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百年の一念

「書物を契機としてコミュニケーションを媒介し、それによってコミュニティを生成・確認・維持・展開していく一連の営みである」(長谷川一『出版と知のメディア論 エディターシップの歴史と再生』みすず書房 2003)

これは出版についての定義だが、そのまま本屋についての定義でもあり、百年のしたいことである。本屋は本を媒介にして、お客さんとの知的・文化的コミュニティを築く場所であるはずだし、そうなりたいと思う。

OLD / NEW SELECT BOOKSHOP 百年は2006年8月にオープンし、もうすぐ4年が経つ。新刊書店に5年ほど働いているうちに、自分のやりたいことからどんどん離れていると感じて、それなら自分で理想の本屋をやろう、と決意した。27歳のときだ。古本と新刊本・リトルプレスを主に扱っている。多くの人に面白がってもらい、おかげさまで順調に成長させていただいている。

新刊書店、古本屋とも棚作りによってお客さんとのコミュニケーションはできる。棚を見て、ここにこの本があるのか、この本を仕入れているのか、この見せ方はすごい、など書店員の編集能力によって棚の面白さが変わってくる。その棚に反応するお客さんは常連さんになるし、ピンとこないようだと離れてしまう。お客さんが何を求めているかを想像するのも大事だし、それに合わせて書店員の能力も試される。この攻防こそがお客さんとのコミュニケーションだし、日々の書店業務の楽しさでもある。

古本屋ではそれに加えて本の買取りがある。お客さんの本に価値を決め、それに対価をお支払いする。定価による一律的な判断ではなく、その本がいま読まれるべき本なのかどうかを見極める。お金のやりとりという直接的なコミュニケーションをすることで、より信頼関係が生まれていく。そのためには誠実でなければならない。その誠実さは、接し方はもちろんだが、眼に見える「お金」によって判断されるだろう。千円で買われて一万円で売られていたらいい気持ちはしないはずだ。ここまでじゃなくてもこれに近い経験をした人は少なくないんじゃないだろうか。

創業4周年を記念してリニューアルされた「百年」のウェブサイト。

コミュニケーションする本屋、という考えをHPでも実践しようとリニューアルした(商品登録数を増やすための容量アップという実務的な理由もある)。旧HPとの違いは「パブリック・リレーションズ」が加わったこと。広告の意味でのPR(public relations)はもちろんあるが、それが第一義ではなく、百年の考えや興味を知ってもらい、その反応を受け取って、よりよい本屋を目指すためのページになっている。

いまは僕とスタッフのブログだけだが、今後は本や本屋にまつわるインタビューなども掲載していこうと思っている。「パブリック」には公共的な、よりひらかれたスペースでありたいという願いと「パブリック」のなかに含まれる「ブック」を通してたくさんの人と関係していきたいという願いがある。

本のコミュニティを「まち」へ延長する

百年をオープンして約4年、これまでありがたいことに多くの方からたくさんの本をお売りいただいた。その経験の中で感じたことは、本には蔵書者の思い出があり、古本屋はその記憶も引き受けていかなければならないということだ。そして、ときどきそのことが重くのしかかることがあるのだけど(亡くなった方の蔵書を引き取る時はいかに大事にしていたのかがわかるのでとくにつらい)、その記憶を、本を、それを必要としている誰かに届ける役目があるということだ。だからこそ、明確にその誠実さを表さなければいけない。

百年ではお客さんを巻き込んでのイベントがある。百年(僕やスタッフ)がいまの社会で知りたいことを、参加してくれる方と一緒に考える場をつくる。百年とお客さんとの熱が交差する。この8の字の連環によって、知的・文化的コミュニティが生成されていく。そして、そこで環を閉じるのではなく、まちにまで延長する。店と店を繋げ、お客さんが行き交い、点から線になる。

ある日のイベント風景。棚は可動式で、イベント時は広いスペースができる。定員は55人。

百年では2ヶ月に一度〈一晩スナック〉というイベントを開催してきた。吉祥寺にあるアンティークショップ、中野にある古着屋、「市」などで販売を主とするジャム屋たちと、百年で各店の買い物が出きて、お酒も飲めて、話ができる場所をつくった。それぞれの店のお客さんとの交流が生まれた。経済面での効果もある(だからこそモチベーションが持続する)。まちの店と繋がることで、閉じることのない運動が生まれていく。そのエネルギーは伝播し、百年とは関係なく、あたらしい線が描かれるだろう。そして、その先には面になるような展開が生まれていくはずだ。

まちと共生すること。ただ、「もの」を売るだけでなく、「もの」の先にいる人とコミュニケーションすること。ただそんなあたりまえのことをしたいと思う。そのときはじめて、本屋は「本屋」となるんじゃないかと思っている。

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執筆者紹介

樽本樹廣
百年
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