遠景と日常

2022年2月27日
posted by 仲俣暁生

第29信(仲俣暁生から藤谷治へ)

藤谷治様

新作『ニコデモ』の感想をお伝えしようと思っているうちに、ロシアとウクライナの間で戦争が始まってしまいました。「戦争が始まった」といっても、ネットやテレビを経由して流れてくる情報や断片的な映像(そのいくつかは後でフェイクだと分かりました)を介してしか触れることができませんが、やりきれない気持ちになるにはそれだけでも十分です。

そんななかで前回の藤谷さんの手紙を読み返し、次のくだりにあらためて目をとめました。

人間にとって歴史とは遠景にすぎないのです。あるいは単に「事情」と呼んでもいいでしょう。よく小説や映画の宣伝文句に、歴史の渦に翻弄される人々、なんて書いてあることがありますが、人々が翻弄されるのは「渦」という事情があるからで、物語られるべきは「渦」よりも「翻弄」のありよう、そこにある人間の「渦」への対峙あるいは逃避の姿であるはずです。

藤谷さんが初めて歴史を描いたというこの小説には、奇しくも白系ロシア人の女性が登場します。この人の物語を読むうち、自分がこれまでの人生で出会った、二人のロシア系の(と思われる)女性のことを思い出しました。

一人は、御茶ノ水にある比較的有名なロシア料理店の、おそらくオーナーだった老婦人です。この店はいまもありますが、改装されてすっかり小綺麗になってしまい、オーナーも代わったようです。学生時代に私が通いつめていた頃はまだ、この店はそれこそ学生食堂のようなざっくばらんな建付けでした。窮屈な回り階段を地下に降り、きわめて狭いその店に入ると、カウンター席のいちばん奥にその女性はいつも腰掛けていました。そして来店する私のような学生をはじめとする若い客に、「たくさん食べなさい」と日本語で声をかけていたのです。

私はこの店のピロシキやボルシチの味が好きで、しかも値段もずいぶん安かったもので、何度も足を運ぶようになりました。どうやら常連と言えるくらいになると、もしかしたら自分は、この老婦人に会いたくてこの店に来ているのかもしれない、と思うようにもなりました。学生時代から一人暮らしを始めていたので、三度の食事も一人ですることが多く、人恋しさもあったかもしれません。この女性と個人的に話をする機会はなかったけれど、夢野久作や久生十蘭の小説などを読むなかでいつしか知った「白系ロシア人」とは、きっと彼女のような人のことを言うのではないかと思うようになったのです。

二人目に会ったロシア系の(もっとも、こちらは完全に推測ですが)女性は、独身時代の最後に住んだ家の大家だった老婦人です。ある事情で、代官山の鎗ヶ崎交差点の近くにある、ちょっと変わった構造の一軒家のうち半地下の部分を借りることになり、大家との面接がありました。借りようとしている家のすぐ近くに一人で住むその女性は、おそらく当時すでに80歳を超えていました。

家に上げていただくと、調度の豪華さに目を見張りました。西洋を舞台にした小説や映画にでも出てきそうな薄暗い部屋で、時代がかった家具も立派です。この家を借りる事情や、自宅兼事務所として行う仕事の確実性、つまりは支払い能力について話すことになり、勧められるまま柔らかいソファに座りました。ひどく甘くて少しぬるい紅茶が置かれた卓を挟んで私たちは向かい合っていました。そしてふと、彼女の背後に肖像画が飾られていることに気づいたのです。これまで個人宅でみかけたことのない、とても大きな縦長の肖像画が。

おそらくこれは軍服なんだろうな、とぼんやり思えるくらいで現実には見たことのない、立派な正装をした男性の立像でした。勲章もたくさん着けていました。誰を描いた絵なのか、大家にストレートにたずねる機会は逸しましたが、この絵の存在に気づいた後、この老婦人が日本人と白人のハーフ――という言い方はいまはするべきではないのでしょうが――であることにようやく気づいたのです。とすると、肖像画の男性は彼女の父親だったのではないでしょうか。

