在野研究の仕方――「しか(た)ない」?

2013年4月3日
posted by 荒木優太

在野研究者を名乗り始めてから二年が過ぎた。「在野」というのは大学機関に属していないというくらいの意味合いであるが、大学院博士前期課程(修士課程)を修了以後、私は近代文学を専門とする自分の研究成果はweb上、つまり電子書籍販売サイト「パブー」(図版上)やインディペンデント批評サイト「En-Soph」(図版下)で全て公開してきた。

このことを人に説明すると決まっていつも「どうして大学に所属しないんですか?」と尋ねられる。実のところ、私はずっとその問いに答えあぐねていた。自分自身にとってその一連の行為が不自然とは感じられなかったから、そして、どうして自分が不自然と感じられないのかについて言語化することができなかったからだ。しかし、今回、二年間の研究成果を一冊の本としてまとめるなかで、自らを振り返り、それに付随して次第に在野で生きようと思った過去の自分を昔よりもずっと客観視できるように思えてきた。それはもちろん、自身の成長を意味しているのではないだろうけれども、「ああ、こう言えばよいのだ」と、頭にかかっていた靄がとれたような気分になった。

教師になる「しかない」?

ことあるごとに、或る言葉が思い返される。「研究者になりたいのなら教師になるしかない」。院生時代に指導担当になっていた大学教授の言葉だ。彼と面談するとき、私は必ずといっていいほどその言葉をかけられた。教師になりたいという欲望を一度としてもったことのない私はいつもその言葉に辟易していた。漱石や有島や福永を私は愛していたが、教師を愛することは一度もなかった。文学が好きであることと教師になりたいという欲望は私のなかで自然な結びつきをもっていなかった。そのような人間に「しかない」という理由で教職を勧めることに、違和感しか感じなかったのだ。

一見その言葉には、「社会人」(実質的には会社員を意味している言葉)に対する謙虚な気持ちがあるようにみえる。年齢を重ね、プライドばかり高くなった大学院生を一般企業が雇うはずがない。だから、君がまともな研究者でいるには、そもそもまともな人間でいるのは教師になるしかないのだ、という訳だ。しかしここには二方向への冒涜がある。第一に、教職とは一般企業に入れないような「社会」的ではない人員の受け皿に過ぎず、そういう不適合者は教師にでもなっておけばいいという、教員一般についての冒涜。第二に、研究者とは学校でものを教える仕事をしている者を当然指し、その外で知的な活動をしているものは単なる趣味人でしかないという在野研究者についての冒涜だ。

「しかない」という理由で教師になりたりたくもない者に教職を勧めることの圧倒的な理不尽さに絶望したことは忘れがたい。私が教員にでもなったら、全国の教員はもちろん、全国の学生、全国の学生の親に申し訳が立たない。私は責任感の全くない男であるが、しかし私は私が無責任な男であることだけは誰よりも責任を負うことができる。そう思って在野で文学を研究することを決めた。

教授を非難したいのではない。そんなことをしても何も始まらない。実際に、彼が好人物であることを私は疑わない。重要なことは、彼が言っていたことが事実であったとして、或いはそれが確率的な正しさをもっていたとして、何故それを粛々とまるで運命が定めたかのように受け止めねばならないのか、ということだ。物理法則でもない社会的事実や傾向性に対して、どうして「しかない」と言い、それを信じ、それを伝えねばならないのか。何故、その事実を変えていく方途を探さないのか、探そうと試みないのか。

断っておけば、私はポスドク問題にもアカハラ問題にも一切関心がない。大学の制度や機構が今後どうなるかについてもまったくといっていいほど興味がない。なるようになればよいと思う。ただ、一つだけ、私にとって大事なことがあるとすれば、どうやったら人は「しかない」と言わないで生きていけるのか、という素朴な、しかし根本的な疑問だけだ。

電子の本から紙の本へ

最近、研究成果である『小林多喜二と埴谷雄高』(ブイツーソリューション、2013年2月)を出版することになった(下の図版はカバーデザインの一部)。この本は2011年6月から2012年11月まで電子書籍販売サイト「パブー」で発表していた近代文学の諸論考に、細部を書き加えながら通読に耐えるよう再編集したもので、最終的にはほとんど書き下ろしといっていいものに仕上がった。

この本は完全なる自費出版によって生まれた書物だ。「完全なる」という形容詞は決して言い過ぎではない。出版社のブイツーソリューション様にお願いしたのは基本的に本の印刷とAmazonでの販売手続きだけで、あとの執筆、校正、装丁、データ入稿を含んだ編集作業は全て自分でまかなった。そのために、市販されている文庫に比べて不細工なところがないではないが、ISBNを獲得し、印刷部数150部で請求金額は税込25万8025円に抑えることができた。

