はじめに
まずはじめに、今日の話の前提としてお伝えしておきたいんですが、僕は「出版が社会から不要と宣告されて潰れてしまったら、それはそれでしょうがない」と思っています。消えるものはどう抵抗しようが消えるだろうし、逆にいえば必要な限りは存続できると思うんですね。
実際、出版に関連する仕事の中でも、写植屋という商売は僕らが潰してしまってます。ポット出版も、かつては写植屋に毎月20万円分くらい仕事を発注していましたが、1992~93年頃を境に、ぴたりと一銭も払わなくなりました。写植屋に頼むとB4版程度の印画紙一枚あたり1万円くらいかかるところを、自分でパソコンを買ってデータを作り、それを通信で送れば、1000円とか2000円とかでできちゃうんだもの。このほうがぜんぜん安く済む、そう思ってみんなが乗り換えた結果、写植屋はバタバタ潰れていきました。
そうやって僕ら自身も関連業種を潰していったわけだから、時代が変わって今度は出版社自身が潰れることになったとしても、それはそれでしょうがないだろうと思っています。僕は決して「出版社だけが生き残る」ために、出版の未来を考えているわけではありませんので(笑)、そのことは最初にご理解いただければと思います。
ポット出版設立の背景
ではまず、僕と出版業界との関わりについて簡単にお話ししたいと思います。
僕は十~二十代の頃は左翼かぶれでしたが、あることを考えて辞め、1986年にデザイン事務所に就職して、出版の仕事に携わり始めました。そして89年11月に、ポット出版として一冊目の本を発行しました。したがって今年はポット出版にとって20周年という年になるんですね。だからといって、特に何をやるわけでもないんですけど(笑)。
当時のポット出版は、自社では発行のみ行なって、発売は原田奈翁雄さんという方が立ち上げた「径書房」というところにお願いしました。原田さんはもともと筑摩書房の役員を務めていた方です。78年に筑摩書房が一度倒産したとき責任を取って辞職し、そのとき手がけていた本を発行するため、自分で新しく径書房を作った、と聞いています。ただ、当時の僕が径書房に発売代行を頼み込んだのは、原田さんの娘さんが僕の高校の先輩という縁があったからで、僕自身は径書房がどんなところか、まったく知りませんでした(笑)。
で、この径書房がやはりなかなかイデオロギッシュな会社でして、本の中身について何度か揉めたことがあったんです。特に94年、図書館とメディアをテーマにした『ず・ぼん』という本を出そうとしたとき、大きくトラブって、それをきっかけに新泉社という出版社に乗り換えました。新泉社は、未來社で営業をやっていた小汀良久さんという方が創業した会社です。彼は出版業界の中では悪名高い(笑)左翼団体「出版流通対策協議会(以下、流対協)」や「NR出版共同組合」を作った方で、言ってみれば小出版社団体の親分みたいな人。とても面倒見が良くて、径書房で発売拒否された『ず・ぼん』を、ゲラも見ないまま「いいよ、いつ出すんだい?」と二つ返事で発売代行してくれました。
これは余談ですが、当時の新泉社は正味(取次会社に本を卸したときの出版社の取り分)がたしか71%と高く、さらに定価別だったので、10%の発売代行委託費を新泉社に払っても、ポット出版の実入りは60%以上ありました。今のポット出版は本の正味が67%で新刊歩戻し(取次会社に新刊を委託販売してもらったときに一冊にかかる手数料)5%ですから、新刊に関していえば62%。新刊が全部売れるわけじゃないので、実質正味は60%くらいと考えれば、当時とほぼ同じですね。でも、当時は新泉社にまるまる発売代行してもらったうえで、六割もいただいていたわけです。僕らは印刷会社に新泉社の倉庫に納品してもらうだけで、あとは小汀さんが全部やってくれる。これは取次を通すより便利だ!と思って、なかなか自社で取次口座を開く気になりませんでした。
ところが、この新泉社が97年末に一度不渡りを出すんです。その後は見事に持ち直して現在も経営を続けていますが、そのときは取次との取引が一時中断して、発売直前の『ず・ぼん』4号が出せなくなってしまいました。それでやむなく、取次を回って直接口座を開き、以降はポット出版として発行・発売を行なうことになりました。自社で発売も行なうようになると、倉庫を借りるのも出庫管理も取次請求も、全部自分でやらなきゃならなくなって、その大変さを痛感しました。
ちなみに『ず・ぼん』は現在14号まで出ていますが、これは今の僕にとって、非常に役に立つメディアになっています。僕は近い将来、国会図書館の蔵書を全文検索できる「ジャパニーズ・ブックダム」という仕組み(後述)を作りたいと考えているんですが、そのための工作が可能になってきたのも、去年『ず・ぼん』14号で国立国会図書館長の長尾真さんにインタビューしたことがきっかけです。メディアってものすごい武器になるんだなあと実感しています。
ポット出版の現在の取り組み