住みはじめてからこの大家はしばしば私の家にやってきて、雑談をする機会がありました。あるときなどは、自分は「まだライセンスがいらない頃」から自動車を運転していたのよ、道路には私の車のほか誰も走ってない時代だったのよ、と自慢しました。ワタシ、という言葉に独特のアクセントがあったことも、いま思い出しました(それにしても、いったいそれはいつの時代のことでしょう?)。結局この家には2年ほど住み、そこを出たあとに、私はいま住んでいる下北沢の町に引越してきたのです。

この家を引き払う最後の日、大家は銀の大きなプレートに載せたきちんとしたディナーと呼べる一品料理と、銀のポットに入れたお茶をもって私の家にやってきました。わざわざ自分の家から手にもって歩いて、です。二人で食事をした後、最後に彼女は転居後の私の前途を祝してくれました。「立派な仕事をなさって偉くなってください」。そのときの彼女の声が、御茶ノ水のロシア料理店にいたあの女性――その頃はもう、足を運ぶこともなくなっていましたが――の声と重なっていま思い出されます。

彼女たちの境遇について私が想像したことが、はたして正しいものであったのかはわかりません。二人とは直接、ロシアについて話をしたことは一度もないし、そもそも名前さえ知らないのです(というのも、大家にはいつも手渡しで家賃を払うよう求められていたし、不動産屋ではなく、とある知人を介して紹介されたため、正式な賃貸契約も結んでいなかったのです)。もしかすると彼女たちはロシア人ではなく、ベラルーシやウクライナの人だったのかもしれません。でもロシアについて、あるいは広い意味でのあの地域にまつわることで私が知っているのは、想像まじりのこんなエピソードともに思い出される、現実に会った二人の女性だけなのです。

そんな私には、ロシアとウクライナの間で始まってしまった今度の戦争について言えることは何もありません。ただ、もし自分の国が、あるいは住む町が、同じ運命に見舞われたら、自分はいったいどう振る舞うだろう、とは考えました。ネットやテレビで見る限り、ウクライナの首都キエフ(この名がロシア語によるものだということも、私は今回、初めて知りました)に住む人々は、ロケット弾を避けるため地下鉄の駅を防空壕にするなど、困難に見舞われています。そしてキエフにはいまやロシア軍が間近に迫っているようです。それでもキエフの人々は、日本の都会に暮らす私たちとさして変わらない日常生活を営んでいるようにも見えます(と書いたのは「開戦」後、キエフが最初の夜を迎えた頃でした。いま、この街では市民も武装しはじめ、市街戦も始まってしまったようです)。

いや、衣食住といった日常生活は、どんなときでも「さして変わらないように」営まれなければならないのです。どんな戦争も、その家の味噌汁の味付けを変えることはできない、といったのは『暮しの手帖』の花森安治でした。ロシアやウクライナという言葉から私が思い出すのも、ロシアにちなんだ二人の女性にかかわる食べ物の味だけです。小説を読むという体験も、そのときどきの日常のなかで食べたものの味と同様、ごくごく個人的な記憶にかかわるもののように思えます。

ところで、私は『ニコデモ』を読んで二つの小説を思い出しました。一つは、同じく音楽をテーマにしたリチャード・パワーズの『われらが歌う時』です。ヨーロッパ大陸の戦火と弾圧を逃れてアメリカに渡ったユダヤ人数学者が、音楽学生である黒人の女性と出会い、子どもが生まれて音楽一家を成す。長男ジョナは天才的なシンガーとなり、語り手である次男ジョゼフはピアニストに、そして末の妹ルースは彼らとはことなる音楽の道をたどります。

この長編小説を、私はある年の暖かい春の日に、上野の不忍池のほとりのベンチで半分まで、つまり上巻をまるごと読みました。物語の発端となる実際の事件、ワシントンDCにあるリンカーン記念堂の階段上で黒人歌手のマリアン・アンダーソンが歌った野外コンサートのイメージを、この場所で膨らませたのでした。『われらが歌う時』という小説は、そんな記憶とともに自分のなかに定着しています。そして藤谷さんの『ニコデモ』という小説をいつ、どのようにして読んだかも、私はこの先ずっと忘れないでしょう。