この数字を高いと見るか低いと見るかは人それぞれだろう。私の知人周辺の反応を鑑みれば、その多くは「高い」と感じていたように思う。しかし「自費出版」という言葉には、一昔前ならば一生を賭けた博打的な金額のイメージがつきまとっていたことを忘れてしまうのはフェアではない。今日の技術力では、このくらいの値段で自分の本が作れ、少部数ではあるが、ネット上でそれが販売できるという事実は強調されていい。

上記の額は、半年大学院に通えば吹き飛んでしまう程度のものだ。博士号という権威を高い授業料の代わりに獲て、高価な専門書数千部を大学人や図書館への献本で消費するのか。或いは権威なしで勝手に自分の本を書き、少部数ながら出版し、様々な手段を使って研究成果を読者に届けていくのか。後者が良いと言いたいわけではない。ただ、一顧だにしないような選択肢ではない、とはいえるのではないだろうか。少なくとも教授になりたいというよりは研究がしたいと考えていた私にとっては後者の手段の方がずっと魅力的に見えたのだ。

元手のいらない電子の本から20万ほどかかる紙の本へと出版を促させたのは、もちろん自分の仕事に一つの区切りをいれるためというのもあるが、もう一つにはpdfとe-pub形式(今ではKindleにも対応している)を用意していた「パブー」の電子本があまりに売れなかったことがある。私の場合、多喜二と埴谷それぞれ一つ課金(150円)した原稿用紙50枚程の論文を設定したが、どちらもほとんど売れなかった。多喜二のものは皆無で、埴谷のものは二回課金通知が来た。しかし、これは読者がいないということを意味するものではない。事実、twitterで宣伝しつつ無料公開していた他の論考は半年も放置しておけば30~40ほどダウンロードされ、twitterには時折、読んでくれた人の感想の便りが届いた。

30~40という数が説得的な数字には思えないかもしれない。しかしそれは間違いだ。日本近代文学の概説的というより専門的な論文の読書には、たとえ文体や表現を工夫したとしても、明らかに高い文脈性が求められてしまう。そもそも論点となっている作家のテクストを読んでいるというハードルに加え、しばしば大きな文学史や研究史の共有が前提とされてしまう。「大学紀要の読者は論文の書き手と査読者だけ」という昔から伝わる笑い話は、もちろんあまりに誇張した言い方だろうが、しかし、専門的な論文を読みこなすには複数の、しかも高度な条件があることは疑えない。

私の書くものに少数であれ興味をもってくれる人がいる、しかし電子本を買うことはない。そのような状況が紙の本の出版を後押しをした。少なくとも私個人にとっては、通常言われているのとは逆に、電子本のオルタナティブとして、今現在の状況では紙の本が要請されたのだ。

完全に無料で公開するという考え方もあっただろう。しかし私がそれを選ばなかったのは、研究が単なる個人の趣味でしかなく社会にとって何の役にも立たないという或る種の人々がもっている臆見に、金銭を介在させることで、ささやかではあるが抵抗したかったからだ。無料だから、単なる暇つぶしだから、研究が行われ、そしてその成果が受容されるのではない。いくらかの小銭を払って、何の権威もない在野研究者の書いたものを、或る一定時間を費やし読む人は決してゼロではないのだ、ということを可視的に証明すべきだと思ったのだ。それは私個人というよりは、現在いる、そして未来の有望な在野研究者たちへの激励にもなる。そのような積み重ねが「しかない」に対する最も着実な抵抗手段に思えた。

ほとんど無料(フリー)で研究成果をネット上で提供する。その代わりに、例えば図書館に通う際の電車賃ぐらいの、例えば資料のコピー代くらいの、例えば眠気覚ましに飲むコーヒー代くらいのお金を、読者の気が向いたときにいただくことはできないか。反省してみれば私にとって紙の本は、自分の活動を(ここが重要だが)「部分的に」応援してくれるフォーマットを整える、という意味があったように思われる。読み手が接近しやすい手段を選べるよう、選択肢を複数確保しておくべきだ、という考えが電子と紙を両立させた理由である。商売をしたいわけではない。しかし完全無給のボランティアでもない。その際の応援手段は電子本購入でも紙の本購入でも構わない。儲ける「しかない」のでもなく、ボランティア「しかない」のでもなく。その間には無限のグラデーションがある。電子の本と紙の本の両立はそのグラデーション内での細かい設定を可能にする。