現在ポット出版では、出版事業そのものだけでなく、出版流通に関わる組織や図書館運営などにも積極的に参加しています。その代表的なものが「版元ドットコム」です。
僕が版元ドットコムを作ろうと思ったのは、90年代の終わり頃、流対協で開催した勉強会がきっかけでした。実はポット出版は、社長の僕が再販(「再販売価格維持制度」。商品の定価販売を遵守させる制度)不要論者であるにもかかわらず、今年の3月まで流対協に所属していたんです。それどころか、90年代末には流対協の幹事までやってました。新泉社の小汀さんに「お前やれ」の一言で決められてしまって(笑)。でも、流対協内で「再販を守れ」とか言ってるのもイヤだったので、僕自身が流対協内の組織の中でもっとも興味をひかれた「電子ナントカ委員会」というプロジェクトチームに入り、インターネットの勉強を始めました。当時はADSLが登場して、インターネットがそれなりに普及してきた時代だったんですね。また、流対協内でも日本書籍出版協会(以下、書協)の運営する書誌情報サイト「Books. or. jp」についての勉強会が行なわれたんですが、僕はそれに参加してすごく刺激を受けまして。以降は自分で講師を招いて、「インターネットの中で本の存在をどのように定着させていくのか」という勉強会を継続的に開くようになりました。これは全部で5回くらい開催したかな。で、その反省会のときに出たのが、版元ドットコムのアイディアだったんです。「自分たちが作った本の情報は、自分たちでインターネット上にアップしておくべきだ。でないと検索エンジンにひっかかることもなく、せっかく作った本が存在しないことになってしまう」と危機感を持った有志が集まり、版元ドットコムを立ち上げることになりました。
ただ、そんな事情で始まったものですから、初期の版元ドットコムは流対協嫌いな人達から「あいつら流対協だろ」というレッテルを貼られていました(笑)。流対協の幹事会では、「版元ドットコムを流対協としてやるか、流対協とは別組織としてやるべきか、判断してほしい」と投げかけました。その結果「流対協としては無理」ということになり、版元ドットコムは流対協に入っていた出版社数社が中心ではあったけれども、あくまでも独立した組織として、99年に発足しました。
版元ドットコムの目的は「版元から書誌情報を発信し、小出版社が流通や営業のノウハウを共有・共同化すること」ですが、実は最初からもう一つ、別の目標がありました。それは「版元ドットコムとして、業界のルール決定の場に関与できるようになりたい」ということです。
当時は出版業界内で決められていくさまざまなルールに対して、意思確認が行なわれるのはせいぜい書協くらいまでだという感じを持っていました。僕らは版元ドットコムを通じて、大手だけでなく小出版社の意見もきちんと業界に反映させられるようにしたかったんです。
その思いが結実したのが2002年、日本出版インフラセンター(以下、JPO)ができたときでした。JPO内の出版在庫情報整備研究委員会(以下、情整研)のメンバーとして、版元ドットコムからも僕を含め二人が参加することになったんです。
この情整研は三つの部会に分かれていて、その第一部会が今の「倉庫ネット」の母体になったものだと思います。ここで取り組んだのが「情整研」の構想でした。在庫ステータスの見直しの議論も面白かった。東大出版会の大江さんが出したアイディア。ステータスを決定するとき、電子的に処理可能な「在庫あり」「在庫なし」「重版未定」などに加えて、「要電話確認」つまり「電子情報では処理できないステータス」も作ったんです。
そもそも電子受発注で一番問題になるのは「電子処理できないイレギュラーな情報をどう処理するか」なんですが、そういった情報はどうやったって電子受発注には馴染まないから、あえて「電子情報で処理しないステータス」を作ろうとしたわけですね。これはとても画期的なアイディアだったと思います。このほかにも情整研では、書誌情報をインターネット上で自由に利用させる技術、今でいえばアマゾンの書誌情報を自分のブログに貼り付けるAPI(Application Program Interface)技術なども研究していました。
いっぽう図書館運営に関わる活動としては、2006年からNPO法人「げんきな図書館」の理事になりました。「げんきな図書館」は2003年に設立された組織で、現在は中野区の東中野図書館と江古田図書館、そして今年四月から渋谷区立代々木図書館の業務委託を受託しています。僕は「図書館の業務委託を受けている側から何ができるのか」に興味があったので、ずうずうしく押しかけていき、仲間に入れてもらいました(笑)。
また、昨年夏には国立国会図書館の柳与志夫さんに声を掛けられ、「出版コンテンツ研究会」に参加しました。これは昨年末に報告書をまとめて一区切りつけたんですが、その後も活動はゆるく継続しています。ここでの研究結果は『デジタルコンテンツをめぐる現状報告』という本にまとめ、ポット出版から今年7月に発売しています。