もう一つの小説はリュドミラ・ウリツカヤの『緑の天幕』です。B&Bでの年末恒例イベントに間に合わず、あのあとに読み始め、年明けに読み終えたばかりですが、この十年で屈指の感銘を私に与えてくれました。現代ロシア文学を代表する女性作家のこの長い物語は、スターリンが死んだ日から始まります。このときまだ少女や少年だった三人の女と三人の男が、それから30年以上のちのソ連崩壊までの長い時代をどう生きたか、という群像劇です。

「激動の二十世紀」という言い方は月次ですが、まさにこの時代を彼ら彼女らは、それぞれの運命とともに過ごします。ここでも男の一人は音楽家となり、最後はやはりアメリカに亡命し、いちばん長く生きのびます。それぞれの登場人物の造型には、もともと理系の研究者であり、小説家となる前には戯曲家でもあったウリツカヤ自身の姿や経験がずいぶん投影されています。でもこれは単なるソ連批判、共産主義批判の作ではありません。たしかに政治的な問題に巻き込まれ、不幸な運命をたどる人物もいます。でもこの小説を圧倒的に豊かなものにしているのは、スターリンの時代も「スターリン批判」後の時代も、さらにはソ連そのものが崩壊した後の時代にも、人は裏切られたり騙されたりしながらしぶとく日常を生きていくという、その変わらなさです。

いわゆる近代ロシア文学の古典、ゴーゴリやトルストイ、ドストエフスキーやチェーホフの作品をほとんど読まずに青年時代を通過した私にとって、ロシアの小説は心理的にずいぶん縁遠いものでした。でもウリツカヤの『緑の天幕』に描かれている20世紀のソ連で生きた人たちの姿は、私たちが文学作品や映画やポップミュージックを通じて親しんできた、アメリカやフランスなど西側諸国で同じ時代を生きた人たちと何ほども変わらない、私たちの隣人であり同時代人でした。藤谷さんの言うとおり、彼ら彼女らにとっても「激動の二十世紀」は遠景に過ぎず、そのすさまじい「渦」とどのように対峙したか、逃避したかが描かれた小説でした。

この手紙を何度も書き直しているうちにも、ウクライナの状況は刻々と変化しています。記事をアップロードした時点ではさらに変化していることでしょう。戦争というものを、私たちは自分自身では身に沁みてまったく知りません。高度に発達したインターネットやSNSといったテクノロジーが伝えるのは、フェイクニュースやプロパガンダ混じりの情報ばかりです。間違いなく言えるのは、いま戦場となりつつあるところにも、私たちとさして変わらない人が暮らしているということです。そして兵士として戦場にいる人たちにも、本来の「日常」があるということです。その人たちにいち早く「日常」が戻ることを祈りつつ、この中途半端な手紙を藤谷さんに送ることにします。

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第9回 ブックオフ肯定論を検討する(その2)

2022年2月1日
posted by 谷頭 和希

前回は、近年のブックオフについての言説を紹介した。これまで否定的に語られがちであったブックオフを肯定的に捉えなおし、その意味合いを積極的に語る言説が増えている。それらは、本連載で目指すブックオフの語り方にも近いものである。

今回からはそうした言説を具体的に見つつ、そこで何が語られ、そして何が語られていないかを考えてみたい。

『ブックオフ大学ぶらぶら学部』の反響

今回考えたいのは、前回にも紹介した『ブックオフ大学ぶらぶら学部』である。

ブックオフについての思い出がエッセイやマンガなどで展開されている同書の人気はすさまじかった。同書を出版した島田潤一郎によれば、「1ヶ月で2000部が売り切れた」という[1]。このような受け取られ方は島田も予想外だったというが、それだけブックオフについて考えることが多くの人に受け入れられ、待望されていたということだろう。

