アプリになったおかあさん

2011年7月5日
posted by 小泉真由子

もういいかげん断ち切りたい悪習慣というか、誰かにかけられた呪いというか、とにかく、数年に一度、他愛ない小説を書いては文芸誌の新人賞に送ってしまう。送る先は、決まって「新潮」か「群像」で、「すばる」や「文藝」、「文學界」には送ったことがない。その理由は自分でも説明がつかない。どっちにしたって、一次選考だって通らないのだから、どうでもいいといえばどうでもいい。

……というようなことを続けるでもなく、やめるでもなく、いま、35歳。はじめまして、小泉真由子と申します。『クラウドおかあさん』という小説を書きました。今回はそのことについて書かせていただくことになりました。よかったら小説のほうもあわせて読んでみてくださいね。

小説『クラウドおかあさん』ができるまで

『クラウドおかあさん』はもともと、2010年3月31日締め切りの、第何回目かの(ぐぐらない)「新潮新人文学賞」を狙って書いた小説でした。一次も通りませんでしたけど。

『クラウドおかあさん』っていうのは、インターネット上でサービスとして提供されるおかあさんのお話です。クラウドっていうのはインターネットのことです。コンピューターのシステム構成図なんかを描くときに、インターネット部分を雲で表現していたことから、クラウドコンピューティングと呼ばれるようになりました。GoogleAppsなどを思い浮かべていただくとよいかと思います。GoogleAppsのメニューに「おかあさん」があったら…? そんな小説を書いたんですね。一次も通りませんでしたけど。

もっとも、一次選考も通らない小説を書いているのは、実は、3年のうちの127時間くらいです。他は何をしているのかというと、子供を育てたり、IT系の出版社で編集者をしています。ね、だからクラウドとかITっぽいこと言ってるんですよ! 現実におかあさんだからおかあさんって言ってたんですよ! そのまんまでしょう! まあ、言ってるほどITにくわしくないですし、子供も育ててないんですが、それはまた別の話です。

で、編集の仕事をしていると、ずっと文章をいじっているわけですね。時々自分で記事を書いたりもします。私はけっこう書くのが好きなので、書きがちな編集者だと思います。そうすると、文章いじりたい欲求ってある程度満たされちゃうんですよね。たとえそれがよくわからないソフトウェアについて書いた文章だったとしても、満たされるんです。それでお給料ももらえるんです。自分も食って、子供も食わせていけるんです。それで、ああ、別に文学じゃなくてもいいんだーって思い始めたんですね。10年くらい前に。私は文学じゃなくても大丈夫なんだー、と。こうして、小説を書くということ、そして小説に限らず文章を書いて生計を立てるということについて、だいぶ距離をおいて考えることができるようになり、だいぶ人生楽になりました。

にもかかわらず、忙しい合間をぬって、夜なべして、書いてしまうんですね。小説を。送ってしまうんですね。「新潮」(か「群像」)に。なんだかよくわからないけど数年に一度、ふと思い出したように小説を書いては送ってしまう。やめられない。病気ですよね。病んでます。なんか魔法が解けてないです。応募原稿のマージンのとりかたとか、綴じ方とかだんだんうまくなってきてますし。だてに編集者やってないですよね。

よみがえる『クラウドおかあさん』

『クラウドおかあさん』に話をもどしますと、その後いろいろありまして、ちょうど1年後の2011年の3月に電子書籍アプリになりました。iPhone/iPad用のアプリなのでAppStoreでダウンロードできます。無料です。

『クラウドおかあさん』アプリの表紙イラスト。

なんで一次も通らなかった作品が、電子書籍アプリになるんだよ!って話だと思うんですが、もちろん、物事には理由があります。そして私にはコネがあります。いや、コネというほどでもないのですが、一緒にお仕事をしている谷川さんという方がおりまして、この人はいったい何をしているのかというと、このあたりを参考にしていただくといいと思うのですが、まあ、元アスキーの編集者で、その後IT業界をスイスイと渡り歩いているジャーナリスト兼経営者みたいなって書くと、わー、うさんくさ!いや、嘘です全然うさんくさくないです。私のほうがよっぽどうさんくさいです。

