「帯に短しタスキに長し」のコンテンツに朗報?

2011年9月22日
posted by 大原ケイ

アメリカの(それに準じてヨーロッパでも)本は往々にして分厚くて重い。満員電車に揺られながらコンパクトな文庫本で読書をする必要がないし(ちなみに欧米人がいちばん本を読むのはバケーションの時、つまり夏)、一方で、何でもあくせくしているこんな時代だからこそ、本を読むときは長い時間楽しめるものを、という欲求もあるからだろう。

来月下旬にようやく英語圏でも村上春樹の『1Q84』(上の映像はそのPV)が出るが、日本では3巻に分けられていたものが1冊で登場する(ゲラで見せてもらった時には1000ページぐらいあった)。スティーブン・キングのようなコマーシャルな作家も、ジョナサン・フランゼンのような純文学系の作家も新作を発表するときは、満を持して大作をぶつけてくることが多い。ファンとしては、長い間待たされてお腹が空いたところへ大盛りの料理が運ばれてくるようなもので、やったるでー、というわくわく感がある。

本という媒体には、手軽にできるお勉強の道具というよりも、エンタメとしてのコスパを求めている気がする。あっという間に読み終えて、ちょこっとなんだか賢くなったような気がする読み物や、人気のある作家が次々にエッセイだの対談集だのと、薄い新作が出るよりは、何週間も楽しめるような本が好きなんだよね。しかもこれがスリラーやミステリーなどのジャンルものになると、○○シリーズというのが1年に1冊のペースで数十冊も続いてたりするけれど、ファンの人は飽きずに焦れずに待っているし。スー・グラフトンのキンジー・ミルホーンシリーズとか、ジャネット・エバノビッチのステファニー・プラムシリーズとか、「ハリポタ」にしたってティーンエイジャー向けの本が500ページって、スゴイ国だなぁと感心させられる。

アマゾンもアップルもショート・コンテンツに着目

…とはいえ、デジタル化の波と共に、少しずつ変化が起こっているようだ。とりわけ、キンドルやヌックなど、軽量で持ち運びに便利な電子書籍リーダーが定着しつつあるので、移動中の隙間時間にも本を読むことができるようになってきたという背景もあるだろう。

キンドルは今年に入って、Kindle Singlesというジャンルを新たに設けた。これはページ数でいえば100ページ以下のコンテンツを別枠で売り出したものだ。単行本にするには短すぎ、雑誌記事にするには長すぎ、という分量のもので、ジャンルを大雑把に分けると、長すぎて雑誌に載せきれなかったルポルタージュや、単行本としては出せない「ノヴェラ novella」という短い小説などが、1〜5ドルの値段設定で売られている。

kindle singlesの人気第一位はやはりスティーブン・キング。

出版社側もこれを新しいファンを開拓するためのツールとして限定期間中タダでダウンロードできるようにしたり、長さが中途半端で未発表だった作品を電子書籍の限定版で読めるようにしている。ただし、Eブック限定でしか読めないからといって、これでキンドルを買って下さい、ということにはならない。アメリカの電子書籍はそういう姑息な囲い込みをしなくてもいいほどにまで成長しているからだ。

あるいは、ニューヨーカーのような雑誌が、特集号を別に印刷して出すよりも、ここの枠で売り出した方がプロモーションもかけやすいし、細かいページ数を気にせずに作れるという利点もある。私もいくつか読んでみたが、半日でさらっと読める分量のものが多くて、けっこう楽しめた。

キンドルで順風満帆なものをアップルが見逃すはずもなく、今月からiBookstoreでもQuick Readsというくくりで、同じような長さ、同じ値段設定のコンテンツを売り始めた(日本からはアクセス不可)。こちらもジャンルは同じ、ノヴェラや短編小説、そしてノンフィクションのルポルタージュが中心だ。

電子書籍に「枚数制限」はない

キンドルでもiBookstoreでも、短いものを探してみるとフォーカスを絞ったレシピ集があったり、特定の教科書に付随する学習ガイドなど、細分化された幅の広いものが見つかる。つまりはコンテンツの切り売りによって、版元が少しでも売上げを伸ばせるビジネスモデルになっているということだ。こちらはiPadやiPhoneで見られるので、カラー画面を最大限に利用したコンテンツ作りになっている。

いずれにしても、新しい読者を開拓するためのプロモーションとしても使えるだろうし、次の大作が出るまでに忘れられないためのつなぎとしても役立つだろう。今までアメリカのマーケットにはなかったものが出揃って来つつあるという感覚だ。

というわけで、あらためてこのエッセイ(「いまこそ本当の読書用iPadを」)を読んでみると、セバスチャン・メアリーが言うところの「純文学(belles lettres)」を活かすビジネスモデルがわずか1年で実現したということだ。

電子書籍では、何かを伝えたい書き手が「枚数制限」を気にしなくていい。ただ、デジタルのデバイスでは注意力・集中力が長続きしないことがわかっているので、必要最小限の言葉で伝えたいことを伝えきることが求められる。言い換えれば、読者の注意を引きつけていられる文章であれば、いくらでも続けることができるとも言える。

一方で「(原稿用紙)何枚でお願いします」と言われ慣れている物書きには辛い時代かも知れない。とりあえず冗長にダラダラと枚数を稼げば原稿料をもらえる種類のライターは紙の世界にしがみつくしかない。電子書籍はコンテンツをも変えていく。これは避けようがない変化だろう。

物事を簡潔に、要点を絞って、必要最小限の言葉で伝える……日本人がこれを苦手とするとは思えない。電子書籍を拒む理由はここにもない。

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執筆者紹介

大原ケイ
文芸エージェント。講談社アメリカやランダムハウス講談社を経て独立し、ニューヨークでLingual Literary Agencyとして日本の著者・著作を海外に広めるべく活動。アメリカ出版界の裏事情や電子書籍の動向を個人ブログ「本とマンハッタン Books and the City」などで継続的にレポートしている。著書 『ルポ 電子書籍大国アメリカ』(アスキー新書)、共著『世界の夢の本屋さん』(エクスナレッジ)、『コルクを抜く』(ボイジャー、電子書籍のみ)、『日本の作家よ、世界に羽ばたけ!』(ボイジャー、小冊子と電子書籍)、共訳書にクレイグ・モド『ぼくらの時代の本』(ボイジャー)がある。