同書はそれぞれの論者がブックオフについての思い出を語りながら、ブックオフがそれぞれの人生にとっていったいどのような存在であったのか、その輪郭を浮かび上がらせる。

この本を執筆したメンバーは以下の8人である。巻末に載っている執筆者プロフィールから生年も合わせて掲載する。

武田砂鉄(1982)
大石トロンボ(1978)
山下賢二(1972)
小国貴司(1980)
Z(1977)
佐藤晋(1975)
馬場幸治(1976)
島田潤一郎(1976)

それぞれが、著述家や書店・古書店のオーナーである。古書店のオーナーが執筆者に名を連ねる様子は、かつて古書店のオーナーたちがブックオフを嫌ってきたことを考えると隔世の感がある。

ロストジェネレーションとブックオフ

ここで注目したいのは著者たちの生年である。全員が1972〜1982年の間に生まれている。これは、いわゆる「ロスト・ジェネレーション」世代にあたる人物である。「ロスト・ジェネレーション」はバブル崩壊後から10年間の間に就職期を迎えた世代のことで、2007年、朝日新聞上で行われた連載で命名された。定義によって生年に幅はあるものの、大まかな合意として、1970年〜1980年初頭生まれを指すことが多い。団塊世代の子ども、団塊ジュニアも多く含まれる世代である。「失われた世代」という命名からも分かるように、バブル崩壊後の就職氷河期に大学を卒業することになったため、定職に付くことができない若者も多く誕生し、「非正規雇用」という言葉が社会の関心を集めた

そのようなロスジェネ世代にあたる彼らがブックオフの思い出を進んで語ることは偶然のことではない。

例えば、法政大学大学院教授の真壁昭夫は次のようにいう[2]

日本経済が長期の低迷に陥った1990年代のバブル崩壊後、先行きへの不安を抱え、節約志向を強めていた人々にとって、ブックオフの登場は革新的だったのです。支出を抑えつつも小説や漫画、中古のCDなどを手に入れたい、という消費者の願望を叶えるのに重要な役割を果たしたといえるでしょう。

ブックオフが登場したのは1990年で、その数年後にバブルが崩壊した。ロスジェネ世代にとっての困難な時期が始まることになる。そのときにブックオフが現れたのである。ライターの雨宮処凛はロスジェネ問題を多く取り扱ってきたが、その重要なテーマに「貧しさ」があるという(雨宮処凛『ロスジェネのすべて 格差・貧困・『戦争論』』)。ここでいう「節約志向を強めていた人々」とは、もちろんロスジェネ世代以外の人々も該当するだろうが、それはロスジェネ世代にはより強く感じられていたのではないだろうか。

そのような世代による語りは、特に「貧しさ」という問題からのブックオフ像を強調することになるのではないか。

「貧しさ」とブックオフ

実際『ブックオフ大学ぶらぶら学部』を見てみると、著者たちが、貧乏であったがゆえにブックオフを頼みの綱にしていた、という記述がたびたび現れる。例えば、同書の発行人でもある島田潤一郎の次のような言葉である。

ブックオフはまるでセーフティーネットのようだった。社会に行き場のない人たちが集い、カルチャーをなんとか摂取しようとしていつまでも粘る場所。お金がなくても気軽に出入りできる場所は、図書館や新刊書店、コンビニを挙げるまでもなく社会にいくつも存在していたが、ブックオフがそれらの場所と決定的に違ったのは、一〇五円でなにかを手に入れることができる場所であったということだ。

そこで語られるブックオフは経済的に恵まれていない人に対しても安く本を提供してくれる存在である。そのような青春時代を支えてくれた存在こそがブックオフであり、むしろ「貧困」であることがブックオフの素晴らしさを際立たせるような側面を持っている。そのようなブックオフ像も決して間違いではない。そうでなければ、『ブックオフ大学ぶらぶら学部』がここまで売れることはなかっただろう。

しかし、『ブックオフ大学ぶらぶら学部』が描き出すブックオフ像に若干の偏りがあることは指摘されるべきではないか。

次回も同書を扱いながら、そこで語られるブックオフ像の偏りとそれによって生じる問題を考えていく。


[1] リサイクル通信「夏葉社、ブックオフを語る本「売れてます」」,URL= https://www.recycle-tsushin.com/news/detail_5436.php

