第2回 電子コミックとスマートフォンの蜜月はいつまで?

2017年5月24日
posted by 中野晴行

前回の記事では、電子コミック市場の現状について「先は長いもののかなり前進した」と書いた。「先が長い」というのはほかでもない。まだまだ乗り越えるべき障碍がいくつも残っているからだ。今回はその中のひとつである読書端末について考えてみたい。

電子コミックはなにで読む

当たり前の話だが、電子コミックを読むためには読書用の端末とビュワーが必要だ。ダウンロードするためにはネットにも接続しなくてはならない。

紙のマンガなら、本さえ手に入れたらすぐ読めるのに、電子コミックを単体で読むことは今のところ不可能だ。電子か紙かの議論になったとき、紙派の人たちが必ず持ち出してくるのがこの点である。紙なら単体で読めるのに、どうしてわざわざ端末やビュワーを使って読むのか。たしかに一理ある。電子コミック派が「アナログレコードがCDにとって替わられたように、フィルムがデジタルカメラにとって替わられたように、本もデジタル化し、電子コミックが紙のコミックを凌駕する時代が来る」と説得しようとしても、紙派はびくともしないだろう。

そもそも、映像ソフトや音楽ソフトを前例として使うのが間違っている。なぜなら、映像ソフトや音楽ソフトはアナログであってもデジタルであっても、パッケージであっても配信であっても、なんらかの再生装置がなければ観ることも聴くこともできないからだ。

これまで、何度も「電子書籍元年」と言われながら、紙からデジタルへの移行がなかなか進まなかった原因のひとつはここにある。電子コミックをこれまで以上に普及させるためには、こうした電子コミックの特性をプラスもマイナスも理解した上で、読者=ユーザーの立場で、ハードやシステムをユーザー・フレンドリーな方向に改善することが重要になるはずだ。「時代の流れだから」とか「電子には電子の利便性があるのだから、多少の不便には目を瞑ろう」という姿勢では、読者の気持ちを掴むことはむずかしい。そこまでの道のりがまだ長いように思われるのだ。

では、読書端末として現在は何が使われているのか?

電子書籍業界としての正式な統計資料が見つからないので、とりあえず各社の広報に問い合わせてみた。しかし、はかばかしい返事はもらえない。そこで、関係者の伝手をたどって非公式のデータを集めることにした。

大手電子書店E社の場合、スマートフォンなどのモバイル端末が60%、PCが28%、タブレット端末が12%(フィーチャーフォン向けの配信は取り扱っていない)。P社の場合は、スマートフォン・タブレット端末でほぼ9割を占めるという。スマートフォン向けに無料配信する会社では、そもそもスマートフォン以外の読者をほとんど想定していないようだ。残念ながらアマゾンのデータは非公式なものも得られなかった。

配信元によってばらつきはあるかもしれないが、概ね読者の75〜80%は、スマートフォン、タブレット、それも大半がスマートフォンで読んでいると考えることができそうだ。自分自身の周りを見渡しても、30代以下はスマートフォン派、それ以上の年代はタブレット派が多いという印象がある。ノートPCなどを使って読んでいる人はほとんどいない。

スマートフォンで読む人が多いのは、日本国内での普及率が50%を超えて、電子コミックを読む年代に限れば、ほぼ1人に1台が行き渡った、最も身近な携帯端末だからだ。電子コミックを読むためにわざわざ専用端末を買うのは面倒、という読者でも、日常的に通話やメール、検索、ゲームなどに使っているスマートフォンで読めるのなら、というわけだ。

ソニーの読書端末Readerが2016年秋に販売終了し、アマゾンのKindleですら苦戦しているのは、スマートフォンで読めるのにわざわざ、という読者の意識が影響している。

