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エージェンシーに電子書籍は追い風となるか

日本の電子書籍にまつわる一連のバカ騒ぎと、私個人の仕事(翻訳権売り込み業)とは本来あまり関わりのない話なのだが、本の電子化という過程において、これからはおそらく著者と出版社の間で電子化権を誰が預かり、印税をどうするのかという話をしなければならなくなるだろう。つまりは契約だ。その話し合いに果たして日本でもリテラリー・エージェントという“クッション”が必要かどうかを考えてみる。

日米での出版契約の違い

日本で出版社から本を出すことになった場合、当然のように担当編集者が話を進めるその「本を出す」という行為は、オフセット印刷の紙の本を、日本語で書き、日本国内で販売することを指す。だがそのディテールについてはかなり曖昧で、著者はとりあえず〆切りと提示された頃に、だいたいの目処で決められた枚数内の原稿を編集者に渡し、とくに問題がなければいつのまにやらそれが本になり、刊行され、忘れかけた頃に「著者を甲、出版社を乙とした、ピラの紙」が2セット送られてくるので、両方に署名とハンコをして1通を送り返すという、すでに世の中に本が上梓されていることを考えると何のためなのかよくわからない作業がある。

今まではそんなやり方で問題がなかったから済んできただけの話で、よく考えてみれば個人と企業が合意の上で取り組んだプロジェクトであっても、双方の意志が相反して何かしらのトラブルにならないわけではない。

一方、契約社会のアメリカでは、本を1冊出すことが決まった時点、つまり編集者の企画が編集会議を通った時点で詳細な取り決めがぎっしり詰まった契約書を出版社と著者の間で交わすのが習わしとなっている。ボイラープレートと呼ばれるこのヒナ形は出版社によって異なるが、何十ページにも及ぶことが珍しくない。

これはつまり日米での根本的な考え方の違いで、アメリカでは「あとで揉めて訴訟になったりすると面倒くさいから(それに訴訟にかかるお金がハンパじゃないし)、最初にキッチリ決めておきましょうね」というところを、日本では「映画化だの増刷だのとなった場合にはその時にまた相談しましょうね」と後回しにしているだけのことなのかもしれないと思ったりする。

実際のところ、刊行されるほとんどの本が初刷以上に捌けず、数週間もすると書店から消え、あとは「在庫なし増刷予定なし」でウヤムヤにされて消えていくのだから、出版側にとってはこうするのが一番ラクなのだ。著者から何か問い合わせがあっても「売れてないんだからこれ以上なにもできません」と言われてしまえば手出しはできないし。実のところどれだけ売れているのか、本当に初版部数だけ刷られたのか、増刷予定はないのか、などが知らされることはほとんどないのだから。

デジタルな電子書籍が出てきたことで、このアナログ的な“藪の中”状態が許されなくなることを期待している。それなのに、「著作隣接権」というコンセプトに政府のお墨付きをもらおうなんて、版元が著者に対して「うちで本を出したんだから、トーゼンなんですよ」と、これまで通りなぁなぁで済ますための策にしか思えない。

そんな権利をわざわざ発明しなくても、電子化権や映画化権を著者と版元のどちらが預かって売り買いするのか、売れた場合の利益をどう分けるかをキッチリ最初から決めておけば済む話なのだから。

「まずエージェントを見つけましょう」

ただし、著者というのは出版契約の素人なので(今のところ版元も)副次権の種類や妥当な印税率というものがわからない。そこでアメリカで活躍するのがリテラリー・エージェントというわけだ。エージェントを通してでないと持ち込み原稿は見ないという出版社もすでに多い。アメリカで「publishing」にまつわる本を検索すると、どうやって本を出すか、という本が多いことにも驚かされるが、その第1章は必ず「まずエージェントを見つけましょう」というものだ。