[2] Business Lournal「ブックオフで本が足りない…なぜ在庫不足に陥ったのか?“古本”需要の急増に追いつかず」,URL= https://biz-journal.jp/2020/10/post_182471.html

歴史という遠景について

2022年1月24日
posted by 藤谷 治

第28信(藤谷治から仲俣暁生へ)

仲俣暁生様

「マガジン航」の再起動、おめでとうございます。ご苦労も多いでしょうけれど、読者としても書き手としても、やはりこういうフィールドがあるのは嬉しいことです。

しかし一年間このやり取りが途絶えていたのは、もしかしたら僕にとってこそ好都合だったかもしれません。コロナのおかげでもあり、原稿の依頼がめっきり減ってしまったおかげもありますが、昨年の僕は、ただひたすら一篇の小説を書き続け、仕上げるために全精力を傾けていたのでした。

これは僕にとっては大きなことです。十数年間、書いて書いて、目が回るほど書いてきましたが、今度の小説は、そういうやり方を許してはくれませんでした。勢いで書けたような箇所はひとつもない。小説からひたすら集中と凝縮を要求されながらの執筆でした。完成してその短さに驚いたものです。自分では千二百枚くらいはあるだろうと思いこんでいましたから。

『ニコデモ』は20世紀を舞台にした物語です。歴史を書くのは初めてのことで、それだけでもこれを仲俣さんをはじめとする目利きの読者の前に出すのは勇気のいることです。戦前の北海道やナチスによる占領下のパリ、仏印における日本軍との交戦(明号作戦)、戦時下の白系ロシア移民などについて書きました。

しかし――これは決して言い訳ではありませんが――僕は、小説の中で史実に厳密であろうとはしませんでした。『ニコデモ』は歴史小説ではなく、「人から聞いた話」の集積です。そもそも僕は「歴史小説」というのがよく判りません。これは仲俣さんのお考えを是非とも伺いたいのですが、僕には歴史というものが、人間を社会的に、つまり「マス」として見なければ、成り立たないものに見えます。対して小説にとっての人間は、どんなに凡人として描かれていようと、実は例外的な存在であり、社会的な(あるいは歴史的な)文脈から逸脱した部分を必ず持っているものです。というよりむしろ、平凡で取るに足りないと社会から見落とされ、歴史から「マス」を構成する一単位とあしらわれるような人間を輝かせる装置として、小説はあるはずです。

『ニコデモ』に登場するのは、そんな人間ばかりです。僕の小説に出てくる人間は、どれもそんなのばかりですけれど、この小説では僕なりに歴史と向かい合うことで、かえって人間に対する小説の、物語の役割に自覚的になりました。それは同時に、人間にとっての歴史の意味について考える契機にもなりました。

人間にとって歴史とは遠景にすぎないのです。あるいは単に「事情」と呼んでもいいでしょう。よく小説や映画の宣伝文句に、歴史の渦に翻弄される人々、なんて書いてあることがありますが、人々が翻弄されるのは「渦」という事情があるからで、物語られるべきは「渦」よりも「翻弄」のありよう、そこにある人間の「渦」への対峙あるいは逃避の姿であるはずです。

そのことを僕は、小説を書いているあいだに始まったこのコロナ禍によって、あからさまに実感しました。この感染症が文明を根底から変えるほどのものかは判りませんが(ありうることです)、人類の生活や労働の環境を、少なくともしばらくのあいだは変容させることでしょう。グローバリゼーションと情報技術が、感染症に全人類的な(なおかつ同時的で急速な)影響を与えたのは、歴史上初めてのことです。

しかし一人ひとりの僕たちは、何をどうすることもできないありさまです。年末に仲俣さん、田中さん、瀧井さんと集まったイベントでも、コロナの話は出るには出たけれど、解決策は無論のこと、この状況をどう考えたらいいのかさえ、うまくまとまらずじまいでした。僕たちはこの世界規模の危機的状況にあって、手を洗い、換気をし、マスクをして、外出を減らすことしかできないのです。……これは社会的、経済的には、何もやっていないのと大差ないのではないでしょうか?

