先日上梓した『デザインの風景』(BNN新社)は、足かけ10年、実質8年半の雑誌連載をまとめたもので、各回2000字前後の原稿が全話、103回分収録されている。内容はデザインエッセイで、デザイン(あるいはデザイナー)という視座からみた、いうなれば雑記である。
雑記とはいえ侮れないもので、毎月10年も続ければそれなりの記録になっている。たとえば、愛知万博など自分がかかわった仕事のほか、住む町や時代の変化を記すともなく書いてきた。あらためて読み返してみると、連載最初のころの考え方が今ではまったく違うものになっていたり、興味の対象がずれていたりするが、案外思考の軸というのはぶれていない。その中にあって、ぶれているどころか軸が定まっていないのが電子ブックの話である。
電子ブックについては都合4回取り上げており、松下(パナソニック)のシグマブックやソニーのリブリエといった読書端末が発売された2004年に2回、2009年、Amazon Kindle2の発売をきっかけにやはり2回書いている。この各々の2回は正・続の態になっており、読み切りベースの連載の中では異質である。ここにも軸のなさが露呈している。
たとえば、2004年当時は1990年代のエキスパンドブックの反省から「ただ本を移植しただけの電子メディアに魅力はない」とし、2009年には、2004年を振り返り「本と電子ブックも同じでいいのかも知れない」と真反対のことを書いている。
やはりこの連載で、日本の電子出版史とまではいかないが、電子ブックのトピックスを時系に並べてみたことがある(『デザインの風景』P376収録)。最初のトピックは日本電子出版協会の設立で、それが1986年だから、おおよそ四半世紀分を記載している。大きくは、1991年の米ボイジャー社のExpandedBookから97年青空文庫開設までの第一の波と、ケータイ小説の流行からはじまり、任天堂「DS文学全集」(2007年)、iPhone(2008年)を経て今に至る、第二の波に分けることができる。その間に先述のシグマブックやリブリエがあるのだが、残念ながら波をつくるまでには到らなかった。
第一の波は、フロッピーディスクやCD-ROMなどでのパッケージ出版が主流で、80年代後半のBBS(主にニフティサーブ)でのスタックウェア(Apple HyperCardをエンジンとしたソフトウェア)のムーブメントが源流のひとつにある。インディペンデントでの流行が、(やはり自主制作に近いとはいえ)一般書店や電気店の店頭に並ぶといった興奮があった。たとえ閉じたBBSであっても、ネットワーク上のデータが“モノ”になって流通するという(今から考えれば)逆転現象が起こっている。90年代初頭では物流こそがパブリッシングであり、電子メディアといえども複製文化の外にはなかったのだ。
一方、第二の波ではクラウド上に本のコンテンツがあり、専用端末から直接ダウンロードすることができる。場合によっては直接アクセスして、ダウンロードすることもなく読むことができる。モノとして現れてくるのは、専用であれ汎用であれ読書端末だから、やれKindleだのiPadだのと騒ぐことになるが、それはまだ複製文化時代のイメージが人の頭を支配しているということだろう。書物はすでに遍在文化の時代に入っている。
「電子書籍 第二の波」で「読著者」が生まれる
第一の波と第二の波の間に何があったかといえば、ワールドワイドウェブの普及である。インターネット上のハイパーテキスト情報システムは、言葉をノードとして、画像や映像をも結びつけることに成功した。瞬く間にウェブは大きな情報の器になった。2005年ごろ、そのウェブにも変化が訪れる。ウェブ2.0である。
おさらいの意味で書いておくと、提唱者であるティム・オライリーは、ウェブ2.0を「送り手から受け手へ一方的に情報が流れる状態から、送り手と受け手が流動化し、誰でもがウェブを通して情報が発信できるように変化したもの」だと定義している。