そのほか、今年に入ってからは筑摩書房などと一緒に新しい共同責任販売制度「35(さんご)ブックス」を立ち上げたり、国会図書館の蔵書を全文検索できるようにする「ジャパニーズ・ブックダム」のプロジェクトもスタートさせています(いずれも後述)。
また7月には、永江朗さんが書かれた『本の現場』という本を、ポット出版初の非再販商品として発売しました。カバーには、「希望小売価格」「非再販」と明示してあります。実は、非再販の本は書店が価格を決めるということから、価格バーコードは「0000円」と入れておき、レジでいったんエラーにしたうえで改めて金額を入れさせるのが正しいルールなんだそうです。
でも、もし実際にそうしていたら、非再版本が一般的ではない現状では、この本が書店のレジでエラーを起こしまくって、書店に大迷惑を掛けていたはずです。なので、今ではこの方式にしてかえって良かったかな、と思っています。ちなみに、書店側がこの本をいくらで売っているのかについては、自分たちでは調べていないのでわかりませんが、テレビ局が取材に来たとき、都内の書店10店くらいで聞いたところによると、みんな「希望小売価格のままで売る」と言っていたそうです。
出版の未来について
さて、ここからは「出版の未来」について考えていきたいと思います。
まず、僕は今の時代を「出版にとっての激動期」だと思っています。これは言い換えれば、僕ら小出版社にとってはチャンスでもあるわけで、けっこうワクワクもしています。たとえば先にお話しした「35ブックス」にしても、名だたる出版社名がずらりと並ぶ中、最後にポット出版の名前が平然とくっついていたりするわけで(笑)、自分でも「この“格”のバランスの悪さってどうよ」とも思いますが、でも僕らがこんなことをできるのも「今が激動期だから」というのが最大の理由だと思います。こんな時代だからこそ、何か面白いことがやれるはずだ、チャンスだ、というのが、僕の基本認識です。
そんな中、僕がイメージしている出版の未来像は二つあります。一つめはメディアの変化について。これは小林弘人さんが『新世紀メディア論』(バジリコ)で語っている内容でほぼ間違いないと思いますが、ただ、メディアの機能のうち「メディアを紹介する機能とウラを取る機能」、言い換えれば「選別機能と確認機能」だけは、この先もメディア・出版に残るだろうと思います。
これについては、具体的な例を一つ挙げてみましょうか。先日、ライターの松沢呉一さんとも話したことなんですが、YouTubeにアップされているマイクロソフトのCMの中に、「長い滑り台を滑っていって数十メートル先の、小さなプールにスポンと飛び込む」という映像があるんですね。これ、実はマイクロソフトが発売している3DアプリケーションソフトのCMなんです。「このソフトを使うと、こういう動画も作れちゃうよ」とPRしているわけで、動画の内容は合成で作られたものです。でも、パッと見はホンモノのように見える。実際、松沢さんも最初はホンモノだと思っていたそうです。ところが、このCMがNHKの素人動画投稿番組に取り上げられた際、番組内で「これは合成です」と説明されたんですね。NHKが放送前に著作権者に確認を取ったことで、合成の事実がわかったのだと思います。
僕はこういったことこそが今後メディアに残された、最後の「求められる機能」だと思います。情報がますます増えていく中、メディアには「何を見るべきか」を選別する機能、そしてそれが「インチキでないかどうかのウラを取る機能」こそが求められていくのではないか、と。この点で、僕と松沢さんは深く合意しました。
さて、僕がイメージする出版の未来像の二つめは、電子書籍です。電子書籍が普及するかどうかについてはいろいろと議論がありますが、僕は「デバイスとコンテンツがうまく合致しさえすれば、数年以内に必ず電子書籍は普及する」と考えています。というより、それ以外はないんじゃないでしょうか。先日の日経新聞では、経済学者の大竹文雄さんもこんなことを書いていました。「築地書館から出ている『オックスフォード・サイエンス・ガイド』を購入したが、重くて持ち歩けないのでダイニングで読まざるを得ない。いっぽう電子書籍ならばどこでも読むことができ、研究室や自宅が本で埋まることもない。オックスフォード・サイエンス・ガイドも自分でPDF化して、スマートフォンで読めるようにしようかと考えている」と。
この感覚はとてもよくわかります。僕自身、去年iPhoneを買ったんですが、それ以降、これまで読まずに捨てていたメールマガジンを一通り読むようになったんです。その結果、普通の本を読む時間がなくなるという弊害が出たんですが(笑)、いずれにしても電子書籍の普及にあたって障害となっているのはデバイスとコンテンツ提供の量の問題であって、それさえ解消されれば、電子書籍が普及するのはあっという間だと思います。