コロナ禍とは、社会的には大きな危機であっても、個々人には「事情の変化」でしかないのです。店の売り上げは減り、家族は家の中でゴロゴロするようになり、原稿の注文はなくなりました。それらはすべて、事情が変わったことに起因するのであり、新型コロナウィルスの脅威なるものは、その事情の向こうに見えるような見えないような、遠景にすぎないのです。その遠景をまるで自分の間近で見ているように感じるのは、ひとえに情報技術のおかげでしょう。

それが「歴史」の正体なのではないでしょうか。歴史に造詣の深い――少なくとも僕よりははるかに知っている――仲俣さんのご意見を伺いたいです。

僕はおそらく、ひどい思い違いをしているのかもしれません。しかしテレビやスマホの電源を切って目を上げれば、聞こえてくるのは風の音だけです。

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第8回 ブックオフ肯定論を検討する(その1)

2022年1月12日
posted by 谷頭 和希

すでに本連載が始まってから3年ほどになろうとしている。

新型コロナウイルスの流行拡大などを経て、ブックオフをめぐる情勢も変化を余儀なくされてきた。そんななか、ブックオフに対する言説にも変化が見られるようになった。

本連載の目的は、ブックオフというチェーンストアを否定論だけで語るのではなく、その意義や存在の面白さも含めて捉えていくことにある。今後の展望を考えるためにも、本連載が始まって以後のブックオフに対する言説を振り返り、そこでなにが言われ、なにが問題点となっていたのかを考えてみたい。

『ブックオフ大学ぶらぶら学部』の発行

近年、ブックオフに対する言及としてもっとも目立ったものの一つが、『ブックオフ大学ぶらぶら学部』(岬書店、初版は2020年5月に発行。その後、特装版が同年11月に発行)だろう。同書はブックオフの思い出をまとめた本で、武田砂鉄をはじめとする9人のエッセイやマンガが掲載されている。

表紙を開くと、黄色のページの真ん中に「あなたにとってブックオフとは?」という問いかけの言葉が書かれており、それぞれの筆者にとっての「ブックオフ」像が展開することを予想させる。さらにページを開いた「はじめに」では、同書が伝えようとするメッセージがよくわかる。その最後に、このような言葉がある。

本書を、ブックオフが大好きだった友人、荒川満くんに捧げたい。

この本は、「ブックオフが大好きな人」のために書かれているのだ。かつて小田光雄が『ブックオフと出版業界――ブックオフ・ビジネスの実像』(ぱる出版、2000年。2008年に論創社より復刊)で展開した辛辣なブックオフ批判とは対称的な態度である。

『ブックオフ大学ぶらぶら学部』の筆者たちによるブックオフの語り方は、本連載の視点にも近い。同書の中で、武田砂鉄は以下のように書いている。

本の現場を知る、という業界人の講釈から、ブックオフは除外されることが多い。しかし、新刊書店でも古本屋でもブックオフでもたくさんの本を買い続けている自分にとっては、ブックオフをただ悪性のものとして処理する傾向に納得できるはずもない。

繰り返すようだが、この連載でもまた、ただの否定論でない形でブックオフを語ろうとしている。

「ブックオフをたちよみ!」の開始

ブックオフに対する肯定的な言及は、『ブックオフ大学ぶらぶら学部』だけでない。

当のブックオフ自身が、自社の取り組みを自己言及的に語り始めたのだ。それが、ブックオフのオウンドメディア『ブックオフをたちよみ!』である。最初の記事は2020年5月に掲載され、以後、ほぼ毎月一回のペースで更新され続けている。同サイトの「このメディアについて」という文章には以下のような一節がある。

この「ブックオフをたちよみ!」は、ブックオフのことをみなさまにもっと知っていただこうという想いから誕生したメディアです。ブックオフの常連様はもちろん、たまーに気が向いたら来店されるお客様、そしてまだ来られたことのない未来のお客様、さらには以前ブックオフで働いていた方―どなたでも楽しんでいただけるようなコンテンツを用意しています