ウェブ2.0によって、情報技術から情報サービスへと主役が代わった。ブログやSNS(ソーシャルネットワーク・サービス)がその代表格だが、このふたつはまだ完全に送り手と受け手が流動化しているとは言い難い。口コミ操作やカリスマブロガーの存在がそれを証明している。映像や写真の共有サービスであるYouTubeやFlickrもあまり事情は変わらない。しかし、2006年に登場し、わずか3年で利用者が5000万人を超えたといわれるTwitterは、まさに「送り手と受け手の流動化」と呼ぶにふさわしい様相をみせている。Ustreamも然りであろう。そして、電子出版第二の波はそれらと同期するようにして起こっているのである。
書物における「送り手と受け手の流動化」は、BCCKSをその先駆としていいだろうか。BCCKSとは、グラフィックデザイナー・松本弦人が率いる、ウェブ上で本をつくるサービスである。公開当初は本の形式を模したブログの域を出なかったが、情報から物質へと展開した実際の紙の本、「天然文庫」の発行によって、受け手であると同時に送り手でもある、いうなれば「読著者」を成立させるのに成功した。デジタルデータを物質(紙)にアウトプットすることで、複製物としての本ではなく、遍在する本をつくったのである。考えてみれば、電子ブックとレイアウトソフトから直接印刷するオンデマンドプリントは、デジタルデータの出力先がオンスクリーンであるのか紙であるのかの違いしかない。すでに書物はデジタルメディアになっていたのである。
松本弦人は、CD-ROM『ポップアップ・コンピュータ』(1996年)、『ブックメーカー』(97年、未完成)など、ブックメタファーを利用したデジタルコンテンツを早期から制作し、電子ブック第一の波の一翼を担っていた。
もうひとつ、97年から07年の電子ブック空白の時代に起こっていたことは、本と電子情報に対するクリティカルな活動である。まさにこの『マガジン航』の前身といってもいい『本とコンピュータ』誌は、第一の波が終わろうとしている1997年に創刊し、第二の波がやってくる直前の2005年に終刊を迎えている。そして、その間に蓄えられた青空文庫に代表される電子テキスト群が第二の波を先導するコンテンツとなっていることは、記しておかねばならない。
さて、ぼく自身はといえば、91年から97年の間に『タルホフューチュリカ』(93年、ボイジャー)、『カムイ外伝』(97年、小学館)など、6本の電子ブックを制作し、その後、いくつかの大きなウェブプロジェクトを経験して、昨年、epjpという電子出版のレーベルを立ち上げた。
初期電子本については、1998年に現『マガジン航』編集長の仲俣暁生さんにインタビューしていただいた「どんなメディアでも本は本だ ──ブックテクノロジーという考え方」(『季刊・本とコンピュータ』98年夏号掲載)に詳しい。今後電子化すれば読んでもらえる機会もあるだろう。
昨年(2009年)は3冊のKindle Bookをリリースした。Kindleは、米Amazon社が発売した読書端末のことと考えられているが、Amazonが推進する電子ブックサービスの総称と理解した方がわかりやすい。Kindleの名を冠する専用端末のほかに「Kindle for iPhone」や「for iPad」などのブックリーダーを無料配布しており、そこで読める独自フォーマットの電子ブックをKindle Bookという。このサービスの最大の特徴はだれでもが本を出版できるところにある。販売はAmazon.comだが、日本からでも可能である。
リリースした3冊のうち2冊は英語版で、世界各地からダウンロードできるようになっている。しかし、実験的につくった日本語版は米国内でしか販売できない。
人に先に夢を見られると眠れなくなるタチのぼくは、とりあえず真っ先に夢を見ようと眠りについた。が、まだまだ浅い。
■イベントのお知らせ
この記事の筆者である永原康史さんと、文中で紹介されている松本弦人さん、『マガジン航』編集人の仲俣暁生の三人が参加するトークイベント「電子ブックのコンテンツをいかに企画するか?」が6月13日(日)13時より、青山ブックセンター本店内・カルチャーサロン青山にて行われます。詳細はこちらをごらんください。