クリエイター自身がpublishしはじめた時代

2018年6月27日
posted by 仲俣暁生

いまではもうあまり使われなくなった「電子出版」という言葉がある。昨今では「電子書籍」という言葉のほうが目にする機会が多いが、後者が〈名詞〉であるのに対して前者は〈動詞〉であり、「電子的な手段で出版(publish)する」という行為を意味していた。1990年代の前半、ウェブがまだ一般化する以前の時代のことだ。

電子的な手段で何かを「出版」しようと思ったときに、当時いちばん手っ取り早かったのは、CD-ROMやフロッピーを用いることだった。たとえば1994年には、フロッピーディスクに収められた電子作品を展示するインディペンデントの展覧会「フロッケ展」が始まり、2000年まで継続して開催された。アートの文脈からみれば「展覧会」だが、「複製物の販売」という観点から見れば、十分に出版と言えるものだった。

この「フロッケ展」が開催されていたギャラリーを運営していたのが、デジタローグという会社だ。雑誌「Number」などのアートディレクションで知られるグラフィック・デザイナーの江並直美、写真家の五味彬、フォント・クリエイターでもあるグラフィック・デザイナーのネヴィル・ブロディの三人が1993年に立ち上げた、いわばクリエイター自身が運営する「電子出版」の会社だった。

デジタローグは、発売寸前で断裁処分になってしまった五味の写真集『Yellows』をCD-ROMのかたちで生き返らせるために生まれた。100人の若い日本人女性の「身体的記録」を収めたこのCD-ROM写真集は大きな話題となり、電子出版されたビジュアル作品、当時の言葉でいえば「マルチメディア・コンテンツ」の先駆け的存在となった。その後も『Yellows』シリーズは相次いで制作され、デジタローグはマルチメディア時代を代表する「出版社=publisher」となった。



写真:五味彬

あとの時代に読み返せない「本」

この時代に「電子出版」されたマルチメディア作品について知る人は、いまでは少なくなってしまった。CD-ROMで「出版」されたコンテンツの再生環境を維持することは長期的には難しく、いずれ「読めなく」なってしまう。どうしても昔のCD-ROM作品を視聴したければ、当時の再生環境をそっくりそのまま用意する必要がある。

そうしたなか、デジタローグから出た五味彬作品がまとめてデジタルハリウッド大学に寄贈されたことを契機として、『Yellows』シリーズを実際にみながら、マルチメディア電子出版の草創期について語り合うイベントが、同大学で開催されることになった。語り手は五味彬氏とボイジャーの萩野正昭氏。「マガジン航」編集発行人の私も、お二人のお話を聞き出すモデレーター役で参加させていただく。

私自身、1990年代にはかなり多くのマルチメディア電子出版物を視聴した。そのなかには、いまあらためて見直してみたい秀作がいくつもあった。しかしイタリアの作家ウンベルト・エーコが、ジャン=クロード・カリエールとの共著『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』のなかで、CD-ROMという「耐久メディア」の「はかなさ」について述べていたとおり、電子出版物の生命は紙の本にくらべると遥かに短かい。そんなことは、当時はまったく想像もしなかった。

しかし、草創期の電子出版に関わった人たちの情熱を低く見積もることはできない。デジタローグによる『Yelows』電子出版がもった意味は、クリエイターが自前のメディアを持てたことだと五味氏は言う。それはクリエイター自身が出版者=publisherになれた、ということだ。

未来のことはつねにわからない。あとさきを考えることなく、目の前にある手段でとにかく「出版」してしまう。当時はCD-ROMがそのために最適なメディアだった。ウェブがそれに置き換わったともいえるが、一つのまとまった「作品」として完結させることが難しい。またいまの「電子書籍」はインタラクティブ性において、マルチメディアの時代からかなり退歩してしまった(それには必然性もあったのかもしれないが)。

今回のイベントでは、多摩美術大学教授でグラフィック・デザイナーの永原康史氏の協力を得て、当時のCD-ROM電子出版物を再生できる環境を整えることができた。当時を知る方と、マルチメディア電子出版作品を実際にみたことのない若い世代の方が出会う機会になればよいと切に思う。


『Yellows 2.0』

日本の電子出版の源流ーー「Yellows」とマルチメディアの時代
トーク:五味彬(写真家)、萩野正昭(株式会社ボイジャー取締役)
モデレーター:仲俣暁生

日時:2018年7月2日(月)19:00~21:00(開場18:30)
場所:デジタルハリウッド大学メディアライブラリー
東京都千代田区神田駿河台4-6 御茶ノ水ソラシティアカデミア3F
定員:30 名(入場無料。peatix にて要予約)
主催:デジタルハリウッド大学徳永修研究室(event@epublishing-lab.com)

※詳細はデジタルハリウッド大学のサイトも参照のこと。

執筆者紹介

仲俣暁生
フリー編集者、文筆家。「シティロード」「ワイアード日本版(1994年創刊の第一期)」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、2009年にボイジャーと「本と出版の未来」を取材し報告するウェブ雑誌「マガジン航」を創刊。2015年より編集発行人となる。著書『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、共編著『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)、『編集進化論』(フィルムアート社)ほか。