ブックデザインの鬼才チップ・キッド

2012年5月23日
posted by 大原ケイ

チップ・キッドと最初に会った(というか、見た)のはいつだったろう? 有名な装丁家と言えば真っ先に挙がる名前だし、出版記念パーティーやランダムハウスの社内で見かけると「うぉっ、チップ・キッドいたー」というくらい、スーパーノヴァなオーラ出してる人だった。

そのチップ・キッドがTEDに登場しているので、まぁ、自分の仕事についてはともかく、アメリカで着々と進みつつある書籍のデジタル化についてはどう思ってるんだろうと知りたくなって見てみた。マジでこんなカッコしてて、ついでにこのビデオ(TEDでの講演「笑い事ではないけど笑える本のデザインの話」)で披露しているタコ踊り(クラゲ踊り?)をやってるところもパーティーで見たことある。


チップ・キッドがデザインした本の表紙と聞いて、何も浮かんでこない人のために彼の経歴や代表作をかいつまんで書くと、彼は泣く子も黙る老舗文芸出版インプリントであるアルフレッド・クノップフのデザイナー。文学の薫り高い作品にアバンギャルドな斬新なデザインで、例えばバーンズ&ノーブルにふらっと寄って平台を眺めていて、「うわっ、ナニコレ?」と思わず手に取ってしまう本はチップ・キッドの手によるクノップフ刊の本であることが多いわけですな。

私が個人的に「うわナニコレ」をやられた最初の本がセダリスの Naked だったか、MITメディアラボのネグロポンテ所長の Being Digital だったか。最近の自信作は村上春樹の『1Q84』のようですね。TEDでは Naked や他の代表作を解説入りで紹介しているので見てみてやって。

でもね、天の邪鬼のアタシだから、もちろんチップ・キッドの裏の顔についてもちょいと書いておきたかったりして。TEDのビデオでは終始ゴキゲンでひょーきんに見えるチップ。実はけっこう恐い人でもある。もちろんそこは彼もアーティストなので、自分の作品に対する思い入れはハンパないだろうし、頑固なところもあるわけで。クノップフでは著者を怒らせ、編集長とケンカし、一時期ちょっと干されていたというか、ヘソを曲げて対立していたこともある。

日本文学との相性には「???」も

だから日本の作品を英訳して出すヴァーティカルという出版社の専属デザイナーになったと聞いたときは椅子から転がり落ちそうになったもんです(そういえば2003年7月号の「ダヴィンチ」に登場しているようです)。

日本の作品を米で出版するヴァーティカル社は専属デザイナーにチップ・キッドを起用。

チップは世界有数のバットマン・フリークで、キャラクターグッズのコレクションはすごいらしいし、日本のマンガも大好きで、かなーりオタクな人。そんなこともあって、なんだかあっさりとヴァーティカルのアートディレクターも兼任することになった。

でも、それは業界内ではけっこう「???」な反応だった。だってね、いくらクノップフといえどもたった一人の人にデザインを全て任せることはしないわけだし、彼のあのデザインは、出版社側の力、つまり、人気のある著者や、文学賞をとるような作品、そして何よりも親会社ランダムハウスの販売力をもってして釣り合う才能だと思うワケね。

それが、海外ではほとんど無名の著者による著作で、たいして売れない作品がチップのデザインしたカバーで覆われていると、やっぱりどこか「表紙負け」している気がしてしょうがない。例えばさ、東野圭吾の Naoko っていうのみてやってよ。日本じゃ絶大な人気の著者だけど、アメリカ人には Naoko っていうのが人名かどうかもわからないんだよね。ヴァーティカルには新作をいちいち全国のバーンズ&ノーブルの平台に乗せる力はないしさ。

しかも日本人が Naoko って聞いても「???」でしょうよ。原題は『秘密』なんだから。灰谷健次郎の『兎の目』にも驚くと思うよ(Rabbit’s Eyesで検索してみてくだされ)。

本ってのはやっぱり著者や編集者やデザイナーやセールスの人に至るまで、チームのコラボレーションで生まれ、読まれていくものだと思うわけ。その過程でどこかが勝手に暴走しないようにお互いに牽制するためにも何度も打ち合わせしていくわけだしね。でもチップみたいなパワフルなデザイナーが暴走したときに、クノップフぐらいのところじゃないととても「どうどう、ちょっと待て、チップ。いくらなんでもこのデザインじゃダメ。やり直して」って言えないんじゃないの?

チップがやり始めた装丁デザインの一つに acetate overlay ってのがあった。これは透明カバーをかけた本で、当時はわからなかったけど、これが劣化するのがわかって、昔はスゲー!としか思わなかった Being Digital やドナ・タートの The Secret History なんて、やっぱり私のクローゼットの中で溶けていたしなー。今ではほとんど使われなくなっている。当時この表紙デザインが考え出されたときに、誰も何も言わなかったんだろうか。

TEDでは電子書籍に関して、けっこう辛辣なことも言ってましたね。「これ、キンドルじゃ、できないでしょ?」「電子化によって得られるものも確かにあるが、失われるものもある」「Page turner(思わずページをめくっちゃう)って表現さえできない」ってことで、彼にとってはやっぱり『1Q84』みたいな分厚いどっしりした質感のあるものこそが「本」だってことが言いたかったようで。

いつか、怒られるのを覚悟で色々と訊いてみたいことがあるチップさんなのでした。

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執筆者紹介

大原ケイ
文芸エージェント。講談社アメリカやランダムハウス講談社を経て独立し、ニューヨークでLingual Literary Agencyとして日本の著者・著作を海外に広めるべく活動。アメリカ出版界の裏事情や電子書籍の動向を個人ブログ「本とマンハッタン Books and the City」などで継続的にレポートしている。著書 『ルポ 電子書籍大国アメリカ』(アスキー新書)、共著『世界の夢の本屋さん』(エクスナレッジ)、『コルクを抜く』(ボイジャー、電子書籍のみ)、『日本の作家よ、世界に羽ばたけ!』(ボイジャー、小冊子と電子書籍)、共訳書にクレイグ・モド『ぼくらの時代の本』(ボイジャー)がある。