個々の声を持ち寄る「ことばのポトラック」

2011年9月7日
posted by 大竹昭子

食糧の戸棚を開けるたびにたくさんの海苔の包みが目に入る。十帖入りが十二パック。この暑さで風味が損なわれるのではないかと心配だが、毎日海苔だけを食べつづけるわけにもいかず、あと半年くらいは自分のおろかさと対峙しなければならない。

海苔を買い込んだのは大地震から少したったころだった。津波のニュースに衝撃を受けたのもつかの間、原子炉建屋が水素爆発を起こして放射性物質が流出、不安はさらに広がった。ヨウ素を分解するには海藻類を食べるのがいいとツイッターで読んでスーパーに行くと、食品の棚にはほとんど商品がなく、よく買っていたパック入りの切り昆布も消えていた。それを見たとたんに平常心がぐらついた。のんびりしている間に事態は緊迫していたのではないかと焦り、海苔の専門店に駆け込んで買い占めてしまったのである。

思い返してみると、あのころはふつうの精神状態ではなかった。テレビから流れ出る情報を一方的に聞くだけで、それを判断し咀嚼する知識も余裕もなく、恐怖と悲しみと不安が三つどもえになって襲うに任せるしかなかった。

長い原稿を抱えていたのでそれに専念しようと、春分の連休には仕事場にこもったが、テレビは消してもインターネットは接続しているのですぐに気になり見てしまう。そのときふっと思ったのだった。マスコミが告げるこうした不特定多数のための情報や、顔の見えない相手の流すネット上の言葉は、果たしていまの自分に必要なのだろうかと。被災地に家族がいて現場に急行しなければならない場合ならともかく、家族も知人も無事で、しかも東京を離れられない身でこうしたニュースを聞きつづけるのは、妄想の成長をうながすだけで少しも力にならなかった。

いま欲しいのは個人が内側から発する声、メディアを通さない直接的な声だと思った瞬間、詩の言葉がこれまでにない身近さで迫ってきた。詩はこういうときのために存在しているのだとはじめて実感した。

ここ四年ほど、<カタリココ>というトークと朗読のイベントをおこなってきたので、その番外編のようなものができないだろうかとすぐに詩を書く友人たちに声をかけた。一日もかからないうちに十数人が出演を名乗り出てくれたのは、余震がつづき交通手段も安定していなかったその時期、さまざまな予定がキャンセルされてみんな家にいたからだろう。悶々とした気持ちを払いのけようという思いが一致した。

こうして六日後の三月二十七日、渋谷のサラヴァ東京で第一回「ことばのポトラック」は開かれた。イベントにはタイトルが要ると考えていたら、ひょいと「ポトラック」という言葉が浮かんできた。この言葉に出会ったのは七十年代のアメリカで、食べものを持ち寄る集いのことをポトラック・パーティーと呼んでいるのを知った。作品を発表するという構えたものではなく、いま必要な言葉を持ち寄ろうという趣旨に「幸運」の文字が含んだタイトルはふさわしく思えた。

準備期間は五日間しかなかったが、カタリココのwebで告知し、同時にメーリングリストで案内を出したところ、これも一日で予約が埋まり、正直なところ驚いた。

社会はまだ自粛ムードに覆われており、人が集まること自体が特別なことだった。多くの人が命を落としたのに、まだ余震がつづいているのに、放射能で大気が汚染されているのに、と外出をためらう理由が山ほどあったのである。

だが、心の底ではみな人恋しい気持ちを抱いていたのではないか。不安なのは自分だけでないことを確認し、閉ざされた心に灯をともしたいと切実に願っていたのだ。

プログラムが進行するについて心の重しがとれ、深々と息ができるような雰囲気になっていった。喪に服することといまを強く生きることは決して矛盾しない、そう実感して心の萎縮がほどかれた。

大震災以降、いろんな作家がさまざまな活動をはじめたが、「ことばのポトラック」は場をもっているところに特徴がある。サラヴァ東京はせいぜい八十名ほどの空間だが、人が集い、声を発するにはちょうどいいサイズだ。

出演するのは文学関係者に限らず、七月のポトラックには「ことばの橋をわたって」というテーマで在東京の外国人が参加してくれた。この災害で苦しんだのは日本人だけではない、異る言語にまたがって暮らす彼らは私たち以上に複雑な傷を負っていた。そうした事実を知ることは人間の経験について想像力を広げてくれる。

言葉は災害復興には直接結びつかないかもしれない。でも人間復興ならできるはずだ。言葉を手がかりに自己を建て直す人がどこかにいるかもしれないし、あのときに耳にした言葉、発した言葉が十年後、二十年後に別のかたちを借りて芽を吹くかもしれない。そうしたゆっくりしたあゆみを受け入れる心をいま準備したいと思う。

(この記事は「現代詩手帖」2011年8月号に掲載された同題の文章を転載したものです。)

*第一回「ことばのポトラック」で朗読された言葉と出演者の書き下ろしエッセイが冊子にまとまりました。一冊千円(うち二百円が義援金)。申し込みは(電話03-6427-8886)へ。イベントは来年三月までチャリティー企画として継続の予定。詳細は「カタリココ」「ことばのポトラック」へ。次回の「ことばのポトラック」は以下のとおり開催されます。

ことばのポトラック vol.4
詩の朗読会「女詩会」

日時 2011年9月25日 (日)  11:30 open 13:00 start
場所 サラヴァ東京
料金 3,000円(ブランチ付)【完全予約制】

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執筆者紹介

大竹昭子
1980年代初頭にニューヨークに滞在、文章を書きはじめる。写真も撮る。文筆家。小説、エッセイ、批評など、ジャンルを横断して執筆、著書に『図鑑少年』『随時見学可』『間取りと妄想』『須賀敦子の旅路』『東京凸凹散歩』『彼らが写真を手にした切実さを』『ニューヨーク1980』など多数。2007年より都内の古書店を会場にトークと朗読のイベント〈カタリココ〉をはじめ、現在、その活動から生まれた〈カタリココ文庫〉を刊行中。