ところで、かつてこのポジションにいた端末は、通称ガラケーと呼ばれるフィーチャーフォンだった。下の図表は、インプレス総合研究所の『電子書籍ビジネス白書2016』のデータから2006年から15年までの電子コミック市場の推移を見たものだが、06年から10年までがガラケーの時代。11年にいったん落ち込むのはガラケーからスマートフォンへの転換点である。08年7月にiPhone 3Gが日本でも発売され、10年5月にはより画面が大きなiPadが発売される。一般にはiPadの登場を以て「電子書籍元年」とされている。

インプレス総合研究所「電子書籍ビジネス調査報告書」の統計データより作成(単位は億円)。

しかし、日本ではガラケーが電子書籍端末として市場を牽引した時代があった。ガラケーという呼び名には、「ガラパゴス諸島の生態系のように外から隔離されたために特殊な進化を遂げた」という意味合いがあるが、コミックを含めた日本の電子書籍市場もまた「ガラパゴス」だったのだ。

そこに、島の外からスマートフォンやタブレット端末がやってきた。当初はもっと緩やかに進行すると考えられていたガラケーからスマートフォンへの移行は急だった。そのために、配信元の対応が遅れたことが、市場の停滞につながったわけだ。2012年からの市場の順調な伸びは、画面の小さなガラケーに比べて、スマートフォンやタブレット端末がマンガを読むことに適していたことを表している。

では、読書端末としてのスマートフォンやタブレット端末は最終進化形なのだろうか? それを考えるために、電子書籍、電子コミックの大まかな歴史をさらってみたい。

未成熟だった1990年代の電子コミック

インターネットの商業利用がはじまったのは1991年だが、90年代の電子コミックは、ネット配信ではなくCD-ROMなどのパッケージとして流通するのが一般的であった。個人がインターネットでマンガを読むためには、通信インフラもまだ十分に整備されておらず、ハードウエアも貧弱なスペックだったのである。

90年代初めには家庭用電子ゲーム機向けデジタルコミックが登場。90年代中頃には、アップルコンピュータのマッキントッシュの標準ソフトであった「ハイパーカード」を使って、スキャンしたページを「スタック」と呼ばれるカード化して読ませる電子コミックが話題になったこともあった。

このほか、90年代後半にはソニーのゲーム機プレイステーション用に「プレイステーションコミック」が発売された。さいとう・たかをの『ゴルゴ13』などがラインナップされ、コントローラーでコマを追う仕組み。オート機能もついていた。また、いったんデジタル化したマンガをVHSビデオに録画したパッケージ商品も開発された。日立マクセルなどが製作した「マンガビデオ」である。手塚治虫の『三つ目がとおる』や楳図かずおの『おろち』などの作品にデジタルで動きや音声が加えられたもので、主にレンタル・ビデオ店向けに販売された。

これらのほとんどは、紙媒体のマンガをデジタル化して、それらしい加工を施したものにすぎない。しかも、CD-ROM版電子コミックは本よりも高価な上に、データが重く、珍しがられた割には普及しなかった。同じものを読むなら紙媒体で読んだほうが、ずっと手軽で読みやすかったのである。

オンラインコミックとしては、井上雄彦がバスケットボールをテーマにしてヒットしたスポーツマンガ『SLUMDANK』の未来版として描き下ろした『BUZZER BEATER』があった。CS放送局「スポーツ・アイ」のホームページ上で1996年から連載され、翌年には少年向け月刊マンガ誌「月刊少年ジャンプ」でも連載されて、「デジタルと紙のコラボレーション作品」として話題になった。しかしPCやインターネットの普及率が低かったこともあって、大ヒットには到らず、一般に知られるようになったのは、「月刊少年ジャンプ」に連載されてからだった。

同じ時期のアメリカやフランスでは、デジタルコミック独自の表現が工夫されはじめたことが特徴的だ。オーストラリアでは国際的なデジタルコミックのコンペティションも行われた。第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦前夜のフランスを舞台にした『戦場のテディ・ベア』(1996年:フランスindex+社)など数々の作品が話題になった。『戦場のテディベア』はマウス操作でキャラクターを動かしてストーリーを進めたり、作品の舞台背景をポップアップ・ウインドウで確認したりできるなど、インタラクティブな機能をいかした作品として世界的な評価を受けた。