さて、そうなったときに考えなければならないのは、「紙メディアがなくなった後、出版社はどうするのか」ということです。僕は最初に述べたとおり、経営が成り立たない出版社が潰れるのはやむを得ないと考えていますが、それを前提としたうえで、まずは出版にかかわる数字を現実的に検討してみたいと思います。
2008年の出版業界全体で約7万6000点の新刊が出ています。書籍の新刊推定発行部数は約4億部で、これを新刊点数で割ると、5300部になります。しかし、新刊の中には大ベストセラーもあるし、新書は初版1万3000部くらい刷ることが多いので、通常の新刊書籍の発行部数は一点あたり5000部以下になるのではないかと思います。実際、ポット出版で出している書籍は多くが初版2000~3000部ですし、今はどこの出版社でもだいたい同じ状況なんじゃないでしょうか。つまり、出版とはその程度の規模のメディアだということを前提に、お金のやりくりを計算しないといけないわけです。
では、これをもうちょっとリアルな数字に置き換えて考えてみましょう。たとえば定価1800円の本を2000部刷ったら、完売したとして売上が360万円、正味65%なら出版社に入ってくるお金は234万円です。ここから印税として売上の10%分となる36万円を著者に払い、印刷・デザインにかかる60万円を引くと、残りは140万円ですね。書籍の編集者は一人あたり年に10~12冊がノルマという場合が多いのです。そこにもう一人営業マンが付いて、二人で月に一冊ずつ本を作って売っていると考えれば、一ヶ月あたり140万円で二人がメシを食い、会社の家賃や光熱費などの経費を払わなければならない、ということになります。もちろん、初版が売れ残る場合もあれば、逆にどんどん売れて増刷がかかる場合もありますから、一概には言えませんが、まあおしなべて考えればこういう計算になります。
では、これが電子書籍になったらどうなるか。よく「電子書籍は金がかからない」とか「何部発行してもコストは同じ」と言われますが、これは大いなる誤解で、安くなるのは印刷代の実費だけです。電子書籍にもアップル・アマゾン・グーグルやボイジャーなど流通を担う会社があり、そこを通せば40%前後の流通経費が取られるし、印税だって売れた部数に応じて著者に払わなければなりません。そのうえで編集者と営業マン二人が食っていくための利益を紙と同じように確保しようと思ったら、定価は1575円にしないとやっていけないんです。電子書籍としては、これはちょっと高すぎる。つまり経営者は、電子書籍に移行すればするほど、編集や営業のコストをさらに削らざるを得ないわけです。
ただし、その結果、社員にだけ過剰なしわ寄せが行くことになってはいけません。社員の給料を減らす前に、徹底的に業務を見直す必要があると思います。たとえば「店頭営業は本当に必要なのか、どこか別の出版社と共同で行なうことはできないか」と考えるとか。実際、僕は版元ドットコムの加盟他社に「営業部門を統合しませんか」と持ちかけたことがあります。あと、編集作業も過剰品質になっていないかどうか、一度振り返ってみたほうがいいでしょうね。
ただ、そもそも今の時代、会社員は高賃金をもらわないと生きていけないほど大変か?といえば、僕はそんなことはないとも思うんです。単に収入アップを求めるよりも、そこそこ楽しく暮らせる程度の給料で、「仕事」もうまく楽しむという方向に向かうと思います。物価も下がってるしね。880円のジーパンだって、面白がって買ってるだけじゃないかな? 普通に数千円払ってジーパンを買って、それでジーパンを作った人がちゃんとメシを食えるような社会構造にシフトしていくと思う。モノは使い切れないほど持ってるから、消費財はあまり必要ないんですよね。環境的には、もうそうやって考えるべき時代に来ているのではないでしょうか。
35ブックスの現状と成果
ではここで、先にもちょっと紹介した「35ブックス」の現状と成果について、少し詳しく説明しておきます。
35ブックスは、筑摩書房、河出書房新社、平凡社、青弓社、中央公論新社、二玄社、早川書房、ポット出版の8社が共同で始めた新しい責任販売制度です。出版社の正味を55%にして、通常22~23%の書店利益を35%に拡大するいっぽう、返本の際の引き取り価格は35%に下げるという仕組みで、書店の利益を確保するとともに出版社の返本リスクを下げることが狙いです。当初の販売は計26タイトル47冊(セット販売含む)で、記者発表を行なった7月6日から受注受付を始め、11月初旬に配本という予定になっています。
現時点で35ブックスについて中間報告的なことを述べます。まず「書店の意見がぜんぜん反映されていない」という批判はその通りだったと反省しています。かつてJPOで商品基本情報センターを作ったときは、僕は「ネットワーク上でJPOの答申を誰でも読めるようにしよう、投稿も受け付けよう、業界紙を通じて情報を公開しよう」と強く主張していました。意見が来るか来ないかは別として、意見が寄せられる状態にしておくことが大切だと考えたからです。
