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幻の小説「風流夢譚」を電子書籍化した理由

電子書籍版「風流夢譚」

今から半世紀前、1960年12月号の雑誌「中央公論」に掲載された深沢七郎氏の短編小説「風流夢譚」は、以後、今日に至るまで海賊版を除けば活字化されたことはなく、いまやこの小説を読んだことのある人はほとんどいないどころか、そもそもその存在すら知らない人も多いことと思います。

その理由は、この小説での皇室表現がきっかけとなり、1961年2月、当時の中央公論社社長、嶋中鵬二氏宅に右翼が押し入り、お手伝いさんの女性が刺殺され、さらに夫人が重傷を負うという事件が起きたからです。

当時は、浅沼稲次郎社会党委員長の刺殺に次ぐテロとして大きなニュースになりましたが、結果的に、右翼の圧力に表現の自由の行使者であるはずの言論機関が負けてしまったこの事件は、以後のジャーナリズムのありように少なからぬ影響を与えました。そうしてこの小説も、二度と再び光を浴びることなく、50年前の「中央公論」に封印されてしまったわけです。

そういう、ある意味でタブーとも言える小説を今回、電子書籍化するに至った経緯を書くことが本稿に与えられた主なテーマですが、そのためにはなにゆえに私が電子書籍と関わるようになったかについても、少々、触れておきたいと思います。

電子書籍のラインナップに感じた“すき間”

最初に私の経歴について書きますと、1985年に光文社に入社し、2010年の5月に会社が募集した早期退職に応募して退社しました。社歴の内訳は入社から17年半が編集、残りの7年半は広告営業です。

編集キャリアのほとんどはカッパ・ブックスで(休刊前の10カ月間だけ「週刊宝石」に在籍したことがありますが)、ここでノンフィクション書籍作りのノウハウを学びました。また、広告では「女性自身」、「FLASH」という週刊誌が営業活動の中心でした(光文社の広告営業は媒体担当制を敷いていました)。

この広告時代は売上げのピークから、短期間でその数字が音をたてて崩れていくプロセスを営業現場で体験し、「4マス時代」の終焉とネット時代の到来を実感したのですが、同時にそれは、広告ビジネスが虚業から実業へと質的変化を遂げた瞬間でもあったと思います(参考リンク:誰も通らない裏道「マスメディアこそが虚業だった」)。

光文社退社後は、最初のうちこそ出版業に戻る気持ちは薄かったのですが、その後、ある制作会社からお声掛けをいただき、電子書籍の仕事を始めることになりました。

そこで最初にやったのはデータの検品です。つまり紙の本が電子書籍にきちんと落とし込まれているかをチェックするのですが、ご承知のように紙に比べると電子というのは制約があり紙と同じものを作ることはできません。そこを制作する方々が個々に判断して電子に落とし込むわけですが、そうやって出来あがったデータは編集の立場からすると「ちょっとおかしい、気になる」という部分も出てきます。そこで、検品報告書という形でそういう部分を指摘すると、これが意外にも制作の方にウケました。

というのも、制作側のみなさんは、当たり前の話ですが編集経験がありません。したがって、普段、編集がどういう部分を重視して書籍を作っているのかがわからなかったわけです。それがクリアになって、「なるほどと思った」というようなことを制作の方から言っていただきました(これは一方で、版元側も電子書籍に対する理解が浅く、制作会社に丸投げしている部分が少なからずあるということだとも思います)。

さて、そうやってデータを検品しているうちに次第に感じ始めたのは、「電子書籍のマーケットにはずいぶん隙き間があるんだな」ということでした。

出版社にとって電子書籍は当然、手がけなければならない事案です。が、どんなに出版不況であっても、まだ圧倒的に紙の利益が大きいことは事実で、電子は投資に対するリターンが少ない。そうしたなかで電子化の優先順位はどうしても最近の本、あるいは売れ線の本ということになります。これは出版社の経営が厳しき折、当たり前の帰結なのですが、結果的にそれがラインナップを偏らせているように私には見えました。

