第6回 夏葉社の営業に同行する

2015年5月1日
posted by 清田麻衣子

2012年初秋。高円寺の本のイベント「本の楽市」に小出版社が集まって出店することを知って立ち寄った。出版社30社以上が出店する「本とアートの産直市」なるものが開催されていたのだ。私が手も足も出ずもがいている出版業を既にやられている方々を、一気にたくさん目の当たりにした。しかもみんな楽しそう!!! お客相手に大変さをアピールする場ではないので当り前なのだが、自分が作った本を、その場でお客さんに売る充実感にあふれた方々の笑顔が、そのときの私にはとにかく眩しかった。

そこに、夏葉社の島田さんも出店されていた。お会いするのは約3ヵ月ぶりだった。夏に話した時に準備中だった『冬の本』という、「冬にまつわる本」について複数の著者に書いてもらうエッセイ集がもうすぐ出来上がりそうという時期だった。私はというと、この3ヵ月間、出版社の準備としてはほとんど報告できるような進展がなく、停滞しているということと、漠然とした不安ばかり並べたててしまった。ひととおり話を聞いた後、出版社を始めるまでの道筋を島田さんは具体的に話してくださり、特に私が営業未経験であることの不安を伝えると、朗らかに提案してくださった。

「11月の終わりに次の本の営業に行くから、よかったら同行してみませんか? 営業がどういうものかは掴めるかもしれませんよ」

2012年11月終わり。夏葉社の7冊目の本『冬の本』の発売を前に、島田さんの新宿、池袋での営業に同行させていただくことになった。

返答の極意

小雨が振る肌寒い朝、島田さんはビニール傘とカバンを持ち、きちんとネクタイをしめたスーツ姿で待ち合わせの新宿駅前にやって来られた。それまで、白シャツにジーンズというラフなファッションでしかお見かけしたことがなかったのだが、スーツ姿は堂々としていて、見まごうことなき立派な営業マン。ジャケットを着ただけでなんだか今日はちゃんとしてる、という気になっていた私は、服装から既に気合いの違いにハッとし、普段着に限りなく近い自分が急に恥ずかしくなった。

書店に足を踏み入れると、さらに島田さんの表情は引き締まった。私は距離を置いてお姿を見守る。

1軒目は某大型書店。バックヤードから本をワゴンに乗せようとしている書店員を見つけると、島田さんはカバンからスッとリリースを取り出し、静かに声を掛けた。20代とおぼしき女性書店員は、複数の著者が並ぶエッセイ集のリリースを見て、「たくさんの人が集まってる本って、この人の原稿だけを読みたいっていう人があまりいないから弱いんですよね」と、まずは消極的なリアクション。しかし島田さんと少し歓談した後、その場で10冊の注文が決まった。

営業未経験の私も〝複数著者は弱い〟という出版界ではテッパンのネガティブセオリーは知っていた。私なら、そういう〝弱み〟をストレートに突かれたら、「ですよね〜」と薄ら笑いでショックを隠すのが精一杯で、二の句が継げなくなってしまいそうだ。

「僕は複数著者についてネガティブな印象を言われた場合、そのこと自体への反対意見ではなく、その中の著者の良いところをプッシュし続けます」

島田さんは朗らかに返答の極意を教えてくださった。これまで、複数著者の他にも〝対談本は弱い〟〝第二弾は売れない〟など、数多のセオリーを提示されて、企画会議や営業部の指摘で企画を却下されるうち、少し浮かんでも「これはダメだな」と何度自分内企画会議で企画を却下し続けてきたことか。たとえセオリーから外れる本でも、一点、揺るぎない魅力があれば、あとは心血注いで作る。社員が自分一人になった時、欠点だらけの自分の長所を自分で誉めて伸ばすようなものだと思った。

棚を見る

そして、島田さんがこの日よく口にしたのが「棚を見る」という言葉だった。書店に入って夏葉社の本を置いてくれそうな棚があるかどうかをチェックし、適切な棚が見つからないと、わざわざ遠くまで足を伸ばして行った店であっても、営業せずに終わることもあった。

