出版業界では書籍の電子化に限らず様々な形でICT(IT)の利用が進められてきました。原稿のやりとりはメールなどを介して行われ、制作ではDTPが当たり前になり、商品や売上の管理などにはデータベースが広く用いられています。近年、コンピューターのダウンサイジング化や通信環境のブロードバンド化を前提に変化はさらに加速してきました。加えて、読者のICT(IT)利用により、読者が本の情報と出会う場(リアル・仮想空間問わず)の多様化も進んでいます。
書誌情報の標準化はいまだ道半ば
ICT(IT)の利用を加速したもうひとつの大きな理由は標準化の流れです。例えばDTPにおいてはソフトウェアやフォーマット、さらにはフォントなどの標準化が普及のための重要な要素となりました。同様に、出版物に対するユニークコードとして1980年代に導入されたISBNとJANコードは出版社と取次を結ぶEDI(いわゆる出版VAN=新出版ネットワーク)や書店・取次間のPOSデータ管理の礎となっています(出版VANについては、たとえばこの記事を参照)。
「新・出版ネットワークあるいは出版VANの今とこれから」(「高島利行の出版営業の方法」第21回・ポット出版)
最近でも、出版VANの在庫ステータス(在庫の状態を表す数値コード)や共有書店マスター(書店に対するユニークコード)など、電子商取引や商品・売上管理をより円滑に実現するための標準化は業界挙げての課題となっています。
台頭著しい電子書籍についても、書誌・アイテム情報の標準化・共有化は出版社だけでなく読者からも望まれているはずです。ですが、いまだ一元化されたデータベースやコード体系は整備されていません。また、通常の出版物についても書誌情報の整備はその過程にあり、完成への道はまだまだ遠いものです。
特にこれから出す本の情報、いわゆる「近刊情報」については、読者からの関心も高く業界でもその必要性が強く認識されているにも関わらず、なかなか一元化・標準化は進んでいませんでした。予約販売にあまり積極的になれない、いくつかの理由を含んだ業界の慣習なども背景にあり、必然性だけでは動けないような状況にあったと言えます。
そうした状況に対して改善の機運は内部から少しずつ盛り上がり始めていました。例えば、出版社が運営する書店向けの受注サイトなどでは予約につながる近刊情報の提供が可能な状態も生まれつつありました。また、一部のオンライン書店では社を挙げて予約に取り組んでいるということもあり、その対応について真剣に取り組み始めた出版社も少なくありませんでした。
たまたま時を同じくして総務省による「新ICT利活用サービス創出支援事業」の募集があり、日本書籍出版協会内のJPO(日本出版インフラセンター)を中心として「次世代書誌情報の共通化に向けた環境整備」プロジェクトが提案されました。このプロジェクトが無事に採用され、書店・取次・電子書籍配信会社・出版社などから関係者が集まり、業界として書誌情報整備の事業に取り組むべく改めて知恵を絞ることとなったのです。
これが、「次世代書誌情報の共通化に向けた環境整備」の始まりでした。
国際標準規格ONIXを採用
プロジェクトの詳細や参加者などについては書協のWebサイトに用意された「概要」と「報告書」に詳しく掲載されているのでご参照ください。ここでは、大まかな概略と過程を示すとともに、プロジェクトの最大の成果物でもあり、私自身が直接関わったJPO近刊情報センターについて簡単にまとめたいと思います。
新ICT利活用サービス創出支援事業「次世代書誌情報の共通化に向けた環境整備」プロジェクト(社団法人日本書籍出版協会)
電子書籍の書誌情報については、利用等に関する調査を進めるとともにISBNとは別の新たなコード体系によるデータベース構築の可能性について議論・実験が行われました。その結果、フォーマットやバージョンといった旧来のISBNコードでは考慮されていなかった情報についても多くニーズがあることがわかりました。ISBNではない新たなコード体系の必然性をより強く認識できたことは今回の調査及び実験の大きな成果の一つです。