欧米で活躍するリテラリー・エージェントの人たちは、元編集者も多く、いちばん著者に近いところで書き手を育てたいという思いからエージェントになる場合が大半だ。弁護士の資格を持っている人もいるが必須ではない。元出版社勤めということで、その出版契約が妥当なものかどうかがわかるし、この著者のこんな本ならあの出版社のどの編集者という売り込み先もわかる。玉石混淆の原稿の中からモノになりそうな作品を探し出し、著者をクライアントとしてずっと抱えるので、長期的なキャリアを考えてあげることができる。出版社と揉める前に間に入ることができる。ともすると力の強い出版社のゴリ押しに負けないように著者を守ることもできる。

もしかしたら日本の編集者からすれば、この「間にワンクッション入る」のはやりにくいと思うのかも知れないけれど、メリットもある。著者の作品が売れていないとか、盗作の疑いがある、といった面倒なやりとりをしなければならない場合、間に誰か公平な判断ができるプロがいるのはありがたいと思うのだけれど?

これまで日本でも「作家のエージェント」を名乗るAやBという団体もあるが、ちょっと調べてみると「その原稿や企画が売り物になるかどうか、プロの目で見てやるから、手数料払え」「もし売れたら、これから書いた原稿からも甘い汁を吸わせていただく」というサービスらしく、企画ごとにン万円というお金を取るようだ。これは欧米のエージェントとしては、モグリがやることで、基本的にエージェントを名乗るからには、出版が決まってから著者印税(やアドバンス)のパーセンテージ(だいたいは15%)をロイヤルティとして受け取るのが不文律となっている。

そしてこういう日本の出版プロデューサー的なサービスには、海外での翻訳出版による副次権収入はまるで望めないのが実状だ。海外にも売り込みますというサービスを展開しているTなどは概要を英訳したり、ウェブページで作品を紹介するところまではやっているようだが、こういうやり方で欧米での出版が決まるのはほんの一握りで、今のところ「海外」=「アジア諸国」に留まっている。

編集者が出版社を辞めて立ち上げた「コルク」

そんな中、講談社の編集者2人が「コルク」というエージェンシーを立ち上げたという話を耳にして、さっそく話を聞いてきた。現場で働く編集者が、これからの出版業界にエージェントという仕事が必要だと考えてくれたことは喜ばしい。

エージェントが作家を育て上げたところで、日本の出版状況を考えると、「印税の15%」という数字では、やっていくのは苦しいだろう。どうやってエージェントの存在をjustifyするのか、つまりフリーランスとしてやっていくための付加価値を付けていくのか、静観したい。願わくば元雇用主の講談社にオイシイ話を持ち込むだけの御用達エージェントではなく、広くオークション(企画や著者を複数の出版社の間で競わせること)も手がけるようなエージェンシーに成長されたし。

このコルクについては、これからも日本のあちこちのマスコミで取り上げられるだろうから私としてはエールを送りながら見守るつもりでいる。

今の私にキンドルやkoboについてもっと見解を聞かせて欲しいという声があるのは承知で、こちらは敢えて発言を控えている。なーんだ、結局品揃えとしては他の電子書籍ストアとあまり変わらないじゃないの、と感じている人もいるかもしれない。だけど、実際に使い始めると色々なことがわかってくると思うので、その辺の洞察を期待する。

※大原ケイさんの個人ブログ、「マンハッタン Book and City」の「電子書籍時代は日本にエージェンシーをもたらす追い風となるか?」(2012年10月28日)を改題して転載したものです。

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執筆者紹介

大原ケイ
文芸エージェント。講談社アメリカやランダムハウス講談社を経て独立し、ニューヨークでLingual Literary Agencyとして日本の著者・著作を海外に広めるべく活動。アメリカ出版界の裏事情や電子書籍の動向を個人ブログ「本とマンハッタン Books and the City」などで継続的にレポートしている。著書 『ルポ 電子書籍大国アメリカ』(アスキー新書)、共著『世界の夢の本屋さん』(エクスナレッジ)、『コルクを抜く』(ボイジャー、電子書籍のみ)、『日本の作家よ、世界に羽ばたけ!』(ボイジャー、小冊子と電子書籍)、共訳書にクレイグ・モド『ぼくらの時代の本』(ボイジャー)がある。
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