でも、今回の35ブックスでは、そのあたりの対応がぜんぜんできていなかった。書店の意見を聞く仕組みはないし、僕自身はウェブに飽きてきたこともあって、35ブックスの公式サイトすら作りませんでした。実際、それによるデメリットもすでに起こっています。実は当初8月一杯だった受注〆切を、ここにきて9月一杯に延ばしたんですが、それについて書店に通知しようとしても、現状ではFAXを使うしかないんですよね。もっともインターネットを活用していても、ファックスでのお知らせなど、二重三重の手段を駆使しなければならないけど……。結局のところ僕自身にも「書店と一緒にやる」という視点が決定的に欠けていたのが問題だったと思います。
ただ、35ブックスの現在のシステムについて、僕が「実現できて良かったな」と思うのは、補充が可能な仕組みにしたことです。35ブックスは出版社の正味が55%で、書店には65%で卸します。取次は一本正味といって、大手書店に卸すとき、各出版社の正味が何%であっても、たとえば75%なら75%で揃えて請求書を出しているらしいんですね。ところが35ブックスは、卸値を65%にすることに意味があるので、これらだけは特別扱いしなきゃならない。当初、取次はそれをできないと言っていた。35ブックスとの交渉では「一回限りの搬入なら手書き伝票のようなものを作って対応するが、補充はしない。その後は一年間(できれば半年)でケリを付けたい」と言われたそうです。
筑摩書房など他の出版社は復刊書籍の販売をメインに考えていましたから、補充がなくても何とかなりそうだと思った。でも、ポット出版は新刊で取り組んだ。新刊は初回配本だけでは無理で、補充がないと困る。そこで僕は「絶対に補充にも対応してもらいたい。ただしこのことが足手まといになるのなら、ポット出版は35ブックスから手を引きますよ」と申し出ました。その結果、取次との再交渉で、補充にも対応してもらえることになりました。
日販・トーハンはこのためにコンピュータシステムを変えてくれたそうです。補充ができるのは新刊だけでなく、復刊にとってもメリットがある話ですから、35ブックス全体にとっても良い結果になったと思っています。何より、これによって「商品ごとに卸値を変えて書店に届ける」という道が開かれたのは、今後の出版流通にとって画期的な変化です。
ちなみにポット出版の場合、通常の正味は67%で新刊歩戻し5%ですが、35ブックスに関しては中央公論新社や筑摩書房など、名だたる出版社とまったく同じ正味で入ります。おまけに完全注文ですから、新刊ですけど歩戻し5%は取られないで済む。このように取引条件の自由度が上がったということは、35ブックスの大きな成果といってよいと思います。
未来に向けてのポット出版の取り組み
では次に、これからポット出版がやろうとしていることについてお話ししていきます。
まずは当たり前ですが「いい商品を作ること」です。これは具体的にいえば「編集者一人ひとりの関心領域で本を作ること」。書籍はこれからますます少部数化が進むでしょう。言ってみればブログと競争することになるわけですから、編集者自身が関心を持てないテーマばかりやらされていたら、ブログと競争していい本なんて作れるわけがない。出版社は少部数化への対応と併せて、一人ひとりの編集者の興味・関心と重なった本作りの体制を構築することが、今後さらに重要になってくると思います。僕自身の究極の夢をいえば「発行は編集者本人、発売はポット出版」というスタイルが理想だと思っています。つまり流通を担うインフラはポット出版が持ち、本作りに関しては徹底的に編集者個人に任せるという方法です。
次に電子書籍への取り組みですが、当面はボイジャーのドットブック形式を採用し、ボイジャーのサイトからiPhoneで読めるものを、新刊の発売と同時に配信していく予定です。また、今後の新刊は時限再版を原則としたいと考えています。
また、新刊についてもう一ついえば、今後のパブリシティは新聞・雑誌よりもインターネット上の宣伝を重視していくつもりです。今の時代、雑誌に書評が出ても本当に売れないんですよ。たとえば今年5月にポット出版から『家畜人ヤプー』で知られる沼正三のエッセイ集『懺悔録』を発売して、週刊文春の「文春図書館」コーナーで取り上げてもらったんですが、これによって動いた数字はアマゾンで10冊、一般書店を含めて全国で50冊くらいだと思われます。つまり文春の書評の宣伝効果は最大50冊ってことなんですね。2000円の本だとすれば、書店の店頭価格で10万円、ポット出版の売上では6万円分です。
そのほか松沢呉一さんの『エロスの原風景』という本も「本の雑誌」や「SPA!」に紹介されましたが、両方とも明確な数字はまったく出なかったですね。それよりも、インターネット上でブロガーに取り上げてもらったほうが、明らかに効果がある。