さて、ある晩のこと、酒の席にて、私はこの谷川さんに「新潮」の一次も通らなかったことについて、切々と訴えておりました。世の中おかしいじゃありませんか、 と。あんな、『もし○ラ』とか、あんなんばっかり売れて、なんだ、私の最先端のアイテー小説が一次も、一次も(以下、くどいので省略)。そしたら、谷川さんが電子書籍で出せばいいじゃないかって言うんですね。ちょうど谷川さんが電子書籍の会社を始めるというので、そのコンテンツにしてくれるというんです。

わー、じゃあよろしくお願いしますーってことで原稿を渡して今に至ります。はい。物事には理由がある。私にはコネがある。谷川さんには恩がある。

で、あの、正直言うと結構どうでもよかったんです、この件に関しては。まあ、送り先を間違えた感はあるにせよ、一次も通らなかった作品ですし。だいたいが病気みたいなものなので、書いて送った時点でもう自分の中では終わってるんですよね。で、また、原稿を渡したら渡したで、谷川さんが全く返事くれないんですよ。いいとか悪いとか読んだとか読まないとか、まったく、何にも言ってくれないの! 凹むじゃないですか。気になるじゃないですか。仕事の関係とかあるからボツにするとか言いづらいのかなー、とか思うじゃないですか。そしたら、ある日PDFを送ってきて、初稿だよ、校正してって。結局3、4回校正しましたかね。その過程でだいぶ削りました。もともと長い小説ではないのですが、新潮に応募したときの3分の2くらいになったんじゃないでしょうか。表紙なんかある?って言われたので、これまた一緒にお仕事をしているイラストレーターの倉田タカシさんにお願いしました。

谷川さんには、後でいろいろ感想というか、コメントをいただくことになるのですが、基本的にごちゃごちゃいわない人なので、まあ、読んだ時点でアリって思われたんだろうな、と思います。谷川さんが「新潮」の審査員だったらよかったのに!

そんな谷川さんですが、いわゆる書籍編集者ではなく、まさにアプリ編集者的な動きをしてくださいます。「マガジン航」の読者のみなさんならご存じのことと思いますが、AppStoreで売るアプリってAppleに申請して、審査に通らなきゃいけないんですね。で、無料の電子書籍アプリの審査がすごく通りにくくなってるんですね、今。私も編集者のほうの仕事で、リジェクトされた例をいくつか聞いてもいたので、ああ、これはさすがに通らないかなーと思っていました。

そしたら、「通ったよ、3月に出るよ」と、また唐突に連絡が入りまして。えー、よく通りましたねーっていったら、「ちょっと工夫した」と。私が入稿した表紙の前に勝手に雲の画像が付け加えられ、しかもクリント・イーストウッド映画っぽいピアノBGMなどが流れるようになっておりまして、つまり、工夫。なんかこう、大それたことじゃないんですね。ちょこっと付け加えた感じの。これでアプリとして通すんだから、敏腕アプリ編集者だと思います。

結構どうでもよかったくせに、実際アプリができてみるとやはりそれはそれでテンションが上がります。だって、1年前まで茶色い封筒に「新潮新人文学賞係 御中」とか書いていそいそと郵便局に馳せ参じてたのが、いきなりAppStoreですよ。これはけっこう衝撃的でした。電子書籍の衝撃! もちろん、私もその、いちおうITな出版社の人間ということで電子書籍にはそれなりのかかわり方がある(少なくともそういうことになっている)わけですが、自分の小説のこととなると、それはまったく別ものだったんですね。自分の小説は、出力して、綴じて、茶色い封筒に入れて、「御中」って書いて「新潮」か「群像」に送りつけるものだと信じて疑わなかった。最新のテクノロジーをテーマにした小説を書いているにもかかわらず。

2011年3月9日に公開された『クラウドおかあさん』。6月28日時点のダウンロード数は1229です。これを多いとみるか、少ないとみるかですが、谷川さんによれば「多いほう」だそうです。谷川さんが言うんだから間違いないぞ! これでも多いほうなんだぞ! あと、読んでくださるかたが多いです。「あとで読む」じゃなくて「読んだ」といってくださるかたが多い。とっても短い小説なので、すぐ読み終わるんですよ。本当に、そこが一番すばらしいところです。

