ソーシャル編集は出版の黄昏を告げるか

2011年4月12日
posted by 鎌田博樹

FlipboardPaper.liZiteといった「パーソナル・マガジン」をご存じだろうか。ユーザーの「関心」に応える記事を集め、雑誌や新聞のようなプロっぽいレイアウトで、毎日提供してくれる「擬似メディア」のことだ。ユーザーがフォローしている情報と情報源は、TwitterやFacebookなどから抽出されたプロファイルで定義し、記事は一定のロジックでボットが自動的に集め、CSSテンプレートに流し込んで表示する。「そこそこ」役に立つ内容の記事が「それらしく」見えるのが特徴だ。これは「ソーシャル編集」とも言われる。

FlipboardはTwiterやFacebookを雑誌風のインタフェースで閲覧できるiPadアプリ。

FlipboardはTwiterやFacebookなどを雑誌風のインタフェースで閲覧できるiPadアプリ。

Paper.liはTwitterのアカウントやハッシュタグなどをキーにして、TLから自動的にコンテンツを編集しブラウザに表示する。「発刊処理中」には輪転機の映像が流れるギミックも。

Paper.liはTwitterのアカウントやハッシュタグなどをキーにして、TLから自動的にコンテンツを編集しブラウザに表示する。「発刊処理中」には輪転機の映像が流れるギミックも。

便利さに瞠目し「これがあれば…」と感動する人がいる。「著作権侵害」と怒る人も、ショックを受けて暗然とする人もいるだろう。外国製サービスがいとも容易に「日本語の壁」をクリアしているのにも驚く。しかし、Webの様々なサービスをフォローしてきた人は、これがさほど画期的でもないことを知っている。筆者は、迂闊にも「マガジン航」の仲俣編集長に教えていただくまでは知らなかった。もちろん、こうしたサービスへのニーズは昔からあったもので、オンライン・データベースの世界ではクリアリングとかSDI (選択的情報提供)と呼ばれていたが、高かったのでプロしか使えなかった。

インターネット(Web)の普及でオンライン情報が一般化すると、状況は一変する。それでも、すぐに誰でも使えるようにはならなかった。15年ほど前、新聞のWeb版をパーソナル化してくれる米国製ツールを買って使ってみたことがある。またニュースリリースなどプロ向き無料サービスでも、関心領域を登録すると関係するものだけを送ってくれるが、誰でもとはいかないのは、ユーザーが自分のプロファイルを設定・登録するのは、仕事でもない限り意外に難しいからだろう。最近のサービスは、SNSから拾ってユーザーのデジタルself(そこそこの自分)を自動的に模造し、その「関心」に応えるようになっている。だから誰でも使える。もちろん、実際の自分のニーズとズレていれば調整できるが、その時には向こうの思う壺にはまっていることになる。

ボット化した編集者と編集ボットによるハルマゲドン!?

上記のような「インスタント出版」サービスは次々に登場している。組版やフォーマット変換はもちろん、iBuild Appのようにアプリ化までやるものがある。すべてタダまたはそれに近い価格で「そこそこ」「それらしく」やってくれるのだから、プロとしてケチをつけるのは難しいだろう。これまで<活字→組版→フォーマット/変換>と、版の製作工程がひと通り「自動化・無料化」されてきたのだが、ついに出版の「聖域」ともいえる<収集→査読→デザイン>という編集の領域に及んできた。ボットは「そこそこ」の情報をアレンジして「それらしく」、「それなり」のユーザーにサービスする。読者プロファイルは、もちろん広告主の要望と合致するから、ボットが読者を見つけて大メディアとなる可能性は高いと言わねばならないだろう。

デジタル技術の本質は複製(模倣)と自動化にある。模倣の対象も、ルールも、プロセスも、解析できるものなら何でも模倣できる。ネット上の「人格」も(それが経済価値を持つ限り)パターンを解析され、模倣される。ネット上で模造された自我に対して「パーソナル」な情報発信が自動的になされる。あるいは様々なボットキュレーターが、あなたに合った「作品」や「ニュース」をチョイスしてくれる。出版社や雑誌・新聞の関係者がまだ「マスメディア」の幻想から覚めないうちに、シミュラクラに成長したボット編集者の「擬似出版物」が無料で送信され、人々が「それなり」に満足してしまう事態は、もはやSFではない。20世紀の文豪(と筆者が考える)フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』その他多くの作品で描いた、人間とアンドロイドの区別がつかなくなる悪夢的世界は、いまそこにある。

模倣は現代消費社会の本質であり、さらに遡れば数量化革命に始まる近代技術文明の帰結でもある。電子式複製は機械式複製よりはるかに巨大な力を持つ。それは人間もプロファイル化し、複製できるからだ。だが、考えてみれば、編集のロボット化はパターン化した仕事しかしない編集者によってすでに実現してしまっているのかもしれない。だとすると、この先ボット化した人間とシミュラクラ化したボットの間で生存競争が繰り広げられることになるかもしれない。人間にできることは、考えること、共感すること、パターンから外れることくらいしかない。ディックの『電気羊』では他者への共感の度合いを測定するテスト(フォークト=カンプフ感情移入度測定法)によってアンドロイドを判別するのだが、ボット編集者を判別するテストが必要だ。

※この記事は2011年4月5日にEbook 2.0 Forum に掲載された同名の記事を転載したものです。

■関連記事
appの未来
「本のアプリ化」をめぐる攻防を妄想する

執筆者紹介

鎌田博樹
ITアナリスト、コンサルタントとして30年以上の経験を持つ。1985年以降、デジタル技術による経営情報システムや社会・経済の変容を複合的に考察してきた。ソフトウェア技術の標準化団体OMGの日本代表などを経て、2009年、デジタルメディアを多面的に考察するE-Book 2.0 プロジェクトに着手。2010年より週刊ニューズレターE-Book2.0 Magazineを発行している。著書に『電子出版』(オーム社)、『イントラネット』(JMA)、『米国デジタル奇人伝』(NHK出版)など。情報技術関係の訳書、論文多数。2013年、フランクフルト・ブックフェアで開催されたDigital Publishing Creative Ideas Contest (DPIC)で「グーテンベルク以前の書物のための仮想読書環境の創造」が優秀作として表彰された。