一例を挙げると、先日発売した山中学さんの写真集『羯諦(ぎゃあてい)』は、田亀源五郎というゲイの世界では著名なマンガ家が自分のブログで推薦してくれたんですが、それだけでアマゾンで数冊は動いています。つまり、彼のブログは、この『羯諦』に関しては「SPA!」や「本の雑誌」以上の効果があるんです。特にポット出版の書籍は、一般書店よりネット書店のほうが購入しやすいものが多いせいか、アマゾンでの売れ行きがいい傾向がありますね。ま、だからといってアマゾンにキンタマを握られたくもないんですが(笑)。
ちなみに僕自身も今年二月から、パブリシティの一環として、ポット出版のサイト上で「ポット出版社長・沢辺均の日記」というブログ連載をしています。最初は「沢辺の今日このごろ」とか、そんなタイトルだったんですが、やっぱりインターネット上の検索を意識すると、ポット出版といえども社名を入れておいたほうがいいだろうな、とか、社長っていう単語もポイントだよな、とか思い始めて、連載15回目くらいで今のタイトルに変えました。
あとは、先に挙げた営業の共同化についても考えていますが、今のところは他社に声を掛けてみた程度で、まだ具体的には進んでいません。この分野に関しては、書店のネットワーク「NET21」がもっとも進んでいると思っているので、今後は彼らのやり方もぜひ学びたいところです。
さて、総じて「出版社における未来への準備」という点で言えるのは、今後は大手より小出版社のほうが有利だということです。たとえば「編集者個人の関心領域を軸にした本作り」にしても、小出版社のほうが制約はないし、フットワークが軽いですよね。そして何より有利なのは、人数が少ないほうが経営をオープンにしやすいことです。
ポット出版では月次決算書と各スタッフの月給を回覧し、「利益を上げたら賞与として山分けしよう」というルールを掲げていますが、特に月給の公開は、大手ではむずかしいでしょう。でも経営がオープンにできないと、会社の方針の舵取りが難しくなります。そういったことからも、今後は小出版社のほうが生き残りには有利だと、僕は考えています。
そもそも、電子書籍を始めようが何をしようが、何らかの方針転換によって劇的に出版社の経営状況が変化するということは、当面はないと思うんです。それよりも、編集者の関心領域での本作りに本気でシフトしていくとか、年に一度の棚卸しは本当に必要なのか?と考えて業務の無駄を省いていくとか、そういう小さいことの積み重ねこそが重要になってくるのではないでしょうか。
ジャパニーズ・ブックダムの夢
では最後に、僕がこれから本気で取り組もうとしている「ジャパニーズ・ブックダム」について説明し、併せて皆さんにもぜひ参加を呼びかけたいと思います。左翼風に言えば「皆さんの総決起をお願いしたい」というところです(笑)。
ジャパニーズ・ブックダムは、一言でいえば「日本語で書かれたすべての本が全文検索できるサービス」です。現在、国会図書館が127億円かけて蔵書のスキャニングを行なっていますが、この事業を軸にして、日本語書籍の全文検索と一部表示のデータベース公開を実現したいと考えています。それによって、書店、取次、出版社、図書人、一般人など誰もが活用できて、それ自身が本の世界を豊かにするインフラを提供できるのではないかと思うからです。
全文検索サービスというと「すでにグーグルがやっているじゃないか」と思われる方も多いと思いますが、現状のグーグルのサービスには二つの問題があります。第一は、現時点ではグーグル一社しかやっていないこと。第二は、グーグルが欧米の出版社を優先していることです。まずは英語圏、その次はフランス語圏、ドイツ語圏と行くでしょうから、日本の出版社まで視野に入ってくるのはいつになることやら、わかったものではありません。つまり現状では、日本の出版社はグーグルと交渉しにくいんです。だとしたら、自分たちで同様のサービスを立ち上げるのが良い。
ただし、国会図書館が現在行なっているのはページのスキャニングだけであって、全文検索機能の前提となるOCR(Optical Character Reader 光学式文字読取装置)化には手を付けていません。出版社や著作者との権利関係の問題があって、今後もやる予定はないそうです。そこで僕ら出版社が協力することで、国会図書館の予算を活用して、なんとか全文検索まで行なえるようにしたいのです。もちろん、実現に向けてクリアしなければならないことはたくさんありますが、クリアできる展望はあるし、クリアしていけばもっと「おいしいこと」もたくさん出てくる、と僕は考えています。
たとえば、現在必ずしもスムーズとはいえない出版社と図書館との関係にしても、この取り組みを通じて友好的に築ける可能性が出てくるし、同様に出版社同士の風通しも、更に良くなると思います。僕自身、これまで版元ドットコムをはじめさまざまな取り組みをやってきたおかげで、大手から中小まで、風通し良く話ができる環境が作れるようになっていますから。