現実には既に多種多様なフォーマット・バージョンの電子書籍が流通しており、単にコード体系に留まらない抜本的な変化も望まれるのかもしれません。「マガジン航」の読者の皆様にはこちらの話題への関心が高いように思います。が、残念ながらこちらの話題については、これ以上のものは今のところありません。もう少し先、もしくは、誰が関わっていくかも含めちょっと視点を変える必要性がある課題という認識が現状です。
紙の出版物の書誌情報については、ISBNとは別のコード体系で管理されている雑誌ではなく、現状の商品基本情報センターで扱われている「書籍」情報を対象とし、その中でも特に標準化が期待されている近刊情報(刊行前の情報)の整備について目標を定め、調査・実験が行われました。
まず、近刊情報を扱うフォーマットは、以前から一部のオンライン書店等によって採用されていた国際標準規格であるONIXを用いることになりました(詳しいデータ仕様はこちらを参照)。
2010年12月には、ONIXに関する調査、日本の書籍流通に合わせた項目の選定とローカライズ、近刊情報を出版社から集め書店や取次に渡すためのテスト環境の作成とフィードバック、それと並行して出版社・書店・取次に対しての普及促進活動が行われました。(2010年12月7日東京説明会 、2010年12月9日大阪説明会の様子)
実験が終了する2011年3月31日までには、情報提供側の出版社だけでなく情報利用者となる書店・取次も多数参加。かつ、従来から運用されていたデータベースなどとのリンクの可能性も具体化してきました。しかも、総務省の後押しのおかげで、情報提供者・利用者、さらにはその先に存在する読者についても、費用負担の増加なく近刊情報を利用できる状態が準備され、将来的な運用についても大きな問題なく進められる展望が開けました。
そして、2011年4月1日、JPO近刊情報センターは本稼動しました。
近刊情報の流通促進を
この文章の初めの段階で、「予約販売にあまり積極的になれない、いくつかの理由を含んだ業界の慣習などもあり」と書きました。そのあたりをもう少し具体的に書きます。
まず、「出版予定が立てにくい」という事情。これは、執筆など属人的な要素が多く遅滞が日常化している現状からのものです。それでも大手の出版社は文庫や新書などある程度予定に沿った刊行が日常化していますが、単行本中心の出版社の場合は「いつ出るか分からない」という社も少なくありません。
次に、「人気アイテムに予約が殺到してしまう」という声。これは、書店からの予約注文が売れ筋に偏りがちで、しかも、その希望通りに出荷すると、とんでもない数になってしまうことがあるという現状を反映しています。また、書店からの注文そのものが見込み発注なのか、それとも読者からの注文なのかを見極める方法が出版社側にほとんどなく、結果的に期待通りに売れなかった場合に過剰な返品を産み出してしまう危険性を、出版社が強く意識しているということもあります。
もうひとつ、「予約を取っても集まらない」という声。前述の通り、書店がわざわざ注文してまで確保したい本は、やはり売れ筋の本が多く、出版社によっては色々と手をかけて予約を実施しても大した結果が得られないという、半ば諦めのような、そんな声が中小零細出版社の本音でもあります。
これらは一朝一夕には改善されません。なぜなら近刊情報を提供するだけで解決できる問題ではないからです。
ですが、JPO近刊情報センターを利用していく中で、従来の業務の流れを見直したいという声は多くの出版社からあがっています。「予定は未定」、「出せる時に出す」といった慣行は近いうちに見直されるのかもしれません。また、予約の一般化によって書店の要求する物流量とのアンバランスが解消され、返品の少ない物流が実現されるかもしれません。もしかすると読者のニーズや声を今まで以上に反映させるといった、より大きな変化を生み出すきっかけになるかもしれません。
近刊情報の流通は、読者が事前に本の情報に触れる機会を増やすことはあってもマイナスに働くことはほとんどありません。予約が少ない本ではあっても、「確実に入手したい」との強い意志を持った読者に確実に本を届けることは、読者の要求にも適っています。もちろん、出版社にとってもそれは望ましいことのはずです。