2020年5月は、『ブックオフ大学ぶらぶら学部』の初版が出版されたときでもあり、時期を同じくしてブックオフ自体がその価値を世間に広げようとしたのだ。この共時性は、2020年にブックオフが創業30周年を迎えたことも大きく影響しているだろう。

「ブックオフをたちよみ!」の記事を見ると、やはり『ブックオフ大学ぶらぶら学部』と同じような態度が見られることに気が付く。

例えば、2020年12月17日に掲載された「tofubeatsは『ブックオフがなかったらミュージシャンになっていなかった』」と題されたインタビューでは、歌手、音楽プロデューサー、DJとして多岐にわたる音楽活動を展開するtofubeatsへのインタビューが掲載されている。記事のタイトル通り、tofubeatsが、どれだけブックオフの棚に影響を受け、そこから音楽的素養を形成したのか、という話がなされている。

また、元「日本一有名なニート」として作家活動を行うphaのエッセイ「ブックオフがあれば生きていけるような気がした」も掲載されている。この中でphaは「20代の頃は週に5日は(ブックオフに)行っていた」と回想し、そこでさまざまな本に出会ったことを綴る。phaは2021年に上梓した『人生の土台となる読書――ダメな人間でも、生き延びるための「本の効用」ベスト30』(ダイヤモンド社)で100冊に及ぶ読書体験を紹介したのだが、ブックオフでの本との出会いも、同書を作ったエッセンスであることは想像に難くないだろう。

同サイトの記事では他にも、さまざまな著作家・アーティストなどのインタビューやブックオフの面白い巡り方の提案が書かれている。そこでは、ブックオフを「一つの文化」として肯定的に捉え、楽しもうとする姿勢が強調されている。もちろん、オウンドメディアという性質を考えれば、ある程度の誇張や、経営母体に対する配慮などもあって当然だが、ブックオフ自身がこのようなイメージを対外的に押し出そうとしていること自体が興味深い。

今回とりあげた『ブックオフ大学ぶらぶら学部』と「ブックオフをたちよみ!」という二つの例からも、ブックオフについて、かつてのような否定論にとどまらない、幅のある言説が展開されていることがわかる。しかし、これらの言説ではまだブックオフについてすべてを語り尽くせていないのではないか。

次回からは、今回紹介した言説をより詳細に検討しながら、そこで何がどのように語られ、そして何が語られていないのかについて考えてみたい。

(つづく)

SNSでは伝わらない「声」を

2022年1月6日
posted by 仲俣暁生

第27信(仲俣暁生から藤谷治へ)

藤谷治様

新年あけましておめでとうございます。昨年末の本屋B&Bでの恒例イベントも楽しかったです――と書いてから、藤谷さん宛ての一つ前の手紙を書いたのが一昨年暮れだったことに気づきました。

そう、2021年の初めに往復書簡の第26信をいただいた後、けっきょく一度も私からは返事を書けずにいました。それどころか「マガジン航」のサイト更新自体が春から止まっており、先日ようやく一念発起して再起動を果たしたばかりです。多くの方にご心配をいただきましたが、このサイトの活動は止めない。そう宣言した後、真っ先にこの手紙を書き始めました。

この往復書簡のやりとりこそたいへんにご無沙汰ですが、藤谷さんとは年末のイベントの前にも、新宿ロフトプラスワンでの荒木優太さんとのトークイベントにゲストとしてご登壇いただきました。そのときも暮れのイベントでも話題にしましたが、昨年はSNS上で文芸や批評をめぐる、なんというか、「刃傷沙汰」とでも表現するしかない出来事が何度か起きました。

比較的ちかしい人たちが関わったそれらに対して自分なりの態度表明をしているうち、SNSに関わること自体にうんざりしてみたり、しかしネット上で何かを書いたり意見表明したりしようとすれば、SNSという告知手段に訴える以外に有効な手はないという事実に愕然としたり……という堂々めぐりのうちに、このサイトの更新が疎かになってしまった。そんなふうに昨年後半の自分を分析しています。