なお、全文検索を実現する以上は、書協と商品基本情報センターが運営する書誌情報サイト「Books.or.jp」の書誌情報をオープンに利用できる環境も必要です。
そもそも、商品基本情報センターを設立した当初の目的は、「全国の書店がネットワークを通じて居ながらにして書誌情報と在庫情報を検索できること」、「書店のポスレジにバーコードを当てると、本のタイトル・著者名・出版社名が表示できるようにするデータベースを提供すること」でした。なのに、現在のBooks.or.jpではこれらが実現できていないんです。書誌情報は「運営費としてお金が必要だから」という理由で売られているだけで、書店をはじめ自由なデータの利用ができていません。まずは書店にデータを渡して、このシステムを使えるようにしなければ、全文検索を実現できても意味がありません。
いっぽうで、著作権者の了承を得るためには、著作権者のデータベース作りも必要です。音楽の分野で著作権を管理しているJASRACには批判も多いですが、見方を変えればJASRACが存在することによって、お金さえ払えば誰でも自由に音楽を使うことができるようになっている、といえます。僕は出版にも同様の組織を作るべきだと思いますし、そのためには出版社も権利処理・利用促進にさらに関与することが必要になってくると考えています。逆にいえば、こういった取り組みを通じて、現在は何の権利もない出版社にも権利が認められるよう、著作権改正を主張できる余地が生まれてくればいいいな、と期待しています。もちろんこれは「著作権を独占するための権利」ではありません。「著作物をもっと利用しやすくするための権利」です。
ちなみに、著作権管理団体の設立に関してはすでにいくつかの動きがあって、中にはお金の配分システムを先に作ろうとしている著作権レジストリ(登録システム)の構想もあるようですが、僕はこれがうまくいくとは思えません。だってレジストリを作っても、運営費が出せるほどには当面は儲かりませんから。版元ドットコムだって140社ほど参加していますが、事務局費を捻出するのも大変な状況ですよ。
むしろここで重要なのは、グーグルの前例ができたことによって、出版社側が「グーグルに自社から本を送ることはしないが、グーグルが勝手にアメリカの図書館からスキャニングして全文検索の対象にする分には構わない」という立場を表明したことではないでしょうか。だったらこの先、日本では僕らが行政と連携しつつ、自分たちの手でジャパニーズ・ブックダムを作りましょうよ、と言いたいんです。
といっても、ジャパニーズ・ブックダムの設立について書協など既存の団体で決議しても、何の実効性もないと思っています。もちろん、版元ドットコムでは「もしジャパニーズ・ブックダムがうまくいくのであれば、版元ドットコムとして賛成しよう」と先日の組合員会議で決めましたが、組合員7社が全員一致で決めて意思表明しても、140におよぶ会員社が全員「右向け右」で同意するわけはありません。書協の会員社にしたって、書協が設立した商品基本情報センターに、商品基本情報一点につき500円の運営費を払っていないところがいったい何社あることか。でも、業界団体は会社とは違いますから、強制力がないのはやむを得ないことなんです。だから、僕らは業界団体で決議をすることを目指すのではなく、「うちはやるよ」と意思表示する会社をどれだけ多く集められるかが重要だと思っています。
というわけで、今の状況はけっこう面白いですから、皆さん、ぜひ一緒にいろいろやりましょうよ! ジャパニーズ・ブックダムに賛同してくださる方は、今日うちに帰ったらまず、Twitter(Twitter社が運営する、利用者一人ひとりがつぶやきを投稿するコミュニケーション・サービス)のIDを取得して、僕をフォローしてください(笑)(@sawabekin)。僕は常にTwitterに情報を公開するつもりですから。現在の様子では、9月末頃までに政府関係機関が二つくらい、出版界に対して「全文検索をやりましょう」と呼びかける手はずになってます。そうなったら、賛同する方だけでかまいませんから、「これいいね、絶対やろう」とTwitterに書いてください。自分の会社の会議で提案してください。その機会がなければ、隣の席に座ってる人に対して「こういうことやろうよ」って、自分の言葉で語ってくれるだけでいいんです。そういう一人ひとりのムーブメントこそが、これからの日本の出版界を動かすんだということを、僕は今、ひしひしと感じています。
今は規模の大きい組織よりも個人の意欲のほうが重要な時代になってきています。皆さん一人ひとりがTwitterやブログで声を上げたり、会社で提案したり、隣の人に話をしたりといった行動を起こすことで、ジャパニーズ・ブックダム構想が現実のものとなる可能性がきわめて高いのです。皆さん、ぜひ一緒にやりましょう!
