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ふたつの震災と電子書籍

1995年の震災

1995年1月17日から数日たったある日、編集部にかかってきた電話の受話器をとると、いつもの調子の聞きなれた声が耳に入ってきた。「神戸のナカイですが」。中井久夫先生がご無事だったことにひと安心し、大震災に見舞われた神戸の様子をうかがいながら、おそるおそる「このようなとんでもない時になんですが、被災地内部からの記録をまとめて少しでも早く本にしませんか」と言ってみた。しばしあって、「そうしましょう」との声が返ってきた。頼む側もつらかったが、引き受ける側がもっとつらいのは当然であった。ただ、おたがいニュアンスは違っても、たとえば関東大震災後にみられたように、噂と虚構と事実が綯い交ぜになってその後の歴史で恣意的に浮き沈みするようなことを二度と繰り返してはならないという思いがあった。

1995年に出たオリジナル版。

1月末から2月はじめにかけてファックス送信と電話での聞き取りを併せて、まずは『みすず』誌2月号に「災害がほんとうに襲った時」を掲載、その前後に震災後一カ月たたない神戸に出向き、中井先生の周りで被災者の救援にあたられていた人たちともお会いし、単行本の編集にあたった。そして、神戸だけでなく全国から駆けつけてこられた精神科医をはじめ、看護師や医局秘書さんまで、中井先生を筆頭に39名に執筆していただいた『1995年1月・神戸――「阪神大震災」下の精神科医たち』を3月20日に刊行した。震災から二カ月がたっていたが、それでも被災地内部の記録をまとめた本としてはもっとも早く刊行されたものである。奇しくも発売日に地下鉄サリン事件が起こる。

阪神淡路大震災後50日間を記した『1995年1月・神戸』は刊行直後から新聞雑誌やテレビでも取り上げられ、多くの反響を呼んだ。3万部ほどが読まれたが、刊行から一年たつと、不思議なほどぴたっと売り行きが止まった。ちょうどその頃に、阪神淡路大震災後一年の記録をおさめた『昨日のごとく――災厄の年の記録』(これは中井先生がそのつどに書いた9篇に8人の文章を加えたもので、自分ながらうまく編集できた本だった)を刊行したが(1996年4月)、これは予想通りというか、さっぱり捌けなかった。「まあこんなもんなんでしょうねえ」と先生と慰め合っていたのを思い出す。

僕としては、「被災地内部からの記録を歴史に残す」という当初の目的は達したわけだし、エッセイとしても資料としても読め、A5判で300頁ほどあるこの二冊の役割は終えたとほぼ満足していた。そのうえ、この二冊も一役買って、「こころのケア」「PTSD」などの言葉やそのための実践が日本でも定着しはじめ、「精神科」へのハードルも少しは下がったのだ。

震災ふたたび

2011年3月11日から数日たった3月16日、原発騒ぎと電車の運休で人気のすくない編集部に電話があり、受話器をとると、久しぶりに聞く声だった。「サイショウです」。ノンフィクション作家の最相葉月さんからであった。「いま中井先生の神戸のお宅にいます。被災地にいる人、救援にかけつける人のために、先生の「災害がほんとうに襲った時」をネットの私のサイトに載せたいんです。先生からはたったいま許可を得ました」。

その二日前に、僕は中井先生に『みすず』誌のために今回の震災についての一文をお願いしていた。そのときは、神戸の地震と今回の東日本大震災は規模もあり方もかなり違うので、最相さんのような発想は思いつかなかった。「わかりました。とても急ぎますね。以前の本の印刷所にデータがあるかどうか、あってもテクストファイルにするのに時間がかかるかどうかをまず聞いてみます。むつかしそうなら、僕のほうで入力します」「いえいえ、私のほうでワープロで打ち込みます」とやりとりが続いたが、結局はその翌日夕刻には印刷所からテクストデータをもらい、かつての文章をもう一度読んで横組用に整理し、18日夕方にそのデータを最相さんに渡して、最相さんもすぐに作業にかかり、3月20日には「災害がほんとうに襲った時」はアップされた。それはみるみるうちに広がっていった。

新版は電子書籍としてもリリース。

時を同じくして、『1995年1月・神戸』『昨日のごとく』の二冊が突如として注目されはじめていた。「今こそ読まれるべきものだ」と。そこで、最相さんからのご提案のあった翌日、みすず書房からも過去の二冊に収録された中井先生の文章を中心に再編集し、『災害がほんとうに襲った時――阪神淡路大震災50日間の記録』『復興の道なかばで――阪神淡路大震災一年の記録』として刊行することを決めた。それも今回は、本のかたちだけではなく、電子版としても。

エドワード・サイードも『世界・テクスト・批評家』で言っていたように、どのテクストも公共の場に投げ出されると、それは著者のものではなくなり、読者によって多様な読まれ方をするようになる。ちょっとこじつけになるが、今回の中井先生のテクストはその最たるものではないか。まず、一流の書き手である中井久夫の文章を新たな編集のかたちで読みたい中井ファン中心の読者、つぎに阪神大震災の一年にわたる記録を読みながら、そこから一種の普遍性を読みとる読者、さらに中井久夫が記した文章を震災後に役立てるための一種の情報やマニュアルとして使おうとする読者(著者自身も今後の震災のためのマニュアルとして書いた節もある)。

送り手であるわれわれとしても、現在、被災地にいて救援活動にあたられている精神科医はじめ多くの救援者に読んでもらいたいという思いもあれば、いまは他の地にいて後方支援にあたっている人、これから被災地に向かう人、今後の展望を考える立場にいる人、そして「ふだんどおりの読者」まで、いろいろな読者に届けたいと考えていた。時と場所に応じた多様性と一種の緊急性を併せて判断したとき、今回のように、最相さんが発したサイト、みすず書房からの本と電子版という三つのかたちは、送り手にとっても受け手にとっても柔軟に機能するように思う。

出版社にとってもっとも嬉しくかつ重要なのは、自分たちが刊行した本がそれを必要としているひとりでも多くの読者に届けることだ。みすず書房のように人文書を中心とした出版社では、電子版というのは、当の本にフィードバックさせるための宣伝機能が中心ではないか、とこの間考えてきた。しかし、本のあり方に応じて電子版を活用することでもっと多様な広がり、受け手にも送り手にとっても納得のいくかたちがつくれるのではないか。今回の試みをそのためのワンステップとしたいものである。

これから、中井先生と電話とファックスで『復興の道なかばで』の校正刷り再校のやりとりをする。先生はメールはむろん、パソコンも使われない。16年前ほど慌ただしくはないものの、先生との仕事のやり方は、「昨日のごとく」である。

電子書籍の配信先とフォーマット
iPhone/iPad向けアプリ、App Storeにて販売。MCBook形式で。
Android向けアプリ、Android Marketにて販売。MCBook形式で。

リリース予定と価格
『災害がほんとうに襲った時』 4月27日リリース予定 600円(税込)
『復興の道なかばで』 5月10日リリース 800円(税込)

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執筆者紹介

守田省吾
(みすず書房編集部)
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