「クラウドおかあさん」はわたしだ

アプリになった『クラウドおかあさん』は、とても独特な存在になりました。最初にも書いたとおり、小説『クラウドおかあさん』は、ひとことでいうと、おかあさんがインターネットを通じてサービスとして提供されるという筋なのですが、そのアプリがインターネットを通じてサービスとして提供されるわけです。

いわば『クラウドおかあさん』は小説であり、アプリケーションそのものであるということになります。ここでしたり顔で「入れ子構造」などと言いだしたとたん、興ざめされそうでイヤンなのですが、まあ、入れ子構造ですよね。マトリョーシカっていうとちょっとはマシですかね。どっちでもいいですかね。

とにかく、このマトリョーシカ・アーキテクチャに加えて、この私です。冒頭でもちょこっと触れましたが、私はおかあさんなんですね。10歳の息子がいます。しかも、シングルマザーで、まあそれはどうでもいいんですが、とにかく日ごろから、TwitterやFacebookなどで、母性っぽさを前面に押し出していることもあって、まあ、母性をアピールしてしまうことについてはちょっとしたエクスキューズの機会を与えてほしいと切に願うのですが、ええと、私はなんの話をしていましたか。そうそう、おかあさん。私が実生活でおかあさんであるがゆえに、私の知り合いの多くは、クラウドおかあさん=私として読んだそうなんですね。ああ、小泉が自分のことを書いたのだな、と。

ここでいう「私を知る人」っていうのは、リアル/ネットを問わずですが、とりわけ、ネットだけのお知り合いにとっては、クラウドおかあさんと私の存在のリアルさなんてそんなに変わらないじゃないですか。そんなこともあって、クラウドおかあさん、なんて呼ばれたりするようになり、私も調子に乗ってクラウドおかあさんなどと自称するようになり、今に至るというわけなのです。

こうして、電子書籍として発表してから数カ月がたち、『クラウドおかあさん』は、小説であり、アプリであり、私自身なのであーる! みたいなことになってしまった。書いたときは違いました。でも、いまや、クラウドおかあさんは私。フロベールかよ!

アプリであり小説であるということがどういうことかといえば、『クラウドおかあさん』がバージョンアップしたなんて聞くとつい笑みがこぼれます。クスクス。入れ子入れ子。おかあさん、何ができるようになったのかしら?みたいな。ちなみに前回のバージョンアップではメイン言語が日本語になったそうです。それまではいったい何語だったんでしょうか。

そして、クラウドおかあさんという新しいアイデンティティを得た私は、今後、小説を書くことがあったとしても、もう、「新潮」や「群像」には送らないんじゃないかという気がしています。うん、もう「新潮」や「群像」には、送らない!これは電子書籍化を通じて私が経験したセンスオブワンダーのおかげで、呪いが解けたのだと思っています。そもそも小説を書いてしまうという呪いのほうが解けていないみたいなのですが、こちらの呪いについても、いつかテクノロジーがなんとかしてくれるのではないかと期待しています。

さて、私のほうからは以上です。「電子書籍の登場で作家の存在は、作品はどのように変わるのか」といったことを書ければと思ったのですが、そもそも電子書籍が登場する前は、私は作家じゃなかったんでした。そして電子書籍を出したところで、いわゆる「作家」になったわけでは決してなく、クラウドおかあさんという、なんだかよくわからないものになってしまいました。私はいったい、これからどうすればいいですか。言うほど悩んでいません。いまさら作家になろうなどとは、微塵も思っていません。いや、微塵くらいは思ってます。綿ボコリくらいは…。

でもね、なんというか、今回、アプリというツールで作品の存在や意味が変わってしまう、大げさにいえば、そういう経験をしたわけですよ、私は。だったら、そういう方向をもっと突き詰めていったほうがいいんじゃないかと思ってます。ただ小説書いたよー、読んでねーっていうのではなくて。なんて偉そうなこと言って、今、何のアイディアもないですが。いずれにしても、まだどこかでお目にかかれたらと思います。

読んでくれてありがとう!

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執筆者紹介

小泉真由子
(編集者/クラウドおかあさん)
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