質疑応答
――最初のほうでYouTubeの話が出ましたが、以前にポット出版で、YouTubeを使って新刊の宣伝に取り組まれたことがあったと思います。そのときの手応えや、今後YouTubeの活用について何か考えていることがあればお聞かせください。
沢辺 YouTubeでの宣伝は、はっきり言ってダメでした(笑)。現代美術アーティストの村上隆と、ゲイマンガ家の田亀源五郎という著名な二人の対談をアップしたにも関わらず、アクセス数は4000~5000程度でしたから。やっぱりYouTubeでいろんな人に見てもらうなら、「YouTubeで見て楽しいもの」、つまり映像としてYouTube的なものでないとダメなんですね。そのためにどういう仕掛けがいいのかについては、今も悩んでいるところです。
――35ブックスへの参加や各種メディアへの登場など、社長の沢辺さんが目立つ行動をすることによって、ポット出版に対する市場の反応は変わりましたか? また、メディアに取り上げられるための働きかけは、沢辺さん自身が積極的にしているのでしょうか?
沢辺 市場の反応については、具体的な数字データは挙げられませんが、書店の反応は確かに良くなっている感じはします。あと、一番顕著に反応が変わったのはうちの社員です(笑)。昔は「社長はまたあんなこと言って、まったくもう」みたいな空気がありましたが(笑)、最近は「へえー、こういう問い合わせがあるんだ」とか、僕が言っていることに説得力が少し増えている気がします(笑)。あと、こういった行動は明確に「意識的に」やってます。Twitterやブログも、より多くの注目を集めるためにタイトルなどを工夫していますし。ただ、書いていることは意外と慎重です。「フカさないで、本気で考えてることだけを言う」というのが、僕の戦略です。
――35ブックスに関して、書店にとってはマージンがきついというのが根源的な問題だと思うんですが、今後再検討する予定はありますか?
沢辺 将来は、マージンの見直しはたぶん起こりうると思いますが、今のところ次の方向性はまだ出ていませんし、僕自身も特に考えていることはないです。正直、現時点で「35ブックスは、書店にとって効果がない」と言われれば「仰るとおりです」と言うしかありません。そもそも、最初の出版点数は50点足らずで、総流通量のうちほんのわずかでしかありませんから、これが出版流通に大きく寄与するかといったら、確かにそんなことはないわけですからね。ただ、補充注文ができるようになったことで、書店にとっては「10冊買うか、ゼロか」ではなく、最初に1~2冊入れてみて、売れたら補充することが可能になりました。こういったことによって取引条件の自由度が上がり、そこから流通の仕組み自体が変わっていくこともありうると思います。
――ジャパニーズ・ブックダムの構想が実現することで、本を読むのが好きな人が得られるメリットは何かあるでしょうか?
沢辺 単に本を読むのが好きという人にとっては、あまりメリットはないでしょうね。小説のキャラクター名を検索できるくらいかな? どちらかというと、研究利用などでのメリットが大きくなると思います。確かに、一般的な読者にはあまり面白いものではないかもしれませんね(笑)。
――ジャパニーズ・ブックダムでは、国会図書館がスキャニングしたデータを活用して全文検索できるようにしたいとのことですが、具体的にはどのような手段で実現しようと考えていますか? 資金のあてはあるのでしょうか?
沢辺 資金面については、国から金をひっぱれるんじゃないかという妄想を抱いています。あと、全文検索サービスの実現については、あくまで推測ではありますが、すでに大日本印刷とか丸善とかインテルとかが、何らかの形で動き始めているような気がしてならないんです。実際、アメリカではマイクロソフトとアマゾンがグーグルに対して反対陣営を張りましたよね。あれは単にグーグルに対抗したのではなく、「同じことを自分たちにもやらせろ」ってことで陣営を作ったんだと思います。ですから日本でも今後、グーグルと同じようなサービスを目論んでいるところがぼこぼこ出てくるんじゃないかな~と期待しているわけです。
――ユーザーにとっては、全文検索機能よりも、アマゾンのレコメンド機能のほうがより役立つと思うんです。全文検索は本当に「嬉しい機能」なんでしょうか?
沢辺 以前、Twitterを通じて「グーグル・ブックサーチの全文検索機能を使ったことありますか?」って聞いてみたら、答えてくれた人のほとんどが「試したことはあるけど、実際にはぜんぜん使ってない」と言ってました。だから現時点で「それって面白いの?」と聞かれたら、僕も「実は面白いのにタイトル数が少なすぎてまだ使えないだけかもしれないし、もしかしたらそもそも面白くもなんともないのかもしれない」としか言えません。ただ、サービスが始まった当初はつまらなくても、後から有効な利用方法が見つかる可能性はものすごくあると思うんです。Twitterだって最初から今のような使い方を想定していたわけじゃなくて、みんなが使っていくうちに面白い使われ方が定着していったわけでしょう。アマゾンのAPIだって同じです。そういった意味で、全文検索は基礎的なインフラとしては十分に価値があると思います。
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※この記事は、2009年9月8日に行われた「でるべんの会(出版関係勉強会)」での講演をまとめたものです。(構成:高橋久未子)
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