小林多喜二と流通する言葉

小林多喜二は書物の体裁を保てていない弱々しいテクストを繰り返し描いている。『誰かに宛てた記録』で紹介されるのは、屋外に漂流していた名もなき少女の「手紙」だ。『蟹工船』(クリックで青空文庫にリンク、以下同)でストライキが起きたのは、船員が「コッソリ」船内に持ち込んだ「赤化宣伝」のパンフレットだった。『独房』では、囚人の「壁」の落書きが書いては消され消されては書くというプロセスが何度も繰り返される。『党生活者』での、党員の運動の本質は「ビラ」や「レポ」(レポート)の作成にあり、主人公は大事な文書を「トランク」に入れている。何れもが、文書を束ねておく製本技術や文書を雨風湿気から守り保存管理しておくライブラリーの恩恵を十分に得られず、しかも既存にある一般的な流通網を使用できない、何の権威もない非公式なテクストたちだ。

しかし、非公式なテクストだからこそもつことができる特別な流通性があるのではないか。例えば「壁小説」というプロレタリア文学の小説形態がある。それは文字通り、壁に全文が貼れるような短い小説を指すものだが、それが要求されてきたのは、貧困に苦しむ多くの労動者にとって文学に親しむ時間的余裕が十分にないという読書条件に由来している。

「一日の労働に疲れ果てた肉体をもう一度起して、この我々の戦旗のページをめくるのだ」

雑誌『戦旗』に引用されている文章作法を多喜二は肯定的に引用している(「プロレタリア文学の新しい文章に就いて」)。逆にいえば、テクストの長短や漢字の使用率、配置場所などを調整工夫することで、一見労働「しかない」状況にさえ文学を密入することができる。誰かが書いた『独房』の消えやすい落書きは、しかしだからこそ監視の眼を潜り抜け、孤独な囚人の心を癒すことができる。製本されていないからこそ、『蟹工船』のパンフレットは過酷な海上の労働世界とは別の世界の夢を労動者に与える。

多喜二は「しかない」に抗い続けた作家だ。プロレタリア文学は決してプロの(職業家の)文学ではない。それ故、当時から芸術的価値に対して疑問が付されてきた。しかし、そもそもプロ=職業家は様々な無能を抱えている。多喜二は評論「プロレタリア・レアリズムと形式」の中で「職業的になった」プロレタリア作家=「芸術のスペシャリスト」は各地の労動者の現状から遠ざかり現実を把握できなくなってしまった「コブ」であり、彼らは「停滞化」していると批判している。プロレタリア文学でなくとも、例えば締切り、金銭、共同体で取り決めれた体裁などによってその無能を現代に置き換えることはできるだろう。

それら全てが無意味だといいたい訳ではない。そうでなく、注目すべきなのはそのような拘束によってできない仕事を代替的に別の職業に就くアマチュアが行い共立的に状況を前進させる可能性、そしてそれ以上にアマだからこそ可能な仕方の可能性である。

私は本を書きながら自分が一人のプロレタリア作家になったような錯覚を覚えた。それは電子も紙も手段を選ばずアクセシビリティ(接近可能性)を高めようとする自分の方法と、多喜二のプロレタリア文学観とが重ね合わさったように感じたからだ。本は専門書らしからぬ文庫の形にした。それは多喜二が自分の小説を通勤時間で読めてしまうような「電車小説」と自称していたことを考えていたからだ(「四つの関心」)。書物の形態が、読書と読者の有り様を事前に決定してしまうことがある。高価で分厚く重い専門書の読書を支えるには、高いリテラシーと読書に割ける一定の暇と腰が痛くならない椅子が必要だ。しかし、それを手に入れられない者たちには研究にアクセスする資格がないのだろうか。私は断じて否だと思う。通勤しながら、労働しながら、夜風呂に入りながら、それでも可能な研究の形が存在しないと、一体誰が決めたのだろうか。

いうべきことを端的に要約しておこう。「しかない」論者には「しかたない」という根本的な感情があるかもしれない。しかし今日、様々な「仕方」は存在する。もちろん、そのすべてが意に適うような有効なものだと言う気はない。しかし「しか(た)ない」という言葉はトライ&エラーを繰り返した後の呑み屋の愚痴までとっておいても遅くないのではないか。全てをこなすことはできないのかもしれない。しかし、自分の能力、割けうる時間、願望するもの、個々人で異なるその細かなオーダーに応じて、自分が望む世界のために自分ができることは、少しずつだが確実に増えている。

執筆者紹介

荒木優太
1987年、東京都生まれ。在野研究者。専門は有島武郎。En-Sophパブーなど、ネットを中心に日本近代文学の関連の文章を発表している。著書『小林多喜二と埴谷雄高』(ブイツーソリューション、2013)、『これからのエリック・ホッファーのために――在野研究者の生と心得』(東京書籍)。Twitterアカウントは@arishima_takeo