この棚の見極めで、どれほど細かい点まで見ているかがわかったのは、某チェーン店でのこと。穏やかな表情を引き締め、いざ出陣!と店に足を踏み入れた島田さんが、早々に苦々しい表情で帰って来た。渡したリリースをちゃんと見もせずに、「FAX送っときますね」と返されたらしい。踵を返し、ベストセラーが並ぶ棚に背を向けて、苦い顔が張り付いたままエレベーターを降りながら、島田さんは敗因を分析する。

「最初声を掛けたとき、あの店員さんはノンフィクションの棚をいじっていたんです。文字ものは人文、社会も含めて一手に管理している。結局、彼がもともとどこが専門の人なのかわからなかった。絶対、FAXは返ってこないです」

つまり、書店員の専門、また性格や好みまで把握できていなかったことが敗因だというのだ。さらに夏葉社の場合は、タイトルは知らなくても本を見ただけで「いい」と思うような、本がほんとうに好きな書店員に訴求力がある。これまで出した本を持って新規のお店に行って、たとえば造本を愛でてくれるようなお店に行くのが意味があるというのだ。

「ちょっとタバコ吸っていいですか」

先ほどの店で溜まった苦い想いを一気に吐き出すように、島田さんは、屋外の喫煙所でタバコの煙をフーッとひと想いに吐いた。煙と一緒に白い息がフワッと広がっていく。そしてそのとき初めて、島田さんがコートを着ていないことに気が付いた。コートにレインブーツの私でも、11月の冷たい雨の降る外回りで、身体は芯から冷えていた。

「店に入ると、コート脱ぐから。コート持って、傘持って、カバン持って、リリース出してってなると、雨の日はコートがあると身動きとりづらくなるんですよ」

気合いと緊張感の詰まった一日だということが垣間みられる一言。感心しきりの私に、

「中にヒートテックを着ています」

島田さんはこう言ってにやりと笑った。

「根は営業マンなんです」

一日に回るのは七、八軒。書店員は平日に休みをとるので、誰か必ず会えない人は出てくる。

午後1時〜2時、書店員が昼休みをとる時間を見計らい、新宿から山の手線で池袋へ移動する。島田さんは新宿駅のホームで缶コーヒーを買った。

「缶コーヒーを買って、途中タバコ休憩を入れて。回るルートは完全に把握。どこからどう見ても、立派な営業マンですね」

その姿を見ながら納得顔の私に、島田さんは、

「このあとキャバクラ行きますよ」

「え!」と真顔で驚くと、「行かないですよ」とすぐに真面目な顔になった。

リラックスと緊張感がいい具合に入り交じるその様子は、プロフェッショナルな仕事ぶりの表われだとも思った。そして書店を回り、キビキビと営業をこなし、一喜一憂する島田さんを見ていたら、心底羨ましさがこみ上げた。

「いいなあ。私も本作りたいです。でもどうしても生活が優先になっちゃうんですよね」

いやいやいや、と島田さんは首を振る。

「僕も生活に苦しんでますよ。きついですよ。本当に親にお金くれって言いたい。でもやっぱり行動してナンボなんです」

島田さんは夏葉社以前、教科書系の出版社で営業をしていた経験がある。しかし、わずか一年だ。よほど中身の濃い一年だったのだろう。その一年で営業成績トップになったという。

「根は営業マンなんです」

という島田さん。編集者だけやってきた私は、やはりモノを売るという感覚が希薄だ。文学青年で、趣味性の高い本を作っている島田さんの、そのセンスと穏やかな人柄を誉める人は多い。だが、夏葉社という「出版社」を支えるもっと大きな柱は、何と言ってもこの商売感覚なのではないかと思う。

