技術や知識など色んな壁を乗り越えないとアクセスできないところにあるのが現状です。たとえば The Magazine は、Marco がプログラマだったから可能だったといえるし、Flipboard for iPhone のようなアプリを誰もが作れる世界はまだ来ていません。もちろん、そういった形式のものを作ること自体が、まだ多数の人にとって必要性があるわけではなく、だからこそシンプルになり尽くすことがまだそこまで求められていないというのもあるのでしょう。

しかしここ10年ほどの間に Web サイトの作り方なんてまったく知らない人たちがブログを立ち上げ、SNS で自分の意見を共有できるようになった流れのように、独自のコンテンツを持つ人たちがより本格的な「パブリッシャー」になることも、ツールの進化次第なのかもしれません。その選択肢はまだ確立していませんが、次の段階へ進んでいくリードをとっていくのは出版の本質とデジタルの利点を両方理解して新しいものを作る人たちなんだろう、とこのイベントを通して改めて感じました。

クレイグ・モド氏の文章は、日本語になっているものもあります。「電子書籍に取り組むということ」「”iPad時代の書籍”を考える」など、どちらも2010年のものですが、今のタイミングで読むのも面白いのではないかと思います。以下は、「電子書籍に取り組むということ」より。

93年のCD-ROMじゃあるまいし、ビデオミックスとか、新しい「インターフェースのパラダイム」とかって言うのやめようぜ。

「文章」について語ろう。 電子書籍を語ろう。

「超小型」出版についてのさらに詳しい内容は、彼のサイト内の「Subcompact Publishing」という記事にも詳しく書いてあります。日本語翻訳版は Kindle 書籍として現在購入できるようになっていますので、興味がある方はぜひ手にとってみてください。

※この記事は著者のブログの1月11日の記事、「クレイグ・モド氏の『超小型』出版と電子書籍/電子出版の未来イベントに行ってきました」に大幅に加筆していただき、転載したものです。

■関連サイト
PRE/POST – Publishing
The Magazine
MATTER
tapestry

執筆者紹介

高野直子
(ハピネス・エンジニア、Automattic)
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