日本漫画の国際化を翻訳家の立場から考える

2012年10月11日
posted by シモーナ・スタンザーニ・ピーニ

ヨーロッパで日本漫画が幅広く出版されるようになったのは、1970年代の終わりに起きたアニメ・ブームのおかげである。フランスやスペイン、イタリアでは『マジンガー』シリーズ(永井豪)や『キャンディ・キャンディ』(水木杏子作、いがらしゆみこ画)、『ベルサイユのばら』(池田理代子)といったアニメの原作を皮切りに出版がはじまり、その後もほぼ途切れることなく現在に至っている。

日本アニメのヨーロッパでの紹介は、『バーバパパ』(フランスの絵本『バルバパパ(Barbapapa)』が原作)や『アルプスの少女ハイジ』(ヨハンナ・シュピリの小説『ハイジ』が原作)など、ヨーロッパ人があまり違和感を感じない作品から始まった。しかし、1978年に『UFO Robot Goldrake』という題でフランスとイタリアで放送された『UFOロボ グレンダイザー』(永井豪)が、文字通りの「カルチャー・ショック」を与えたことで、ヨーロッパで日本アニメのブームが起きたのだった。

このときの反響は、フランスよりもイタリアでのほうが熱かった。もちろん私もそのショックを受けた一人である。『UFO Robot Goldrake』のイタリア版『Ufo Robot』とShooting star』のシングルの売り上げは100万枚を超え、ゴールドディスク(日本では「ミリオン」と呼ばれている)を獲得した。『UFO Robot Goldrake』はフランスを介してエジプトやアラビア半島まで辿り着き、そこでも大人気を得た。

次のブームは、1990年代に公開されたアニメ映画『AKIRA』(大友克洋・原作)がきっかけだった。反響はフランスやアメリカでとりわけ大きく、これらの国で日本漫画の出版ブームが起きた。その国の文化によって、いちばん人気のある作品が違うのも面白い。日本と同様、ヨーロッパでいま最も人気のあるのは尾田栄一郎の『ONE PIECE』だが、アメリカでは岸本斉史の『NARUTO』が人気トップである。また鳥山明の『ドラゴン・ボール』は、いまだに全世界で史上ナンバー1の累計売上を誇っている。

「芸術的」な日本漫画にも高い評価

谷口ジローや浅野いにおといった、日本では比較的マイナーな漫画家もフランスやイタリアでは人気がある。谷口ジローは2002年に『遥かな町へ』がアングレーム国際漫画祭で最優秀脚本賞と優秀書店賞を、2005年に『神々の山嶺』が最優秀美術賞を受賞し、2011年にフランス政府芸術文化勲章シュヴァリエ章を受章している。また浅野いにおの『ソラニン』は2009年にアメリカのアイズナー賞(Will Eisner Comic Industry Awards)の最優秀日本作品にノミネートされた。

パニニ社の「PLANET MANGA」では多くの日本漫画が翻訳されている。これは浅野いにお『海辺の女の子』。UMIBE NO ONNANOKO © 2011 Inio Asano/Ohta Publishing Co.

 ARUKU HITO © 1992 Jiro Taniguchi/Kodansha Ltd.

谷口ジローの『歩くひと』は、イタリアのパニニ(Panini)社から出版されている。同社の日本漫画専門レーベル「プラネットマンガ」では「谷口コレクション」や「浅野コレクション」といったかたちで、これらの作家の作品をシリーズで刊行している。右の図の、タイトルの下の「Jiro」というロゴが目印だ。主人公の足の下に書かれた「ROMANZO A FUMETTI」とは「漫画小説」と言う意味で、いわゆる「文学」として認められているということだ。フランスほど売れ行きがいいわけではないが、イタリアにも「芸術漫画」というジャンルがあり、谷口ジローと浅野いにおのようにスタイルのまったく違う作家が、どちらも「芸術的」だと評価されているのだ。

フランスのBD(バンドデシネ)と同様、イタリアにも独自の漫画文化がある。 1930年代から主に週刊漫画雑誌という形で国内やヨーロッパやアメリカや南米の漫画が紹介されてきた。まずはディスニーのような子供向けや青少年漫画からはじまり、やがて大人向けのものも現れて、いまではアクション、ミステリー、コメディー、SFなどあらゆるジャンルがある。

イタリアの有名な漫画家の中としては、『コルトマルテーゼ』のユーゴ・プラット(Hugo Pratt, 1927-1995)や、セクシーな『バレンティーナ』シリーズのグイド・クレパックス(Guido Crepax, 1933-2003)などが未だに人気がある。とはいえ、イタリアの漫画はフランスのBDのように「芸術」として認められるレベルではなく、いまもサブカルチャーにとどまっている。一方、両国の経済規模の違いにくらべると、フランスとイタリアで出版される日本漫画のタイトル数に大きな差はない。また、最近はドイツでも日本漫画の翻訳が増えていると聞く。

