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いま本をめぐる環境は、とてもよいのではないか

あけましておめでとうございます。今年で「マガジン航」は創刊から10年を迎えることになります。

昨年は下北沢に誰でも来ていただける「編集室」をあらたに設けました。今年はこの場所を拠点に、ウェブメディア以外にもいろいろな活動をしてまいります。今後も「マガジン航」をどうぞよろしくお願いいたします。

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この年末年始は仕事を離れて自分の読みたい本だけを読んで過ごした。10年前にこのサイトを立ち上げたときに漠然と思い描いていたような、電子化へと急激に舵を切るような「本の未来」は、2019年の現在もまだ現実には訪れていない。けれどもいま私たちが享受している書物をめぐる環境は、読者という立場に身をおくかぎりは、きわめて快適といっていいだろう。

仕事納めのあと、買ってからしばらく積んであった本の山を崩し、手始めに野崎歓『水の匂いがするようだ――井伏鱒二のほうへ』(集英社)にとりかかった。一気に読了し、井伏文学の魅力を語る野崎さんの見事な語り口に感嘆した私は、大晦日に近所の新刊書店と古本屋をまわり、地元で手に入る限り井伏鱒二の文庫本をかき集めた(手に入らない分は電子書籍でも購入した)。

また以前から気になっていたミステリー小説、アンソニー・ホロヴィッツの『カササギ殺人事件』(創元推理文庫)も年末年始の楽しみに買っておいた。こちらは読み始めて早々に乱丁がみつかり、正月明けに購入先の書店で交換してもらうという「事件」までオマケについたが、それも含めておおいに堪能したのだった。

本が本を連れてくる

野崎さんの本を読んで井伏鱒二にたどり着いたように、私の場合、本との出会いは書店の店頭よりも、「そのとき読んでいる本」に導かれて起こることが多い。ようするに本が本を連れてくるわけだが、実際にその本を手にするまでには、多くの場合インターネットが介在する(野崎さんの本の存在を知ったのも店頭ではなく、ネット上の広告か書評だったように思う)。

井伏鱒二の作品というと、教科書で読んだ「山椒魚」、広島の原爆を題材にした『黒い雨』、数年前に買って読みかけたままの『荻窪風土記』、井伏訳で読んだロフティングの『ドリトル先生』シリーズぐらいしか、私にはすぐには思い浮かばない。野崎さんという優れた水先案内人のおかげでこれら以外の井伏作品に導かれ、すぐにも読みたくなったが、既刊書は刊行年度が古いものが多く、当然ながら、新本として手に入れるのが難しい。確実に手に入れたければ、電子書籍が出ていれば電子書籍で、あるいは古書で購うしかない。

こう書くとネガティブな印象を与えるかもしれないが、紙では絶版(あるいは品切れ重版未定)になっている本も、ネットで検索すれば古書または電子書籍がみつかる。古書の場合は文庫から全集まで好きなものを選べるし、カタチのない電子書籍の場合は、即座に読み始められるだけでなく、古書のように汚れや傷みを気にしないで済むという利点もある。

ソーシャルメディアを介して「本と出会うこと」も格段に増えた。私の場合、フェイスブック上の知人が読んでいる本を自分でも読みたくなる、というかたちで「本と出会う」ことも多い(そういう人はあんがい多いのではないか)。とくに世間で話題になっている本の場合、信頼できる読み手である知人(得意なジャンルごとに何人もいる)の意見を参考にする。『カササギ殺人事件』はこのパターンで成功した(予想とはずいぶん違う話だったが、十分に面白かった)。

読書の多様化

本との出会い方だけでなく、「読書の仕方」も10年前に比べて格段に多様化した。

新年を迎えて私が最初に買った本は、洋書の電子書籍版だった。ビッグバンから恒星や惑星の形成、元素や生命の誕生を経て、人類の発生と文明の発展までを総合的に研究し記述する「ビッグ・ヒストリー」という学際的なアプローチについての本を、この分野について大いに信頼できる知人がフェイスブックで紹介しており、刺激を受けて同じ本をすぐに読みたくなったのだ。

アマゾンで検索すると、デイヴィッド・クリスチャンの「Origin Story: A Big History of Everything」というその本は、電子書籍版であれば千円未満で買えることがわかり、すぐにクリック。さっそく、昨年のうちに買ってあった音声認識アシスタント機器でテキストを読み上げさせた。

Kindle版で買った本はechoで読み上げ可能。同時に別の端末で読み進めることも。

ヒアリングも読解も片方ではいまひとつ不安な自分も、人工音声での読み上げを耳にしつつ、電子書籍端末のスクリーン上でもテキストを目で追う(ときどき辞書で日本語の意味を確認しつつ)ことで理解がかなりはかどった。こういう「読書」ができるようになったのは、読書テクノロジーの発展のおかげである。

この話にはオマケがある。その翌日、別の本を買いにまた地元の書店にでかけたところ、知人が紹介していたビッグ・ヒストリーについてのもう一冊の本(大判の図鑑)が邦訳されているのを発見したのだ。そもそもこの本を買うつもりで来たわけでもなく、税込9000円を超える高額書であるため二の足を踏んだが、「ここで出会ったが百年目」という気持ちになり、エイヤッと買うことに決めた。

正月早々これほどの高額本を売ることができたのだから、地元の書店は「Origin Story」に安い電子書籍版が存在したことを感謝すべきであろう。

「出版不況」は無意味な言葉

なぜこういうことを書くかといえば、年中行事のように繰り返される「出版不況」という言葉に違和感があるからだ。

読者はいま、さまざまな場で本と出会い、本を買い、さまざまなかたちで読んでいる。「新刊を紙の本で定価で買って読む」ということ以外にさまざまな選択肢(古書のネット購入や電子書籍)が生まれた以上、紙の書籍市場がある程度、縮小するのは仕方ない。それにしては、少子化や消費増税といった逆風も吹いているなかで書籍市場は、あんがい踏みとどまっているのではないか。

出版市場統計をもとにメディアが十年一日のように伝え続けている「出版不況」とは、インターネット広告の急激な拡大で「広告媒体としての雑誌」の存在意義が薄れたこと、マンガという出版コンテンツが上首尾に電子書籍(およびウェブ)へと移行したこと、さらにここまで述べたようなかたちで本との出会いの場が多様化し、読書全体に対して新刊書が占める割合(担うべき役割)が相対的に減じたこと、この三つが複雑に絡み合っている事態をぞんざいに一言でまとめただけの、まったく意味のない言葉だと私は考える。

公共図書館で借りるという選択肢まで含めれば、いま本を読む環境は幾重にも多層化・多様化している。それは基本的によいことだろう。純然たる「読者」の立場からみれば、本と出会うための環境は、少なくとも私が学生だった1980年代よりも全体としてはるかに向上している。

そしてこの環境はもはや、それ以前には戻らない。いまからさらに10年後、本を読む環境はさらに多層化・多様化していくだろうし、そのことを私は大いに期待する。これが年末年始を読書三昧で過ごした「読者」としての偽らざる実感である。

執筆者紹介

仲俣暁生
フリー編集者、文筆家。「シティロード」「ワイアード日本版(1994年創刊の第一期)」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、2009年にボイジャーと「本と出版の未来」を取材し報告するウェブ雑誌「マガジン航」を創刊。2015年より編集発行人となる。著書『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、共編著『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)、『編集進化論』(フィルムアート社)ほか。
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