日本でもデジタル化に興味を示すマンガ家は出ていたが、市場を変えるような動きはこの時期まだ出ていない。日本のマンガ表現は、日本という国の中で、日本人の読者のためだけに描かれて発展してきた。紙にペンと墨で描き、紙にモノクロで印刷されるのが日本のマンガの基本だ。色がない、動かない……この制約の中で最高水準まで高められたのが日本マンガだったのである。

つまり、色や音、動きまで使えるデジタルコミックは伝統的な日本マンガではない、と考えられていたわけだ。さらに、紙のマンガ市場は史上空前の6000億円目前にまで拡大していたから、出版社もマンガ家も紙媒体だけで十分に食べていくことができた。新しい表現方法や電子コミックの未来などは、あえて考える必要のないものだったのである。

電子コミック配信が本格化した2000年代

マンガのネット配信が本格化するのは2000年に入ってからだ。電子コミック5万点以上(10万点近く)を扱う大手のイーブック・イニシアティブ・ジャパンが創立したのは2000年5月。ケータイ向け電子コミック(ケータイマンガ)配信最大手のNTTソルマーレの創立は2002年4月だ。

2000年代の配信型電子コミックの普及は、PC向けOSの「ウインドウズ2000」や「ウインドウズMe」の発売によりパソコンがネット環境でも使いやすくなったことや、ADSLや光ケーブルなど大容量を送れるブロードバンドの通信インフラが整備されたことによるものと考えることができる。

しかし、PC向け電子コミック市場はその後あまり成長せず、代わって携帯電話向けのケータイマンガ市場が急成長する。

2005年度の数字では、電子コミックの市場規模は34億円。内訳はPC向けに配信されるものが11億円に対して携帯電話向けは23億円。2007年度にはPC向けが26億円に対して、携帯電話向けは229億円。わずか2年でケータイマンガは10倍の市場規模に拡大した。2010年度には456億円のうちPC向けは29億円、そして携帯電話向けは428億円にまで成長したのである。

電子コミックが多くの読者を掴むためには、PCよりもハンディな読書端末が必要だ、という指摘は初期の段階からあった。スイッチを入れて立ち上げ、ネットに接続して読むというPC向け電子コミックは読むまでの手続きが煩雑で、ノートPCですら可搬性で問題ありとされてきた。

こうした要請に応えて、読書端末も登場している。2004年にはソニーから「LIBRIe(リブリエ)」が、パナソニックからは見開き形式の「ΣBook(シグマブック)」が発売された。だが、コンテンツのダウンロードにパソコンが必要なことなどがネックとなり売り上げは伸びなかった。このためソニーは2007年に、パナソニックも2008年に生産を終了してしまった。ちなみに、のちのソニーの「Reader」はこのときに続く二度目のチャレンジだった。

苦戦するPCや読書端末に代わって注目されたのが、パソコン並みのスペックを確保したフィーチャーフォン携帯電話(ケータイ)だった。ケータイマンガは、2000年にNTTドコモがFOMAによるムービー配信にあわせて、東映アニメーションのテレビアニメ『狼少年ケン』などのコンテンツを配信したのが始まりとされている。

その後、2003年にKDDIがau携帯の液晶モニターサイズでも読めるようにコマを切り分けて、オーサリングした状態で読む、ケータイマンガの配信をスタートする。ケータイマンガのオーサリング作業は、ページ単位でスキャンしたデータをコマ毎に分離して順番に読めるように並べ替える作業だ。はじめのうちは「画面が小さい」などの問題が指摘されたが、液晶技術やコンテンツのオーサリング技術の進歩によって、読みやすくなった。