「たとえば渋い本はどうやって売ればいいのか。いい本を作れば大丈夫というふうには絶対に思っていません。そこは工夫のしがいがある。本当にいいと思ってもらうことが大事だと思うんです。決して売上に貢献しますという類の本ではないから。そうなると書店の人と僕とのコミュニケーションが大事になってきます。『自分の好きな本を売りたくて、そのために売れる本を売っている』と書店員さんからはっきり言われたことがあって。もちろん売上を立たせることが大前提だけど、それが全部になったときに何をやりがいにするかって、自分が売りたいと思った本をお客さんに買っていただくことがやりがいになるんじゃないかと思うんですよね。だから僕は、なんというか、売れる本ではなく、売りたいと思ってもらえるような本を作らなきゃと思うんです」

この日、池袋のお目当ての書店の担当者はお休みだった。

「できる営業マンは休みを把握してるんです。土日は基本行かない。棚卸し後の朝11時から、学生が帰ってくる4時までが営業の時間です」

どこでも買える本にしたくはない

午後4時をまわり、この日の営業を終えた。営業後、喫茶店に入ると、島田さんはまるでビールを飲むように、コーラをごくごくと一気にあおる。

「営業はまた編集と違ってスポーツみたいな感じありますよね。一日終わった!っていう。勝った!とかいう実感」

「負けた!っていう日ってありますか?」

「めちゃくちゃありますよ。でも僕の場合は、どの本も負けられないし、外せない。そうじゃないと一生懸命やれないと思う。安定した収入が入ってきたら、外れてもいいかなっていうふうにもなるけど、やっぱり僕の場合、外しちゃダメなので」

外してはいけない、というが、誰も外そうと思って本を出すわけではない。どうやったら外さない企画を出せるのか、編集者はいつも頭を悩ませてきたのだ。

「でも外さないっていうのは、外さない企画を作るっていうことじゃない気がしていて。うーん……。売り方でもなく、もっと現場レベルというのはスポーツに近いもののような気がします。毎日ちゃんとやるというか」

なんと。外さない極意は、「毎日ちゃんとやる」!

「ひとりの場合、それが本当に重要で。休まないとか、逆にちゃんと休むとか」

島田さんは、土日も休みはとっているという。しかし意外にも、土日に家で本を読んでいることは少ないらしい。土日の過ごし方がウィークデーに反映されるという話は、あまり読んだことはないのけれど、ビジネス本にはいかにも書いていそうだが。

「土日はサッカー見てます。サッカーを見る楽しさとか、デートをする楽しさっていうのは、仕事に関係するとは思う。僕の作っている本は、一歩間違えるとマニアの狭い世界の本になってしまうから、そこにどうやってポピュラリティをもたせるかっていうのは大事だと思っています」

一般の社会との交流が大事ということか。

「そこがすごく重要な気がするんですよね。それは常に意識しているというか。なんかマニアックにいきがちなんです。でも値段を高く部数少なくやるっていうのはひとつ手固い商売だけど、あんまり面白みを感じなくて」

夏葉社でこれまで出している本は、全部適正部数だったという。そしてなんと、ほぼ増刷している! しかし大事なことは、夏葉社の本が売れそうにない書店に、無駄に力を注がないということ。

「最近思うんですけど、僕は本というよりは革製品を作って売っているような印象があって。たとえば丁寧につくることが付加価値になるとか。だからなおかつ、心を込めて作った本っていうのは、どこでも買える本にしたくはないっていう気持ちがあるんです。65歳まで出版社をやりたいと考えていて。だから65の時も売れるということを前提に考えている。だから最初の5年10年はきついけど、65になったら多少ラクになるんじゃないかな。30年後、35歳の時に作った本が65歳で売れるっていうのがいちばんの歓びだと思います」

その30年に渡る長い長い夏葉社という出版社の、思えばこの日は、貴重かつ地道な「ある一日」だった。そう思うと、気が遠くなるような、しかし同時に、気持ちが奮い立つような、そんな忘れられない一日になった。

次回につづく