話を進めますと、検品に慣れてきた今年の初め、「制作もやってみないか?」と前述の制作会社の方から誘われました。といっても、この頃はまだ本気で電子書籍をやるかどうかの踏ん切りはついていなかったのですが、とにもかくにも制作を学ぶことは悪いことではありませんので、とりあえずお誘いに乗ることにしました。

3.11後にブログの電子書籍化に着手

そうして、教えを乞いつつデータ制作を始めた矢先にあの3・11が来ました(実際、私が東日本大震災に遭遇したのは、この制作会社での研修中でした)。

私は2006年からポツポツとブログを書いていたのですが、その少なからぬエントリーを原発問題が占めています。スタンスは反原発で、日本社会には少なからぬ原発の破局事故リスクがあるのではないかという危惧を、広告営業で得たメディアと電力会社の関係の知見も含め、ことあるごとに書いていたのです。

そういう私ですから、3・11後の数週間は相当にうろたえて仕事も手につきませんでしたが、少し落ち着いてきた頃、「そういえば原発についてはずいぶん書いてきたんだから、あの原稿にタグをつければ電子書籍ができるな」と思いつきました。

ブログの記事を元にした『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』

そこで、早速、ブログからテキストを抜き出して整理、加筆し、タグをつけてみたのです。長らく編集現場を離れていましたが、前述のカッパ・ブックスのノウハウを辛うじて覚えていたこともあり、意外に簡単に電子書籍のデータは完成しました。

こうなると、売りたくなるのが人情というもの。私のデータはT-Timeで作成しました。そこでボイジャーさんへ持ち込んで(押しかけて?)みたところ、私個人のレーベルでの販売を了承していただくとともに、「せっかくだから、他にも電子書籍を出してみてはどうですか?」と言われました。

その時には、まったくもって想像外の提案だったこともあり、「そんなことできるかいな?」と思ったのですが、よくよく考えてみるとこれは自分で一つの出版社を持つようなものです。それは私のような人間にとっては少しく魅力的なことでした。

かつて出版社というのは、机と電話があればいつでも誰でもできる商売だと言われてきました。しかし実はそう簡単ではありません。本を出すには著者に原稿を書いてもらう以外に紙を買って印刷をし、取次を介して流通させなければなりません。しかも売れなければ返本になり在庫リスクを抱えます。この在庫は資産なので税金がかかります。それがイヤなら断裁しなければならないけれども、それにだってカネがかかります。

私はもともと大して売れる本を作れる編集者ではなかったので(多少、話題になった本は何冊かありますが)、そんな私にはとても紙の本の出版社を作ることはできないし、そもそもカネもありません。ですが、電子書籍ならば可能かもしれない……。

しかも、これまでヒラの編集者の時には編集長にお伺いをたてて了承を得なければならなかった企画も自分で通すことができます。そうしてもう一つ、多くの編集者を悩ませる「初版部数のくびき」がないのも魅力でした。

「風流夢譚」と現在の日本を結ぶ線

と、そんなことを考えているうちにまず思ったのは、「父親の本を電子化してやるのは悪くないな」ということでした。

私の父はその昔、中央公論社に在籍しており、「風流夢譚」事件の当事者の一人でした。そして事件のことを綴った『一九六一年冬』(晩聲社)という本を出版しています(その後、『一九六一年冬「風流夢譚」事件』に改題して平凡社より刊行、志木電子書籍より電子書籍版として刊行)。

とはいえその一冊では話になりません。

そこでもう少し考えてみると、父の中央公論社時代の同僚だった中村智子氏の『『風流夢譚』事件以後』という著書があることを思い出しました。父と中村氏は今でも交流があることもあり、この本は電子化できるのではないかと思いました(現在、電子書籍として刊行)。しかし、それでもまだ企画としては今ひとつひねりが足りません。

だとしたら――。あとは「風流夢譚」という小説そのものを電子化するしかないのではないかと思いました。そこまでやれば、他の2冊を含めて十分な企画性があると考えたのです。