1990年代のブームから20年以上経った今も、イタリアをはじめヨーロッパ全土、そしてアメリカでも、日本漫画への興味は全く減ることがないし、これからもおそらく増える。そして昔と違い、テレビアニメの原作などのベストセラーだけでなく、マイナーな作品や「アート漫画」のニッチがますます広くなると思われる。

イタリア、フランス、そしてアメリカでも、大手出版社のほかに、「アニメ時代の子供たち」が大人になった、いわゆる「オタク第一世代」が作った小さな会社も増えている。そうした「プロフェッショナル・オタク」世代によって、経済上の目的でなく、文化的、そして芸術的な目的でも、日本漫画の国際化は広がっている。たとえば平野耕太の『ヘルシング』、林田球の『ドロヘドロ』、弐瓶勉の『ブラム!』などの主流ではない作品も、ニッチなマーケットを見つけている。今後は電子書籍が一般的な出版方法になり、出版のためのコストも低くなっていくことで、マーケットは広がる一方だろう。

「愛」にささえられてきた漫画翻訳

私は日本漫画をイタリア語に翻訳する仕事を20年続けてきた。これまでに手がけた作品は『きまぐれオレンジ☆ロード』(まつもと泉)、『電影少女』(桂正和)、『ジョジョの奇妙な冒険』(荒木飛呂彦、第1〜6部)、『ラフ』(あだち充)、アニメの翻訳も『攻殻機動隊』(士郎正宗:原作)、『NANA』(矢沢あい:原作、1〜25話のみ)など数えきれない。また現在も、『ブリーチ』(久保帯人)、『D.Gray-man』(星野桂)、『DOGS BULLETS & CARNAGE』(三輪士郎)、『テガミバチ』(浅田弘幸)、『エア・ギア』(大暮維人)、『ソウルイーター』(大久保篤)、『黒執事』(枢やな)、『ブラッドラッド』(小玉有起)、『東京ESP』(瀬川はじめ)、『BTOOOM!』(井上淳哉)などを翻訳中である。

ボローニャの実家にあった両親の家では、字が読めるようになる前からイタリアやフランスの漫画を読んでいた。もう少し大きくなるとディズニーのコミックスなどを買ってもらった。小学生の頃から文学や外国語が大好きだった私にとって、文章を書くことは自然な表現方法であり、いまの翻訳者という仕事は「天職」といえる。生まれついての「マンガ・オタク」なのだ。

私は日本語が大好きだし、イタリア語からとても離れている言語(英語にくらべると倍ぐらい!)だからこそ、翻訳のチャレンジ精神に火がつく。ところが日本と違って、イタリアでは「翻訳家」の存在価値があまり認められていない。「漫画翻訳家」となればなおさらである。翻訳料は基本的に買い切りなので、どんなに売れても昔から印税は一切もらえず、現在では不景気などの理由で、ギャランティも恐ろしく安い。

フランスやドイツに比べればイタリアは物価が安いが、それらの国に比べると、イタリアの漫画翻訳家のギャラは3分の一以下だ。物価の高い日本で暮らす私にとっては「雀の涙」でしかない。にもかかわらず、私は日本でこの仕事を楽しく続けている。マゾヒスティックだと思われるかもしれないが、ここまで仕事を続けてこられた理由は、「日本漫画への愛」というしかない。

「日本漫画への愛」は実際、現在日本漫画が国際化している動力源だと思う。私たちのような「オタク世代」のプロは、その「愛」ゆえに、少ない利益のために働いたり、戦ったり(プライベートレベルでも仕事レベルでも、「日本漫画は暴力的でエロティックだ」等という無知や思い込みと戦いながらやってきた人が少なくない)、想像力を尽くして新たな起業をしてきた。

始まりつつある電子書籍革命のおかげで、国際化のための障壁は低くなり、日本の出版社が海外に向けて直接、電子書籍またはウェブコミックというかたちで漫画を発売することが簡単になるはずだ。そうなればもちろん、作品の海外版を現地語化する作業も、日本の出版社が直接コントロールできるようになる。会社のイメージなども裏切られず、忠実な翻訳で作品を守れるという安心感ももたらす。

しかし、たとえ地理学的な知識が必要なくなっても、それぞれのマーケットがもつ特徴などのノウハウは、まだ必須なファクターだ。 集英社や小学館は関連会社Viz Mediaを通じてアメリカやヨーロッパで、講談社は子会社Kodansha Comics USAを通じてアメリカで、それぞれ日本の漫画を出版している。でもヨーロッパでは、まだそれぞれの国の出版社がマーケットを支配しており、現地の会社と手を組んで進んでいくことが賢明な判断だと思われる。

国際マーケットの進化の中で、漫画翻訳家の存在は、日本出版社にとって貴重な存在になるだろう。漫画の現地語化には専門知識にくわえ、オタク的なノウハウが必要である。そこらへんの翻訳会社に任せてひどい結果になったら、現地の日本漫画ファンがだまってはいない。世界の漫画オタクは、本当にうるさいのだ。個人的には、漫画出版の電子書籍化によって、「漫画翻訳家」という存在が正当に認めてもらえる時代がくることを楽しみにしている。

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