標準化・共通化というと「個性がなくなる」「規制されて自由が失われる」という方もいます。標準化・共通化をなんらかの「枠」と理解するとそうなります。ですが、より本質的なことに取り組むための地盤と考えてみると違う結論が得られるように思います。
出版社は今までも新刊が出るまでに様々なフォーマットで刊行情報をあちこちに送っていました。小さな手間とは言えない仕事です。しかも、そうした情報提供をちゃんとやっているか否かが、本の売れ行きに影響を及ぼすこともあります。そうした手間が一元化され、大も小も同じ土俵に乗ることができるようになれば、もっと本質的な仕事にかかる時間を生み出すことができるのではないでしょうか。標準化にはそういう意味合いもあります。
JPO近刊情報センターの情報は既にアマゾンや紀伊國屋書店によって利用され、近刊の予約に使われ始めています。商品基本情報センターへのシームレスな情報提供も実現しました。取次からは、搬入計画に役立て効率的な物流を実現したいという声も寄せられています。
表に見えないところでも大きな変化が
出版業界では、ISBNやVAN・EDIの導入、共有書店マスターの体系化やPOSデータの普及などによって本当に大きな変化がありました。なかなか表に見える変化ではありません。いえ、出版業界にいてもその変化には気がつかないかもしれません。ですが、今までと同じことをやっているように見えても、その中身は少しずつ改善されています(少しずつかよ、といろんな方面からつっこまれそうですが)。
今回の近刊情報の整備もそうした変化を起こすことは間違いありません。さらにこれから先には、ICタグや、もちろん電子書籍によっても、今までとは質の違う大きな変化が予想されます。それがいいものか悪いものかはまだわかりませんが、変化に対応し続けることを選ぶのであれば、そこに終わりはありません。
最後に個人的な感想を少し。
小さい出版社で働いていると、読者や書店のために何かしたいと思っても、その取り組みの範囲に限界を感じることもあります。もちろん、ホームラン級の売れる本を出せたらいいのでしょうが、そうではない小さな部数の中で仕事をしているとミリオンセラーなどは別世界の話です。
2003年から2005年にかけて、商品基本情報センター立ち上げ前に活動した「在庫情報整備研究委員会(情整研)」に参加させていただきました(「在庫情報整備研究委員会(情整研)答申」は一般社団法人 日本出版インフラセンターのサイトで公開されている)。「書店がお客様からの問い合わせに対して商品の存在と出荷の可否を自信をもって答えられるデータベースの構築」を目指して出版社・書店・取次が集まり、過去の実状から現在の課題、将来の可能性まで真剣な意見がかわされました。その結果は、今の商品基本情報センターにつながっています。
そして今回は、近刊情報センターの立ち上げに関わることができました。小さい会社での限界を超え、読者や書店のために何かできるということがとても楽しかった。こんなに面白い仕事の機会を与えてくださった皆さんに心の底から感謝しています。
また、出版業界でのICT(IT)の活用というと書籍の電子化に関心が向かう中、地味ではあっても従来の流れを支える基盤の整備に関われたことにも、ささやかながら満足感を抱いています。総務省のICT利活用の実例としても、過去と切り離された何かではなく、過去からきちんとつながる実務の改善に役に立つ具体例として、非常に優れたものになったと自負しています。
これからも、こうした業界挙げての取り組みについてお手伝いできることがあれば、積極的に関わっていきたいと考えています(というか、声をかけてもらえるよう本業もしっかり頑張らねばなと思っています)。重版・増刷情報の統合や、Web上に分散している書評・読者感想情報のアグリゲーションなどは、これからの課題として面白そうです。
出版不況とは言っても、まだまだやるべきことはあります。
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