そこで、まず『一九六一年冬「風流夢譚」事件』を再読してみました。すると、そのなかに「私は『風流夢譚』をいつの日か復権させたいと願った。」というフレーズがあることに気づきました。しかし、もちろんその願いは叶いませんでした。なぜなら、その術がなかったからです。父は中央公論社を退社後もいくつかの出版社に勤務しましたが、自己資本で出版社を興さない限り「風流夢譚」の復権を実現できるわけもなく、そのような資金はなかったわけです。

「中央公論」1960年12月号に掲載された際の「風流夢譚」。

次に問題の「風流夢譚」を読んでみました。この小説も過去に一度読んだことはあるのですが、今回、改めて読んだ印象はその時のものとはまったく異なりました。そして「この小説を今、電子化することには意味がある」と思うに至ったのです。

以下にその理由を書きます。

私はこの小説は60年安保が一段落した後、つまり空前の盛り上がりを見せた安保闘争が、その改定が自然成立するとともに急激に退潮した時期に書かれたのではないかと思いました。

つまり、革命前夜のごとき様相から一挙にシラケへと転換した世相を見て、深沢氏は「なんだ、安保闘争というのはその程度のものだったのか。これまで自ら革命を起こしたこともなく、民主主義も戦勝国からいただいた国民が、今回は何かしらやるのかと思って見ていたら、結局、なにも起らなかったのだから話にならないなア」という感想を持ったのではないかと思うのです。深沢氏はそんな日本人への皮肉をこめて、革命にわくわくする主人公を登場させ、しかし最後は夢で締めくくったのではないでしょうか。

ここで、話は急に飛んでしまいますが、私は現在の日本の状況を異常だと考えています。東日本大震災によって多くの方々が被災し、さらに東京電力福島第一原子力発電所が破局的な事故を起こし、人類史上未曾有の放射能災害が現在も進行中です。

にもかかわらず、その最大の責任者である東京電力は、経営者の誰一人として逮捕されることもなく、事故後も事故前と同様に傍若無人の限りを尽くしています。

ところが、国民はいわゆる「原子力マフィア」の人びとがどれだけデタラメをやっても怒りません。無論、個人的に怒っている人はいますが、それが大きなうねりとならないのが現実です。

私はこれが本当に不思議なのですが、そう思うのは私だけではなく、知り合いの何人かのジャーナリストは異口同音に、「日本以外だったら、とっくの昔に暴動が起きている」と言っています。

東電の話はこれぐらいにしておきますが、そういう社会状況を踏まえて「風流夢譚」という小説を読むと、この小説で当時の最高権威であるがゆえに革命の対象となった皇室は、今なら東京電力なのかもしれないなと思えてきました。

無論、これは私個人のこじつけ的な「読み」ですが、少なくとも深沢氏は60年安保をつぶさに見た上で、「こりゃあ、この国では何があっても何も変わらないんだなア」と見抜いたのだと思うのです。そして、その体質が50年の時を経て、日本に未曾有の放射能災害をもたらしたのではないか……。

最初に「風流夢譚」を出そうかと思った時には、心の中に多少の山っ気があったことは否定しませんが、一方でいくら私のような小さな小さな版元であるとは言え、やはりリスクがあるのも事実です。それでも、最終的に電子化の背中を押したのは、以上のような読み方もできるのではないかと考えたからでした。

幸いなことに、深沢氏の著作権継承者からも電子化のご了承をいただくことができ、こうして中村氏の著書(この本についても書きたいことはたくさんあるのですが、長くなってしまうので割愛いたします)も含めて3冊の「風流夢譚」本をリリースするに至ったわけです。

現在までの弊社のラインナップは、そのすべてというわけではありませんが、「戦後」というものについて多少こだわっています。すでに昭和も遠く、平成の時代にそんな昔のことをと言われてしまえばそれまでですが、現在の国難の原因は実は昭和、それも戦後にあるのではないでしょうか。そのツケが今、噴出しているのだとしたら、「戦後」というものを今一度見直してみることは意味のあることではないかと思っています。

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