さらには、国際電気通信連合が定める「IMT-2000」標準に準拠した3G(第三世代)携帯電話の普及やパケット通信制の導入などによって読者の利便性も上がった。

コンテンツの課金という面でもケータイマンガは有利だった。コンテンツの利用料金を通話料金に上乗せして請求できるからである。PCや専用端末で電子コミックを読むためにはクレジットカードやプリペイドカードなどが必要になるが、ケータイマンガは携帯電話の契約さえあれば読むことができる。この手軽さが受けたわけだ。

なによりも、当時の携帯電話が日本では最も普及率の高い携帯端末だったことが、電子コミック=ケータイマンガの市場拡大を牽引した要因だ。これは、スマートフォンが現在の電子コミックの標準端末として市場を引っ張っているのと同じ構図だ。

つまり、広く行き渡っている通信端末の形が変われば、読書端末も同時に変化しなければならない運命にある、ということを歴史が示唆している。

スマートフォンがオワコンになる!?

先日、編集委員をつとめている『デジタルコンテンツ白書』の編集委員会の雑談タイムに「そろそろポスト・スマホのことを考えないといけませんね」という話が委員の一人から出た。ほかの委員も「5年後にはオワコンじゃないですか」と応えたので、こちらは驚いた。

たしかに、iPhone 3Gの日本上陸から来年で10年。昨今の電子機器のライフサイクルを考えれば、10年は長いほうになる。具体的な話は出ないままだったが、スマートフォンが携帯端末のスタンダードという地位を去る日も近いのではないか、と予感させられたのだ。

その主流がヴァーチャルリアリティ(VR)になるのか、ウェアラブルになるのか、まったく違うものになるのか、いまのところ想像がつかないが、スマートフォン以外のものになっていくのは間違いない。

新しい携帯端末が登場して、広く普及したとき、電子コミックを読む環境は当然変わるはずだ。マンガを読むためだけに、わざわざ新携帯端末とともにスマートフォンも使う、という人はそれほど多くはないだろう。専用の読書端末にユーザーが向かうことも考えにくい。

はじめに「電子コミックをこれまで以上に普及させるためには、こうした電子コミックの特性をプラスもマイナスも理解した上で、読者=ユーザーの立場で、ハードやシステムをユーザー・フレンドリーな方向に改善することが重要になるはずだ」と書いたが、ここにはひとつ大切な要素が抜けていた。それは「マンガ表現」だ。ハードやシステムと同時に、マンガ表現も伝統的な表現形式を打破して、新しくユーザー・フレンドリーな方向で変わっていかなくてはならない。そんな時期が来たのではないか。

スマートフォンでマンガを読むために、コマ割りをなくして絵を縦に並べてスクロールしながら読む「縦スクロール」あるいは「ウェブ・トゥーン」と呼ばれる技法が韓国から輸入され、少しずつ広まってきた。韓国では1997年のいわゆる「IMF危機」によって多くの出版社が倒産。マンガも影響を受け、紙からデジタルへの移行が急激に進んだ。

このとき、PCの画面でも読むやすいようにコマを縦に並べたのがウェブ・トゥーンのはじまりである。その後、スマートフォンが普及したのにともなって、コマという概念をなくした現在のスタイルが確立された。新たな携帯端末が生まれたときには、このスタイルすら合わないものになる。

伝統的な日本の「コマ割りマンガ」以外の表現を認めない、というのであれば、日本のマンガはそれこそ「ガラパゴス」になってしまう。電子化という道を選ぶ以上、コンテンツはハードとともに変化しなくてはならないのだ。マンガ家や編集者が変化を恐れていたのでは、明るい未来を予測することは難しくなる。次回は電子化とマンガ表現について考えてみたい。

執筆者紹介

中野晴行
マンガ研究者。和歌山大学経済学部卒業後、銀行勤務を経て編集プロダクションを設立。1993年に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』(筑摩書房)で単行本デビュー。『マンガ産業論』(同)で日本出版学会賞奨励賞、日本児童文学学会奨励賞を受賞。『謎のマンガ家・酒井七馬伝』(同)で日本漫画家協会特別賞を受賞。2014年、日本漫画家協会参与に着任。