ところでいまSNSでの「刃傷沙汰」と書きましたが、こんな言葉がつい浮かんだのも、年末年始に一昨年から読み残したままの忠臣蔵関係の本(具体的に書目を挙げると、渡辺保『忠臣蔵――もう一つの歴史感覚』、小林信彦『裏表忠臣蔵』、井上ひさし『不忠臣蔵』といった、古い本ばかりです)を読んだり、アマゾンで古い映像作品(三船敏郎が大石内蔵助を、尾上菊之助が浅野内匠頭を、市川中車が吉良上野介を演じた1971年のTVドラマ、『大忠臣蔵』です)を観たりしていたせいかもしれません。長引くコロナ禍のなか、気がクサクサしたときはとりあえず古典的な本、つまり多くの人によってすでに読まれ、解釈され、論じ尽くされた作品をその厚みとともに享受するのがよい。そう思い知ったからです。

しかし残念なことに、現在起きている文芸作品をめぐる諍いは、いくらSNS上で「炎上」しようとも、忠臣蔵ほどのポピュラリティをもつドラマにはなりえません。藤谷さんのほうがよくご存知のとおり、魅力的なドラマを成り立たせるには、立役者にそれなりの演技力が必要です。文学の世界でまださかんに論争が行なわれていた時代のことを私たちはかすかに記憶する世代ですが、あの頃の論争にはどんなに喧嘩腰であろうとも、いや喧嘩腰であればあるほど、どこか演技じみたものがありました。でもいまはSNSでの論争の言葉が、ほとんど「生の声」として響いてしまう。いや、かりに演技だったとしても、そのようには受け取られない、というのが正確かもしれません。その結果、文学をめぐる言葉がそのまま刃になってしまう。なんともやりきれないことです。文学が伝えるべき「声」は、そこからもっとも遠いはずなのですが。

ところでこのサイトの更新が長いこと滞っていた半面――そして昨年はさしたる文学的収穫はなかったのではないか、という実感にも反して――、私自身の読書生活はそれなりに充実していました。雑誌への定期的な書き物仕事がいくつか打ち切りになり、経済的には大きな打撃を受けたかわり、本をゆっくり読む時間が増え、自分の関心に沿って読書を組み立てていく余裕ができたことが大きかったようです。これについては、おいおいまた書いてみたいと思います。

ジャーナリスティックな方面での仕事としては、月に一度の作品評(一昨年に出した単行本にまとめた連載がいまも継続しています)のほかに、『三田文學』という歴史ある文芸雑誌で、新人作家の作品を中心的に対象とする文芸季評をはじめました。これまであまり注意を払ってこなかった、もっとも新しい世代の文学作品を集中して読む機会が増えましたが、正直、まだはっきりとした手応えが得られているわけではありません。ただ、自分が熱心に追いかけてきた同世代の作家たち――その多くがいまや「大家」になってしまいましたが――とはずいぶん異なる文芸へのスタンスを感じとっています。

私は東日本大震災を一つの画期として、日本の小説はずいぶん姿を変えたと感じています。ただしそれは「震災後文学」と呼ばれることもある、あの出来事にたいする即時的反応としての作品ではなく、もっと長いスパンで起きた――あるいはいまも継続中であるような――変化に思えます。あの震災から現下のコロナ禍までの約十年の間に、文学作品に対する人々の向き合い方そのものが、大きく変わったのではないか。それをうまく表現する言葉を探しつつ、こつこつと気になる作品を読みすすめているところです。

目の前に、ぜひ読んでみたいと思える小説作品が――それも「古典」と呼ばれるもの以外に、同時代に自国語で書かれた作品として――存在していることは、それらをめぐる論争の有無とは関係なく、幸せなことだといつも思います。出版産業にとっては前途多難な日々が続きそうですが、読者としての自分は、そうした状況と関係なく幸福である、という不思議な肯定感が、先の見通せない日々をなんとか支えてくれています。

藤谷さんとのこの往復書簡も、振り返ればもう足掛け5年になります。もしご迷惑でなければ、このやりとりをもうしばらく続けさせてください。

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